国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(1)

10月、11月、12月と三カ月連続通し上演です。これもまた国立劇場開場50年記念企画公演ということでしょう。

10月は大序の兜改めから四段目城明け渡しまでとなります。二段目の「桃井館力弥使者の場」「桃井館松切りの場」は省かれることが多いので、今回この場があることによって、由良之助と加古川本蔵の関係がよくわかり、ここがわかれば、八段目の「道行旅路の嫁入り」九段目「山科閑居の場」など単独で上演されてもつながりがわかり、頭の中もすっきりとして観劇できるとおもいます。

大序の幕開け前に人形による配役の紹介があり幕が開いてゆっくり役者さんたちが動きます。人形浄瑠璃での初上演が数ヶ月早いのでそれに敬意を表してという風にもとれますが、実際のところはわかりません。今でいえば、アニメの実写化決定という触れ込みで、早くも歌舞伎に登場「仮名手本忠臣蔵」と呼び込みをしたのかもしれません。

大序は、江戸時代に起こったことは時代をずらさなくてはなりませんから鶴ケ岡八幡宮前で始まります。戦死した新田義貞の兜改めをしています。義貞の兜を知っているのが切腹することになる塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前です。いじめの師直(もろなお)は、この顔世に懸想していますが上手くいきません。それをじゃまするのが桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)で、この若狭之助は師直が嫌いなのです。

師直も最初はこの若狭之助をいじめます。ところが若狭之助の家来の加古川本蔵が主人の性格と師直の性格をよくつかんでいて、主人が師直を斬ると打ち明けられるととめてもむだとしって了解し、その代り師直に賄賂を使います。師直は喜んで態度を変え、若狭之助にはおべんちゃらを言い、こんどは顔世御前にもふられたため塩冶判官をいじめの対象とします。そこで癇癪を押し殺せなかった判官は刃傷となり、それをとめるのが加古川本蔵なのです。

この時から本蔵は塩冶側からうらまれる立場となるのです。

そのながれの間に、由良之助の息子・力弥が桃井家の屋敷に使いにきます。力弥と本蔵の娘・小浪は許婚なのです。このふたりの初々しい顔合わせと、三段目のおかると勘平の逢引との違いなどとも比較できる幼さない恋心の見せ場です。

兜改めのあと、これから何が起こるかなど露知らず、自分の立場をのみ貫く足利直義の松江さんゆっくり花道をさります。

さて、高師直の女好きで、あからさまないじめ、賄賂で手のひらを反す変貌ぶりを左團次さんが余すところなく演じられ、枯れた声にときより丸みをもった発声があり、人をばかにしているようでいっそうそのにくにくしさが増しました。

最初観た人は判官と間違えてしまうほどいやがらせを受ける若狭之助の錦之助さん。怒り心頭で家来の本蔵に打ち明け、よしと覚悟しますが、師直の豹変ぶりに当惑するも嫌いなものは嫌いとその一徹さを通されます。

力弥が使者に来ると、娘に自分のかわりに使者の言伝えをきくようにと二人だけで合わせるよう取り計らう母の戸名瀬の萬次郎さん。嬉しいのであるがどうしたら良いのかわからない小浪の米吉さん。使者としての務めをいかにきちんとできるかしか頭のなかにないような力弥の隼人さん。なかなかない場面なので、若い役者さんとしても貴重な経験です。

特に力弥の役は、二段目があることによって「力弥は見ていた」ではないですが、重要な場面に出てくるのです。一番若いので摺り足でさがることも多く、役としても役者としても粗相のないように美しい立ち居振る舞いが要求されます。

潔癖な主人の若狭之助のために策をねり主人の気を晴らさせ、即自分は次の行動にでる本蔵の団蔵さん。まさか判官の刃傷となるなど思いもよらず主人のために手をよごしたのです。

最初は何事もなくおおらかに振る舞っている塩冶判官の梅玉さん。このおおらかさが、突然師直のいじめが矛先を変え自分集中することによって度を失い、何度か思いとどまりますが、踏み止まることができませんでした。

二段目があることによって観るほうは、その心の内を説明なしで受け止められ、役者さんもここはこの気持ちでと貯めてその場に出るという空白の部分が埋まっているので自然な流れになっていてわかりやすかったです。

 

劇団民藝公演『篦棒(べらぼう)』

<篦棒>(べらぼう)と読み、はじめて見る漢字で眺めていてもすご~く難しい題名です。1980年代からの現在までの経済のながれも関係しているらしく多少気を重くして観にいったのです。

役者さんの一人が「べらぼう!」と発して気がつきました。その<箆棒>だったのかとあっけにとられました。

辞書によりますと次のようありました。 ①ばかげたさま ②はなはだしいさま 例文「べらぼうに寒い」

「べらぼうめ!」です。

「べらぼう!」の台詞を発した舞台の人物はフレチレストランを始め、それを大きく大きく飲食店グループにまでするのですが、お金の問題、家族の亀裂などがありそれも乗り越え、そこに待っていたものはといった流れですが、きちんとそれを取り巻く社会状況の動きも分かるようになっています。

「べらぼう!」の奥さんの大友凛さんが、夫である大友信勝さんとの出会いから語りはじめます。そして、大友家の応接間兼居間のリビングルームだけの場所で、大友家の人間関係から経済の流れから震災も含めてどう人々が生きてきたのかがわかるようになっています。

大きな動きが実は小さな場所で渦巻いていたのです。そして当然それは大きな渦へとつながっているのです。中津留章仁さん作、演出の『箆棒』は気が重くなるどころか、次はどうなるのかとその展開に舞台上の人々と同じように驚きとこの家族はどうなるのであろうかと好奇心いっぱいで引きつけられていました。

家族だけではなく、事業をし経営するということはどいうことなのか。震災に対し企業や東京に住む人々は本当に真摯に向き合っていたのか、消費するということに思考は必要ないのかというような疑問符がピッピッと弾けていきます。

ごく日常的な会話のなかで、それらが垣間見えてくるのです。ではそのことについて討論しましょうではなく、こういう問題は日常の当たり前の場所でも派生しているのだということが披露されています。

こういう考えの人いますいます。役者さんたちの技量もそなわり、日常のあちこちにいる普通の人々が会話しているように抵抗なく受け入れられ、芝居の流れの思いがけない展開が、芝居に弾みを加えてくれます。

現代を時間差なく展開する中津留章仁さんの作品と劇団民藝の役者さん、特に樫山文枝さんの役をさらに役者を浮き彫りにするかたちとなりました。夫の信勝に意見できるのは妻である凛がもっともふさわしく、その静かながらあきらめの中からうまれた自信に充ちた立ち居振る舞いの樫山さんにその力がありました。

2時間55分。約3時間。全然長いと思いませんでした。

日本の自殺者の数が世界で上位にあるということは悲しいことです。べらぼうめ!

作・演出・中津留章仁/出演者・樫山文枝、西川明、齋藤尊史、飯野遠、みやざこ夏穂、神保有輝美、河野しずか、桜井明美、境賢一、小杉勇二、白石珠江、山梨光國、松田史朗、竹内照夫、山本哲也、吉田陽子、吉田正朗、竹本瞳子

紀伊國屋サザンシアター 9月28日~10月9日(日)

書いていない『二人だけの芝居 クレアとフェリース』『炭鉱の絵描きたち』についても少し。

『二人だけの芝居 クレアとクレアとフェリース』は奈良岡朋子さんと岡本健一さんの題名のごとき二人芝居でした。女優である姉のクレアと劇団を率いる作家でもあり俳優でもある弟のフェリースが、劇団員には逃げられ、劇場に閉じ込められてしまいます。とにかく二人だけでも芝居をしようと練習をはじめるのですが、クレアがなんだかんだと文句を言い始め、幼い頃の話しなどをもちだします。

フェリースは姉に翻弄されないように姉に合わせ、何とか芝居の練習に集中させようとします。その経過のなかで、この二人には、芝居の台詞の中にしか二人をつなぐ言葉がないように思えてきました。もう芝居などやりたくはない文句をいう姉は、やはり芝居の台詞をしゃべりたがって、いやなはずなのにそれしかないのです。そこにまたもどってしまうのです。フェリースは姉を安息させ、自分もその中で安息できるのはお互いが芝居の台詞の中と気がついていて、いつまでもふたりだけの芝居がつづくようにおもわれました。

考えても結論はでないであろうと途中からは、こういう動きをするのか、こういう台詞のいいかたをするのかとお二人のせりふと動きを楽しんでいました。

作・テネシー・ウイリアムズ/訳・演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子・岡本健一

『炭鉱の絵描きたち』はイギリスの炭鉱に文化部のようなものができて美術を学ぼうというので美術の先生がきて講義をしてくれるのであるが、全然わからないので実際に絵を描こうということになります。

ここで絵の才能を見出される人もいて、展覧会も開かれ、埋もれていたものは石炭だけではなかったということですが、今まで知らなかった世界をみてどんどん楽しくなる明るさがほしかったです。イギリスということもあり、遠さがあり身近にせまってこなかったのが残念です。

映画の『リトル・ダンサー』の作家の作品でもありますが、『リトル・ダンサー』の少年が、ラストでマシュー・ボーン振付の「白鳥の湖」の主役になっていたという驚くべき感動があったので、『炭鉱の絵描きたち』のほうは地味すぎる舞台に思えてしまったとおもわれます。

作・リー・ホール/訳・丹野郁弓/演出・兒玉康策/出演・安田正利、境賢一、杉本幸次、和田啓作、横島亘、神敏将、新澤泉、細川ひさよ、伊藤聡

着物の展覧会

日本の着物地、布、和紙、染め、色などを眺めているのは楽しい時間です。

世田谷美術館で『母衣への回帰 志村ふくみ』を開催しています。志村ふくみさんは自然の草木からの染色の絹糸で紬織をされている重要無形文化財保持者でもあります。60年におよぶ創作活動をされていて、染めて織られた着物の作品が初期から最新の作品まで展示されていますが、字も、文章も読みやすくそれでいて深く、文章を読むと作品に会いたくなり二回訪ねました。

説明文はあとにして、何を感じとれるか自分の感覚を楽しんでいくため、織物の<題>は作品を見てからにしたのですが、一つも当たらず、そうくるのですかとその題名も楽しませてもらいました。

興味があるであろうと思う友人に展覧会のことを伝えておいたのですが、二回目のとき友人と偶然遭遇しました。「母衣曼荼羅(ぼろまんだら)」は志村ふくみさんのお母さんの使われていた残った糸で志村さんが紡がれたもので、友人がその前に立っておりました。声をかけると涙がでてきてしまったと自分の世界に入っていましたので、私は二回目なので、好きに味わってと各々の空間へ。時間がないので後日ランチでもと別れました。

二回目は『いのちを纏うー色・織・きものの思想ー』(志村ふくみ、鶴見和子)と『遺言ー対談と往復書簡』(志村ふくみ、石牟礼道子)の二冊を読んだ後だったので、しゃがんだり、すかしたりと結構時間をようしました。

志村ふくよさんの作品が残っていて美術館の展覧会で作品を観れるのは、新橋の芸者さんが、志村ふくみさんの着物をみてこの着物を着たいと購入しはじめ、その後、滋賀県立近代美術館に60枚ほど寄贈されそれが引き金となって志村さんも「源氏シリーズ」を寄贈されて、地元の美術館に収蔵されることとなった経緯があるからです。この紬の着物に魅かれ、後を濁さず美しいながれが続く行動を起こされた方も、やはり志村さんの紬の着物に行動させる命の芽ぶきを感じられたのでしょう。

こちらは、後日のランチが次の日となり、口の大活躍となりました。志村さんの本はさらに数冊積んでますので、目も活躍させます。色々なことがつながって驚きと楽しさと深さの空間の中に漂わせてもらっています。

世田谷美術館 11月6日(日)まで

終ってしまったなかで面白かったのは、泉屋博古館分館『きものモダニズム』(2015年9月26日~12月6日)です。大正から昭和にかけて花開いた「銘仙(めいせん)」とよばれた着物たちです。日本の古典的柄を色、大きさの配置で新しい感覚で描き、さらに花などの植物や幾何学的模様の大胆な構図が、現代よりも解放されていました。こういう感覚も戦争によって閉じられてしまったのだという時代が左右する文化の閉塞が思いやられました。

ただ、この展覧会に来られている若いひとたちの着物の着方が、展示されている着物に劣らないくらいの楽しさでした。帽子をかぶっていたり、長い羽織をきていたり、そのコーディネートは、色の組み合わせ、小物の配置のしかた、手の持つ袋物など、じろじろながめてしまいました。

おそらく、着物をきてこられたかたたちは、見られるだけの感性を着方に集中されていて、ご自分の着物を通しての芸術的センスを造形しておられたとおもいます。若いだけにシックな色をもってきて着物の着方の基本をくずしても落ち着いた雰囲気でした。それが、展示の<きもののモダニズム>と上手く共有し、観る者を楽しませてくれました。

全然わからなかったのが、弥生美術館での『耽美華麗悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見るーアンテイ―ク着物と挿絵の饗宴』(2016年3月31日~6月26日)です。

谷崎さんの文学作品に出てくるヒロインの着物姿とはどんなものかを再現させたのです。『細雪』などの映画のなかで女優さんが着ているような着物を想像するとおもいますが全然違うのですとありましたが、その通りでした。

半衿から帯から帯締めの飾りから帯揚げから羽織から、すべてに模様があり、どこをどう見ればよいのかわかりませんでした。全部が主張していて、記憶に残らないような組み合わせなのです。作品の文章も紹介されていますが、どうやら、文章は目で追いつつ、頭の中の映像は映画の映像だったようで、正しく文を捉えていませんでしたが、それを知っても、着物の姿を思い描くことはできないということを知りました。

<耽美華麗悪魔主義>とは、これだけならべると何が耽美で何が華麗で何が悪魔なのかわからなくなってしまうということです。上から下までトータルで見る見方をしているためか、ひとつひとつの価値がわからないということなのかもしれません。

布その他工芸にかんしては、東京国立近代美術館工芸館でたくさん見させてもらっています。芹沢銈介さんの作品(2016年3月5日~5月8日『芹沢銈介のいろは』)もここでじっくり楽しませてもらいました。この国立近代美術工芸館は金沢に移転されるそうで、全て東京に集中せず地方へというのは賛成ですが、国立近代美術工芸館東京分館として、今までと同じように作品は楽しませて欲しいものです。

 

 

 

歌舞伎巡業公演『獨道中五十三驛』映画『超高速!参勤交代』

猿之助さんと巳之助さんダブルキャストの『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』の巡業公演が埼玉県の入間市市民会館から始まりました。

この演目を巡業で、さらにダブルキャストで、さらにそのひとつを受け持つのが巳之助さんでと少し心配なのと、猿之助さんがこれをどう仕切るのか興味津々でもありました。

観たのはAプロのほうで、巳之助さんが十三役早変わりで、早変わりのたびに大きな拍手があり気持ちよかったです。巳之助さんを激励する意味を含んだ拍手だったとおもいます。もちろんこちらも拍手しつつ一役一役確認するように観ていましたが、巳之助さんは芝居に入り込んで下半身もしっかり安定させ声も出ていました。

歌舞伎座などでの赤っつらの役の時なども誰なのかと思うほど大きな声を出していましたから、意識して声をだすようにされていたのでしょう。この巡業での経験がなにかの形で身体に残るのではないでしょうか。

役者さんもそうですが、裏方さんも大変なことです。入間市民会館はかなり年数を経た建物で、楽屋裏が広いとはおもえませんので、あれだけの道具をよくスムーズにだせたとおもいます。そして背景幕の降ろし、宙乗りと、これだけの舞台装置は地方ではなかなか観れないと思います。

前半は岡崎の古寺での化け猫の場が見せ所で、Aプロでは宙乗りは猿之助さんです。後半の小田原からの浄瑠璃お半・長吉『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』は巳之助さんの早変わりと同時にどんどんどんどん宿場が進んで行き背景も変わります。

昼の部よりも息が合ってきたという弥次さん(猿三郎)と喜多さん(喜猿)は、その速さにまけてはならじとお先にと江戸をめざして行ってしまいました。

そして紛失した九重の印も、由留木家にもどり、めでたしめでたしと無事終わりました。最後は、裃姿の猿之助さんが今日はこれにてと幕となります。休憩をいれて2時間35分という超高速でしたがよく収め切ったものです。

人使いが荒いとぼやく最高齢の寿猿さんをはじめ、笑也さん、笑三郎さん、春猿さん、猿弥さん、門之助さんの息の合った澤瀉屋一門のチームワークのよさの巡業公演です。

入間市民会館での初日は温かい拍手のなかでおわり、気持ちよく観劇できました。

この超高速に、そうだ映画『超高速!参勤交代』を観て見ようと思い立ちました。今映画館でやっているのは『超高速!参勤交代リターンズ』ですが、遅れていますが前作のほうです。

こちらは東海道ではなく、今の福島県のいわき市から江戸までですから奥州街道ということになるのでしょうか。湯長谷藩に参勤交代から帰ったばかりなのに、幕府から再度5日で江戸に参勤するようにとのお達しがとどきます。

民を想う優しいお殿様で、今回の参勤交代でお金は底をついているのにどうすればよいのか。知恵をだす家老、武勇に優れた家来などの結束によって、難関を突破します。虐げられたものが勝つという最後はめでたしめでたしの痛快時代劇で、次はどう乗り切るのかとそのアイデアを楽しめる作品です。

スパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻む者』に参加した佐々木蔵ノ介さんが気が弱そうでいて情があり家来を信頼するお殿様で、猿之助さんが徳川吉宗になって出ております。悪役老中の陣内孝則さんが悪役を一気に引き受け、悪役系の石橋蓮司さんが良いほうの老中で画面を締めています。

正規のルートの街道をいったのでは間に合わないと大きな宿場だけは人を集めて行列で通り、あとはひたすら走ります。勧善懲悪ものですから突っ込みはなしで、気楽にたのしむのが前提です。

水戸の斉昭公は若い藩士を、水戸八景の景勝地役80キロを一日一巡させて鍛錬させたというような話もありますから、そこまでしなくても、藩の存続にかかわればこの映画に近い力は実際に発揮できたのかもしれません。

監督・本木克英/脚本・土橋章宏/他の出演・深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、上地雄輔、知念侑季、柄本時生、六角精児、神戸浩、西村雅彦

 

 

映画『助太刀屋助六』『無法松の一生』

助太刀屋助六』は、岡本喜八監督最後の映画でどいうわけか手が伸びなかったのです。音楽が山下洋輔さんで、太鼓の林英哲さんも参加されていると知りこれは観て聴かなくてはと即レンタルして観ました。

痛快!痛快!娯楽時代劇で面白かったです。なぜ観なかったかといえば集中して観た岡本監督映画と比して裏切られるような気分が働いたのですが洋輔さんと英哲さんに誘われて観て正解でした。音楽にも集中でき映像に面白さが加わりました。ジャズ風オハヤシ、オハヤシ風ジャズが効いていました。

ぴたっと音楽が止んで何の音もしなくなったり、音楽が止ると、棺桶のタガを締める音だけが入ったりとか、そのタイミングが映画の面白さと役者さんの動き、特に真田広之さんの絶えず動く身体リズムとも合っているのです。

いつのまにか仇討の助っ人になり報酬を手に入れることを覚えた助太刀屋助六、上州の故郷の母の墓の前で、故郷に錦を飾るほどではないが、「絹を着て帰ったぜ」と亡き母に袖を広げて絹の着物をみせるその光沢の具合が助六の今は多少お金を持っている自分の嬉しさを現わしており、若さの楽天さでこの精神が貫かれます。

着物の左右が女物と男物でそれにも意味があり、自分が嫁を貰うということと、亡き母と名の知れぬ父へのオマージュともとれます。結果的にそれは一つになるのですから。

誰に教わったのでもなく、自分一人で戦うためには何を使えば良いかを常に動き回わり探し回って見つけます。竹ぼうき、竹竿、大八車、石、早桶、などアドリブの音楽と同じで武器、道具、戦い方を音を探すように見つけ出していきます。

故郷に帰って見れば、村は仇討前の静けさ。これは自分の出番と思うが出番もなく、討たれたほうが知らされることのなかった自分の父親でありました。父親の仲代達矢さんと会うのが桶屋で、助六が自分の息子であると知った時、短い時間でありながら息子の性格を見抜き、事情の知る桶屋の小林桂樹さんに父であることを知らすなと伝えますが、このあたりも岡本監督の見え透いた情をださなくても、父が息子の人間性を見抜いており、死ぬ前に逢えた喜びも感じとれるのです。

白木の位牌に自分の戒名を書く父の手が震えます。息子に会って、死の覚悟に未練がでたように思えました。そして字の書けない息子に対して「自分の名前くらい書けるようにしろ」と父親としての言葉を残します。このさりげなさが岡本監督らしさでもあります。そして、一輪の小さな野菊もさりげなくキザでないのが許せます。

息子は仇討を決心しますが、「いやいや落ち着け。仇討ではない、白木の位牌に助太刀するのだ。」錆びた刀を父母の新しい墓石で研ぎ、「刀を研いでいるように見えるだろうが、違うんだなこれが、墓石をみがいているのだ。」と一人でここまで生きて来た自分をとりもどします。

ずらして気持ちにゆとりを持たせ冷静になり、敵討ちは成就します。ただ火縄銃に撃たれて死んでしまう助六が生きていることは映画を観る者が判ってしまうのがこの映画の失点でしょうが、まあこれも許せる範ちゅうとしましょう。音楽に免じて。

助六の真田さんと父親の仲代さんとのずれもいい。どこかずれてずれて、幼馴染とも、桶屋の親子とも、村人とも。それでいながら最後に助六という名前の馬を手なずけている鈴木京香さんのお仙の言いなりになる助六が、どうにかずれからずれてめでたしめでたしであります。

左右の女物と男物の着物が、しっかりと縫わさっていたということでしょう。

岸田今日子さんのナレーションの声も魅力的でした。やはりここで観るべき映画でした。じわじわきます。情で落とせる状況を岡本流の軽さと明るさなのに、そこで終らず何か来るんですよね。

監督・岡本喜八/原作・生田大作(「助太刀屋」)/脚本・岡本喜八/撮影・加藤雄大/音楽・山下洋輔/出演・真田広之、鈴木京香、村田雄浩、鶴見辰吾、風間トオル、本田博太郎、岸部一徳、岸田今日子、小林桂樹、仲代達矢/ミュージシャン・林英哲(太鼓)金子飛鳥(バイオリン)竹内直(リード)津村和彦(ギター)吉野弘志(ベース)堀越彰(ドラム)一噲幸弘(笛)

太鼓といえば無法松と思い立ち観ていなかった三船敏郎さんの『無法松の一生』を観ました。小倉祇園太鼓を打つ三船さん、くるくるっとバチを回したりして打ち方も力強いです。格好良い。さすがです。

今の打ち方は小倉の祇園太鼓ではないと、吉岡のぼんの五高の先生に説明しつつ太鼓を打ちます。流れ打ち、勇み打ち、暴れ打ちと説明しながら。この暴れ打ちは小倉祇園太鼓にはなくて、映像の見せるという形態によって生まれた打ち方で映画のために創作したもので、本元の小倉祇園太鼓は伝統を守り続けています。

『無法松の一生』の映画の見せ所としては、変化に富む打法を見せることにより車引きだけではない無法松の一面を見せる花道でもあるわけです。ただここから無法松は吉岡夫人(高峰秀子)に対する自分の気持ちとの葛藤に苦しみ死へと向かっていく事となります。

『無法松の一生』の映画に関しては色々なことがありますが、今回は太鼓で観ましたのでその事だけにします。

監督・稲垣浩/原作・岩下俊作/脚本・伊丹万作、稲垣浩/撮影・山田一大/音楽・団伊玖磨/出演・三船敏郎、高峰秀子、芥川比呂志、笠智衆、飯田蝶子、田中春男、多々良純、

 

国立劇場 『日本の太鼓』

国立劇場での企画公演『日本の太鼓』が9月24日25日の二日間おこなわれた。残念ながら24日しか観覧できませんでしたが、日本の民俗芸能の深さと新しさを堪能させてもらいました。

太鼓を劇場で聴いたのは、山下洋輔さんと林英哲さんのセッション、玉三郎さんと鼓動共演の『アマテラス』、長唄の伝の会での太鼓とのセッションは記憶に残っています。林英哲さんは他でも聴いたような気もしていますがはっきりしません。あとは友人が太鼓を習い始めその発表会に本人の出番は絶対に来ないでとのことなので、その指導の方たちの出番の時間に聴きににいったことがあります。

その友人の練習の話しで腕を伸ばすように言われるけれど、しっかり伸ばすと打つのが遅れてしまうというのを思い出しなるほどと思って見ていました。皆さん綺麗な態勢で打たれていますが、それだけの修練をしてのことなのでしょう。そして以前よりも、そのリズム感と強弱を快く受け入れている自分がいました。

鶴の寿』『八丈太鼓』『尾張新次郎太鼓』『石見神楽 大蛇』『千年の寡黙2016』『七星

鶴の寿』は国立劇場開場50周年を祝してこの公演のために邦楽のお囃子方の藤舎呂英さんが作られたもので、曲は鶴の飛来、朝焼けの景色、五穀豊穣と泰平の世という三章からなり、舞台は太鼓を中心に据え、鼓でそれを末広がりに位置するという構成で見た目にも新鮮でした。

パンフは読まないで曲の内容は気に留めず、ただ、音に聴き入っていました。途中で唄が入りましたが詞が聴き取れなかったので、声も一つの音として聴いていました。音が空気を押し開いていくような感じでした。(藤舎呂英連中)

八丈太鼓』は、聴いていると八丈島へ行きたくなります。パンフの説明によると関ヶ原で敗れた宇喜多秀家公が流された島でもあります。「八丈太鼓は、武器(刀)を失った流人が、その鬱憤を二本の桴(ばち)に託して打ち鳴らしたもの」でもあるとのこと。お祭りの太鼓として聴いていましたが、一つの太鼓を両面で二人で打ち軽さよりも重層感に充ちていましたので、説明を読んでなるほどとおもいました。(八丈太鼓の会)

尾張新次郎太鼓』は、友人の指導者が愛知出身で小さい頃から太鼓をやっていたらしく名古屋は盛んらしいと聴き、どうして名古屋なのか、太鼓といえば島とか漁港とかだろうにと思っていたので引きつけられました。そろえた膝から上半身を立て中腰で太鼓を打つのを初めて見ました。右に長胴太鼓、真正面下に締太鼓(しめだいこ)を置き、左右のバチで連打するのです。そしてバチをくるくると手の指で回しながら打つということも加わわり曲太鼓といわれています。落としてしまうこともありますが、すぐ用意しているバチを持ちあっという間に何事もなかったように進みます。これも見事でした。

説明によると、愛知県の西部、尾張の地で育まれた熱田神宮の神楽から発生しており、秋祭りを復活させることに生涯を捧げた西川新次郎の名前に由来していて、それを保存されているのです。

もともとは個人打ちだったのが、昭和55年の国立劇場『日本の太鼓』出演以来数人による揃い打ちが主流となったということで、揃い打ちのほうが見応え、聴きごたえがありました。このように劇場から新しい形態が発生していくのも継承にとっては刺激となり良いことです。

曲太鼓は江戸時代の名古屋城下町を取り囲むように、その北部から西部の農村地域に分布する太鼓芸ということで、愛知と太鼓の盛んな関係がわかりました。(尾張新次郎太鼓保存会)

熱田神宮は旧東海道歩きのとき、予定を完歩してから友人の御朱印もあるので寄ったのですが、駅から想像よりも遠い位置に入口があり、二箇所で御朱印が貰えてその場所が離れており、慌ててお詣りをして走り廻り時間内に無事御朱印を貰えた思い出があります。走りの熱田神宮でした。

石見神楽 大蛇』(いわみかぐら おろち)は、チラシに作り物の大蛇が写っていたのでこれまた楽しみでした。石見神楽は島根県西部石見地方に伝わるもので、明治になって神職演舞禁止令がでて土地の人々が受け継ぐことになったのですが変化しすぎたので国学者たちによって神楽台本が改訂され今に至っているそうで、神話を基本にしたものが中心で今回は「ヤマタノオロチ」を主題としていました。

人が中で操作する八大蛇が出て来て神楽に合わせて激しく動きまわります。ジャバラの部分をつかんで操作するのでしょうかトグロを巻いたり、八大蛇が絡み合って造形したりと見どころ満載でした。

村人が四つの桶にお酒を入れておきますとそれを上手く飲み廻し酔った所で須佐之男命が滅ぼしてしまうのですが、村人や須佐之男命が大蛇に締められてしまったりする場面もあり物語性の強いものです。大蛇の首が抜けるようになっていて、須佐之男命は八つの首を斬り並べます。胴体だけの大蛇は幕の中に消えていきます。早いテンポの神楽と見応えのある「大蛇」でした。(谷住郷神楽社中)

同じような主題で歌舞伎舞踊『日本振袖始』があります。玉三郎さんの踊りはシネマ歌舞伎にもなっています。

新藤兼人監督の『一枚のハガキ』にもこの大蛇が出てくるので、再度DVDを見直しましたら、新藤監督は故郷の広島の神楽で見ていたので映画に挿入したようで、広島にも石見から伝わった芸能が継承されていたのです。

最後がプロの林英哲さんの独演『千年の寡黙』と英哲さんと英哲風雲の会の九人による『七星』の太鼓でした。『千年の寡黙』は靜と動、弱と強、高低の音、テンポの相違などの流れを身体に受けつつ聴きいりました。『七星』のほうは、九人の太鼓の響きをズドンと受けてその豪快さが心地よい振動となって伝わってきます。心を空っぽにしていましたので、その時だけ受ける音を楽しませてもらいました。

忘れていたように置いてけぼりされていたCD『英哲』を聞き直しましたが、尺八、能管、篠笛、手振鉦も加わり、時間の経った音も新鮮に味わえました。古さ新しさって何なんでしょう。

25日の演目は『鶴の寿』『佐原囃子(さわらばやし)』『気仙町けんか七夕太鼓』『沖縄エイサー』『千年の寡黙2016』『七星』でしたが、聴けなくて残念。

劇場での伝統芸能は閉じこめられ閉ざされたようにイメージしますが、身体的には楽に沢山の場所を集約されて比較もでき、それぞれの地域を想像の世界に誘い良いものです。

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎 『碁盤忠信』『太刀盗人』『元禄花見踊』

『碁盤忠信』 『碁盤太平記』と書きそうになりましたが<忠信>だったのです。

忠信が碁盤をもって戦ったという伝説はかつては広く知られていたことらしいのです。初演は七代目幸四郎さんで明治44年(1911年)で一度だけの公演で、それを100年たって復活させたのが染五郎さんで、平成23年(2011年)の日生劇場にて上演でしたが、私は観ていません。初代吉右衛門さんも演じられていたようですが、一つのテーマが内容を変えて劇化されているので、『碁盤忠信』も幾つかの脚本があったのでしょう。

荒事の単純なお話です。忠信(染五郎)といえば、義経の忠臣ですから、義経を奥州に逃がし敵と戦うのですが、亡くなった妻の小車の父・浄雲(歌六)が頼朝側と内通していて、その窮地を小車(児太郎)が亡霊となってあらわれ碁石で知らせ、忠信は碁盤を片手に大あばれします。そこへ、横川覚範(松緑)が押し戻しであらわれお互いに見得を切ってチョンです。

先にだんまりがあり、源氏の宝刀の探り合いがあり無事忠信の手に入ります。それぞれの役どころが身についた基本のできただんまりで綺麗にうごかれていました。呉羽の内侍(菊之助)、万寿姫(新悟)、三郎吾(隼人)、浮橋(宗之助)、宇津宮弾正(亀鶴)、江間義時(松江)亀鶴さんと松江さんにはもっと出て欲しいです。

忠信の舅・浄雲は愛嬌のある悪人で、その家来の右平太(歌昇)と左源太(萬太郎)も道化を含んでいます。小車は父を諌めて自決してしまいますが、舅のすすめるお酒に酔って碁盤を枕に眠ってしまった忠信の夢のなかに小車があらわれて、忠信の危機を救うのです。歌昇さんは演じている道化ですが、萬太郎さんそのままでゆるくなるのでお二人が台詞を言うたび楽しかったです。隼人さんは背の高さから奴はどうかなと思いましたが大丈夫でした。

松緑さんの覚範が現れることによって荒事の大きさが示され、初期の複雑さと知略のまだ加わらない見せる荒事の一つと言えるような作品で、目で楽しみ耳で音を受けるという作品でした。染五郎さんの声が次第に荒事に向かってきています。

その他出演・亀蔵、桂三、由次郎

『太刀盗人』 これまた肩の力を抜いて楽しめる狂言仕立ての舞踏劇です。都にでてきた田舎者・万兵衛(錦之助)が市で盗人・九郎兵衛(又五郎)に目をつけられ太刀を盗られそうになります。そこへ目代(彌十郎)と従者(種之助)があらわれます。二人は目代にどちらが盗人か裁定を頼みます。目代は、引き受け質問をしますが、万兵衛から始めるので九郎兵衛はあとからそれを真似ます。そこで二人一緒に舞いでことの次第を説明することになり、九郎兵衛はあやふやなおどりとなり盗人が発覚してしまうのです。

錦之助さんと又五郎さんは笑い中心にはせず、しっかりとした踊りでそのほころびでどちらが盗人であるかをあきらかにしていくという踊りでした。大きな彌十郎さんに畏まってつく従者の種之助さんのなんだかおかしいなという感じに愛嬌がありました。

『元禄花見踊』 最後は艶やかな踊りで締められた。ふわふわした綿あめを食べるような感触で終わってしまいました。

玉三郎さんを求心力に元禄の男6人(亀三郎、亀寿、歌昇、萬太郎、隼人、吉之丞)と元禄の女6人(梅枝、種之助、米吉、児太郎、芝のぶ、玉朗)が、元禄の華やかさを楽しく踊り賛歌するという趣向ですが、若い12人がどこかお澄ましで少し緊張気味なのがおかしく、一人一人追っていたので忙しくもありました。芝のぶさんと玉朗さんであろうとおもうが間違っていたらもうしわけないことです。可愛らしい誰だろう誰だろうと思いつつ眺めさせてもらいました。吉之丞さんもこんな派手な舞台で、さらに玉三郎さんと絡んで踊るのは初めてではないでしょうか。落ち着いてもう一回みたい気分です。

昼の部 『碁盤忠信』『太刀盗人』『一條大蔵譚』

夜の部 『吉野川』『らくだ』『元禄花見踊』

重さと軽さの配分の良い舞台でした。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎『らくだ』

『らくだ』が歌舞伎初演のとき初代吉右衛門さんがくず屋の久六を演じていたとは驚きです。上方落語『らくだの葬礼』を下敷きにして、岡鬼太郎さんが『眠駱駝物語』として書かれ昭和3年(1928年)の初演です。

昨今では勘三郎さんと三津五郎さんの『らくだ』が人気を博しましたが、細かいところは記憶から薄れ、シネマ歌舞伎もDVDも見ていないのでそちらは別口として、渥美清さんの『らくだ』を基にしているTBS日曜劇場の『放蕩かっぽれ節』を先頃見ていましてその記憶が少々残っています。

山田洋次×渥美清 ということで、作が山田洋次さんと高橋正圀さんとなっていて演出は他のかたです。くず屋久六の役が廓遊びの放蕩息子の渥美さんで、くず屋でなくても話は出来上がるものだと、ちゃらちゃら惚れられているという花魁のおのろけ話なぞも聞かされました。テレビの中で聞かされているのは手斧目半次の若山富三郎さんです。当然脅して、お酒と煮しめを実家の大店へ用意させるのですが、父親が五代目小さんさんで、この上方落語を江戸の噺として高座へのせたのが三代目小さんさんだそうで、きちんと落語家の関係と役者とを重ね合わせていたのだと気がつかせてもらいました。

歌舞伎座の『らくだ』のほうは、手斧目半次が松緑さんで、らくだの馬吉が死んでいるのを発見します。自分でフグをさばいてフグの毒にあたってしまったのです。らくだは長屋の皆から嫌われていて誰も弔いをしないので半次が弔ってやることにしますが、そこに折りよく現れたのがくず屋の久六の染五郎さんです。

虫も殺さぬような久六は、半次の言いつけで大家のところへ弔いのためのお酒と煮しめを出させにやられます。口上として出さないなら死人のかんかんのう(当時はやったおどり)を披露するといいます。大家の歌六さんはやるならやってみろと掛け合いません。そこで半次はらくだを久六に背負わせて大家宅へのりこみます。

ここからが、死人のらくだの亀寿さんの出番で、久六の見せ場でもあります。半次が大家さんに掛け合っているときの、らくだと久六の可笑しな悪戦苦闘が大笑いです。これだけ染五郎さんに邪魔されるのですから、松緑さんはもっと凄んだワルの半次でいいと思いました。そのあともありますからね。

ついに半次は大家さんの座敷に乗り込み、近所から聞こえる浄瑠璃に合わせてらくだの人形使いとなり、大家さんのおかみさんの東蔵さん(おそくなりましたが人間国宝おめでとうございます)も死人に辟易です。ついにお酒と煮しめを手にいれました。

さて、満足の半次ですが、久六にも酒をすすめます。ですから、もっと強面にやっつけておけばよかったのです。酒で半次と久六の立場は逆転するのです。小さくなっていく半次。久六は早桶にらくだを入れ担いで寺へ運ぶ手伝いをするというのです。そんなことをしてもらっては申し訳ないという半次。半次はなんとか久六を帰したいのですが、なんでおれに担がせないのだとますますからんできます。

そこへ半次の妹のおやす(米吉)が再び実家が大変なことになっていると報告にきますが、こちらはこちらで、久六とらくだがとんでもない状態なのでした。米吉さんは自分の実家のことしか頭にないということで、正面をむいてしゃべっていいと思います。そのほうが客に台詞がわかりますから。そしてどひゃと驚く。

早桶のかわりの四斗だるを担いで焼き場へ行く道中も加わるのが上方落語の『らくだの葬列』なのですが、ここははし折られています。渥美さんと若山さんは、らくだ(犬塚弘)の死人の踊りはなく、早桶にらくだを納め運びます。酔っていい気分でフラフラと先棒を担ぐ渥美さんに必死に後棒を担ぐ若山さんでした。

この映像が頭に残っていたので、染五郎さんが酔って早桶を担ぐといったとき、とんでもないと辞退する松緑さんにごもっともと賛成して笑ってしまいましたが、もしかするとここを笑いで受けとめるまでいかない方が多かったかもしれません。二人で担ぐ格好を見せて笑いをとる方法もあるなとも思った次第です。

語りだけの落語から身体も加えて勝負できるのが、歌舞伎の強みだよ~なんて。

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎 『吉野川』

『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の<山の段>ともいわれるのが『吉野川』です。

徳川時代の後期、明和8年(1771年)に人形浄瑠璃として上演されていて、この頃は古代研究も盛んで反幕府勢力が古代天皇制に傾倒していったということもあったようで、芝居も蘇我入鹿(そがのいるか)が皇位をねらって反乱を起こすという政治背景となっています。

権力者蘇我入鹿によって押し付けられた子供に対する受け入れがたい命令を、何とか守ってやりたい親でありながら、どうする事も出来ず、思いもしなかった結末となるのですが、筋は知っていながら、涙、涙のクライマックスでした。

桜で満開の吉野川をはさんで、右には紀伊国の大判事清澄の屋敷、左には大和国の太宰家の未亡人定高の屋敷があります。この両家には息子と娘がいて、愛し合っているのですが、両家は領地問題で昔から争っていて許されない仲なのです。

大判事の息子・久我之助(染五郎)と太宰の娘・雛鳥(ひなどり・菊之助)は吉野川をはさんでやっと言葉を交わしている時、親の帰ってきたことが告げられ、双方の開いた障子はまた閉ざされてしまいます。

両花道から、大判事(吉右衛門)と定高(玉三郎)が重い足取りで現れます。それぞれ二人は入鹿から難題を申し受けての帰りです。

久我之助は天皇に味方して入鹿打倒に加わったとの疑いから出頭を命じられ、雛鳥は入鹿の妻として入内することを命じられたのです。

二人は、親といえども子供は別のことでどうするのかと尋ね合います。ここが親の心情を隠しそれぞれ家の誉と言い合う聴きどころです。首尾が叶ったなら桜の一枝を吉野川に流す約束をします。

帰って子に正してみれば、それは親の本心と同じでした。久我之助は出頭を拒み自害、雛鳥も久我之助に操を立てて母に殺してくれと頼みます。親の望んでいたこととはいえ、その子供の決心にうたれ親は涙します。

娘に入内を勧める時の玉三郎さんの複雑な表情が、推理に推理をよび、本心はどちらなのかとこちらもその複雑な想いに混乱してきます。そして、雛鳥がやはり殺してくれというと、でかしたといいますがなんとも測りがたい表情です。そう望んでもそれは死なのですから。

お互いの親は相手の子供だけでも助けたいと桜の枝を流します。ところが、お互いの子が死を選んだと知って驚き動転します。大判事の吉右衛門さんは、それまでの自身の芯が折れたように、柱を背にくずおれてしまいます。

吉野川にひな祭りの道具と雛鳥の首の入った輿が嫁入りとしてながされ大判事のもとに届きます。大判事は、雛鳥を息絶え絶えの久我之助にみせ目出度く祝言とします。

定高側の領分が妹山で大判事側の領分を背山とし、その妹背の山に流るる吉野川の水盃で祝言とし、祝いのご馳走は桜花という美しさですが、残された親の心情の悲しさには美しすぎる背景です。

役者さんの大きさで、時代の嵐とそれに立ち向かいつつも失ってしまう命の愛おしさがいかんなく表現された舞台でした。

自分の意思を貫く染五郎さんと菊之助さんに悲哀と愛らしさがあり、腰元の梅枝さんに主人を想う一生懸命さがあり、道化役の腰元の萬太郎さんに自然な愛嬌があり可笑しさを良い具合にふりまいていました。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎『一條大蔵譚』

旧派の50年は、二代目吉右衛門さんが二代目を襲名してから50年というこです。かなり若くして二代目を襲名されたわけで、初代のご贔屓がわんさとおられさらに当時の批評家連は厳しかったでしょうから御苦労様なことであったと想像します。

<秀山>とは初代吉右衛門さんの俳句の号で、それを使って初代の芸を顕彰するために「秀山祭」として始められた公演でこちらは10年となります。ある劇評家のかたが「初代の芸は芝居が終ると誰かと一杯飲みつつ語りあいたくなるが、二代目は、一人家に帰って蒲団をかぶりたくなる」と言われたことを思い出します。初代は演目からちょっと想像できないのですが<陽>で二代目は<陰>ということのようです。

「秀山祭」ということで『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』と『吉野川 (妹背山婦女庭訓)』からとします。

阿呆の大蔵卿は、清盛から自分が寵愛した常盤御前を押し付けられます。大蔵卿は阿呆ですからはいはいとなんでもござれです。ところが、源氏の家来のなかには常盤御前をゆるすことが出来ずの大蔵卿邸に忍び込み常盤御前を諌めようとする者もいます。

阿呆の大蔵卿の出を観客は待ちます。どんな阿呆ぶりかと。今回の吉右衛門さんは演じているすき間のない阿呆そのものの出現でした。このぐらいの阿呆ぶりでなければ、清盛をだますことはできないでしょう。

最初の場が常盤御前を諌めようとする鬼次郎夫婦(菊之助、梅枝)に緊張感が漂っていて、そこへ大好きな舞を楽しんでの超ご機嫌の大蔵卿の出で、まだその楽しさが残っているという感じで、鬼次郎の妻・お京を狂言師として雇い入れる流れは上手く出来ています。衆人の前でのお京雇いも局の鳴瀬(京妙)の無用な疑いをかけられないための計らいで、「太郎冠者の鳴瀬おるか」「次郎冠者のお京おるか」のあたりも全て狂言にしてしまう大蔵卿の阿呆ぶりは、よく考えれば頭脳明晰です。

鬼次郎を見かけ、本能的に見てはならないものを見たという感じでハラリと扇で顔を隠し表情を悟られない様にして楽しく花道を帰っていきます。身体もどこかしらふわふわしていて、花を楽しむ蝶のような感じの大蔵卿の阿呆ぶりでした。

お京は鬼次郎を屋敷に招き入れ、楊弓を楽しむ常盤御前に意見し弓で打擲します。常盤はそれを褒め、的の後ろに清盛の絵姿を隠し射って命中させていた本心を明かします。魁春さんの常盤御前、今までで一番若く感じました。歌右衛門さんの品格の大切さを守ってこられ、そこに一つ加えたか減らしたかはわかりませんが、何かのマジックはあったのでしょう。動きは静かですが、全体の雰囲気が若いのです。不思議です。

鳴瀬の夫・勘解由(吉之助改め吉之丞)はそれを聴いて清盛に注進しようとします。そうはさせまいと御簾の中から長刀で勘解由は斬られます。目も覚めるような正気ぶりの大蔵卿です。清盛の横暴な時代を生きぬくための作り阿呆で、幼子を抱えていた常盤の生き方をも、大蔵卿は理解していたのです。

一途な鬼次郎夫婦は、常盤御前の本心、大蔵卿の二面性に力を得て、清盛りを討つことを誓います。菊之助さんと梅枝さんの若い役者さんと吉右衛門さんと魁春さんの熟練した役者さんの相違が、役者さんと役とが重なり良い組み合わせとなりました。

この大蔵卿の二面性のでてくるそれぞれの場面が上手く折り込まれていて観客は、大蔵卿の苦労も役者さんの苦労も何処かへ飛ばして笑わせてもらいました。それぐらい飛んでる阿呆でした。

新派の『深川年増』にでてきた演劇改良運動のこともあって、「歌舞伎の歴史」(今尾哲也著)を読み返していて、大蔵卿は時代の中での<カブキ者>であると感じました。逆らわないと見せかけ、生き続け、その道はずーっと続いている<カブキ>の歴史と重なりました。

それとは別の生き方が『吉野山』の悲劇へと集約される一途な生き方ともかさなったのです。