映画『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』 アニメ映画『アンデルセン物語』

  • わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(東映)は、1996年に宮澤賢治生誕百年記念作品として制作された。松竹と東映の競作で、こまつ座の『イーハトーボの劇列車』観劇の際に『宮澤賢治 その愛』(松竹)は観ていた。その時立て続けに観るのも食傷気味で東映のほうはおいておいた。観るべきときに観れたという事である。アニメ映画『アンデルセン物語』の脚本は井上ひさしさんと山本護久さんの共作なのである。生き方は違うが童話作家としての世界観としては『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』と『アンデルセン物語』は相通じるところがある。

 

  • わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』は、賢治が童話を書く場面では、童話に登場する鳥、虫、動物さらには電信柱などをアニメで登場させている。故郷の岩手の自然にはⅭGも使っている。違和感がなく、賢治の農業に対する現実の生き方と童話の世界に浸る時間とを区別して、理想と夢を追った賢治の心象風景が淡く優しく映像にあらわれた。出だしが賢治が土を握り「この大地は、あまりにも偉大で、あまりにも正直だ。」と発する。

 

  • 妹のトシが病気で倒れて東京に駆けつける。東京の神田の古本屋の前での賢治の想いが語られる。「旧ニコライ堂のさびた屋根。青白い電車の火花。都会のランブラー。浅草の木馬館。丸善の喫煙室。フランス大使館の低いレンガ。帝国図書館。歌麿の三枚続き。帝国博物館。東京は飛んで行きたいようです。」。「いきたいようです。」には、東京の様子を知っていて来たかったのだという気持ちが伝わる。この挿入が賢治の新しいものに対する好奇心がありありえがかれている。この言葉の羅列どこかにないかなと手持ちの本を探したがみつからなかった。脚本家の表現か。木馬館があったからなおさらであるが、生き生きとした並べ方である。賢治の心象も伝わる。

 

  • 妹のトシが死んだときに、『銀河鉄道の夜』の世界に変わる。トシは賢治の童話が大好きであり賢治の応援者であった。童話の中で黄泉の国へ送り届けたのである。父親が賢治は何をしたいのか解らないというが確かにそうである。しっかりとした形とはならないまま賢治自信も悩み苦しんでいたのである。それでいながら資金は宮沢家に頼っている。そこも賢治にとっては自立できない自分に対しての責めもあった。おれはきちんとした農民になるのだと自分を追い込んでいるようである。

 

  • 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ」の詩は、体を壊し療養の最後のほうで書いたものである。今まで、「雨にも負けないぞ 風にも負けないぞ」と切って理解していたが、今回は「丈夫な体を持ち」につながっているのだと思えた。その途端、ちょっと待って宮沢賢治さん。農作物に適した栄養がいるように、丈夫な体を作るためには栄養が必要なのよ。そこは人の意見を聞いてほしかったですね。死を前にしては無意味ですが。

 

  • ホーホーと岩手の自然の中を走り回って銀河に飛び立った賢治さんの理想は現実にはどうつながったか。最後に映画で紹介されている。盛岡中学で一年下の保坂嘉内は農村の改良運動にささげ、賢治の死の三年半後に胃がんでなくなっている。賢治に音楽の影響を与えた花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治が賢治の弟・清六とともに賢治の全集の刊行に力を注ぎ、そして農村に飛び込み、晩年、岩手県農政功労者として表彰されている。そうした事実もきちんと紹介しつつ、賢治さんの心象風景もたっぷり味わえるようになっている。

 

  • 藤原嘉藤治さんが農業にたずさわっていたのは意外であった。賢治さんに詩を読んでくれと渡され、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。」と『春と修羅』の序を読んで首を傾ける藤原嘉藤治さん。次の日には圧倒されたと感嘆する。こちらは首を傾けたままなかなかもとにもどらない。映画はそのほうは上手く童話のほうへ乗せてくれる。

 

  • 監督・大森一樹/脚本・那須真知子/音楽・千住明/撮影・木村大作/出演・緒形直人、水野真紀、袴田吉彦、椎名桔平、原田龍二、大沢さやか、森本レオ、斉藤由貴、星由里子、山本龍二、本田博太郎、角田英介、上田耕一、渡哲也
  • こまつ座公演 『イーハトーボの劇列車』

 

  • アンデルセン物語』(1968年)は、アニメのミュージカル映画である。もしかして『ひょっこりひょうたん島』に近い頃かなと思ったら、前年の1967年に『ひょっこりひょうたん島』は映画となって公開していた。『ひょっこりひょうたん島』でのコンビ井上ひさしさんと山本護久さんの積み重ねがあってのアニメ『アンデルセン物語』のように思える。

 

  • 少年ハンスは靴職人の息子で、動物たちも仲間として登場している。オーラおじさん(『眠りの精のオーラ』)が傘に乗って現れ、歌を歌いながら物語の案内役的役割と、ハンスの心の中にある物語の発露の架け橋ともなってくれる。王女さまのための赤い靴コンテストがあるがハンスのお父さんは皮が無いため作品を提出できない。その赤い靴を作る皮を靴の修繕費代わりに提供してくれたのがオーラおじさんである。ところが、ハンスのお父さんの造った赤い靴は、町長の娘が自分の物にしてしまう。オーラおじさんはこの靴の皮は履く人によると言っていたのである。それは『赤い靴』につながる。

 

  • ハンスは向かいの家のお友達のエリサに見た夢の話しなどを聞かせる。(「小さなイーダの花』『親指姫』)ところがエリサとおばあさんは町長から家を追い出されていなくなる。ハンスがさがしているとエリサはマッチ売りとなっていて遅くなるからとまたいなくなってしまう。ハンスはおとうさんが赤い靴コンクールに優勝するとそのお金でオペラを観たいと思っていた。劇場のまえには少年がオペラを観たいと泣いていた。ハンスはオペラの代わりにお話を聞かせる。それは『マッチ売りの少女』であった。それを聞いていた町の人は絶賛し、ハンスはもっと勉強するための援助を受けることになりエリサや両親や動物の仲間たちに見送られてコペンハーゲンへ旅立つのである。ハンスからアンデルセンへ。

 

  • 挿入歌の作詞も井上ひさしさんで分かりやすい簡潔な詞となっている。音楽は宇野誠一郎さんで、これまた明るく楽しく子供が乗りやすい軽快さで高島忠夫さんの歌などがすーっと耳に入り、ここは歌だぞ、という押し付けがないのがいい。アンデルセンの童話の挿入のされかたが『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』と同じように童話の流れに自然に誘っていってくれる。童話作家という点での構成として一つの形を示している。アニメだけに人間と動物、動物同士の可笑しな動きも楽しめるようにテンポよく展開されている。オーラおじさんが、星の掃除もしていて番号をつけて間違わないようにもとにもどすのだが時々上手くもとにもどせなくて、それが流れ星となるのさも楽しい銀河系のお話である。

 

  • 演出・矢吹公郎/声・高島忠夫、藤田淑子、藤村有弘、玉川良一、久里千里、三波伸介、鈴木やすし、杉山佳寿子

 

東京国立博物館『京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』

  • 京都の大報恩寺は行っていない。北野天満宮の近くのようだが、梅の時期に北野天満宮だけを目指し周辺を散策しなかった。大報恩寺のみほとけの解説は分かりやすく頭の中の整理ができた。六観音がそろい、十大弟子がそろった。先ず、釈迦如来坐像(行快作・快慶の一番弟子)のお顔の目が切れ長で少しつりあがっている。これが鎌倉時代の仏像の特徴のようである。六観音のお顔もそうで、姿が平安と比べると細身である。特別展は平成館で、本館の彫刻展示室に仏像がありどれが鎌倉時代か当ててみた。平安との比較でもあるので当る確率は高い。

 

  • 釈迦如来坐像を中心に並んでいるのが十大弟子たちの立像である。どこかでチラシを手にしたら見開きにしてながめてほしい。十大弟子がそれぞれどんな力があるのか簡潔に紹介してくれている。棟方志功さんにも十大弟子の作品があるが、どいう修業をして何が優れているのか調べもしなかった。そんな怠け者にとってこの説明は灯です。運慶と並び称せられる快慶作。

 

  • 自分がなれるなら目犍連(もくけんれん)がいいなあと。超能力が使えるのです。少し膝を曲げ、いつでも発するぞの気構え。修業ぬきでの願望なので、阿那律(あなりつ)に見透かされそうである。眼は見えませんが、心の眼で見通せるのです。そして、そういうことではいけないと富楼那(ふるな)に説得されそうである。どのような人でも説得してしまうのです。

 

  • そう考えると十大弟子も親しみがもてる。そして、棟方志功さんの十大弟子が気になる。棟方志功さんは、この弟子をどう考えてこう表現したのかなあなどと興味がわいてくる。手の位置や形などにも何か意味があるのであろうかとも考える。棟方さんの十大弟子はどこか愛嬌が合って今阿難陀(あなんだ)は静かに集中してお釈迦様の教えをきいているのだなあと想像がついてきたりする。よかった。これで棟方志功さんの十大弟子に会っても会話できそうである。

 

  • 六観音菩薩さまは、六道のどの世界にいても手を差し伸べて救ってくれる。天道→如意輪観音、人間道→准胝(じゅんでい)観音、修羅道→十一面観音、畜生道→馬頭観音、餓鬼道→千手観音、地獄→聖観音。六観音菩薩像は運慶の弟子・定慶作である。六体が光背も台座も造られたままで残されている。六体あるのでなるほどと思って鑑賞する。自分は極楽に行くと言い切る友人がいる。私が地獄にいたら助けてちょうだいと頼んである。もちろん蜘蛛の糸を垂らすようなことはせずに即救助してくれるようにとつけ加えてある。かの友人はわたしにとって聖観音菩薩ということになる。体形的には鎌倉でなく平安である。

 

  • 誕生釈迦仏立像は、花まつりで甘茶をかけらるお釈迦様の誕生像だが、天を指す右手の人差し指と地を指す左手の人差し指が超長かった。心して思考せよと言われているみたいだが、あまりの長さに思考がとまった。作者不明。平安時代の作者不明の千手観音菩薩立像の手があどけない赤子の手のようだった。

 

  • 見どころ1 「慶派のスーパースター 快慶・定慶・行快の名品がずらり!!」
  • 見どころ2 「秘仏・本尊・釈迦如来坐像と十大弟子が同じ空間で!!」(寺外初公開で寺院では別々に安置されている)
  • 見どころ3 「六観音菩薩像の光背を会期中に外し背中も間近にみれる!!」(現在は外された状態) 東京国立博物館・平成館 12月9日まで

 

  • わかりやすくて満足。今度はやはり現地での再会をである。東洋館がリニュアールされてから観覧していないので再び訪れる。その前に人気の明治外苑イチョウ並木へ。人が多く想っていたより黄色がはっきりしない。歩道をおおう左右の薄黄色と薄緑のコントラストのトンネルのほうが面白い。上野公園では数本の色鮮やかな黄色のイチョウのそばに桜が咲いていてこちらの方が印象に残る。

 

  • 東洋館が観やすくなっていた。展示室の空間を狭くして展示品も少なくしたのであろうか美術館感覚で鑑賞できた。鑑賞したいところをメモしておいて出かけた。

 

  • 5階から降りてゆく。5階の9室「清時代の工芸」ーガラス工芸と玉製器物で繊細で美しい。
  • 4階の8室「特別企画 中国近代絵画の巨匠 斉白日」-これが新感覚。墨絵も近代となるとこうなるのかという楽しさである。赤とか黄色などの使い方。濃淡。熊谷守一さんと似たところがあって身近なものを描いていたりする。カニの群れ。魚の群れ。カエルの群れ。群れと言ってもイラスト的な感覚も加味され、軽さがあり格式ばった山水画のイメージが一掃され、いいな、いいな、いいなと心の中で連発していた。
  • 3階の5室「中国の陶磁器」ー景徳鎮窯の作品。なんという色であろう。どうしてこういう色がでてくるのか。自然の色にかなわないというが、押し込められた人工の色もなかなかである。アジアの占い体験コーナーもあり、国立博物館前が見渡せるテラスにも出られる。疲れた時にはくつろげる場所である。地下の13室「アジアの染織 カシミヤ・ショール」を忘れて見逃してしまった。

 

  • 本館1階では「綴プロジェクト作品 平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風」が展示されていた。原本は大英博物館にあり、これをデジタルの高性能さを使用しオリジナルの保存と鑑賞の機会を設けるということらしい。すぐそばでながめることができた。鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし。那須の与一の扇の的。熊谷直実の呼び戻もどされる平敦盛。義経の弓流し。それらが二双の屏風画に描かれていた。
  • 2階の9室「能と歌舞伎 歌舞伎衣装」ー 戦で攻撃から身を守るために着用する鎖帷子(くさりかたびら)を、七宝つなぎ模様に金糸で編み胸当てや脛(すね)当て部分に装飾としていて、なるほどあれは鎖帷子なのか。
  • 10室「浮世絵と衣裳 江戸(衣装)」ー 忠臣蔵をを動物たちで描いていた。武家屋敷の年末の大掃除がこれまた忠臣蔵に見立てられている。
  • 18室「近代美術」ー「形見(かたみ)の直垂(ひたたれ)・虫干」(川村清雄)幕臣の子として生まれた川村は、早くにフランス、イタリアで本格的に油絵を学んだ。画家の保護者であり恩人であった勝海舟の死を悼んで制作された作品。勝海舟の胸像があり、少女が葬儀の時にお棺かつぐ侍者が着た白い直垂を着ている。「虫干(むしぼし)」ともあり周りには他の衣裳がみられる。その中で白さが際立つ。下村観山の「白狐」も秋の森の中での白がりんとした静謐さを感じさせた。

 

  • やはり二日にわたって鑑賞して正解であった。時間があっても一日で全てをでは新鮮味がなくなる。旧東京音楽学校奏楽堂もリニュアールオープンしたので、上野公園も楽しい場所になりそうである。