歌舞伎座九月秀山祭 『逆櫓』『再桜遇清水』

夜の部『ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)』は、吉右衛門さんの船頭松右衛門から樋口次郎への変化の妙味と、思いもかけない人生の荒波を乗りきる歌六さんの漁師権四郎とのやり取りの面白さを味わえる好舞台です。台詞まわしが絶品です。

樋口次郎は漁師権四郎の娘・およし(東蔵)のむこに入っています。名前が亡き夫と同じ松右衛門です。亡き夫の残した子・槌松(つちまつ)は西国巡礼の際、捕り物騒ぎでよその子と取り違えて、今いる子は槌松ではないのです。

前に進み、後へもどることを自由にあやつる舟のこぎ方の逆櫓は人の生き方にもいえることで、権四郎は見事に土の上の逆櫓を見せるのです。

松右衛門は権四郎から逆櫓を伝授され、梶原平三から義経の舟の船頭を申し受けます。梶原との対面を権四郎親子に話すし方話の柔らかさが面白く、船頭がドギマギしながらも、権力者に対する庶民の揶揄する気分など、現代でも有名人に会って興奮して話す感じです。それを聞く権四郎親子も高揚します。その後とんでもない悲劇がお筆(雀右衛門)という女性がたずねて来てもたらされます。生きていると信じていた槌松が、実は木曽義仲の若君・駒若丸と間違えられて殺されていたのです。悲嘆にくれお筆のいい様に怒り狂い、駒若丸を殺すという権四郎。

それを止めさせる松右衛門の樋口次郎。樋口は松右衛門にやつしていたのです。障子が開き松右衛門から樋口への様変わりが大きく舞台を引き締め空気がかわります。この大きさと台詞術が、権四郎を一人の孫の祖父から武士の親として納得させたことを観客にもうなずかせます。

逆櫓の練習場面を子役の遠見にして、船頭仲間が実は梶原の手下で、船頭たちと樋口の大きさをみせつけつつの立ち廻りとなります。権四郎が訴人したと聞き、裏切られたと悔しがる樋口。そこへ、畠山重忠(左團次)が樋口を捕えにきます。権四郎は駒若丸を、これは亡き松右衛門の息子の槌松なのだから、この松右衛門とは何の関係もないと言い切り、畠山も駒若丸と知りつつ命を助け、樋口と駒若丸は主従としての別れをかわします。権四郎は武士の親としての務めをはたすのです。権四郎の逆櫓の腕は衰えていませんでした。

さらに、三人の船頭・富蔵(又五郎)、郎作(錦之助)、又六(松江)のそろった声の響きに答える樋口の声の明るさが、梶原の裏をまだ知らぬ樋口の義経を討つ好機の気持ちを表していて、こういう短いところにも歌舞伎の面白さの光があるとおもえました。

松右衛門と樋口次郎の人間味の違いは長い時間をかけての芸の力です。秀山祭は初代吉右衛門さんの芸を讃え継承する公演ですが、初代さんは観ておりませんが、初代で名優になったのですから凄い力のかただったのでしょう。その初代を目指す二代目さんの修業も並みならぬものがあり、今、二代目はこうだという芸力を見せてくれる舞台でした。

再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)桜にまよふ破戒清玄』は、吉右衛門さんが松貫四の名で、『遇曽我中村』をもとに書かれた作品で、<桜にまよふ破戒清玄>とありますように、僧・清玄がこれでもかというほどの破戒僧になるのです。その原因は、清玄という名前が災いします。一人は<きよはる>と読み、一人は<せいげん>と読む同じ名前なのです。<逆櫓>の同じ名・松右衛門とは違う展開なのも面白いです。

「桜の森の満開の下」ならず、「桜の清水の満開の下」は、同じ名前を利用して落とし入れる桜姫(雀右衛門)の腰元・山路(魁春)の主人を想う一途さです。桜姫を演じたことのある魁春さんは桜姫の心の内が手に取るようにわかるのでしょう。さすが手順がいいです。

桜姫と千葉之助清玄(きよはる・錦之助)は恋仲ですが、千葉之助が鎌倉の新清水寺へ頼朝の厄除けのため剣を奉納するというので、桜姫は千葉之助に会いたくて新清水寺にきています。桜姫に横恋慕しているのが荏柄(えがら・桂三)が、桜姫の千葉之助の恋文を拾い、不義であるといいたてます。そこで山路はその相手は<きよはる>ではなく<せいげん>だと言い張ります。そうしなければ桜姫と千葉之助は死なねばならぬとの状況から清玄(染五郎)は、手紙の相手は自分だと認め寺を去るのです。

桜姫はことの成り行きから新清水寺の舞台から傘をさして飛び降り、清玄に助けられ、これが清玄にとって運のつきであります。桜姫に惚れてしまうのです。一度いつわりの破戒も本物になってしまいます。清玄は名僧だったのでしょう。千葉之助がこちらは<きよはる>あちらは<せいげん>と讃える台詞もあり、二人の弟子(児太郎、米吉)が清玄についていくのです。

ところが清玄の破戒は人をも殺してお金を奪うというところまで行き、二人の弟子は恐ろしくなり池に身投げしてしまいます。そこへ、葛籠に入った桜姫が運命のいたずらで運ばれてきます。しかし遂に清玄は殺されてしまいます。執念は女も男も恐ろしいものです。清玄は幽霊になっても、桜姫への想いを断ち切ろうとはしないのでした。

染五郎さんは、奴浪平で桜姫を助ける側と破戒僧清玄の二役です。歌昇さんは桜姫側の奴磯平で種之助さんが荏柄側の奴灘平で三奴の違いもお楽しみどころですしょうか。

桜姫の雀右衛門さんと千葉之助の錦之助さんが、あくまで武家の姫と若君の佇まいを貫いて悪気じゃないが清玄を破戒に落とす軸となって貫き、清玄の破戒を際立たせました。

染五郎さんは歌舞伎ならではの破戒ぶりで、『鳴神』と違って何の力もないわけですから幽霊となって出るしかない悲しさがこれまた可笑しいです。台詞の声質に新しい領域が広がってきているのが今後に期待できます。

児太郎さんの妙寿と米吉さんの妙喜の清玄の破戒ぶりに途方に暮れる様がこれまた若者ゆえの可笑しさを誘います。神妙になって観るよりも、一旦タガが外れると人間可笑しなことまでやってしまい、考えもなく、その場を繕う人の性が、これまた可笑しな状況を生み出すといったようなことでしょうか。

若手が思考錯誤して破戒に振り回されないように頑張っているところがなんとも可笑しくて楽しいです。さらなる芝居の引き締めと支えどころをつかんでいってください。