4月4バージョンの旅・C

  • C・谷崎潤一郎バージョン/ 谷崎潤一郎が住んでいた『倚松庵(いしょうあん)』と『芦屋市谷崎潤一郎記念館』を訪れたいと思っていた。できれば二箇所を一緒に。『倚松庵』の開館が土・日なので制限されてしまっていた。『細雪』の舞台となった家が残っていて公開されているのを知ったが、ここ!という意識は薄かった。島耕二監督の映画『細雪』(1959年)を観て、次女・幸子の家が倚松庵の写真に似ているのである。他の映画(1950年・阿部豊監督/1983年・市川崑監督)では気にかけなかったことである。これは行かなければ。

 

  • 島耕二監督『細雪』は、自分の中の『細雪』とは違和感があった。阿部豊監督の映画での次女・幸子役の轟夕起子さんをみているので、今度の長女・鶴子役の轟さんはどんなであろうと愉しみにしていた。かなり生活に疲れた主婦として描かれていた。DVDのケースの写真も叶順子さん、山本富士子さん、京マチ子さんの三人だけの写真である。島耕二監督の『細雪』の時、監督と轟夕起子さんは実生活ではご夫婦であり、轟さんだからこその鶴子役なのであろうかと深読みしてしまった。

 

  • 倚松庵』は、一番近いのが六甲ライナー魚崎駅から徒歩2分。倚松庵で購入した『ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎 ~その棲み家と女~』(たつみ都志著)によりますと、六甲ライナーによって倚松庵は移築することになりそれまでから開館まで、様々な苦難がありました。本は読みやすい形式になっていて、谷崎作品も読んでみたくなることでしょう。こちらは映画からの引き寄せでの興味が強いのでその辺は詳しく書きません。途中に小さな公園があってそこの前に石柱が裏表に<是より南魚崎村><是より北住吉村>とあり、この辺りは、住吉と魚崎の両村の間で境界線の争いがあったようだ。そして元の倚松庵もこのあたりらしい。横には住吉川が流れている。谷崎さんも、大家さんと賃借のことですったもんだあったようでそういう因縁の土地なのでしょうか。そのことは、倚松庵の中に資料も展示されている。

 

  • 見学して意外だったのは、思っていたよりも狭いということである。小説のほうは、実物よりも広く表記されている。ただ作品で姉妹の動線を読み込まれているかたは、納得しうなずかれることと思う。これほど実際の倚松庵と『細雪』が結びついてるとは思わなかった。松子夫人を含めた四姉妹の話しであるが、倚松庵がなければ『細雪』は生まれなかった。谷崎作品は発想の斬新さや人間の奥深くにある感情をあぶりだしているが、倚松庵と『細雪』の関係から考えると、実務的に詳細に計算し、計画して設計図をしっかりと設定して書かれていたことがうかがえる。妙子が地唄舞『雪』を舞う場所が、食堂と応接間を開放して、食堂側を舞台、応接間を観客席としていた。日本間と思っていたので、これも新事実である。

 

  • 島耕二監督の『細雪』を観直した。これは、谷崎作品と距離を置いたほうが違う視点が見えてくる。映画は1959年の作品で、戦争後の考えかたが反映されていると思えた。四姉妹それぞれの経済問題が浮き彫りになっている。三女・雪子(山本富士子)は、東京の長女・鶴子(轟夕起子)と芦屋の次女・幸子(京マチ子)の家を行ったり来たりしている居候的存在である。幸子はそんな雪子の結婚相手を見つけて幸せにしてあげようと一生懸命である。鶴子は自分の家族との生活のことで、四女・妙子(叶順子)は愛ある人との結婚と経済的自立を目指す自分のことでいっぱいである。

 

  • ところが、この雪子が大人しくはなく行動的である。姉妹の経済的状況も把握していて、姉妹の間に入って行動するのである。自分の境遇も分かっていながら他の姉妹のことにも手を貸すのである。東京で、雪子は鶴子の家に来づらい妙子と外苑で会う。映画でのその建物の場所がどこであるのか気にかかるのであるが不明である。外苑にあった建物という設定であり、神宮外苑競技場のように思えるが、撮影の時は新競技場である。映画では古い感じで、二人はそこから姉の家に向かうが、古いものから出るというイメージでもあるのだ。

 

  • 鶴子は本家である大阪上本町の家を手放す立場となり、東京暮らしとなる。鶴子が東京から出て来て、売った自分たちの家がビルとなる建設現場で幸子と二人立つ。幸子はせつなくなるが、鶴子は経済的荒波を乗り越えてきているので未練を残さない。やはり轟さんが適任な役だと思えた。一番、家族や経済的に心配のない幸子が姉妹から、幸せだといわれる。それを意識していない京マチ子さん。どんどん荒波に向かう妙子の叶順子さんに対する上の三姉妹との絆は変わらない。雪子の山本富士子さんは、結婚はまだ決まっていないが、悲壮感はない。庭に降る雪が窓から見えるが、細雪ではなくしっかり積もりそうな雪である。倚松庵を思い出しつつ映画をたのしんだ。

 

  • 芦屋市谷崎潤一郎記念館』は、阪神芦屋駅から徒歩15分なのであるが今回はバス乗車。周囲に市立美術博物館、市立図書館などがあり、文化圏としているようだ。春の特別展は「潤一郎時代絵巻 ー戦国の焔(ほむら)王朝の夢ー」。北野恒富(きたのつねとみ)の『乱菊物語』の挿画があるが、これは、千葉市立美術館の『北野恒富展』でもみている。この記念館から借りられて展示していたのであるが、今回も『乱菊物語』を読んでいないのでイメージがふくらまない。北野恒富作「茶々殿」は松子夫人がモデルである。『盲目物語』は、玉三郎さんのお市の方と勘三郎さんの按摩・弥市がすぐ浮かぶ。按摩ゆえにお市の方の体に触れることができる。目はみえなくともその感触がお市の方の美しさを感知しているという世界である。勘三郎さんの台詞の声の調子は今でも残っている。というわけで、谷崎作品の世界も文字での印象からそれてしまった。

 

  • 阪神芦屋駅から徒歩10分のところに、『富田砕花旧宅』がある。この家は、倚松庵の前に谷崎と松子夫人が住んでいた家である。谷崎潤一郎記念館にあったチラシで知った。富田砕花は、新詩社『明星』に砕花の名前で短歌を発表とあり、東京の千駄ヶ谷で新詩社跡地と出会っていたので、芦屋でつながるとは。しかし、訪れてはいないので、また次にとなる。たつみ都志さんが調べられて書かれた『倚松庵よ永遠に』によると、谷崎は関東大震災で関西に移ってから足かけ21年の間に13回転居している。そのうち現存しているのが富田砕花旧宅倚松庵だけなのである。『倚松庵』富田砕花旧宅』『芦屋市谷崎潤一郎記念館』の三セットで訪れるのがよいのであろう。

 

  • 帰りはJR芦屋駅までのバスとした。芦屋川と並行する芦屋公園の間を走りテニスコートがあり、映画『細雪』を思い出す。バスはJR芦屋駅を過ぎ、ぐるっと回って阪急の芦屋川駅前を通る。映画で最初に雪子が階段を下りてくる駅である。映画のほうがすっきりしていて広かった。すぐに芦屋川を渡る。桜まつりで花見客は多いが今年は桜は終わってしまっている。島耕二監督の『細雪』には桜のお花見場面はないのである。『ほろ酔い文学談義 谷崎潤一郎』には、この本の登場人物が芦屋市谷崎潤一郎記念館から芦屋川まで歩いて花見をしつつ阪神芦屋駅へ。阪神電車に乗り香櫨園でおり、夙川の桜をみながら阪急夙川駅までと小説『細雪』に出てくる桜をめでて歩いている。桜がなくても歩いてみたい道である。本にしおりが入っていて、ひまわりの絵の裏に「僕は向日葵が好きだなぁ」谷崎潤一郎 とある。倚松庵こだわりのしおりである。