歌舞伎座八月『刺青奇偶』『玉兎』『団子売』

刺青奇偶(いれずみちょうはん)』は長谷川伸さんの作品で、勘三郎(18代目)さんの半太郎、、玉三郎さんのお仲で観ていますが、今回は玉三郎さんが演出のほうで、七之助さんが玉三郎さんのお仲そっくりで驚いてしまいました。

声の調子、身体の線、しどころなどよくここまで受け継がれるものだと思って観させてもらっていましたが、勘三郎&玉三郎コンビでは無かった涙が、中車&七之助コンビでは、出てしまいました。

七之助さんのお仲には捨て鉢ながらも儚なさがあり、飛び込んだ川から半太郎に助けられ、行くところもなく半太郎という男に賭けてみようという最後にすがるよりどころを見つけた必死さがありました。同じに見えてもそこから出てくるそれぞれの役者さんの色というものがあるのを改めて感じました。

中車さんは、棒杭にもたれて江戸の灯を見るしどころがよく、ゆっくりではあるが一つ一つ身体に叩きこんでおられるなというのがうかがえました。他の歌舞伎役者さん達が小さい頃から見て教えられてきた時間の違いがあるわけで、そのしどころの数は中車さんにとっては大きな山が目の前にそびえているのです。ところが、他の役者さんはさらに先へ進むのですからたまりません。自分の中に少しづつ収めたものを大切にされ進まれてほしいです。

博打しか頭にない半太郎は、死ぬしか先がなかったお仲を助けます。自分の体しか用のない男たちを見て来たお仲にとって半太郎の無償の行為は、かすかな光でもありました。そんな二人が夫婦になりますが、半太郎の博打好きはなおりません。

病身で自分が助からないと悟ったお仲は、半次郎の右腕に刺青をさせてくれと頼むのでした。この場面思いがけず涙でした。お仲は、自分の亡きあと、半次郎が身を滅ぼさないことを願ったのです。ここまでは許すがここからは許さないよというお仲の戒めでした。その間、きっと目を見開いている半太郎。

場面変わって半太郎。ここは勘三郎さんのときは、やはり半太郎にはお仲の想いは通じなかったのかと思わせました。そう思わせてこそのその後の展開となります。あらすじがわっかているためか、中車さんはそう思わせてくれる雰囲気がありませんでした。政五郎親分(染五郎)がでてからの半太郎の台詞は聴かせます。どう語ろうかと工夫に工夫を重ねたであろうという語りで心の内を聴かせます。政五郎にぽっーんと紙入れを投げさせる力がありました。

この雰囲気が魔物でして、勘三郎さんの絵は頭に残っていますし、天切り松の松蔵を見たあとですので中車さんには不利ですが、『吹雪峠』のときよりもずーっと前に進まれています。政五郎の染五郎さんも声の出し方、雰囲気が大きさを見せてくれ、半太郎をしっかり受けておられ、中車さんも幕切れはしっかりきめられました。

玉兎』の勘太郎さん、勘太郎の名前を背負っての一人踊りです。「可愛い!」で終わらせることを拒否しての踊りに挑戦していました。観ていますと、<腕が伸びていない><真っ直ぐ><足がちがう><早い><音をよく聴いて>など、誰かさんの叱咤激励が聞こえてきそうです。でもこうした歌舞伎ならではの五線譜ではない間と流れをつかんでいかなければならないのが歌舞伎役者さんの修業ですから、可愛いらしさを返上しての第一歩、真摯に受け止めさせてもらいました。

団子売』。勘九郎さんと猿之助さんの団子売りの夫婦の仲の良さを見せつけられて、こんなに短かったかしらと思わせられるほどの速さで終わってしまいました。

もっと短いのが『野田版 桜の森の満開の下』の感想です。

いやまいった。まいったなあ。

<『野田版 桜の森の満開の下』贋感想>が書けるかどうか。その前に第二部があります。