歌舞伎座3月『明君行状記』『渡海屋・大物浦』『どんつく』

明君行状記(めいくんぎょうじょうき)』は、真山青果さんの作で、とらえどころがつかめなかったのです。名君といわれた岡山の城主池田光政の側に永く仕えている青地善左衛門が死罪にもあたる失態をしでかし、主君の本心が知りたいと裁きを待つのです。

光政の梅玉さんと善左衛門の亀三郎さんの弁舌さわやかなやりとりがお見事で、聞かせてくれるのです。結果的に、光政の機知が勝ちそれに対し善左衛門が感服して終わるというかたちなんですが、善左衛門が頑張っていたのは何なのか。

善左衛門は光政の本心が聞きたいのだと言うのです。光政は善左衛門の命を助けたいのが本心という建前を守ったのか。善左衛門は、法を破ってまで自分の命を守ってくれたことを本心としたのか。

光政からすれば、善左衛門の法に従う裁きをといって迫る善左衛門の考えに対して、そういう迫り方には応じられないという主君としてのプライドということなのであろうか。名君であろうとなかろうと、君主という者に本心というものなどないので、上手く治めるということだと言いたいのか。梅玉さんは、善左衛門の性格をよくしっていて、全くあいつはという大きさで情のある君主です。

善左衛門が主君の本心はなんてところに固執したところに、このはなしのややこしさの原因があり、光政の名お裁きとなるのですが、その終わり方がすっきりしなかったのはなんだったのでしょう。光政と善左衛門のやりとりに面白さがあったゆえにもう少し工夫が欲しかったとおもいます。

裁決の場の広い部屋の舞台は、光政の威光の大きさがうかがえる場面となり圧巻でした。そして台詞もそれに負けていなかったのですが。じれったいです。

渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)』は『義経千本桜』のなかでの話しで、知盛が碇(いかり)を身体に巻きつけて入水する<碇知盛(いかりとももり)>としてよく知られている演目です。

仁左衛門さんの碇知盛は初めて観ました。銀平の仁左衛門さんは海風を切るように颯爽と花道から現れ、知盛の亡霊としてはその知略さと威厳を保ち、戦さの立廻りでの知盛は悲壮感にみちていて、安徳帝が「恨むなよ」と幼くも自分の立場を理解するかのような言葉に、それこそ亡霊となってでもこの方をお守りしたいという最後の力を振り絞っての入水となりました。

船問屋渡海屋の主人である銀平が兄から詮議をかけられている義経を客として泊めているのですが、鎌倉側からの詮索の侍が来た時、義経に聴こえるように義経など知らぬ、ただ客をまもるのだといって自分を義経に信用させます。ここがはっきりしていました。

銀平の女房・お柳の時蔵さんも、自分の夫の天候の変化の読みの確かさを義経(梅玉)一行に伝え、信用させて送り出します。この世話から銀平は白装束の知盛となり、お柳は安徳帝の乳人・典侍の局(すけのつぼね)に、娘・お安(市川右近)は安徳帝という本来の姿となります。

安徳帝を支え海を見つめる時蔵さんの典侍の局の十二単の後ろ姿に涼やかな気品があり、その後平家側の破れていく状況を受けつつ安徳帝を諭すところも品位を崩しません。右近さんの安徳帝も最後までしっかりとそれぞれに目線をむけ幼いながらも優位を保ちます。

知盛が血だらけになり、突き刺さった矢を抜きその矢に付着した血を口に含んだのには驚きました。このしどころは初めてみました。それが一層悲惨さをかもしだし、これでもかという戦いぶりで、勇壮というよりも、戦さの虚しさと悲しさが伝わってきました。

知盛の最後を見届けた義経一行、どこかはかなさを残して真っ直ぐ花道をさります。弁慶(彌十郎)が一人ほら貝を吹き後を追います。

どんつく』の本題は『神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)』で、江戸の町の風俗を取り込んだ踊りです。十代目坂東三津五郎さんの三回忌追善狂言で子息の巳之助さんが、動きがにぶいドンな役どころのどんつくをつとめます。このどんつく太神楽の親方鶴太夫(松緑)、の荷持ちで田舎者です。太夫とどんつくが亀戸天神で踊っているのを見物しているのが、大工(菊五郎)、門札者(彦三郎)、芸者(時蔵)、田舎侍(團蔵)、太鼓持(彌十郎、秀調)、太鼓打(亀寿)、町娘(新悟)、子守(尾上右近)、若旦那(海老蔵)で、そこへ白酒売(魁春)が花道からあらわれます。

それぞれが、それぞれの持ち味で踊りを披露し、ときにはどんつくの指導で田舎踊りの総踊りとなり、その調子がどんどん早くなったりしてにぎやかな舞台となります。

どんつくドンドンと太鼓を叩いたり、太夫が籠毬をもっての踊り、どんつくがおかめの面をつけての踊りなど、亀戸天神の太鼓橋と満開の藤の花を背景に、皆さんに見守られての元気で愛嬌のある若いどんつくの追善狂言となりました。

 

シネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』と公演記録映像『桜姫東文章』

東劇でシネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』を観たのですが、はじめに玉三郎さんが、二つの演目の解説をしてくれまして、そのお話が興味深いものでした。

『日本振袖始(にほんふりそではじめ)』は日本神話をもとにしていて、イワナガヒメが大蛇となるのですが、このヒメは美貌ではなかったゆえに捨てられてしまい、そのことが原因で美しい女を消していくという行動にでるわけです。ただ変化(へんげ)するというのではなく、イワナガヒメにも、許しがたい悲しい怒りが渦巻いていたわけです。

郷土芸能にもよくあるように、お酒を飲ませて酔わせて退治してしまうという形式となりますが、歌舞伎の場合、ここに人の性(さが)が加えられているのではないでしょうか。そのあたりが、古典芸能のなかでも、歌舞伎は、心情がより具体的に垣間見られる芸能と言えると思えるのです。

なぜ振袖始なのかということも話されまして、イナタヒメが袖の下に太刀を隠しもつことと関連するらしく、あまり好きではない演目が、俄然興味がわきました。

『二人藤娘』では、お酒を酌み交わすところが、女でもあり男でもあり、女形が踊りの世界の中で女になったり、男になったりというちょっと不思議な関係も楽しめるのではというようなことを言われていました。女同士という感覚はありましたが、一人にとっては、相手の女性に対し想う男を想定して対峙するということで、それが女形というわけですから、二重、三重の芸の重なりがあるということなのでしょう。

たとえば幽霊などのばあい青白い人魂がでてきてその妖怪さを眼に映るようにしたりしますが、玉三郎さんの場合、独特の妖艶さを芸のかもしだす空気であらわそうとされているようにおもいます。それを若い役者さんにも容赦なく要求されます。

要求されなくなったら終わりとおもいます。それは、凄く有難いことだとおもいます。失敗しても玉三郎さんが受けてくれますから。

公演記録映像は、国立劇場の公演記録鑑賞会で、1962年(昭和42年)3月の公演『桜姫東文章』の上映でした。

上映されたのは、<江の島稚児ケ淵の場><桜谷草庵の場><岩淵庵室の場><山の宿町 権助住居の場>で古い映像のために途中で切れてしまうところもありましたが、これまた面白かったです。

守田勘弥さんが清玄で、玉三郎さんが白菊丸です。このお二人が恋仲で江の島で心中するわけです。玉三郎さん、こんなときがあったのだと観ながら、毎日、勘弥さんから駄目だしをだされて、帰ってからは正座してお話をきかれていたのであろうかと、そんなことまで頭の中の映像では写しだしていました。

桜姫が先代の雀右衛門さんで、私が観た雀右衛門さんとは違う面を観させていただき、雀右衛門さんがこんなに笑わせてくれるとは意外でした。私が雀右衛門さんを観たのは重い役どころばかりでしたので、お姫さまが、釣鐘権助というならず者に恋してしまい、苦界にまで身を沈めるという役どころを観て、驚きました。しかし、これが想像できなかったくらい面白いのです。あのしっとりした中にからっとしていて、あの苦しい心情を内に秘めての雀右衛門さんとは一味も二味も違うのです。新鮮でした。

私の観ていない雀右衛門さんが映像で埋めてくださいました。これらを突き抜けた雀右衛門さんを観ていたわけです。

釣鐘権助が坂東三津五郎(八代)さんで、実際には観たことのない八代目さんはこんな世話の感じも出されていたのかと、これまた楽しかったです。代々の三津五郎さんも芸を継承しつつ、それぞれの持ち味に到達するわけです。

昔はよかったとは言いたくありませんが、腰元の声の出し方の抑揚など、上手く言い表せませんが、これが歌舞伎独特の声の抑揚と言うものではないかと心地よく感じておりました。

ますます解らなくなっていきます。ただ、この奇想天外さは、さすが鶴屋南北さんです。それにしても、それを、こうも軽く客を乗せていくこの役者さんたちはなんなのであろうかと思ってしまいました。

今若手を引っ張る玉三郎さんも、かつては硬さのある演技で、シネマ歌舞伎を観たあとだったので時間の経過ということも感じ、こうした役者さんに囲まれて修業されていたのかという想いもありました。

近頃、退屈だった古い映像も面白いのです。ただ、鑑賞の軸がゆれて混乱させられてしまいますが。

 

前進座『牛若丸』と映画『歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍』

前進座創立八十五周年記念公演の一つで、源義経が牛若丸と名のっていたころの創作歌舞伎『牛若丸』の公演を観てきました。

藤川矢之輔さんが口上のあと、「歌舞伎の楽しさ」ということで、音楽、立役、女方、立ち回り、だんまりなどの解説がありました。国立劇場での歌舞伎鑑賞教室などで「歌舞伎のみかた」という同じような解説がありますが、この分野まだまだ工夫の余地ありだと思わせてくれました。

驚いたのは舞踊のところで、『操り三番叟』をたっぷり踊られたことです。矢之輔さんが操る後見で、三番叟はどなたが踊られたのかわからないのですが、しっかりと踊られていました。

口上のときに『牛若丸』は、九州の子ども劇場からはじまり巡業してこられたとの話しがありました。浅草公会堂は27日一日一回だけの公演でした。

牛若丸』は三幕で、常盤御前(早瀬栄之丞)が乳飲み子の牛若丸を抱いて逃げる雪の場、京都五条の橋に美しい少年が現れ刀を奪い、それを聞いた弁慶(渡会元之)が退治しようとして反対にやられてしまい、それが牛若丸(本村祐樹)で弁慶が家来となるという月の場、鞍馬で剣術の稽古をする牛若丸が大天狗僧正坊(矢之輔)に兵法書の一巻を与えられ、陸奥の国へと花道をさる花の場の三幕になっていて、「雪月花」として変化をあたえる構成です。

本村祐樹さんは、玉浦有之祐さんに名前をかえられたようですが、チラシではもとのお名前のままでした。玉浦有之祐さん、発声もよく牛若丸の幼さを残した雰囲気があり、それでいて敏捷な動きで形もよく華やかさがあり、役がよく合っていました。歌舞伎の弁慶としては元之さんには、もう少し大きさが欲しいところです。矢之輔さんはさすが舞台を締めてくれます。

わかりやすく、美しい舞台で、牛若丸と弁慶の立ち廻り、牛若丸とカラス天狗の立ち廻りなど、楽しい舞台で、子供たちが喜びそうです。

映画『大人は判ってくれな』(フランソワ・トリュフォー監督)で、子供たちが人形芝居「赤ずきんちゃん」のお婆さんの化けた狼と赤ずきんちゃんの場面を観ている子供たちの様子が映しだされますが、子供たちがお話しのなかに入り込んでいる表情が素晴らしいのです。その表情が浮かんできました。

出演・中嶋宏太郎、上滝啓太郎、忠村臣弥、嵐市太郎、和田優樹

五月には国立劇場で山田洋次監督の脚本で『裏長屋騒動記 落語「らくだ」「井戸の茶碗」より』の公演があります。

山田洋次監督が、歌舞伎学会で「演劇史の証言」として話してくださった時、新たな視点 <江戸・文七元結・寅さん> 歌舞伎をまたやりたいというお話があったのですが、落語をもとにした脚本で前進座とのコラボが実現するわけです。どんな世話物となるのか前進座としての新しい世話物のができあがるかどうか楽しみです。

前進座と映画会社提携の映画や座員複数の出演映画が幾つかありますが、歌舞伎『鳴神』をもとにしたのが『歌舞伎十八番「鳴神」 美女と怪龍』(1955年)です。前進座25周年記念映画でもあり、鳴神を演じるのが河原崎長十郎(四代目)さんです。

監督・吉村公三郎/脚本・新藤兼人/撮影・宮島義勇/音楽・伊福部昭

音楽があの『ゴジラ』の伊福部昭さんで、古典との融合と斬新さを模索したであろうことが感じられます。スタッフをみるとその意気込みが伝わります。

かんばつが続き、早雲王子は気ままで、頼りない関白のもと仕える文屋豊秀、小野春風は困りはてています。かんばつは鳴神が朝廷に裏切られ、竜神を滝に押し込めてしまったからです。阿部晴明も、呼ばれますが、読み解けば鳴神の三千力の強力をおさえることができるという唐文を読み解くことができません。

そこへ呼ばれたのがくものたえま姫で、自分が読み解くというのです。そして文屋豊秀との結婚を約束させます。くものたえま姫は、みよしとうてなを連れて、鳴神のもとへ行きます。実写ですから、この道が岩肌の見える大変な道中です。途中でくものたえま姫は唐文を投げ捨てます。最初から読む力などなく、くものたえま姫は自分が鳴神に対峙してそこで思案してこの大役を果たす心づもりなのです。

鳴神上人に仕える黒雲坊と白雲坊はを、みよしとうてなの踊りとお酒で酔いつぶれさせ、鳴神上人には、自らの手で酔わせ、滝にかかるしめ縄を切り滝つぼから竜神を解き放ち雨を降らせます。最初に舞台場面があり、実写となり、鳴神の怒りで舞台場面にもどるという手法を使い長十郎さんの歌舞伎のしどころをも観せるという手法を使っています。

中村翫右衛門(三代目)さんと長十郎さんが、それぞれの芸風のぶつかり合いで観客を歓喜させたようですが、映画『人情紙風船』(山中貞雄監督)の主人公とは違うおおらかな明るさもあって、さもありなんと想像できました。くものたえま姫の乙羽信子さんがこれまた現代人の若い娘のようなあっけらかんとした人物像で、鳴神上人を自分の思い通りにしていき、歌舞伎とは違う人それぞれの可笑しさが漂う映画となっています。戦争が終わった解放感もあるのかなと思わせられました。

出演・鳴神上人(河原崎長十郎)、くものたえま姫(乙羽信子)、文屋豊秀(東千代之介)、みよし(日高澄子)、うてな(浦里はるみ)、早雲王子(河原崎国太郎)、関白基経(嵐芳三郎)、小野春風(片岡栄二郎)、黒雲坊(市川祥之介)、白雲坊(殿山泰司)、(瀬川菊之丞、田代百合子、河原崎しづ江)

 

歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎 夜の部

夜の部は、話題の中村屋二兄弟の初舞台『門出二人桃太郎』です。新しい三代目勘太郎さんと二代目長三郎さんという役者さんの誕生ということになります。父である勘九郎さんと叔父の七之助さん初舞台の時に、萩原雪夫さんが桃太郎の昔話を双子にしたということです。五歳の勘太郎さんと三歳の長三郎さんにとっては、勘太郎さんは年上の責任があり、三歳の長三郎さんにしてみれば双子と言われてもというところでしょうが、まずは目出度き新しい小さな役者さんの誕生です。

山に行ったおじいさん(芝翫)が川にいるおばあさん(時蔵)のところへもどると、大きな桃がながれてきて家まで運びます。息子(勘九郎)と嫁(七之助)も加わり桃を切ると、双子の男の子(勘太郎、長三郎)が飛び出します。桃太郎兄弟の誕生です。この兄弟勇敢にも鬼ヶ島に鬼退治にいくといいます。そこへ、犬彦(染五郎)、猿彦(松緑)、雉彦(菊之助)が家来を申し出て、さらに吉備津神社神主(菊五郎)、巫女(魁春)、庄屋(梅玉)、庄屋妻(雀右衛門)その他村の人々もお祝いに駆け付け、口上となり、無事に桃太郎兄弟は鬼退治に向かいます。

見事鬼退治をして鬼の総大将(勘九郎)から金銀財宝をもらい意気揚々と花道をもどってきます。弟の桃太郎はかなり疲れているようです。先に進む兄の桃太郎との距離が少しづつあきます。三歳ですからね。花道も長道におもえることでしょう。兄の桃太郎は自分のやるべきことはやるという力強さで、弟の桃太郎もその姿を観つつ最後はしっかりとつとめました。

祝い幕には二つの桃が描かれています。誕生は一つの桃からですが、これからは、それぞれの役者さんとしての二つの桃が何回も大きくなっては割れ、大きくなっては割れていってくれることでしょう。

絵本太功記』は時代物です。これが、睡眠薬をしみこませたハンカチでも嗅がせられたように途中から意識不明でした。鴈治郎さんの十次郎は雰囲気が違うな。孝太郎さんの初菊はどう兜を運ぶのかで意識不明。ところどころ意識がもどります。

初菊が母の魁春さんに連れられて奥へ引っ込むときの身体の折れ具合に悲しみがある。錦之助さんの久光の声の響きがなかなかである。光秀の芝翫さんの笠を外しての出もいい。皐月の秀太郎さんの息子へのいさめだな。妻・操の魁春さんの嘆きか。正清の橋之助さん動きに力と安定感がでてる。そして光秀と久吉のそろっての後日という幕切れです。これだけで、ヘボシャーロックホームズであれば、筋だけは説明できますが、実態がわかりません。

ということで、今回はこれも一幕見をすることになってしまいました。時間をあけたはずなのに、風邪薬が変な眠りを誘い込んだようです。

梅ごよみ』は大丈夫でした。この芝居は2回ほど玉三郎さんの芸者仇吉と勘三郎さんの米八で観ています。お二人の時は二大スターを観ている感じで、お家騒動のほうが二の次でしたが、今回はバランスがいいという感じで、すべてに目がいきました。丹次郎(染五郎)は恩ある人のために茶入れをさがしています。その茶入れを、古巣佐文太(亀鶴)が持っているという事を知った仇吉(菊之助)は丹次郎のために佐文太になびき茶入れを手に入れることを約束します。

他愛ない話しなのですが、深川芸者の気っ風のよさの見せ所といった芝居でもあります。丹次郎は許婚お蝶(児太郎)がいるのですが、深川芸者の米八と暮らしています。ところが、同じ深川芸者の仇吉が丹次郎を見初めて惚れ込んでしまいます。その出会いが、隅田川での舟の上ということでなんともいい川風が梅の香りを運ぶような風情ある舞台です。

ところがどっこい深川芸者の意気地は、誰にも負けられないよといったところで、深川芸者の男言葉の使い方や仇吉が丹次郎にあつらえた羽織を米八は下駄で踏みにじったり、自分のお座敷に踏み込まれた仇吉は米八を下駄で打ちすえたりと大変です。そんな二人の仲裁にはいるのが藤兵衛の歌六さんは貫禄で去り際のささやかな仕草さがこれまた粋で格好いいんです。

丹次郎の染五郎さんは、もてるのは俺のせいではないよといった感じで、モテる男のどっちつかずですが、茶入れを探すという仕事があるのでまあ男気もほのめかせられます。深川芸者にとってはおあつらえ向きです。おとなしく娘娘している児太郎さん、言ってみれば、お姉さんがたが騒ごうと私は許婚よの強さであります。

為永春水さん原作で、春水さんは式亭三馬さんの弟子で、講釈師として寄席にでたこともあります。師匠の三馬さんから読本や滑稽本の書く才能無しといわれますが、「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」で評判をとり、次の「修春色辰巳園」で大流行作家となります。しかし、天保の改革で手鎖りをかけられそれが原因でお酒におぼれ54歳でなくなります。のちに円朝の速記よりはやくに口語文としての礎を築いたという評価もあります。

上演は、木村錦花脚色による1927年(昭和2年)です。正妻がいて二人の妾をもつという内容らしく、今観るとずれているのは、そういう時代ということでしょうからずらして観て愉しむ必要があります。

仇吉と米八の喧嘩は、舞踊『年増』にも関係してきているようですので、この際、舞踏『年増』『黒髪』を見返し、為永春水さんの『春色梅暦』も読んでみようととおもいます。そして、福助さんと勘九郎さんの『猿若江戸の初櫓』と玉三郎さん、勘三郎さん、澤瀉屋一門の『梅ごよみ』の録画もでてきました。復習が大変。

二回目一幕見『絵本太功記』ですが、外国人のかたが多かったのには驚きました。歌舞伎座に行けば日本の古典芸能に接することが出来るということが浸透しているのですね。熱心に観られていました。

歴史的な明智光秀が信長を討ったことを軸として、芝居は、光秀の母が息子を謀反者として、その謀反者の息子として初陣にでる孫やその許嫁の初菊にたいする想い、息子の行動を予想して久吉の身代わりとなり、ひん死の重傷の孫とともに息をひきとるといった悲劇です。

光秀が竹槍で久吉を討とうとして母を刺してしまうのは、光秀が竹槍で農民に殺されたことを取り入れ、母の息子の裏切りへのいさめもあるですが、光秀には光秀の春信に謀反するだけの積もり積もった屈辱があります。それも、息子が負け戦であると報告し、逃げてくれと父を想う時それは家族の悲劇の絶頂へとつながりますが、そこを堪え戦の物見をして、どうどうと久吉と対峙する大きさが光秀役者には必要です。芝翫さんは出はいいのですが家族全部の悲しみを受けて、それでも貫くにはもう少し大きさが欲しいところです。

鴈治郎さんの十次郎が若者なのに襟を落とさない衣装の着方に戸惑いましたが、動きで自然に納得しました。戦の報告と父への哀願も上方風の柔らかな動きは今まで見た事のない若者のやるせなさをだしていて悲劇性を膨らませます。

初菊を思いやり母と同じ気持ちで夫にせまる魁春さんのしどころがしっかりしていていますが、皐月は気丈といっても刺されていますから、皐月を後押ししてもっと強く出てもいいのではと思いました。孝太郎さんの一律な泣き出し方がちょっと気になりましたが、身体はしっかり赤姫の基本を守られています。

錦之助さんも声に甘さから重厚さがでてきて、久吉のような押さえのきく役どころなどが増えてくる時期なのでしょう。

一幕見『梅ごよみ』も観ようかなと思ったのですが、映画『ショコラ ~君がいて、僕がいる~』も観たかったのでそちらに急ぎました。『絵本太功記』が6時45分に終わり、映画が7時から。シネスイッチ銀座でしたので間に合いました。名探偵ではないので、今後薬には気をつけます。一幕見もいいのですが、待ち時間がもったいないですので。

 

 

歌舞伎座  猿若祭二月大歌舞伎 昼の部 

今月は、「猿若祭二月大歌舞伎」ということで、京で評判をとった歌舞伎踊りが江戸にきて江戸歌舞伎390年ということらしいです。

猿若江戸の初櫓』は、出雲の阿国と猿若が江戸にやってきて、江戸の地で猿若座の櫓をあげることができた経過を、田中青滋さんが、浅草で中村座の櫓をあげた初世中村勘三郎を主人公として創作した長唄舞踊です。その初演が江戸歌舞伎360年の1987年歌舞伎座で、今年はそこからさらに30年が経過して江戸歌舞伎390年となるわけです。

出雲の阿国(七之助)と猿若(勘九郎)が江戸に出てきます。そこで、将軍への献上品が狼藉者により立ち往生しているのと出会います。献上者である材木商の福富屋(鴈治郎)が困っているのを助け、猿若は若衆たちに献上品を運ばせます。それを奉行の板倉勝重(彌十郎)が知って、猿若たちの芝居小屋の櫓あげを許可するのでした。

そこまでを軽快に話が進み、お礼の踊りを明るく艶やかに勘九郎さん、七之助さん、若衆の児太郎さん、橋之助さん、福之助さん、吉之丞さん、鶴松さんが踊ります。猿若祭に相応しい、江戸時代の旧正月をも兼ねたような華やかな舞台です。

大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)』は、初めて観る芝居で、頼朝の旗揚げを軸にしていて、文覚も出て来て、さらに長唄『黒髪』が劇中にでてくるという興味深いお芝居です。ところが、どういうわけか、この『黒髪』の部分だけ不覚にも瞼が閉じられていました。というわけで、観なくては話しになりませんので、一幕見で見直しました。

寺子屋であるが、手習いしているのは若き娘ばかりです。ここは伊豆下田の正木幸左衛門(松緑)の寺子屋です。そこへ若い娘・おます(七之助)が姉(児太郎)に連れられて寺子屋入りしようとやってきますが、幸左衛門の女房・おふじ(時蔵)に追い返されてしまいます。

姉妹は途中で帰宅する幸左衛門に会い、幸左衛門は藪の中の小屋で待っているようにと告げます。この幸左衛門女好きで、寺子屋の娘たちに筆の手習いか、色事の手習いかわからない状態で女房のおふじはやきもきして離縁状を書きますが、一向にに効き目がなく、幸左衛門に丸め込まれてしまいます。

そんなところへ、箱根地獄谷からきたという出家僧・清左衛門(勘九郎)が一夜の宿を求めます。中に通し食事と酒を出すと、おもむろにどくろを出し、これは義朝のどくろでこれに酒を注いで飲んではどうかと持ち掛けますが、幸左衛門は取り合いません。

実は、幸左衛門は頼朝で、清左衛門は文覚上人で、お互いに探り合いをしているのです。そしておますは北條政子で姉は義朝の忠臣の娘・清滝で、暗闇で頼朝に渡す北條家の重宝・三鱗(みつうろこ)を間違って文覚に渡し、自分が政子であることも知らせてしまいます。

次第に情勢は変わっていきます。女房のおふじは、頼朝の命を狙う伊藤祐親の娘の辰姫だったのです。辰姫は父に背き夫頼朝の平家打倒源氏再興の志のため、夫と政子との結婚を許します。ところが、納得していたはずの辰姫は夫と政子の仲に嫉妬の炎を消すことが出来ず、その苦しみを髪を梳きつつ長唄『黒髪』で表現します。ついに嫉妬心は、頼朝に託された三鱗を池に捨てようとしますが、三鱗が手から離れなくなってしまいます。その妄執を文覚が祈り消しさり三鱗を手から放してやります。

幸左衛門に仕えていた下男六助(亀寿)と大家・弥次兵衛(團蔵)は祐親側の家来で頼朝はこれらの人々を倒し、北条時政(勘九郎)を迎え、文覚から平家討伐の院宣も手渡され、目出度く源氏の旗揚げとなるのです。

色好みの幸右衛門の柔らかさと頼朝の武士としての緊張感を松緑さんがおもいのほか大きく変化させ面白さをだされた。姫としての政子の七之助さん、それを補佐する清滝を児太郎さんがこれまた貫禄を出して受け、勘九郎さんは清左衛門と文覚の台詞まわしがよく、北条時政の引き締めた雰囲気がよい感じです。

すべての人が実はとすっきりと変わる中で、時蔵さんがおふじから黒字の着物の辰姫となり荒れ狂う妄執が表出されることによって、人間の一筋縄ではいかない感情が彩りを添え芝居にひねりをいれてくれます。

長唄舞踊『黒髪』の原点がこの作品にあったとは。この作品は江戸庶民文化の円熟期の時代、1760~1800年頃のもので<天明調>といわれるらしい。

四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』は、伝馬町の牢内の様子がわかり、これを愉しみにされている観客の声をききました。個人的には、観ているので一度観ればよいかなという感じでした。ただ、菊五郎さんが歌舞伎座で富蔵を演じるのは20年ぶりということですので、この年代の方々が中心になって演じることはすぐには無いでしょうから、次の世代がしっかり江戸の風俗のひとつとして継承する大切な機会ともいえます。

黙阿弥さんが、実際にあった江戸城の御金蔵破りを題材として、牢の様子も実際に関係していた人から資料を手にして書かれ、当時の江戸っ子の評判となったようです。

野州無宿の悪党・富蔵(菊五郎)が主筋の浪人藤岡藤十郎(梅玉)さんと会い、江戸城の御金蔵破りの話しを持ちかけ実行し成功します。ところが、ふたりともそれぞれ捕らえられて小伝馬町の牢に別々にいれられてしまいます。富蔵は入った大牢で二番手として勤めますが、磔刑ときまり、囚人たちのお題目におくられて出牢します。藤十郎もまた磔刑のため出牢し、ふたりは顔を合わせるのでした。

御金蔵破りという大盗賊なのですが、御金蔵破りの場面はありませんので、悪の感じの薄い、富蔵と藤十郎の人間性を見せる白波物といった感じです。とにかくこの芝居に出演される役者さんの数が多いのです。一同にこれだけの役者さんが揃うのがみどころともいえます。

扇獅子』は鳶頭の梅玉さんと芸者の雀右衛門さんで艶やかにあっけなく終わってしまいました。

久しぶりの一幕見でした。やはり二回観ると筋が頭の中でしっかりします。

 

国立劇場 新春歌舞伎 『しらぬい譚』

国立劇場の新春歌舞伎は『通し狂言 しらぬい譚(ものがたり)』でした。

さてお話は・・・いえいえ書きません。テレビ放映があるようですので。

「プレミアムステージ」(NHK BSプレミアム)
放送予定日:2月6日(月)0:00~2:55《5日(日)深夜》

私も録画します。そして、上演台本を購入していますので、一言、一言、チェックすることにします。それは冗談ですが、とても判りやすい内容です。ちょっと物足りない感じでした。もう少しひねってくれてもよかったかな。役者さんが揃っておられるのに少しもったいなかったです。

歌舞伎に馴染のないかたは、海底の様子から始まり、化け猫が出てきたり、菊之助さんの宙乗りがあったり、乳母が、育てた若様に恋狂いしたりと、驚き桃木山椒の木状態かもしれません。気軽に観られれば良いとおもいます。

個人的には、人が合体して、北斎さんの寄せ絵のように猫の顔を作ったのですが、その動きを映像でしっかりとらえたいと思っています。

左近さんの名前があったのですが、なかなかでてこなくてどうしたのかなと思っていましたら、最後に居並ぶ面々のなかでともにしっかり収まっていました。竹松さんは足利家の家臣として萬次郎さんの指図に従っていましたが、『あらしのよるに』のはくがぴったりだったなあなどと思いつつ、のんびりとお正月気分での観劇でした。

今年は、竹の子の伸びの速さが思われる新春歌舞伎でした。と言っているうちに早、もう少しで如月となります。

 

新春浅草歌舞伎『傾城反魂香』『吉野山』『角力場』『御存 鈴ヶ森』『棒しばり』

浅草公会堂は、声を張ると響き過ぎるということに気がつきました。

傾城反魂香』の又平のおとくの壱太郎さんの声。『角力場』の放駒長五郎の松也さんの声。響き過ぎて、情や稚気さが壊れてしまうのです。この書き方の雰囲気では何か注文を出しそうと思われるかた、浅草歌舞伎に出演役者さんのファンのかたは読まぬが花です。

『傾城反魂香』は、吃音の障害をもった絵師といってもまだ弟子の段階ですが、又平というものが、死を覚悟して師匠の家の庭の手水鉢に自画像を描きます。その絵が描いた側から反対側に抜けて、反対側にも描かれていたというお話です。そして目出度く画家として、土佐の名前をゆるされ、土佐の又平光起と名乗ることを許されるのです。

その前に弟弟子が、絵から抜け出て来た虎が草むらから顔を出し、それを絵筆にてかき消して兄弟子の又平より先に土佐の名前をゆるされますが、『雙生隅田川』では絵から鯉が池に逃げ込んだりと、どちらも近松門左衛門さんの作品です。

又平のモデルは、岩佐又兵衛という江戸初期の絵師で、そういえば今、出光美術館で『岩佐又兵衛と源氏物語』を開催しています。

岩佐又兵衛に興味のある方は 映画『山中常盤』 もどうぞ。

歌舞伎にもどって、この又平(巳之助)を支えているのが女房・おとく(壱太郎)で、又平が上手くしゃべれない分、ぺらぺら自分でもしゃべりすぎたと弁解するほどなんですが、壱太郎さんの声が響きすぎて、竹本に乗るところを邪魔してしまいます。師匠にも見捨てられたとして二人でもう死のうというとき、又平の手をとり、<手も二本、指も十本なのに、どうして不具になったのでしょう>というところが嘆きではあるのですが、押さえて欲しかったです。しみじみさが欲しかったです。個人的好みではありますが。

巳之助さんは、名前をもらって姫君を助けに行きますが、そのために師匠から裃と刀の大小を貰い着替えます。着替える時、黒御簾の音楽にのせてリズム感をもって喜んで着替えるのですが、ここの喜びを押さえ着替え、大頭(だいがしら)を舞う時に愛嬌をみせていました。これは巳之助流なのかなとも思いました。ただ、大頭のところは役者の大きさを見せるところですから、いつかは、そこらあたりを検討してもらいたいです。又平の苦悩、それを支える女房とお二人の息はあっておられました。

土佐将監光信(大谷桂三)、将監北の方(中村歌女之丞)、土佐修理之助(中村梅丸)

角力場』ですが、先ず錦之助さんはつっころばしの与五郎役者さんでこの役の柔らかさと可笑しさはぴかいちです。今回は濡髪長五郎ですが、やはり与五郎をやりつつも、濡髪長五郎の役も自分なかにおさめられていたのですね。違和感なく、顔の作りの茶の色の線が綺麗に顔に映えていました。声もよく、それに対する松也さんの放駒長吉の幼さを出す台詞の伸ばし方の語尾が響きすぎで、錦之助さんの台詞とのバランスが崩されてしまいました。

長吉の濡髪に対抗する幼さを表現する演技は上手いですので、声をのばして張り上げなくても充分だと思います。それと、力士ですので、つま先で腰を下げる姿勢で贔屓の話しを聞いたりしますが、どこで膝を下につけてよいのかはわかりませんが、染五郎さんは、贈答の口上のときもずーっとつま先でお礼の時もその姿勢で、そうかそうするべきなのかと思ったのですが、このあたりどうなんでしょうね。ただ、松也さんは、もう少し踊りの下半身をしっかりさせたほうが良いとおもいます。踊りのときの足の美しさに影響するとおもいます。『吉野山』の忠信の屋島の戦さ物語の部分でも感じました。静御前の壱太郎さんとの男雛女雛は絵になっていました。巳之助さんの早見藤太は真面目な中での可笑しさがよかったです。

隼人さんの与五郎もやはりまだですね。この役難しいということがよくわかりました。『御存 鈴ケ森』の白井権八は良かったです。これは、やはり国立劇場での『仮名手本忠臣蔵』の力弥の形を身体に取り込んだためとおもいます。立ち廻りの姿勢も若者の姿が崩れずにできていました。この演目好きではないのですが、錦之助さんの番隨院長兵衛ともども、バランスの良さで楽しませてもらいました。若い役者さんの中に入ると、やはり錦之助さんは先輩たちから盗まれてこられているのだなあと思わせられました。そういう陰の差が観ていて彷彿としてきて面白かったです。

棒しばり』は松也さん、巳之助さんコンビで若さの勢いのおかし味はありますが、まだまだ踊り込んで欲しいですね。隼人さんも加わってバランスはとれていましたが、可笑しさのみの味わいのない身体でした。

梅丸さんは、基本形で今のうちにひとつひとつひとつ身体に身につけ先輩たちの演技を盗んでほしいです。

若手の役者さんは、今様々なことに挑戦されていてお忙しそうです。若さゆえに初めて見る若いお客さんを集客していると思いますが、見栄えの内容的可笑しさだけでなく、芸の可笑しさになるような練習時間をとって欲しいものです。

個人的芝居の好みの感想です。

 

 

新橋演舞場 壽新春大歌舞伎 ~ 三代目市川右團次、二代目市川右近襲名披露~  夜の部

義賢最期』は、立ち回りに<戸板倒し>があり、義賢の最期が<仏倒れ>で終わるので、アクロバット的な趣向があるとして上演され続けてきた感じがありますが、それだけではないと思います。

平家の時代、源義明と木曽義賢兄弟は、兄は破れて亡くなっており義賢は平家側につき今は病で屋敷に引きこもっています。その義賢(海老蔵)に、平家から白幡の詮索があり本当に平家側なら兄・義明のしゃれこうべを踏んでみろと言われます。義賢は踏めません。義賢にとって、肉親と源氏の御印の白幡両方が等価値なのです。この人には、屍を踏み越えて進むような道は自分の中にはないのです。自分は屍となって託す側になるその道を選ぶのです。

その義賢の生き方の壮絶さが<戸板倒し>であり、<仏倒れ>なのだと、海老蔵さんの義賢から感じました。声の押さえ方、苦悩の見せ方、下部折平を源氏側の多田蔵人(中車)と見抜き白幡を見せる場面、娘・待宵姫(米吉)を去らせる親心、白旗を託す小万(笑三郎)とのからみ。小万は、義賢の最期の壮絶さで白幡を守るべきは自分しかいないと思わされてしまうのです。このあと「実盛物語」へと続くためには、これだけの仕掛けがないと収まりがつかないだけの『源平布引滝』というお芝居だったのだろうと思ってしまいました。

義賢の海老蔵さんと折平(蔵人)の中車さんの台詞のトーンも海老蔵さんが受けるかたちでバランスよく収まりました。折平の女房・小万の笑三郎さんは義賢を気遣いつつも自分の役目をもしっかり受けとめられていました。

お腹に義賢の子を宿す葵御前(右之助)と義理の待宵姫(米吉)の関係、待宵姫が折平を想いそこへ、折平の女房と子どもと舅(市蔵)が現れての関係などが織り込まれていますが中心は義賢の生き方です。

梅玉さんだけが裃の色が違うという引き合わせで『口上』がおこなわれました。ここで知ったのですが、柿色の裃の姿も可愛らしい新右近さんは6歳とのことでした。千穐楽まで頑張ってください。そして、右之助さんのお祖父さんが二代目右團次さんだったのです。浮世絵にもありましたのでもっと昔のかたと思っていましたが、右團次さんの名前が復活して、広く知られるということは喜ばしいことです。どこかでまた古いものの中で名前を見つけたときには親近感がわきます。三代目猿之助さんのもとで修業された心構えで、三代目右團次さんは一層頑張られることでしょう。

錣引』は、これまた源平の争いなのですが、平家の悪七兵衛景清(右團次)と源氏の三保谷四郎国俊(梅玉)の一騎打ちを見せ場としています。三代目右團次襲名披露狂言としていて、動きの速い立ち回りのイメージのある元右近さんとは違う、様式美の立ち回りということで、梅玉さんと組まれたことで、違う息を学ばれている様子でした。こういう動きで美しさを見せるのも難しいものだと思いながら観ていました。

この前に、平家の三位中将重衡(友右衛門)らがの摂州摩耶山への戦勝祈願にやってきます。源氏の次郎太(九團次)は待ち構えていて平家の重宝を奪おうとしますが、伏屋姫(米吉)との取り合いになり谷底に落としてしまい、そこに、名を変えた景清と四郎国俊がいて、後日一騎打ちとなるのです。『平家物語』から黙阿弥さんが考えたらしいのですが、一幕なので深くはわかりません。『平家物語』十一段目の<弓流し>のところのようですが、三保谷四郎国俊の名はないのです。

その他、寿猿さんの平経盛、家橘さんの天井寺住持。

黒塚』は、四代目猿之助さんの『黒塚』として定着してきたかなと思わせられます。舞台装置や照明の感じなど、単なる奥州の安達ケ原の鬼女としてではなく、この老女にも違う人生があったのではないかとふとそんな気にさせられました。老女・岩手は自分ではもうこの状況から抜け出せません。

ところが、熊野からやってきた阿闍梨祐慶(右團次)と山伏大和坊(門之助)、山伏太郎坊(中車)に頼まれて糸を括りながら唄を聞かせ話をし、今の自分ではない自分に立ちかえることができます。その喜びを一人山のなかで表現する姿は月のあかりも優しく、影も喜んでいます。しかし、それは束の間でした。住まいの一間に隠した自分の拭いがたき今の鬼女である本性を強力(猿弥)に見られてしまうのです。逃げる強力からそれを知った老女は、あの月の下の老女は跡形もなく鬼女の恐ろしさだけが姿をあらわします。

鬼女と阿闍梨と山伏の祈りとの対決となります。

猿之助さんは静かに山道を歩きつつ次第に柔らかくゆっくりと人としての喜びを踊りであらわしていきます。そして一変、鬼女となって今までの姿の微塵もないその対極をみせます。そのことによってこの老女の哀れささえ感じさせます。

右團次さんと門之助さんはこの作品を知り尽くしているので、猿之助さんの鬼女に対します。中車さんが、驚いたことに遜色ない山伏の動きとなっていました。まだであろうと思っていましたのに。この公演でこの身体は覚え込まれるでしょう。ひとつひとつ体得されている感じがします。猿弥さんはどうしてあの巨体でこんな柔らかさと動きができるのかと不思議に思う軽妙さです。この作品に効果的なエッセンスを振りまいてくれました。

 

新橋演舞場 壽新春大歌舞伎 ~ 三代目市川右團次、二代目市川右近襲名披露~ 昼の部

新橋演舞場の新春歌舞伎は、市川右近さんが三代目市川右團次を、子息の武田タケル君が二代目市川右近を襲名のお目出度い公演です。

雙生隅田川(ふたごすみだがわ)』は、隅田川物といわれるものの一つで近松門左衛門さんの作品です。と書きつつ、チラシの内容を読んでいませんでしたので、新右近さんが二役で、出番の多いのには驚きました。そして宙乗りもされて、その落ち着きぶりには何ということであろうかとあっけにとられてしまいました。初舞台でもあります。

近江の国の吉田家が、帝から山王権現二十一社の鳥居建立の命をうけます。そのために比良ケ嶽の杉の木を伐り出したところ、そこに住む天狗が怒り、当主の吉田少将行房(門之助)は病となり、次郎天狗(廣松)とお家を狙う勘解由兵衛景逸(猿弥)が手を握ります。吉田家の跡取りは双子で、松若丸(市川右近)は別のところで育てられ父の見舞いに屋敷に姿を見せますが天狗にさらわれ、少将は殺されてしまいます。

どうにか梅若丸(市川右近)が吉田家の家督相続を許され母の班女御前(猿之助)や局・長尾(笑三郎)も安堵します。悪賢い勘解由は、一計を案じます。

朝廷からの預かり物の「鯉魚の一軸」の中の鯉に眼を入れて鯉が絵から飛び出すかどうかを梅若丸にためさせます。そそのかされて梅若丸が眼をいれると、絵の中の鯉が池に飛び込んで逃げてしまいます。困惑する梅若丸は、勘解由に一時的に身を隠すよういわれ屋敷から去ります。そして人買いの淡路の七郎(右團次)のもとで折檻されて亡くなってしまうのです。

狂乱しつつ子供を探す母の班女御前は、程ヶ谷から隅田川までたどり着きます。ここで隅田川が出てきます。対岸には筑波山が見えています。北斎さんの『隅田川両岸景色図』にも筑波山が描かれていました。母は子の死を知り悲しみにくれます。

<ふたご>とありますが、では松若丸はどうしたのか。実は人買いの淡路の七郎は、もと吉田家の家来・猿島惣太といい、傾城狂いからお家のお金を使いこみ、吉田少将に命は助けられ、傾城の唐衣(笑也)と下総で人買いになっておりました。惣太は唐衣にも内緒で、主人の恩に報いるため使ったお金の一万両をためていたのです。主君の子とは知らず、梅若丸を十両で売れば一万両となるのです。あと十両とのおもいが梅若丸をとんでもないことに死なせてしまいます。

捜し訪ねて来た県権正武国(海老蔵)の前で事実を知らされ、惣太は貯めた小判をまき散らし悔やみます。その一念は切腹して七郎天狗となり、隅田川の班女御前の前にさらわれた松若丸を連れてきます。喜ぶ親子。七郎天狗、松若丸、班女御前は、宙乗りで、急ぎ吉田家目指して飛び立ちます。

逃げた鯉は奴軍介(右團次)が見つけだし、絵に戻すべく本水で「鯉つかみ」の奮闘の場面となり無事鯉は絵にもどり、絵は松若丸の手にしっかりと手渡されます。

三代目猿之助(二代目猿翁)さんが築かれたものが、新しい世代に手渡された瞬間でもあります。

右近さんの出番が多いのわかってもらえるでしょう。絵の中の鯉のように、しっかり芝居の中に入り込んでいました。そして、宙乗りで跳ねられました。

猿之助さんが、隅田川での母の嘆きを丁寧に表し、海老蔵さんが脇にまわり芝居に厚みを加えられました。

中車さんは、台詞を慎重に工夫しつつ言われているのためでしょうか、瞬きの多いのが少し気になりました。門之助さんと猿弥さんは澤瀉屋ならこの人でしょうの持ち役です。笑三郎さんの局も安心して観ていられる役どころです。

笑也さんが、国立劇場の『仮名手本忠臣蔵』で一層身体的にも心根もしっかりされてきました。それと同じように、米吉さんも、国立劇場の経験から独り立ちしたようなそんな感じを漂わせていました。男女蔵さんは浅草歌舞伎からどんどん遠のいての惣太の父役で渋さを増してきました。廣松さんまだ悪になりきっていず、弘太郎さんも悪役としては今回甘いです。

芝居の流れは、台詞で説明するようにした部分もありますが、台詞がはっきりしていてよく聞き取れ判りやすくなっており、何より三代目市川右團次さんと二代目市川右近さんの親子共演の襲名公演としてたっぷり楽しめる演目となりました。

 

歌舞伎座 壽初春大歌舞伎『将軍江戸を去る』『大津絵道成寺』『沼津』

将軍江戸を去る』は、徳川慶喜が朝廷に大政を奉還し、江戸を去り水戸に退隠するという時、人としての慶喜はどうであったろうか、そして周囲の人々はという想いで書かれたのであろう。

ここで慶喜に体当たりするのは山岡鉄太郎です。東京都江戸東京博物館で『山岡鉄舟生誕180年 山岡鉄舟と江戸無血開城』を昨年の夏開催していたのですが観はぐってしまいました。西郷隆盛と勝海舟の会談の前に、鉄太郎さんは、駿府で西郷さんと会われていて、ここでほぼ根回しはされていたと言われてもいます。JRの静岡駅と静岡鉄道の新静岡駅の間にある旧東海道にも<西郷・山岡会見跡の碑>がありました。

そうした行き来のあと、いよいよ慶喜さんは、寛永寺の末寺大慈院から明日水戸へ向かう予定です。ところが、慶喜がそれを延期するというのです。鉄太郎(愛之助)はあわてて駆けつけますが、血気盛んな彰義隊が中へいれません。この血気盛んな人々を男寅さん、廣太郎さん、種太郎さん、歌昇さんらが、いつでも一戦交えるという意気込みを表し、場合によっては、江戸が火の海になったであろうことを想像させます。

それらを押さえたのが、鉄太郎の義兄・高橋伊勢守(又五郎)です。先ず、伊勢守が慶喜(染五郎)に会い静かにどういうことでしょうか尋ねます。鉄太郎は、慶喜から許可が出るまで、慶喜に聴こえるように、側近に大声を出し談判します。慶喜は、鉄太郎をそばに呼びます。

ここからが、鉄太郎の愛之助さんの弁舌です。自分も時代の流れの中で主張を修正しつつ今の考えにいたったのだとしつつ、慶喜の今の考えでは徳川家が一代官となったことにはならないと説くのです。慶喜にも思うところがあり、染五郎さん時として語気を強めますが、個人を押し殺すように押さえます。結果的にその後に乗り込んでくるのは薩長ではないかという疑念を上手く覆い隠し、江戸を戦火にしてはならないという江戸の民への想いに至らせるのです。

千住大橋の場となり、鉄太郎が駆けつけ失礼にもべらべら申し上げましたがという感慨も含めて「そこが江戸の地の果てです」といい、慶喜が、「江戸の地よ、江戸のひとよ、さらば」の言葉を発し、前に進み少し心が残るように身体を江戸に向けるところは、じーんときます。<江戸>とした真山青果さんの上手いところです。

大津絵道成寺』は、大津絵に描かれている、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、鬼の五変化で、愛之助さんが勤めます。『京鹿子娘道成寺』と重ねています。道成寺を三井寺に変え、鐘の供養を頼むが白拍子ではなく藤娘で、受けるのが坊主ではなく、七福神の外方(げほう・吉之丞)と唐子(からこ)です。曲がそのまま『京鹿子娘道成寺』で、五変化にするためのお化粧のためか、藤娘のときに眼が大きく愛いらしさが損なわれるのが残念でした。どうしても五変化のほうに力点がいきがちで、大曲とのぶつかりあいの踊りがが薄まってしまうのも寂しいです。当時の旅人のお土産の絵の中からでてくるという軽い楽しみ方をすればよいのかもしれません。愛之助さんは力まずに大奮闘です。

歌昇さんが弁慶で現れたり、染五郎さんが矢の根の五郎で現れたりとお正月らしい賑わいです。種之助さんが愛之助さんが座頭のとき犬で登場します。初演がお正月だったかどうかは分かりませんが、今年も歌舞伎を宜しくのような、河竹黙阿弥さんの作品です。今月の愛之助さんは八役演じることになります。

沼津』は、長い狂言『伊賀越道中双六』の脇筋です。呉服屋十兵衛が、旅の途中で出会った老人が自分の父で、妹の夫が狙う敵が、十兵衛の恩顧にあたる沢井股五郎であり、せっかく親子が会いながらも別れが待っているという家族の情愛からおこる悲劇です。仇討というのは悲劇の連鎖反応でもあるんですよね。

沼津の茶屋で、鎌倉からきた呉服屋十兵衛(吉右衛門)は年老いた平作(歌六)から荷物を運ばせてくれと頼まれてまかせますが、平作はつまずき爪をはがしてしまいます。十兵衛は効く薬があると薬をつけてやると、たちまち痛みがなくなります。

途中で平作も娘と会い、十兵衛は娘・お米(雀右衛門)の美しさから荷持ちの安兵衛(吉之丞)を先に行かせ、平作の貧しい住まいに泊まることにします。十兵衛は娘お米を嫁にしたいともちかけます。ところが娘には夫があり、十兵衛は失礼なことを言ったと謝り、皆寝につくのです。

お米の夫は和田志津馬で沢井股五郎を仇としているのですが怪我をしていて、父の怪我が治した薬が欲しくて十兵衛から薬を盗むのですが、十兵衛に見つかってしまいます。謝り娘を叱る平作の言葉から、十兵衛は平作が実の親で、お米は妹で、仇とするのが、自分の恩顧の人であることを知り、お金と薬を託し早立ちするのです。

十兵衛が去ったあとに、平作はわが子と知り、沢井の行先を聞き出す為千本松原で十兵衛に追いつきます。そして、平作は自分の命をかけ十兵衛の刀で自刃し、その親の姿に十兵衛は忍んでいるお米と、共に沢井を追っている池添孫八(又五郎)に聴こえるように、沢井の行先を告げるのです。

始めの出会いでは何も知らない老人と若者の交流がゆったりと流れ、娘を気にいったほのめきがやがてどこへやら、三人の関係はどんどん暗闇のなかで下降していきます。そして、家を去るとき十兵衛は差し出された提灯の裸ロウソクの炎で平作を照らし、「吉原までこのロウソクで足りるであろうか」と尋ねつつじっとみます。これが今生の別れと思ってのことです。このあたりの、小道具を使っての細やかな台詞に、歌舞伎ならではのリアリルさを感じます。提灯は、安兵衛が主人のために置いていったのです。薬といい、きちんと計算されて話しの流れが出来ています。

こうした運命の下降していくなかで、親子の情の絡み合いの機微を息の合った台詞の行き来で、吉右衛門さんと歌六さんが伝えてくれ、その二人のやりとりに手を合わせる妹の雀右衛門さんでした。

仇討のほうの『伊賀越道中双六』は、三月国立劇場で、平成26年に44年ぶりに上演された再演となります。