信州の旅・御代田(4)

長野駅からしなの鉄道は軽井沢までいきますが、その途中の御代田に『真楽寺』があるのを思い出しました。映画『ゆずり葉の頃』でロケ地となったお寺さんです。そこへ寄ってから軽井沢へ向かい、横川へのバスを調べたところ12時までには横川に着けます。となると遊歩道<アプトの道>の道を歩いてレンガ造りの『めがね橋』へ行けます。帰りは坂本宿を通って横川へ帰れれば、葛飾北斎さんの歩いた道を少し歩くことが出来るわけです。いいではないですか!

<アプトの道>は、かなり前に友人たちが歩いていて地図を貰っていたのですが、先に行きたい所優先で計画しなかったのですが、今回上手くはまってくれました。

真楽寺』へは御代田駅から徒歩1時間弱なので約二時間の時間をとり、御代田駅から行きはタクシーを使い、帰りは徒歩としました。リュックはコインロッカーがなく御代田駅で預かってくれました。

タクシーはお寺の境内まで運んでくれましたので、映画の主人公の市子(八千草薫)さんは藁葺屋根の仁王門から入って行きますが、こちらは仁王門から出ていくかたちとなり、少し味気なかったです。映画『ゆずり葉の頃』の映像そのままの三重塔です。こちらの塔は、自己主張の少ないすっきり安定形で時間の長さを思わせます。

このお寺は浅間山の噴火を鎮めるように祈願して創建された古刹です。観音堂には本尊聖観音菩薩が安置され別名「厄除観音(やくよけかんのん)」と呼ばれています。屋根は残念ながら銅板葺きです。茅葺を維持することが今は大変な時代です。

そして、観音堂と三重塔から下がったところに、『ゆずり葉の頃』でも重要な場所である湧き水で水の美しい<諏訪明神出現大沼の池>があります。映画では<龍神池>といわれ、ここで東京から疎開してきていた市子と真楽寺の息子である謙一郎のほのかな心のやりとりがあり、健一郎は龍神のようにここから飛び立つと語り、市子に飴玉を手渡します。

その想い出を市子に呼び覚ましたのが、世界的画家となった健一郎の個展が軽井沢で開かれているということを新聞記事でした。その新聞には、市子と思われる、赤ん坊を背負った少女の絵「原風景」が載っていました。もう一枚の印象的な絵は、龍神が空に向かって力強く進んでいく作品で、そこには三重塔も描かれています。

ここから市子の人生での思い残すことのない次への一歩を踏みだすまでの静な時間が湧きだすのです。本当に綺麗な水の池で、八千草薫さんの姿が映っていますが、周りの木々も全て水が吸い込むように水面に写しだし、水草と戯れているようです。どこからどのように撮影したかがわかりました。

『ゆずり葉の頃』を見直しましたが、丁寧に語られる台詞のひとつひとつの間がなんとも言えない味わいでした。(余談ですが、映画『お父さんと伊藤さん』のセリフの間もちょっと気に入りました。) 映画『ゆずり葉の頃』の涙

<諏訪明神出現大沼の池>の碑によりますと、昔近江の伊吹山の麓に、甲賀という大富豪がいて太郎、次郎、三郎の三兄弟がいました。父が亡くなる前、三郎に全てを任せると言い残したため、二人の兄は三郎を殺すことにします。三郎は兄たちによって深い穴底に落とされ、横道を進んで行くと大沼の池にでましたが、水に映った姿は蛇体でした。そこに住むうちに大きくなり、そこから諏訪湖に移動して諏訪明神となり、一年に一回大沼におみ渡りされるのです。

そうした言い伝えが<龍神祭り>となって、勇壮な甲賀三郎龍の舞い姿となっています。

 帰りにはお寺の後方には浅間山がくっきりと見え、駅までは平坦な道で40分くらいで行き着けました。そして、軽井沢へ至りバスで横川へと向かいお昼には横川に到着でき予定通りでした。

軽井沢と横川間のバスで<めがね橋>に停車するのは、期間限定で、上下線の一本づつです。ほとんどの期間、徒歩の人は横川から往復歩くしかないのです。

 

信州の旅・塩田平(3)

前山寺』は、木々に挟まれた参道並木が続き、両腕に余る太いケヤキもあり静かでいい感じです。空海上人が開創したといわれるています。本堂が木造の厚い茅葺き屋根で正面に唐破風の向拝がでている美しい姿です。

この向拝の厚い茅葺きの中央に文字が見え、火事から守る<水>かなとおもい入口の受付のかたにお聴きしたら本堂の<本>で、三重塔のある大きなイチョウの木から見ると<水>に見えますと教えてくださいました。近づいてよく見ると言われた通り<本>で、上からは<水>でした。火に強いイチョウの木からみるというのは単なる偶然であろうか。

茅葺の一部上の何センチかは葺き替えたそうで色が変わっていました。それにしても唐破風の向拝の茅葺といい屋根といいお見事です。三重塔は「未完成の完成塔」といわれ、二層と三層に扉も窓も廻廊もなく、横板壁で未完成なのですが、屋根の先のカーブが美し曲線で、その三つの屋根のバランスといい、全体に安定感があり、細部にはこだわらせない力があります。

「クルミおはぎあります」の看板に誘われて、庫裏の塩田平の見えるお部屋でしばし休憩です。庭の土塀には、鉄砲を撃てるように三角の穴がありました。塩田城の鬼門に位置しています。武田勝頼さんが寺領を寄進していて武将たちの信仰も厚かったようです。

クルミの練りたれの上に白いはんつぶしのもち米の小さいのが二つで、おはぎというよりお菓子的可愛らしさです。なるほど、上からたれをかけるより、色としては白が美しいなどどと思いつつ賞味。風景といい結構でした。『信濃デッサン館』でのコーヒータイムもよさそうでした。

ここからは塩野神社までは<あじさい小道>を歩きます。小道に入るところで歩いてくる男性に会い、小道を確かめます。親切にそのかた、途中草の繁っているところがあるので、へびに会うといやだろうから杖があるといいといわれ、近くに落ちていた適当な枝の杖になるものを探してくれました。本当に靴が隠れるほどの雑草のところがあり草を払いつつ歩きました。杖にはそういう働きもあるのかと再認識です。幸いへびには会いませんでした。

途中に<塩田城跡>の標識があり、鎌倉幕府の重職であった北条義政が館を構え、塩田北条と称し、その後あの武田信玄に滅ぼされ、さらに上田のヒーロー一族の真田昌幸が支配し上田城ができると廃城となったとあります。(ヒーローとは書いてありませんが・・・)

龍光院』は、北条義政さんの菩提寺です。立派な黒門のまえに樹齢600年の大きなケヤキが。観世音堂も羅漢堂も本堂も閉じられていましたが、寺宝の狩野永琳筆の六曲屏風が本堂に常時展示とありましたので拝見させてもらいました。穏やかな線と色合いでした。外に並んだ干支と赤い帽子と前垂れのお地蔵さんが現代のアニメ風で可愛らしかったです。

次の<塩田の館>は食事処もおわっていて係りの方がお掃除しているようなので、すぐに続きの<あじさいの小道>へ。この道は巾が狭く満開時には両手にアジサイ!の感じで見事なことでしょう。この道の最終が『塩野神社』です。ここで杖を立てかけ、無事のお礼を。古代の公文書「三代実録」「延喜式」にも記されている古い社です。拝殿(勅使殿)や本殿は江戸時代建築で、作者は上田市の名工、末野忠兵衛とありますから、この忠兵衛さん、有名だったのですね。

拝殿は二階建てで、拝殿も本殿も彫刻に力を入れています。沢山の小さな社(八坂社、白山社など)が苔むした石の上や石垣の上などに自然なかたちで自由に並ばれているのが、かえって何者のの束縛も受けず神様たちの語らいの場のようで印象的でした。

すぐお隣さんが最後の『中禅寺』です。ここで別所温泉駅行のバスは無くなり、約一時間後の塩田町駅行のバスとなりましたのでゆっくりです。それでいながら列車の乗り換えの関係で長野駅に着く時間は同じなのです。それもまたローカル線の楽しいところです。

中禅寺』も空海さんが開いたといわれ、ここの「薬師堂」は平泉中尊寺の金色堂と同じ形式で東西南北どこからみても4本の柱で柱の間が三間からなっていて、<方三間>と言われ、上から屋根をみると正方形に見えるかたちです。この薬師堂は茅葺ですので、金色堂とは趣が違い、茅葺き独特の曲線の膨らみに素朴な愛嬌があります。残念ながら薬師如来坐像、神将像らは公開しておりません。

手の行き届いた小さな枯山水庭があり、そこから「薬師堂」も見え、休憩場所でしばし一日の終了に満足感を味わいます。これらの寺社は、後ろに独鈷山を控え、その山麓に位置しています。天候も穏やかで、歩く距離もほどほどでゆっくりと鑑賞できる時間をもてました。

また少し話が飛びますが、別所温泉の『北向観音』は長野の善光寺と向かい合うように本堂が北を向いているための命名ですが、この愛染明王堂のそばのカツラの木から、川口松太郎さんは『愛染かつら』を思いつき、田中絹代さんと上原謙さんコンビの映画が大ヒット(1938年)しました。ロケ地は、日光市の『中禅寺』と言われています。ところが、『北向観音』ではなく東京谷中の『自性院』の説もあり、ロケ地も東京の池上本門寺説もあります。

映画で驚いたのは、京マチ子さんと鶴田浩二さんコンビの『愛染かつら』(1954年)があったのです。鶴田さんはわかりますが、京マチ子さんはイメージが違います。ただ、応援にかけつけた元同僚の看護婦さんたちの前で、「私事ではありますが・・」と挨拶をされ、それが堂々としていて圧倒され、これもありかと思わせられます。こちらの映画には、カツラの木は出てきませんでした。

 

信州の旅・塩田平(2)

さて『無言館』を目指してと調べていましたら、<塩田平ウォーキング>という散策コースが出てきました。上田電鉄の別所線、塩田町駅から別所温泉駅までの塩田平を散策するコースで、<信州の鎌倉シャトルバス>を使うと『無言館』前で降りて、『無言館』→『信濃デッサン館』→『前山寺』→『龍光院』→『塩野神社』→『中禅寺』までが散策としてよさそうです。ゆっくり一日をかけて。上田駅でこのコースを利用できる一日券がありました。

長野から塩田町駅までは三つの鉄道会社を乗り継ぐことになります。

長野駅(JR東日本・篠ノ井線)⇒篠ノ井駅(しなの鉄道)⇒上田(上田電鉄別所線)⇒塩田町駅

篠ノ井駅からのしなの鉄道は軽井沢まで行く線で、長野から乗り入れていますので、長野から軽井沢まで行けることがわかり、三日目の予定が決まったのです。なかなか面白い計画を立てることができました。

上田電鉄別所線は、かつて別所温泉へ行った時、「上田電鉄を守ろう!」というスローガンがあり運営が大変なのだと思った記憶があります。別所温泉は散策にも楽しい場所で、また歩きたいところです。

『無言館』と『傷ついた画布のドーム』の二つの展示館があります。前日には小布施で80歳を過ぎても旅をし勢力的に絵筆を持ち、90歳を目前で亡くなられた葛飾北斎さんと対面していたので、志なかばで戦争で亡くなられた若い方達への想いが押し寄せてきます。

出征前、自宅に帰り、周囲が声をかけられないほどの真剣さで絵を描いていたというお話。最後に大好きなおばあちゃんを絵に描かれたかた。貧しくて一家団欒などなかったが、それを想像してゆったりと過ごす家族を描いた絵。父母には心配はかけられないという気持ちが強いため本音が言えなくても、姉や妹などには本音をつぶやかれていたりします。その想いをしっかり受けとめられ、作品を守り通されてこの美術館に託された方達もたくさんおられます。

ここの美術館はドアを開けるとすぐ展示場で、出口でお金を払うかたちになっているのですが、ドアが開いて「ごめん下さい。」といって入って来られたご婦人が、「御免なさい。もっと早く来たかったのですが、やっとこれました。」と言われ静かに絵を観始められました。戦争を体験された年齢とお見受けしました。中にいた人々はちょっと驚きましたが、またそれぞれ静かに絵を眺めそれぞれの世界へ。

ご婦人は、ここへ来たいと長い間思われていたのでしょう。たくさんの抑えられていた想いを絵のまえで解放されていかれることでしょう。

絵と言葉に涙が出てきますが、背中を優しく押されるような気配を感じつつ『無言館』(戦没画学生慰霊美術館)を後にしました。

信濃デッサン館』の館主である窪島誠一郎さんは、大正から昭和にかけて活躍しながら、結核や貧しさのため早くに世を去った画家の作品をあつめてこの美術館を開かれました。その後、『無言館』の開館となったのです。途中に分館の『槐多庵』がありました。「ヨシダ・ヨシエの眼展」。初めて眼にする名前です。美術評論家であるらしく2016年1月(享年86歳)に亡くなられています。写真の様子からしますと、自分の意思を通されたかなりユニークで豪胆なかたという印象です。

米軍占領下時代に、丸木位里、俊子夫妻の絵『原爆の図』を抱えて全国巡回展示をしておられます。横尾忠則さん、池田満寿夫さん、赤瀬川原平さんらの作品が展示されていて、こうした方々の作品についても書かれたのでしょう。ヨシダさんの「檸檬」についての文がありましたが独特の解釈です。当然、梶井基次郎さんの名前もでてきました。

そして、ここで『日本近代文学館 夏の文学教室』での堀江敏幸さん(作家)の『檸檬の置き方について』という講演を思い出しました。梶井基次郎が檸檬をどんな置き方をしたのかということを考えられて話しをすすめられて結論を出しました。その結論は、ビリヤードの玉を置くときの感覚です。(このユニークな展開は今はもう説明できません。勝負する前のビリヤードの玉。梶井さんのお母さんがビリヤード店をやっていたことがあります。)

信濃デッサン館』には、夭逝された戸張孤雁さん、村山槐さん、関根正二さん、野田英夫さん、靉光さん、松本俊介さんなどの作品やデッサン、資料があります。「立原道造記念展示室」が併設されていて、なぜここにと思い係りの方にお聴きしました。東京にあった「立原道造記念館」が閉館となり、その作品を預かる形で、この美術館におかれたのだと説明してくださいました。

信濃追分の油屋のことを書いたとき、ここでお会いするとは思っていませんでした。油屋が火事になった時、立原道造さんは泊っておられ、危機迫ったところで助けらています。

立原道造さんの詩の原稿は太いブルーのインクで書かれていて読みやすいです。詩も若い頃の心情が多少甘酸っぱさを含んでいます。絵のほうの『魚の絵』などはパステルで童画のようで、色合いが明るさと楽しさで溢れています。北斎さんの写実なカレイとサヨリとメバルの三匹の魚の絵を観た眼は、ころっと立原道造さんのこの絵に眼がいきました。

館主の窪島誠一郎さんは著作品も多く、『詩人たちの絵』は、立原道造さん、宮沢賢治さん、富永太郎さん、小熊秀雄さん、村山槐多さん5人の短くも激しく生きた姿を絵も掲載されて書かれています。立原道造さんは、その短い一生のなかで信濃追分の風景が重要な役割を果たしていたことがわかりました。でも今は、塩田平を見下ろすこの地が気に入られているとおもいます。

村山槐多(むらやまかいた)さんは、父との確執から京都の家を飛び出し東京へ向かう途中信州の大屋の伯父の家に寄っています。このそばに海野宿がありその古い家なみと信州の風景をスケッチします。本格的な絵を始める心づもりと場所がこの地だったのです。海野宿はしなの鉄道の大屋駅と田中駅の中間に位置します。行きたい場所がまた一つ出現しました。

『無言館』から『信濃デッサン館』までの歩く道の間にも、時々塩田平が姿を見せてくれます。

美術館とはお別れして、散策コースの続きですが、なんと『信濃デッサン館』のすぐ前が『前山寺』の参道でした。

 

 

信州の旅・小布施(1)

今回の信州の旅のメインは『無言館』を訪れることですが、予定を立てているうちに他の方面にもおもいが広がり、『無言館』は一日あてるとして先ず小布施となりました。

小布施は、葛飾北斎さんが岩松院(がんしょういん) の本堂天井画「八方睨み鳳凰図」を描かれている場所です。北斎さんの娘である葛飾応為さん(お栄)をモデルにした朝井まかてさんの小説『(くらら)』を読んだとき、お栄さんが一緒に小布施に行ったのかどうかに興味がありました。『眩』では北斎さんが小布施に行った時お栄さんも一緒だったとは書いていないのです。行かなかったのかと残念な気持ちだったのですが、北斎さんが亡くなったあとでお栄さんが回想するかたちで自分も小布施へ行ったとあり、まかてさんこう来ましたかとその手法にまいったと思って嬉しくなったのです。

事実なのかどうかはわかりませんが、お栄さんがあの鳳凰のどこかに筆をあてたと考えるだけでも、もう一回観に行こうと思ってしまいます。それで小布施を加えたのです。岩松院は長野から長野電鉄で小布施の次の都住駅から歩いて20分とのことで、下りたことのない駅で歩ける楽しさでもあります。<実りの秋>とはよく言ったものです。林檎の木に小ぶりのの林檎が赤かったり青かったりたわわに実り、歩く道から手を差し出せばとれてしまいます。果樹園でない場所で、無造作にこんな近くにリンゴの木が続いている道は初めてです。栗も大きな真ん丸の緑が可愛らしいです。

天井画の鳳凰はあいかわらず色鮮やかな姿を展開しています。かつては寝転がって鑑賞したのですが、今は椅子に座ってです。やはり寝転がって味わいたい鳳凰です。お栄さんの描いたところはどこかなと眺めます。あの赤の色を変えているところか、茶の羽根の濃淡の部分かな、いやいや、北斎さんは目を優しく描くので、「おやじさん、目はあたしに書かせて。」とばかりに、あの睨んでいる目かなと想像しつつ眺めていたら首が痛くなりました。

説明の放送もありますが、係りに説明を聴いてくださいとありましたので、お栄さんがここに来たかどうかをお尋ねしました。来たとのこと。この絵は、小布施の豪商で文化人の高井鴻山(たかいこうざん)さんが依頼し、150両の絵の具代がかかっているのです。宝石を砕いて使っており、それだけの金額をかけたからこそ驚くべき色が残ったのかもしれません。初めて観た時は、修復して綺麗にしたのだと思ってしまったほどでした。

北斎さんが80過ぎてからの作品で、小布施までよく来たものだとおもいますが、絵だけに集中できる環境だったからでしょう。弟子が何人きたのかどうかは記録にないそうで、お栄さんが一生懸命絵の具を作られ、北斎さんとはどんな言葉をかわししつつ完成させていったのでしょうか。お二人のバトルの姿を、今、鋭い目の鳳凰がお二人に負けじと睨み照らしているような感じがします。

岩松院には、<福島正則霊廟>もあり、小林一茶さんの「やせ蛙まけるな一茶ここにあり」を詠んだ場所でもあり<蛙(かわず)合戦の池>があります。桜の季節の五日間、大人の手のひらの大きさの蛙がメスの産卵のときオスが手伝うのだそうで、メスが少ないため争奪戦となり、その様子と自分の病弱な初児・千太郎への声援と重ねて詠まれたのだそうです。残念ながらお子さんはなくなります。一茶54歳の時です。

シャトルバス<おぶせロマン号>で北斎館前へ移動し、ここで栗の木を小さな正方形にして埋め込んだ<栗の小径>を進むと『高井鴻山記念館』があります。高井家は豪農商家でその子孫である鴻山さんは15歳から16年間、京都や江戸へ遊学していて幕末期ということもあり様々な人々と交流し、屋敷には佐久間象山さんも訪れ畳が擦り切れるまで火鉢を押し合って激論したようです。

もちろん北斎さんにはアトリエを提供し画の師として厚遇し、合作も残しています。晩年は妖怪の絵を多く描き、維新の世は鴻山さんが想像していたのとは違っていたのかなとも思えてきました。妖怪は北斎さんと河鍋暁斎さんの絵から学んばれたようです。「夏季特別展 高井鴻山の妖怪たち」

さらに栗の小径を進むと『北斎館』です。『北斎館』に入る前に栗のアイスクリームを賞味。砕けた栗とアイスが絶妙です。『北斎館』では「企画展 北斎漫画の世界」を開催中で、絵の勉強をする人のための本ともいえるもので、人物、動物、植物などあらゆるものの形が描かれています。北斎さんは見えるものは全て自分の手で描く。北斎さんの手が描かずにはいられないという天才の宿命のようなものを感じます。

肉筆画に鮭の切り身一切れと椿という絵があり、その組み合わせにどうしてこうなったのであろうと可笑しさと不思議さに頭をかかえました。普通では考えられない発想です。たまたま鮭の切り身があり、その身の色に、ぱっと見えた椿の花の色が反応したのでしょうか。笑うしかこちらは反応できず。まいったなあ。

小布施にはかつて祇園祭があって、その屋台の天井絵を二基分描いていてそれも展示しています。一基は<男波>と<女波>、もう一基は<鳳凰>と<龍>です。小布施の人々は、北斎さんという画人をもっと身近なところで、江戸の広さとは違ったかたちで口の端に乗せて語りあっていたように思えます。

驚いたのは、『北斎館』にテレビドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』のポスターがありました。あまりのタイミングに係りのかたに今年の9月の放送ですかと確かめてしまいました。調べてみましたら、NHKテレビで北斎さんの波のようなうねりで北斎関連番組があります。

 

  • 9月15日 NHK 歴史秘話ヒストリー 『世界が驚いた3つのグレートウエーブ 葛飾北斎』 午後8:00~8:43
  • 9月22日 NHK 歴史秘話ヒストリー 『おんなは赤で輝く 北斎の娘・お栄と名画ヒストリー』 午後8:00~8:43
  • 9月18日 NHK 特集『日本ーイギリス 北斎を探せ!』 午前9:05~9:50
  • 9月18日 NHK ドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』 午後7:30~8:43
  • 10月7日 BSプレミアム 特集番組『北斎インパクト』 午後9:00~10:30
  • 10月9日 NHK 特集番組『北斎 ”宇宙” を描く』 午前9:05~9:55

先のことですので、興味のある方は確認されてください。参考まで。

 

日本橋高島屋8階ホールで『民藝の日本 ー柳宗悦と「手仕事の日本」を旅するー 』を開催しています。改めて日本の人々の手仕事の素晴らしさに豊かな気持ちになりました。展示のし方と民芸の選び方も視点のしっかりさを感じさせてもらいました。(9月11日まで) 劇団民藝『SOETSU 韓(から)くにの白き太陽』

 

 

歌舞伎座ギャラリー

歌舞伎座ギャラリーで門之助さんと笑三郎さんのトークショーにおじゃまして、猿之助さんの特別映像『宙乗りができるまで ~新臺猿初翔(しんぶたいごえんのかけぞめ)~』があるのを知りました。さらに<歌舞伎夜話アンコール>ということでトークイベントの短縮の映像もみれるということで、八月末までは隼人さんの映像が見れます。

もう一つ、ドキュメンタリー映画『パリ・オペラ座 ~夢を継ぐ者たち~』も9月1日までですので、これも組み合わせて出かけました。

宙乗りができるまで ~新臺猿初翔(しんぶたいごえんのかけぞめ』は、新しい第五期歌舞伎座2016年6月、『義経千本桜』での初めての宙乗りまでの裏の仕事の様子です。三階席の花道上を取り外し、鳥屋(とや)を作りそこに宙乗りをした役者さんは入り幕が締められ、楽屋にもどるのです。新しい歌舞伎座の座席が軽くなり移動にはその点は楽になったそうです。

見ていますとスタッフのかたは大変だなあと思いました。猿之助さんも宙乗りは死と隣り合わせですからといわれていましたが、その安全の点検も神経が張りつめることでしょう。一度、吉右衛門さんが、石川五右衛門の葛抜け(つづらぬけ)の時、宙で葛が開かず下におろして葛から出て、葛を背負い、花道を飛び六法で引っ込むということがありました。何ごともなく安心しましたが、やはりあたりまえが常にとは限りません。

猿之助さんは正確には、スタッフやお弟子さんが先に宙乗りをしましたが、新しい歌舞伎座でお客さまの前で宙乗りをしたのは自分が初めてなわけで、大変嬉しいですといわれ、さらなる宙乗りの工夫に努めたいと意欲をみせます。

そして出て来ました弥次喜多コンビ。花火の打ち上げの宙乗り。二人を吊るしているワイヤーが絡まらないようにその間隔と速さの調節や、染五郎さんが猿之助さんの足をつかむタイミングとか、空中回転などを試します。下で金太郎さんと團子さんが「ウオッー!」と声を発します。慎重にスタッフ、弥次喜多コンビの息を合わせていきます。

染五郎さんは高所恐怖症なのだそうです。アドバイスをと言われて猿之助さん真面目な顔で「危ないことはしないことです。」には笑いました。それでもやってしまうのが弥次さん気質でしょうか。

この映像のあとに、なんというタイミングの良さでしょうか。『歌舞伎を演じる馬』の映像が映りました。歌舞伎に登場する馬の名場面を集めていました。『一谷嫩軍記 陣門・組討』『近江のお兼』『実盛物語』『馬盗人』『矢の根』『當世流小栗判官』。役者さんに合わせてとその場の空気をつくったり、役者さんを乗せ花道を走ったり、碁盤の上に乗ったりと、大きな映像でみると脚などもしっかり見え、その動きの絶妙さはあっぱれです。映画『旅役者』の表六、仙太コンビに見せてあげたいところです。闘志を燃やすことでしょう。

その他常時放映されている『歌舞伎の華 傾城たち』『白波五人男 稲瀬川勢揃い』の映像もあり見どころ多数ありでした。重い鬘と衣装の出で立ちで、身体をどう動かしているかがわかります。そばには、傾城の衣装も展示され、白波五人男での傘は実際に使うことができ、形をきめての写真もオッケーです。一人でも係りのかたがシャッターを押してくれます。

隼人さんのお話は、浅草歌舞伎六年目で電車通勤にも慣れた事、忠臣蔵の力弥を田之助さんに教えを受けたときにあわてた事、『ワンピース』で大きなお役をもらった事、ラスベガス公演の事など爽やかに話されていました。

歌舞伎ギャラリーに一度行ってみようかなとおもわれるかたは、この映像も予定に入れるとより楽しいものになるかとおもいます。9月の特別映像は染五郎さんの『大物浦』の舞台裏をみせられるようで、「歌舞伎夜話アンコール」は前半は巳之助さんで、後半は米吉さんです。二つを見るためには、それぞれの上映時間を調べて組み合わせて下さい。

帰り際には、しっかり大道具の馬にも乗りました。これをかぶると言いますか、背負うといいますか、そして二人の息を合わせ、さらに役者さんを乗せるのですから、あらためて馬役者さんの技には拍手です。

ドキュメンタリー映画『パリ・オペラ座 ~夢を継ぐ者たち~』については、他のドキュメンタリーバレエ映画と合わせて書ければその時に。

新橋演舞場でOSKの『レビュー 夏のおどり』を観ました。歌舞伎と反対に男役の方の動きが気になり観ていましたが素敵でした。第一部は『桜鏡~夢幻義経譚(ゆめまぼろしよしつねものがたり)』で、高世麻央さんの義経と桐生麻耶さんの弁慶コンビが光っていました。桐生さんに弁慶の大きさがあり、女性でこれだけの弁慶はいないのではと思いました。初めてなので実際のところ比べられないのですが。レビューもこれだけ見せれるのだと感心しました。

出演のかたがたが、舞台装置の移動もして、その動き方が男性的できびきびしていて気持ちよかったです。今回は、高世麻央さんと桐生麻耶さんを中心に観させてもらいましたが、ラインダンスも超元気いっぱいで楽しく、スカッとしました。大人の男性も多かったです。秋めいた夏のおわりのような輝きでした。