国立劇場11月『坂崎出羽守』『沓掛時次郎』(1)

坂崎出羽守(さかざきでわのかみ)』は、大正十年九月に、六代目菊五郎さんで初演されていて、山本有三さんが依頼をうけて六代目さんのために書かれたものです。そのあとを、二代目松緑さん、三代目松緑(初代辰之助)さんと受け継がれ、今回当代松緑さんでの上演となり、36年ぶりとの事。

観ていて坂崎出羽守の内面が写し出される作品で、大正という時代に歌舞伎にもこういう作品が必要だと六代目は感じられていたのかと時代という流れを垣間見る作品でもあります。演じられるかたも様々に思考錯誤されるでしょうが、観ている方もあれこれ登場人物の内面が想像されて面白いです。

筋としては、千姫を大阪城落城の際、命を賭けて救った坂崎出羽守ですが、家康に千姫を救ったものには、千姫を娶らせるという約束に翻弄されます。武骨者の坂崎は、千姫に惚れてしまうのです。本心のわからぬ家康との葛藤、何よりも自分のほうを見ることもなく違う相手と結婚してしまう千姫。最後に坂崎の本心が爆発してしまうのです。ここまでに至る作者のさばき方もかなり手が込んでいます。登場人物のおもいはどこにあるのか。

大阪夏の陣での家康本陣では、木の上の物見も徳川優勢を知らせ、兵が真田幸村の首を持参し、本丸にも火の手が上がりますが、家康は落涙します。それは、千姫が大阪城に残されているからです。千姫を救い出すべく送られた者も、淀君が家康のやり方に激怒して千姫をそばから離さないことを報告しています。こちらは、10月歌舞伎座での舞台『沓手烏孤城落月』(坪内逍遥作・明治38年初演)が浮かびます。

そこへ名乗りでたのが坂崎出羽守です。彼は武勇を立てることを第一とする男なのです。自分の出番がないと引っ込んだのですが、そこへ再び来合わせたのが彼の人生を波乱に導くことになったのです。坂崎が全っく思いもしない言葉が家康から発せられます。家康もそれほど重く考えず檄を飛ばすだけだったのかもしれません。この辺から家康さんの狸おやじぶりは介入しているのかも。

千姫を娶らせると言われなくても坂崎は最善を尽くしたとおもいます。約束がなければ千姫に恋するだけであきらめたでしょう。しかし約束の言葉があります。千姫を救出し、千姫を駿府へ護送するための船上で坂崎の前に現れたのは、桑名城主の嫡子・本多平八郎忠刻(ただとき)です。桑名から名古屋までの七里の渡しの護送に加わったのです。この航路は忠刻にとっては手の内に入っていて自分の庭のようなものですから、周囲の案内も弁舌爽やかです。

あせる坂崎です。坂崎は救出したとき顔に火傷しています。それも千姫に恋してしまった彼にとっては心中を複雑にする原因なのです。惚れなければ、これこそ誉の傷と本来の武骨の坂崎でいれたのです。さらに、家臣の松川源六郎も片目を失うほどの活躍をしていますので、ちゃらちゃら出てくる忠刻が気に入りません。源六郎は、坂崎の中にあるもう一人の坂崎を表出している人物でもあります。忠刻は家康の孫娘の護送の役目を果たそうとのおもいだけで他意はないのでしょうが、千姫は忠刻に心慰めてられていきます。

千姫からみると、坂崎を避けるのは、あの大阪城のことを思い出すのがいやなのかもしれませんし、坂崎に嫁ぐことを知っているならば、祖父によって勝手に嫁ぎ先を決められる理不尽さへの怒りが坂崎を避ける理由かもしれません。そのあたりを想像できるのが、大正時代に入ってから個人の内面を加味して書かれた戯曲の面白さでもあります。

忠刻に対抗し、魚釣りで千姫を慰めようと坂崎は提案します。それを、それとなく止める家老の三宅惣兵衛は、坂崎の性格をよくわかっています。源六郎が坂崎の中にもあることを知っています。ただ源六郎と違うのは、魚釣りでも、白鳥を射る競争でも、忠刻に対する嫉妬から突き進んでしまったことを自分の浅はかさとして感じるところです。自信のある弓においても負けてしまう自分。

坂崎は千姫に対する想いから再三、家康に結婚の催促にいきます。千姫は家康に、坂崎の嫌いなところをはっきりと告げ、嫁ぐなら忠刻のところと言います。今度は、祖父家康の思い通りにはならないと自分を主張します。家康は何んとか坂崎に千姫をあきらめさせようと、金地院崇伝(こんちいんすうでん)にその役目を申しわたします。崇伝に自分の心の内をさらけ出す坂崎。崇伝は姫は髪を下すので結婚できないと伝えます。一時遁れです。それが姫の幸せであるならと坂崎もあきらめます。

ところが家康が亡くなり千姫は忠刻と結婚しその輿入れの行列が坂崎邸の前を通るのです。坂崎は自分をおさえます。源六郎が現れます。もう一人の自分がいます。しかし、坂崎は自分は城主であることを心得ています。それなのに押さえに押さえていた正直な自分が、爆発してしまうのです。

登場人物もよく計算されていて、坂崎を追い込む過程が巧妙です。思っていたよりも長い作品でした。そこを緊迫感をもたせ長台詞もあきさせずに松緑さんは、坂崎の複雑な心情を出されました。武骨な男が、結ばれるなどとは思っていなかった千姫に惚れてしまい、どう対処していいかわからない状況。火傷した醜い自分。約束はあっても、恋敵になりそうな忠刻の存在。のらりくらいの家康側に体よく扱われる自分。ここで黙っていては、意気地のない男とさげすまされるであろうが、家臣のことを思うと我慢しかない。

その場その場の坂崎の心の内を、声の抑揚、強弱、緩慢とあらゆる方法を組み立てられての聞かせどころしどころでした。古典歌舞伎から踏み込んだ新歌舞伎の心理描写を付加して、坂崎の苦悩をしっかり受け留めることができました。時代物の所作の出来ている心理劇、余計な動きの目障りさを意識しないでどっぷり味わわせてもらいました。

芝居は何でもそうなのですが、新歌舞伎はさらに近代人の見方が加わりますから、役者さんのセリフが大きなポイントになります。そしてそれを表す設定場所です。『坂崎出羽守』の船の上というのはこの芝居の成功の一因だと思います。山本有三さんの創作力です。

この芝居に対する思い入れが深くなったのは、名古屋での参加イベントが台風のため中止になったのが、宮から桑名への七里の渡しを船で渡る催しだったので、舞台を観ていて上手い設定だと入れ込みましたし、役者さんたちもその気持ちに応えてくれましたのでこういうときは予想以上の楽しさですし、こちらは、惣兵衛の気持ちで参加してしまいました。あせるな!あせるな!あせると実力が出ないぞ!

<山本有三生誕130年> 作・山本有三/演出・二世尾上松緑/出演・坂崎出羽守(松緑)、家康(梅玉)、千姫(梅枝)、忠刻(坂東亀蔵)、源六郎(歌昇)、惣兵衛(橘太郎)、崇伝(左團次)、萬次郎、権十郎、橘三郎、松江、男寅、竹松、玉太郎