映画『岳 ーガクー』・テレビドラマ『學』

山岳映画の一つに『岳 ーガクー』(2011年)があるのを知りました。原作は石塚真一さんの漫画『岳 みんなの山』ということで、原作を読んでいないのですが、映画に出てくる主人公・島崎三歩がいつもニコニコしていて、救助した遭難者に「また山にきてよね」と声をかける様子から<みんなの山>となるのかなとおもいましたが、映画のほうは、一人の女性遭難救助隊員の成長とそれを助ける三歩とのからみ、そして遭難救助隊の仕事の在り方などを映像化しています。

観ていておもったのは、映画『劔岳 点の記』は明治時代でしたから、山に登るための装着の違いです。そのため山に登る技術も相当進歩しているのですが、その分山に対する生身の感覚が甘くなっているのではないかということです。ヘリも飛ぶし遭難救助隊の技術と使命感はしっかりしていても、自然の驚異に対しては、二次災害を起こさないの鉄則があります。<みんなの山>はどこまでなのかは山を登る人の意識が大切だとおもいます。

ニコニコの三歩(小栗旬)にも、無二の親友を山で失った体験があります。山岳遭難救助隊に勤務する父を山で亡くした椎名久美(長澤まさみ)は、自分も長野県警山岳遭難救助隊に入隊します。そこで、山岳救助ボランティアの三歩に出会うのです。

三歩はフリーの時間に久美に山のことを教えます。その時、山に捨ててはいけないものの一つを久美に宿題にし、久美が経験していくなかでそれは<命>と教えます。この言葉に久美は遭難救助隊の役割を意識し頑張るのですが、自分が遭難し救助ヘリの牧(渡部篤郎)に「アマ!」と言われたり、隊長の野田(佐々木蔵之介)の命令を聴かず、結果的に三歩に助けられたりします。

野田隊長は山が爆弾(雪崩)の起きる状態のため、遭難者を救助中の久美がいることを知りつち救助を中止します。三歩は散歩してきますと山に向かい、雪崩に遭い、久美は遭難者とともにクレパスに落下してしまいます。久美の父はクレパスで亡くなっているのです。雪崩から這い出した三歩は久美たちを探しあて、天候も変わり<命>は捨てずにすみました。

映画の内容としては、少し甘いとおもいますが、三歩が、かつて救った遭難者と山で再会し「感動した!」と抱きつくのが、「みんなの山」としての三歩の山に対する愛が表現されているのでしょう。次の展開が観ていてわかってしまうのも、物足りなさを感じさせられます。リュックからもの一つ出してもそれは命につながる道具成り装置なのでしょうから、そういう出し方なども工夫して映して欲しかったです。実写の場合、漫画よりもリアルさを出せる技術があるわけですから。

夢の中ででも、三歩が山に囲まれ満喫しつつ「あっち!」と飲むコーヒーの空間は体験してみたいですね。実際には登れない高さですから。

監督・片山修/原作・石塚真一/脚本・吉田智子/撮影・藤石修/音楽・佐藤真紀/出演・小栗旬、長澤まさみ、佐々木蔵之介、渡邊篤郎、石毛良枝、宇梶剛士、ベンガル、石黒 賢、石田卓也 矢柴俊博、やべきょうすけ、浜田 学、鈴之助、尾上寛之、波岡一喜、森 廉、ベンガル

 

』。こちらは同じ<ガク>の音ですが、カナダのローキー山脈の中を14歳の少年がサバイバルで生き抜き、里にたどり着く話しです。飛行機が墜落したのではありません。祖父の命をかけての、少年の生きる力をよみがえらせる想いだったのです。

WOWOW開局20周年記念番組(2011年)で、倉本聰さんの脚本によるテレビドラマです。倉本聰さんが、1992年に執筆したのですが映像化されなかった作品です。おそらくロケのことなどが障害としてあったのでしょう。ただ作品は今でもリアルにうったえるテーマです。

飛行機の中でイヤホーンをして指を動かす少年が、隣の老人から「學、シートベルトを締めなさい。」のセリフから始まります。少年は風間學(高杉真宙)。老人は學の祖父・風間信一(仲代達矢)です。

信一は元南極越冬隊員で、カナダに住むその時代の友人・モスを訪ね、そこからヘリでロッキー山脈に降ろしてもらい、一週間後に迎へに来てくれることを約束します。二人だけになった學と信一。信一はここから歩いて帰るとどんどん進んでいきます。學は一切言葉を発しません。

學は父親が商社マンで両親はニューヨークに住んでおり、ひとり東京で生活していました。ある日、知り合いの家の女の子(4歳・ユカ)なのでしょう、椅子に乗っかり机に上にある學のパソコンをいじっているのです。「何をしてるんだ!」と女の子を突き飛ばす學。學にとってインターネットは一番大切なものなのです。女の子は飛ばされ打ちどころが悪く亡くなってしまいます。パソコンはデーターが全て消えたことを表示します。そのことしか頭にない學は、女の子を段ボールに詰めゴミ捨て場に運びます。それが発覚し、両親は世間の非難から逃れるように自殺してしまい、學は北海道に住む祖父母に引き取られます。祖父にも祖母・かや(八千草薫)に対しても一言も言葉を発しません。

ロッキー山脈で祖父は自分の命を絶ち、一人で生きて里までたどり着けと手紙を残します。祖父は學に北海道の大雪山で、一年間自然の中で生きる方法を教えていました。少年は何も聞いていなかったのでしょうが、祖父はどこかにその体験が残っていることを信じ、自分が癌のため長く生きられないことを承知しての実行でした。

右往左往する少年。初めて発する声。少しずつ祖父の言葉を手繰り寄せていきます。先ず自分のいる位置を確認しろ。火のおこし、蛇を捕まえて焼いたり、木の皮やツルで紐を作ったり、罠を作り鹿を捕まえ「お前が憎いのではない」と殺し、それを解体し保存したりします。出しては読む祖父が祖母に書いた手紙。「學を頼って生きろ。」

信一からの手紙を受け取ったモスは捜索を頼みます。祖父の亡くなった場所には十字架が立っていましたが、探しあてることが出来ず捜索中止となります。

大きなグリズリーとの遭遇。力尽きた學の前に現れる亡き祖父。「まだナイフがあるじゃないか。川に乗れ。」ユカも一緒に現れて「頑張ってお兄ちゃん。」ユカはその前にも現れていて自分のお墓に遊びに来てと伝えていました。

學は祖父に「ユカちゃんの家族に謝って罰を受けたい。」とも伝えます。學は筏を作り川を下っていきます。筏が壊れればまた作り、そしてモスの待つところまで到達するのでした。モスには手紙をもらったとき、信一のすることが理解できませんでした。ただ學がここへくることを信じるだけでした。モスにも、過去にベトナム戦争で友人を誤って殺してしまい、その妹・マギーと結婚し、許しをこうというよりマギーを愛するという力を得ていたのです。

信一は、そうした友人であるからこそ、學の生きる力を得たあとにモスのもとにたどり着くことを願ったのです。學は、祖父から祖母への手紙をモスに差し出します。ぬれて乾かしたり、火を起こす時燃やそうとして代わりにお札を燃やして守って来た手紙でした。

生きていくことに必要なものは何なのかをテーマにし、壮大な自然を前に生きていく少年の姿を通して問いかけています。人間以外の多くの生き物が人間が生きるために命をさしだしてくれています。その命を受けながら、人間が人間の命を奪うというのは何なのか。何かが欠落しているのではないか。どこかの感情が壊されているのではないか。その感情が壊されてしまう状況がどこにでも存在しているのが感じられる現代です。

悠久の宇宙のなかで小さな自分の立っている位置を確かめる必要性を感じさせられるドラマでした。世の中動いてますからたえず自分の位置を確かめないと流されて終わってしまいそうです。などとおもいつつ大根の葉刻んで炒めています。関係があるのか無いのかそれが問題だ。

監督・雨宮望/原作・脚本・倉本聰/出演・仲代達矢、八千草薫、高杉真宙、勝村政信、松崎謙二、山本雅子