信州の旅・塩田平(3)

前山寺』は、木々に挟まれた参道並木が続き、両腕に余る太いケヤキもあり静かでいい感じです。空海上人が開創したといわれるています。本堂が木造の厚い茅葺き屋根で正面に唐破風の向拝がでている美しい姿です。

この向拝の厚い茅葺きの中央に文字が見え、火事から守る<水>かなとおもい入口の受付のかたにお聴きしたら本堂の<本>で、三重塔のある大きなイチョウの木から見ると<水>に見えますと教えてくださいました。近づいてよく見ると言われた通り<本>で、上からは<水>でした。火に強いイチョウの木からみるというのは単なる偶然であろうか。

茅葺の一部上の何センチかは葺き替えたそうで色が変わっていました。それにしても唐破風の向拝の茅葺といい屋根といいお見事です。三重塔は「未完成の完成塔」といわれ、二層と三層に扉も窓も廻廊もなく、横板壁で未完成なのですが、屋根の先のカーブが美し曲線で、その三つの屋根のバランスといい、全体に安定感があり、細部にはこだわらせない力があります。

「クルミおはぎあります」の看板に誘われて、庫裏の塩田平の見えるお部屋でしばし休憩です。庭の土塀には、鉄砲を撃てるように三角の穴がありました。塩田城の鬼門に位置しています。武田勝頼さんが寺領を寄進していて武将たちの信仰も厚かったようです。

クルミの練りたれの上に白いはんつぶしのもち米の小さいのが二つで、おはぎというよりお菓子的可愛らしさです。なるほど、上からたれをかけるより、色としては白が美しいなどどと思いつつ賞味。風景といい結構でした。『信濃デッサン館』でのコーヒータイムもよさそうでした。

ここからは塩野神社までは<あじさい小道>を歩きます。小道に入るところで歩いてくる男性に会い、小道を確かめます。親切にそのかた、途中草の繁っているところがあるので、へびに会うといやだろうから杖があるといいといわれ、近くに落ちていた適当な枝の杖になるものを探してくれました。本当に靴が隠れるほどの雑草のところがあり草を払いつつ歩きました。杖にはそういう働きもあるのかと再認識です。幸いへびには会いませんでした。

途中に<塩田城跡>の標識があり、鎌倉幕府の重職であった北条義政が館を構え、塩田北条と称し、その後あの武田信玄に滅ぼされ、さらに上田のヒーロー一族の真田昌幸が支配し上田城ができると廃城となったとあります。(ヒーローとは書いてありませんが・・・)

龍光院』は、北条義政さんの菩提寺です。立派な黒門のまえに樹齢600年の大きなケヤキが。観世音堂も羅漢堂も本堂も閉じられていましたが、寺宝の狩野永琳筆の六曲屏風が本堂に常時展示とありましたので拝見させてもらいました。穏やかな線と色合いでした。外に並んだ干支と赤い帽子と前垂れのお地蔵さんが現代のアニメ風で可愛らしかったです。

次の<塩田の館>は食事処もおわっていて係りの方がお掃除しているようなので、すぐに続きの<あじさいの小道>へ。この道は巾が狭く満開時には両手にアジサイ!の感じで見事なことでしょう。この道の最終が『塩野神社』です。ここで杖を立てかけ、無事のお礼を。古代の公文書「三代実録」「延喜式」にも記されている古い社です。拝殿(勅使殿)や本殿は江戸時代建築で、作者は上田市の名工、末野忠兵衛とありますから、この忠兵衛さん、有名だったのですね。

拝殿は二階建てで、拝殿も本殿も彫刻に力を入れています。沢山の小さな社(八坂社、白山社など)が苔むした石の上や石垣の上などに自然なかたちで自由に並ばれているのが、かえって何者のの束縛も受けず神様たちの語らいの場のようで印象的でした。

すぐお隣さんが最後の『中禅寺』です。ここで別所温泉駅行のバスは無くなり、約一時間後の塩田町駅行のバスとなりましたのでゆっくりです。それでいながら列車の乗り換えの関係で長野駅に着く時間は同じなのです。それもまたローカル線の楽しいところです。

中禅寺』も空海さんが開いたといわれ、ここの「薬師堂」は平泉中尊寺の金色堂と同じ形式で東西南北どこからみても4本の柱で柱の間が三間からなっていて、<方三間>と言われ、上から屋根をみると正方形に見えるかたちです。この薬師堂は茅葺ですので、金色堂とは趣が違い、茅葺き独特の曲線の膨らみに素朴な愛嬌があります。残念ながら薬師如来坐像、神将像らは公開しておりません。

手の行き届いた小さな枯山水庭があり、そこから「薬師堂」も見え、休憩場所でしばし一日の終了に満足感を味わいます。これらの寺社は、後ろに独鈷山を控え、その山麓に位置しています。天候も穏やかで、歩く距離もほどほどでゆっくりと鑑賞できる時間をもてました。

また少し話が飛びますが、別所温泉の『北向観音』は長野の善光寺と向かい合うように本堂が北を向いているための命名ですが、この愛染明王堂のそばのカツラの木から、川口松太郎さんは『愛染かつら』を思いつき、田中絹代さんと上原謙さんコンビの映画が大ヒット(1938年)しました。ロケ地は、日光市の『中禅寺』と言われています。ところが、『北向観音』ではなく東京谷中の『自性院』の説もあり、ロケ地も東京の池上本門寺説もあります。

映画で驚いたのは、京マチ子さんと鶴田浩二さんコンビの『愛染かつら』(1954年)があったのです。鶴田さんはわかりますが、京マチ子さんはイメージが違います。ただ、応援にかけつけた元同僚の看護婦さんたちの前で、「私事ではありますが・・」と挨拶をされ、それが堂々としていて圧倒され、これもありかと思わせられます。こちらの映画には、カツラの木は出てきませんでした。