歌舞伎座 二月歌舞伎観劇始末記

  • 一か月公演の劇場は、千穐楽の日々である。歌舞伎座・二月歌舞伎は体調を崩し観劇予定の日に行けず、のびのびの思い切っての千穐楽の一幕立見席観劇となった。なんとか昼夜観ることができた。昼の部は通しで購入できたが、夜の部は『井伊大老』を見終わってからでは売り切れていると思いますとの係りのかたの説明。仕方がない、『暫』を観て、下におり並んで無事夜の部の通しを購入できた。それから、四幕目を観るために上の立見席へ。係りの方に「今からですか?」と言われるが説明する時間がないので「そうです。」のみ。『井伊大老』ラスト20分だけ観れた。

 

  • 一月に続いての高麗屋三代襲名披露である。昼の部、一幕で帰る人がいて二幕目から座れた。夜の部、ずっと立ち見なら途中で帰ろうと思っていたら、「隣、空いてますよ。」と教えてくださるかたがいて座れた。感謝。感謝。その後、周囲は皆さん通しで帰るひとがいなかったので、ここで座れなければ途中であきらめて帰ったか途中で何処か他の場所に座って仕切り直しとなったかも。記憶が薄れているが印象に残っていることを簡単に。『井伊大老』はもちろん立ち見。井伊直弼(吉右衛門)と側室・お静の方(雀右衛門)との最後の夜の語らいである。吉右衛門さんの直弼にさらに情の深さが増し、雀右衛門さんは自分が一番わかっているのであるからしっかりしなくてはという愛らしさに強さが加わっていた。お二人の濃厚な20分でした。

 

  • 幸四郎さんの染五郎時代、新作『陰陽師』の安倍晴明が源博雅に「おまえは、いいなあ。」とふっとつぶやいたあの一言の雰囲気と、能力がありながらどこか空虚さを感じている悲哀の一瞬がよくて、あれが古典で生かされないものかと思っていた。きました。『一條大蔵譚』。あほうを装っている長成は本心を打ち明ける日を待っていたのだと気づかせてくれたのです。もしかするとそんな日はこないとあきらめていたのかも。ところが、常盤御前(時蔵)を諌めるために、吉岡鬼次郎(松緑)とお京(孝太郎)が現れます。この二人が本物であることを見届けたときの長成の気持ちはいかばかりであったろう。奮い立つ鬼次郎をじっと見ておさえる長成。そしてあほうに戻る長成。晴明のときのあの一瞬と重なる。鬼次郎をふっと羨ましく思ったかも。そんなそぶりはみせませんが、私の中での役者幸四郎さんの一條大蔵卿が感じとれて満足でした。

 

  • 熊谷陣屋』では、魁春さんの相模が素晴らしかった。浄瑠璃のリズム感が身体に染み込んで、そこから動きが流れるように、それでいてきゅっと止も入り、押さえる悲しみ、こぼれ出る哀しみが舞台に漂っていた。そして、義経の菊五郎さんと弥陀六の左團次さんのやりとりに、ばあーっとかつての戦の様そうが浮かんぶ。義経は幼き頃の記憶で弥陀六はしっかり現在と照らし合わせてのかつての情景である。それが一つに重なっているのがわかった。今までには思い浮かばなかった絵です。義経の後ろにひかえている侍が歌昇さん、萬太郎さん、巳之助さん、隼人さんの若手で、毎日これを聴いて何を想い浮かべておられたであろう。しっかり聴いていてくれたであろう。幸四郎さんの熊谷は滞りなくであるが、最後の花道が、染五郎さんとの親子襲名もあり年代的にも熊谷と重なり胸に迫った。

 

  • 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場』。お軽と平右衛門がダブルキャストであった。珍しいことである。偶数日が菊之助さんと海老蔵さん。奇数日が玉三郎さんと仁左衛門さんである。切符を予約するとき日にちだけで偶数か奇数か意識していなかったが、奇数日であった。となると、偶数日に立ち見である。新橋演舞場『喜劇有頂天一座』が偶数日の夜の部だったので、帰りに歌舞伎座に寄る。もちろん立ち見である。一幕であれば問題はない。菊之助さんは美しく、海老蔵さんも由良之助(白鴎)に相手にされなくても一生懸命に尽くし、密書を読まれたお軽の身請け話から由良之助の心がわかり、お軽に死んでくれとたのむ。笑いもありで、スムーズに展開していく。

 

  • では、玉三郎さんと仁左衛門さんとでは何が違うか。奥行が違うのである。お互いのやりとりに誘われて観客はいつのまにか笑わせられ、勘平の切腹の場面を思い起こさせられ、勘平さんが生きていないなら、なんで生きていられようというお軽の気持ちに引き込まれるのである。平右衛門は頭の切れる人ではなく、どちらかといえば鈍い人である。ただ自分なりのどうすればよいかを一心に考え仕える人であり情も深い。その辺の平右衛門の人間性もにじみ出ていて巾ができるのである。お軽もただ勘平一筋で、勘平がこのお軽の熱情に負けたのがよくわかる。お軽は公の人ではなく個の人である。仇討ちということはこちらに置いといてという女性なのだと今回思った。役と役者の大きさもみせてもらう。

 

  • 由良之助の白鷗さんは、どう変化するのであろうかと興味があったが、由良之助の基本は変わらなかった。いってみれば由良之助になりきっているのであるから、由良之助本人の考えた通りに行動し、ここをどう乗り切るかを考えだし、よしこうすれば上手く運ぶであろうという腹を決めていくのであるからぶれないのである。悟らせないのである。密書の手紙をお軽と斧九太夫(金吾)二人に盗み見されてしまうという一力茶屋での出来事。その手紙を力弥の染五郎さんは無事届け責任を果たされた。お軽を死なせることなく、勘平の手柄として九太夫を討たせる。平右衛門を仇討に加え、由良之助の事の次第のさばき方の大きさと由良之助の役者ぶりを通される白鷗さんである。

 

  • あとの演目は、お目出度い初春に演じられる曽我兄弟が春駒売りとなっての舞踏『春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)』で華やかに。『(しばらく)』もお祝い劇でサイボーグのような鎌倉五郎が現れる荒事で豪快に。『壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)』は題名通りで、その豪華な賑やかさは歌舞伎ならではの主なる役者さん総出演である。誰さん、誰さんと思って拍手しているうちに終わって口上となった。二ヶ月間無事に公演が終わり、なによりの襲名興行でした。こちらも、この千穐楽から観劇復帰できた。

 

  • 今は四世鶴屋南北さんに引っ張られている。お墓のある春慶寺へ詣り貴重なお話も聴かせてもらえた。DVDの録画を整理していたら、2006年、四国こんぴら歌舞伎(22回)の映像が出て来た。三津五郎さん、海老蔵さん、亀治郎さんで演目は『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなづま)』と『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』。三津五郎さんの名古屋山三の台詞がいい。じわじわと喪失感におそわれる。海老蔵さんの不破伴左衛門のこのトーンの台詞が荒事のトーンより好きである。亀治郎さん、この時猿之助を襲名しルフィを演じるとは考えていなかったであろう。この二つの演目、金丸座という芝居小屋に合っていて役者さんが舞台映えしている。これも鶴屋南北の作品である。ということで暫くは南北さんの世界に入り込むことにする。