「マリア・カラス」とは(1)

  • 2019年も災害の多い年となるのであろうか。まだまだ災害の爪痕が回復していないところもあるというのに、不安をつのらせる現身の世の中である。そんななか楽しい年であることを願いつつ、そうあるべきように祈りつつ、「マリア・カラス」から始めることにする。

 

  • 昨年の続きということである。昨年12月、ドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』をみて、マリア・カラス関連の見れる映画や舞台映像、ドキュメンタリー映像などを観た。創作部分の多い映画『永遠のマリア・カラス』は、映画館で観た時よりも創作にマリア・カラスへの愛が感じられて観ていてさらに心に沁みた。作った人の温かさがある。

 

  • 「マリア・カラス」をどのようにまとめたらよいのか。書きつつその流れに任せることにする。『永遠のマリア・カラス』は、マリア・カラスの名前は知っているが歌もきちんと聞いたことはないし、ゴシップ的なマリア・カラスといってもそれほどくわしくはないしで、「マリア・カラス」ってどんな歌手だったのかと興味を持たせてくれた映画である。その映画のあとパリデビューの公演DVD『歌に生き、恋に生き』を購入したらしい。らしいというのはパリデビュー自体がよくわからず、観ておそらく途中で投げ出しているようだ。『永遠のマリア・カラス』は、『カルメン』が主なのである。『カルメン』なら聞きなれた歌もある。ところが、『歌に生き、恋に生き』は素晴らしい声なのであるが、こちらの気持ちとかけ離れていたのであろう。

 

  • 私は、マリア・カラス』では、声が出なくなってからコンサートに切り替えて歌うマリア・カラスの表情が好きであった。『歌に生き、恋に生き』のマリア・カラスは挑むような表情で入りこめなかった。それに比べ、サーカスで子象に観客席まで押されて、子象のお尻を軽くたたくマリア・カラスには生身のキュートさがあった。最後のコンサートは日本で札幌であった。完全主義でもあったであろうし、傲慢でもあったであろうし、とにかく突出している才能を発揮した歌い手であった。

 

  • 私は、マリア・カラス』では、年齢と共に衰えるであろう声に関して、オペラ歌手を続けられるかどうかということに対しては常に頭にあったようである。パゾリーニ監督の映画『王女メディア』に出演するときも、新しいこともやっていかなければと話している。家庭にあこがれるが、家庭と仕事の両立は難しく自分には無理であると語る。どの時点でのインタビューの答えかということが問題になってもくるが、普通の家庭に対するあこがれが非常に強かった。それは、両親が離婚して母に才能をみつけられ鍛えられて自分が望まずに歌い手になったことにもよるのであろうし、オナシスを完全に信じ歌を捨てて家庭に入っても良いと思ったことにもよるのであろう。

 

  • 私は、マリア・カラス』では、マリア・カラスへのインタビューを中心に、その答えかたなどでマリア・カラスの生の魅力を引き出そうとしている。マスメディアでの写真や映像が次々とでてきて、その着こなし、一瞬一瞬の表情の多様性に驚いてしまう。これはドキュメンタリー映画『マリア・カラスの真実』でなぞが解けた。こちらのドキュメンタリーのほうが、マリア・カラスの生い立ち、母との確執、オペラ歌手としての成功、結婚、離婚、オナシスとの関係、最後のコンサートまでの一生を客観的に描いている。舞台衣装も映されて、その豪華な舞台が想像できる。

 

  • 痩せて美しい歌姫となったマリア・カラスの洋服をデザインしていたのがミラノのデザイナーでプッチー二の孫娘のビキ。太っていたころのマリアはスリッパをはいてリハーサルへ行き、ビキは「晴れ着の百姓女」とまでいっている。そこまで言えるのはいかに変身させたかという自信があってのことであるが、1957年にマリアはベストドレッサーに選ばれている。これであの着こなしの素晴らしさの仕掛け人がわかった。マリア・カラスは、洋服にいつどこで着たかラベルをつけたそうでその整理の緻密さには驚いてしまう。そして表情であるが、マリアの演技力である。マリア自身が前奏曲のときに表情で観客を引きつけるといっている。自分の歌い始めからではなくその前に引きつけるのである。

 

  • 私は・マリア・カラス』で次々と紹介されるマリア・カラスのその時々の映像の表情が、演技なのかどうかはわからないが、あらゆる表情があってそこが見どころでもあり魅力的でもある。ただ『歌に生き、恋に生き』を今回観て、その表情は演技力が過剰すぎるきらいがあり歌よりもその強烈さからこちらは引いてしまった。パリデビューは、1958年1月のローマ歌劇場で『ノルマ』第一幕で出演を中止させ怒号の幕切れとなった後の、1958年12月パリ・オペラ座公演である。これがパリデビューである。キャンセル問題から一躍マリア・カラスを再び頂点に引き上げた公演でもある。ここで成功するかどうかは重要な分岐点でもあったが大成功を収める。ただすでに声は下降線であるという人もいる。

 

  • このパリ公演『歌に生き、恋に生き』はモノクロの映像なのであるが、『私は、マリアカラス』では、カラーに直し真っ赤な衣装となっている。映画『マリア・カラスの最後の恋』では同じ衣裳がグリーンにしていてこれにはちょっと驚いた。こちらの映画はオナシスの人の利用の仕方の凄さがわかりそこが面白い。オナシスは死ぬ前に病身でありながらマリア・カラスを訪ねている。償いをしたともいえ、そういう点では最後までマリア・カラスを愛していたのか。それとも彼特有の見せ場としたのか。海運王になるくらいの人であるから、これも彼の最後の演出だったのかもしれない。当人どうしがわかればよいことである。

 

  • パリデビュー公演はテレビでも放映された。そういう意味では、マリア・カラスの演技力はオペラに馴染のない人々にとってもオペラを親しみやすくさせたことだろう。それまでのオペラが退屈なものであるという固定観念をくつがえしたのもマリア・カラスである。ただ、テレビというものが、時間をかけて舞台に完璧主義をもとめたマリア・カラスにとって仇となる。テレビの出現によるスピードはそんなに時間をかける必要はない。人気のある演目をやればよい。そのため『ノルマ』などは80回近く歌うこととなる。こうしたことにもマリア・カラスは不満を募らせていく。そうしたマリア・カラスのオペラに対する姿勢を生き返らせたのが、映画『永遠のマリア・カラス』である。