小幡欣治戯曲集

  • 新橋演舞場での『喜劇・有頂天団地』観劇から小幡欣治さんの戯曲を読んだ。読んだのは『隣人戦争』『女の遺産』『遺書』『鶴の港』『春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』『浅草物語』『かの子かんのん』『明石原人ーある夫婦の物語ー』である。

 

  • 女の遺産』は、代々娘に養子をとらせて商売の安定をはかってきた日本橋横山町の玩具問屋の人間関係を描いている。時代背景の情報もでてくる。「ツェッペリンの号外!」というのあり、世界一周のツェッペリン伯号が帝都上空に到着した知らせである。そして円本の時代である。そうした時代の中での古さと新しさがせめぎ合いの中で、それぞれが新しい一歩を踏み出していく。小幡欣治さんの戯曲には人の情愛と常に一歩踏み出すという設定が多い。小幡欣治さんは、最後は新劇のために作品を書くが、商業演劇と新劇の境を意識しないで書き続けた劇作家でもあった。

 

  • 遺書』は、金沢犀川大橋近くの割烹・犀明館の息子の結婚と戦争により特攻隊となり出陣するまでの夫婦の絆がえがかれる。浅野川の友禅流しやその川に生息する魚のゴリを金沢ではグズと呼ばれ、そのグズと息子を重ねたり、結婚相手が水引人形屋の娘で金沢伝統の水引で作品をつくっていたりと金沢文化も色濃い。息子は京都の学校に通っており、特攻隊として飛び立つとき一緒に奈良の秋篠寺の伎芸天を見たかったと語る。妻は水引で伎芸天を作ることを約束し、南九州の鹿屋航空基地から妻の立つ城山公園ぎりぎりまで低空飛行をして飛び立つのである。

 

  • 鶴の港』は、長崎の稲佐地区は維新前からロシア艦隊の冬の間の休息地で、稲佐楼はロシア艦隊の乗組員のためにロシア料理を提供している。ところがロシアと戦争となるとの話しから他の料亭などはロシア人相手の商売の鑑札を返し、ロシア相手の商売をやめる。稲佐楼の女将は、今までの付き合い通りロシア人相手に商売を続ける。最初から日本料理しか出さなかった玄海楼の女将や日本人の母とロシア人との間に生まれて成長した娘などを含めて鶴の形に似ている港での人間模様が展開する。ロシアが戦争に負け、ロシア兵の捕虜が稲佐山の仮収容所に連行され、ロシア人の父と娘が思いがけず再会する。芝居の始めのほうではぶらぶら節も流れている。

 

  • 春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』は、題名からもうかがえる幕末から明治への混乱の時代の話しである。郡上八幡の郡上藩には幕末に凌霜隊(りょそうたい)というのが存在した。この隊は郡上藩とは関係がないということを約束されて江戸に立つ。江戸で幕府軍の手助けをするために。小さな藩は、旧幕府につくか新政府側につくかを迷い、二枚舌を使うこととして、そこに参加している人間は藩と関係なく凌霜隊の一人であるというだけの身分で、何かがあれば消される運命にあった。芝居であるので史実どおりではないが、凌霜隊が存在していたのは確かである。郡上八幡の歴史の一部を知る。藩主の姉や家老の娘が同道し、凌霜隊は藩のため幕府のためを信じて行動するのであるが・・・。要所、要所に郡上踊りが踊られたり歌が流れたりと、小幡欣治さんは、その土地の空気を漂わせる。

 

  • かの子かんのん』は、歌人であり小説家である岡本かの子さんをえがいている。岡本かの子さんは、漫画家の岡本一平さんの妻であり、芸術家の岡本太郎さんの母である。自分の恋人を自宅に住まわせ自由奔放な人ととされている。小幡欣治さんは、瀬戸内晴美さんの『かの子繚乱』の原作をもとにして、岡本かの子さんの仏教に対する考えかたなども挿入している。人から見ると気ままで自分勝手に想えるかの子さんだが、脚本の中のかの子さんは只一生懸命に突き進んでしまいその道しかなくなってしまう。そういう生き方しかできない人である。そして、それを一番理解していたのが、夫の岡本一平さんであった。

 

  • 明石原人ーある夫婦の物語ー』は、明石原人の発見者の長良信夫さんと妻の音さんの夫婦の物語である。民間人が発見しても考古学の世界ではなかなかそれを認めてはもらえないというのは、群馬の岩宿で石器時代の黒曜石製小頭石器を発見した相沢忠洋さんの著書『「岩宿」の発見ー幻の旧石器を求めて』で知った。たまたま岩宿遺跡と岩宿博物館に寄ってこの本があって読んだからで遺跡に興味があったわけではない。長良信夫さんの場合は、石器時代に人が存在したということ自体が、日本古来の神話に触れることになり曖昧にされ、戦後になってはじめて認められるのである。民間人の発見と、戦争という時代とも重なりもみ消されてしまいそうな事実がやっと認められるのである。

 

  • 相沢忠洋さんの本のあとがきにも、「明石原人の発見者で有名な直良(なおら)信夫先生も来られた。」と書かれてあり、小幡欣治さんも戯曲の中に、相沢忠洋さんに会いにいったことがでてくる。小幡欣治さんは、この戯曲のあとがきで、長良信夫さんの家族に了承を得て創作させてもらったと書かれているが当たり前と思っていた石器時代にも人間が存在していたということが認められるまでには大変な苦労があったのだということを改めて戯曲から知ったのである。

 

  • 小幡欣治さんの戯曲は、日本の知られざる土地の消えてしまいそうな生活者のことが、音楽や風景や生活や歴史を織り込みつつ書かれていて読み物としてもぐんぐん引っ張てくれた。『遺書』は十八代目勘三郎さんが勘九郎さん時代に出演していて、『春の嵐』には、吉右衛門さんが出演されていた。岩宿遺跡は、両毛線の岩宿駅から歩いて25分くらいである。

 

  • 3月にある七之助さんの特別舞踏公演は、この岩宿から距離的にはそう遠くない大間々の「ながめ余興場」から始まるのである。わたらせ渓谷鐵道の大間々駅から徒歩5分の「ながめ余興場」は見学したことがあり、この小屋で演芸が観てみたいと思っていたのである。勘三郎さんの歌舞伎を観た事がない人にもという意志を継いでの公演である。それだけに地元の人の席を取るのは不心得者であるが、先行の抽選に応募したが落選で、潔くあきらめることにした。もう一度この芝居小屋に見学だけでも訪れたいし機会があれば観客になりたい芝居小屋である。

 

 

  • 小幡欣治さんが書かれたのであればと『評伝 菊田一夫』を読む。菊田一夫さんの生い立ち、そして浅草時代が大変参考になった。さらに<あちゃらか>から<商業演劇>への脱出。東宝関連の演劇の流れも初めて文字として知る。菊田一夫さんを描きつつ一つの演劇界の歴史をも知りえて興味深かく楽しませてもらった。