新橋演舞場『舟木一夫特別公演』(2)

至極気ままなな小吉さんを舟木さんは楽しんで演じられていた。

武士ではあるが、気ままに生きており、江戸の市井の人々との交わりのほうが多いのであるから、どの方向性の台詞でいくかは難しいところではある。小吉さんの父(北町嘉朗)や兄(林啓二)等との対応の時とやくざに対するときの違いがもう少し台詞の調子の上で明確になったほうが、小吉さんの人としての面白さも増したように思う。座敷牢の場面は、喜劇性が加わりどんな時にもへこまない小吉さんとして良い場面となった。

気がつかなかったが、右腕を故障されたということであった。立ち廻りにはそれは影響していなかった。着ている女物の小袖を使ったり、当て身であったり、きちんと刀を返されて峰内ちであったりと基本は崩されてなかったと思う。千穐楽であるから息もあって、周りのかたがそれとなくカバーされていたのかもしれない。こういうときにやられ役の役者さん達の判らないところでの技の使いどころである。

小吉さんとほどよいコンビの英さんが、新派の女形をたっぷり久しぶりに見せてくれた。葉山さんは、おばばさまから小吉さんを解放し、出かけて行く小吉さんをうっとりと見つめ、密かな自負と爆発の心意気をみせた。

水谷さんは、小吉さん対抗する憎まれ役を貫禄をもって貫き通し、孫可愛さの祖母の弱さを上手く露呈させた。

林与一さんは小吉さんとのあうんの呼吸で、美しい立ち廻りにも花をそえられ、乞食のあにさんから顔役への変化がいい。曾我廼家文童さんが易者の口上など大阪弁の話術を上手く使い、場面転換のきっかけもつくり、風邪もまき散らしていたような疑いあり。

笹野高史さんがテンションアップのナレーションで、小吉さんのきままぶりを呆れつつも結果的にはあおりたてていた。

コンサートは、<雨>がテーマだそうで、舟木さんの持ち歌ではない歌であった。舟木さんがこだわっての並べ方のようである。ラストの「思案橋ブルース」「長崎は今日も雨だった」が印象に残っている。アンコールが、舟木さんも名曲ですと言われていたが「黄昏のビギン」である。この歌はいい。ちあきなおみさんの声のが好きなのであるが、舟木さんのも悪くなかった。好きな曲が聴けて満足である。

さて、本所といえば、本所の銕こと長谷川平蔵さんがいる。時代的な関係を調べたら、長谷川平蔵(1746~1795)、勝小吉(1802~1850)で、平蔵さんが亡くなって七年後に小吉さんが生まれている。勝海舟と西郷隆盛の薩摩屋敷での会談が1864年で、小吉さんが亡くなって14年後である。

本所という場所の空気が両国橋を渡ることによってお江戸とは違う型破りな人物を生み出したのであろうか。そして勝小吉さんも一つの時代の申し子だったというふうに言えるであろう。

12月14日の夜から朝にかけて両国から泉岳寺まで歩いたが、両国の吉良邸跡と小吉さんが住んで居て麟太郎君の生まれた場所は近い。両国橋の本所側と日本橋側には江戸時代には広小路があり賑わっていた。小吉さんもこの辺りで露店を開いたのかもしれない。

かつて両国橋はもっと川下にあった。闇歩きは両国橋下に行き、かつての橋の架かっていた場所へゆく。雲が多く、月の明かりは無い。左手上に現在の両国橋。前方には柳橋の灯りが見える。写真でみると川面に映る柳橋の灯りの色が実際よりきつい色になってしまった。柳橋は小吉さんのこれのあれのこれとわけあり場所である。

新橋演舞場の帰りに築地の市場から汐留まで歩いた。赤穂義士の道である。築地市場は来年は豊洲に引っ越し、今年が最後の年末である。銀座周辺からまた一つ歴史が消えてしまう。早朝3時前に築地市場のそばを歩けただけでも良かった。引っ越しまでに何回行けるであろうか。

江戸を出奔するたび、小吉さんは、浜松町の金杉橋からは旧東海道を通ったことであろう。そして後に自分の息子が江戸を守るために西郷さんと会談する場所などとは知らずに通過していたのである。もしかして、足跡をつけていたのであろうか。無意識の行動。

作・斎藤雅文/演出・金子良次/出演・舟木一夫、林与一、葉山葉子、北町嘉朗、林啓二、山内としお、坂西良太、小林功、真木一之、川上彌生、山吹恭子、矢野淳子、長谷川かずき、曾我廼家文童、英太郎、水谷八重子

 

 

新橋演舞場 『舟木一夫特別公演』(1)

『-巷談・勝小吉ー 気ままにてござ候』  千穐楽には、二部のコンサートが、それまでとは違う歌の構成との情報を得て、千穐楽の昼を予定にいれた。

芝居のほうであるが、勝小吉という破天荒の実在人物をモデルにしているが、昔ながらの痛快娯楽時代劇にしたかったようである。

小吉さん(舟木一夫)の周りには三人の女性がいる。まだいるらしいが姿は見せないので一応三人としておく。乳母のお熊さん(英太郎)と女房のお信さん(葉山葉子)とお信さんの祖母の環さん(水谷八重子)である。男谷家の三男坊の小吉さんは、お信さんと環さんの勝家に養子に入ったのである。三男坊であるから貧乏御家人といえども当時としてはありがたいことである。

ところが小吉さんは全然ありがたいなどとは思わない。自分の思うままに行動するのみである。そんな小吉さんを無償で後押しするのがお熊さんで就活のための挨拶廻り、吉原遊び、露店の道具売りの店番と、お坊ちゃまの行くところどこまでもついて歩く。さらには座敷牢の鍵までも手に入れて小吉さんに渡してしまう。

女房のお信さんは勝手気ままな小吉さんが好きであるが、いつもその想いは信用されすぎてか、置いてきぼりである。時には、我慢にも限度があって行動にでるが、また、置いていかれる。

祖母のお環さんは、勝家を立て直して欲しいと思って養子に迎えたのであるから、気ままな小吉さんなど気に入るはずもない。小吉さんのことを、散々あしざまに怒鳴り散らす。ところが、天はこの人を見捨てなかった。いや鎮まらせようとしたのか、優秀な孫を与えてくれたのである。

外での小吉さんは喧嘩三昧である。放浪時代に知り合った乞食のあにさん(林与一)と偶然にも喧嘩の場所であう。さらに、乞食のあにさんは吉原から両国へと渡り、言い顔役になって小吉さんと再会する。お互いに心の内はわかっているが、刀を持つと勝負したくなる性分である。

そんな男の世界にもお環さんは薙を持って介入する。丸く治めるのが8歳になった孫の勝麟太郎少年である。自分の着ている将軍家から拝領の葵のご紋の羽織の前に皆をひれ伏せてしまう。さらに麟太郎少年、おばあさまの心をしっかり掴んでいて、自分の父母の小吉さんとお信さんのまだであった祝言の許可をおばあさまから取り付けるのである。

小吉さん柄にもなく、未来を知っているのかどうか、俺の好きなお江戸を守ってくれよと麟太郎少年に託すのである。

麟太郎少年賢いので、自分がおばあさまのそばに居れば勝家は丸く治まっていると知っている。そんな孫が可愛くて イヒヒヒ と満足の環さんである。

桜の下で小吉さんとお信さん、皆に祝福され目出度く祝言となります。ここで芝居は幕ですが、あの小吉さんのこと、お信さんまた置いてきぼりにされる予感がしないでもありません。

劇団民藝『根岸庵律女ー正岡子規の妹ー』

司馬遼太郎さんの本に『ひとびとの跫音』という作品がある。正岡子規さんについて書かれていると思ったら、その妹・律さんの養子で正岡家を継いだ忠三郎さんのことを書いた本であった。

当然、律さんのことも書かれているが、律さん自身が余計なことはしゃべらないタイプのかたで、忠三郎さんはそれに輪をかけて子規さんのことも自分のことも語らず書かず、遺品等の資料はきちんと保管していたかたである。

司馬さんは、文字としては何も語らなかった忠三郎さんの友人や身辺の人々のなかの忠三郎さんを探り出し、これといった社会的な活躍などはなかったが不思議な魅力を持っている人物として描かれている。

律さんにしろ、忠三郎さんにしろ、子規さんに対し、情の押し売りなどはせず自分たちの位置を、死後の子規さんの飛び立つ自由空間の妨げとはならないところへ置いた。このことが、かえって多くの人に子規を解き放させている。子規を抱え込むこともなく、家族の世間的情をひけらかして汚すこともしなかった。

そんな律さんを主人公とした舞台である。

脚本は小幡欣治さんである。初演の時、律を演じた奈良岡朋子さんが、今回は子規の母の八重さんである。司馬さんによると母の八重さんは、子規の名前の升(のぼる)をノボさんと、律をリーさんと呼んだとある。奈良岡さんの<ノボさん><リーさん>と呼ぶのが、芝居の中で良い響きをしているのである。

事実をどう脚色して脚本にし、その本をどう演じ、どう芝居として完結するのかが楽しみであった。

場所は東京の下谷区上根岸の子規の家である。ここで子規は多くの俳句仲間と新しい俳句を模索している。中でも、松山での後輩・河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)がよく顔をだす。子規は、結核菌が骨髄に入りカリエスになってしまう。その看病を最後までし続けたのが母の八重と妹の律である。

妹の律は三つ年上の兄が子供時代泣き虫だった頃から体を張って兄を守護してきた。二回結婚しているが別れて、兄の介護をテキパキとこなすが、兄には気が利かないと怒られる。それでも、律は兄を守るのが自分の当たり前のことと思っている。

仲間と議論をし、子規の外の世界に対する関心や俳句に対する思いは、病魔に侵されても絶えることはなかった。しかし酷い痛みの発作が続く。それに対しては八重もどうしてやることもできず、「ノボさん収まるのを待つしかない。」としか言えないのである。

子規は自分が死んだ後の母と律のことを心配しつつ、ヘチマの句を三首残して亡くなってしまう。しかし、律は負けてはいなかった。共立女子職業学校に通い、そこで裁縫の教師となるのである。そして正岡家を継いでもらうため養子をもらうことを決める。

養子の雅夫は、正岡家を避けるように仙台の高等学校へ行ってしまう。そこで、俳句を始める。ところが、律はそれを許さない。俳句は世襲でできるような仕事ではないという。律にとって、子規を超えることなど不可能なのであるから俳句は子規一代でよいという思いがある。つまらない形で、子規を汚してもらってはならないのである。

雅夫は承知する。その代り、大学は京都に行かせてくれと頼む。せっかく一緒に住めると思っていたが、律は承諾する。雅夫も自分で考えて決めたのだから大丈夫だと伝えお互いに納得する。

母の八重が、ヘチマの棚に飛ぶ蛍に「ノボさんあんたが悪いのよ」とつぶやく。

律は一本気でもあり、融通もきかず、意味のない子規の歌碑建立なども断ってしまう。そんな律に八重は何かあると「リーさん」と声をかけつつも静かにその場から姿を消す。律が律でありつづけることによって、正岡の家も死後の子規も保たれるのを知っているのである。

母・八重さんが呼んだ「ノボさん」と「リーさん」がよく描かれており、役者さんもしっかりした演技力である。『大正の肖像画』といい、民藝はこうした芸術家や文学者などをしっかり演じられる劇団である。

現在残っている<子規庵>を再度訪れた。まだヘチマが幾つか枯れずに残っていた。子規さんが寝ていた部屋のガラス戸は、外が見えるようにと門人仲間が障子をガラスに入れ替えた。さらに昭和20年の空襲で焼失するが、門人等の尽力で昭和25年に当時のままの姿で再健される。舞台をみていたので、八重さんと律さんの動きが思い出され、実際に住んでいた動線もより明確に想像できた。

正岡子規さんは34歳11か月で亡くなっている。

演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子、中地美佐子、齋藤尊史、大中輝洋、桜井明美、吉田正朗、横島亘、和田啓作、前田真理衣 、その他

三越劇場  12月19(土)まで

 

 

劇団民藝 『大正の肖像画』

新宿区落合三記念館散策  この散策で、画家・中村彝(なかむらつね)さんを近く感じることができ、劇団民藝公演『大正の肖像画』も忘れずに観ることができた。

肺結核が死の病の頃で、多くの美術家が若くして亡くなっている。中村彝さんはそうした人々の中でも、20年間病と共存しつつ、かつ肉体の中に潜む病と精神の分離との葛藤と闘いつつ画布に向かった人である。その生き方を劇作家の吉永仁郎さんは、大正という時代背景を、中村彝さんを取り巻く人々を通して構成されている。

新宿中村屋サロンの空気の中で絵を描き、中村屋の長女・相馬俊子との愛と別れ、そこに「カーサン」と呼んでいた中村屋サロンの中心的な存在の相馬黒光との複雑な関係を絡めている。

吉永仁郎さんの、相馬黒光さんと中村彝さんとの恋愛感情の設定には、荻原守衛(おぎわらもりえ)さんと黒光さんの関係を反映させ、そのことで芝居にアクセントをつけ、下落合で彝さんの身の回りの世話をしていた、岡崎キイさんという老婦人との対比にもつながる面白さを加えた。

相馬黒光さんは、中村屋の創業者・相馬愛蔵の妻で、本名を<良>というのであり、どうして<黒光>というのか不思議であったが、パンフレットの説明に「女学校時代から、芯が強く向上心のある女性だった。「黒光」はあふれる才気(光)を目立ち過ぎるため少し黒く隠しなさい、と女学校の校長が命名した筆名。」とあり疑問が解決した。

彝さんの絵16枚をスクリーンに映し出し、どういう想いでその絵を描いていたのかの流れも加わり、彝さんの絵を堪能できるようにもなっている。下落合のアトリエに喪服を着た老婦人の絵の題名が「老母の像」とあり、その女性が世話をしてくれていた人で、<老母>としたところが印象的であったが、そのあたりも、吉永さんは最後に締めとしてもってこられた。

<中村彝作品 劇中映写画像>として、その作品がどこの美術館にあるのかを書かれたプリントも配布してくれ、中村彝作品がきちんと紹介されているのが嬉しい。

登場人物/ 中村彝(みやざき夏穂)、相馬俊子(印南唯)、中原悌二郎(小杉勇二)、エロシェンコ(千葉茂則)、相馬良(白石珠江)、大杉栄(境賢一)、神近市子(河野しずか)、宮田巡査(松田史朗)、古川巡査(梶野稔)、山村巡査(岡山甫)、岡崎キイ(塩屋洋子)、相馬愛蔵(伊藤孝雄)

中村彝さんは、水戸藩士の家系で兄二人と同じように陸軍幼年学校に進むが、結核のため退学する。次兄は在学中に事故で亡くなり、長兄は日露戦争で亡くなっているから、病気にならなければ、違う形で亡くなっていたかもしれない。そして絵と出合い、美術家の仲間が出来、生命感にあふれた相馬俊子と出逢うのである。

中村屋サロン美術館に相馬黒光さんが晩年になってからの聞き書き『碌山のことなど』の小冊子があった。芯のしっかりしたかたで、自分の言いたいことは冷静な感性で語っている。碌山とは、荻原守衛さんが、夏目漱石の『二百十日』の主人公の碌さんの自由さに共感して自分に使ったのである。碌山が外国から戻ったとき「先ずかけつけてきたのは、中村彝さん、中原悌二郎、広瀬常吉の三人で、生命の芸術とは何だろうといふわけでした。」とある。作品の中にそのものの本質、命を表出するにはどうしたら良いかを求めていたことが想像される。中村彝さんにとっては、その描く対象も人も俊子さんであったわけである。

それが破れ、実業家・今村繁三さんの援助で下落合にアトリエを持つのである。そしてついに、37歳でその生命は閉ざされてしまう。

新劇の役者さんの細かい手順の演技をみるのも刺激になる。その日常の動きに人物の投影がなされて生命を宿すからである。そこにフィクションがあっても、そういう事があれば、この人物はこう考え、こう動いたであろうと共感できるからである。

11月、友人達が長野善光寺に行っていないから信州方面に行きたいとの希望があり、それでは穂高の「碌山美術館」まで足を延ばそうと思っている。

長野~松本~穂高~福島~山形(1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

長野~松本~穂高~福島~山形(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

『大正の肖像画』公演 新宿・紀伊國屋サザンシアター 10月20日~11月1日

 

函館にある中原悌二郎の墓

 

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旧東海道と『興津坐漁荘(おきつざぎょそう)』(興津宿・江尻宿・府中宿)

暑さの中、一泊二日の三回の旅で元箱根から箱根峠を超えて三島へ、三島から沼津間は歩いているので、沼津から静岡(府中宿)まで到達した。天候と相談しつつであったが、喜ぶべきか、晴れに晴れてくれた。しかしJR静岡駅まで行けたのである。日本橋から19番目の宿である。旧東海道の三分の一まで来た事になる。

17番目の宿興津宿。

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東海道ぞいにあった、『興津坐漁荘』について書く。

興津坐漁荘』は西園寺公望(さいおんじきんもち)さんの別荘である。本来の『坐漁荘』は、愛知の犬山にある明治村に移築された。その後で、興津に復元され、『興津坐漁荘』として公開されているのである。本来の『坐漁荘』に忠実に復元されているらしい。材料が吟味されていながら、これ見よがしの所が無いシンプルな日本家屋である。時間が早かったため、家屋の雨戸などを開けている途中であったのが係りの方が、快くよく見学させてくれ、もう少しすると詳しく説明できる者が来るのですがと言ってくれたが、先を急ぐ旅人ゆえ、簡単な説明で充分に堪能できた。

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『坐漁荘』は、劇団民芸の『坐漁荘の人びと』(2007年)という芝居を観て、頭の中に残っていた。西園寺公望さんという方は、最後の“元老”と言われた人で、政界を退いても影響力のある人であったようだ。しかし国の行方は彼の思うようには行かず憂いを残して亡くなられたようである。

『坐漁荘の人びと』は、昭和10年(1935年)の夏から、昭和11年(1937年)の二・二六事件を通過した、3月までの『坐漁荘』の中での使用人や警備の人々に囲まれた西園寺さんの登場である。視点はあくまで、一般の人々の目線である。

以前奉公していた新橋の芸者・片品つるが坐漁荘を訪れる。そこで、もう一度女中頭として勤めて欲しいと執事に懇願され、引き受けることとなる。新しい女中頭のつるが、奈良岡朋子さんで、西園寺が大滝秀治さんであった。

西園寺さんは、軍部に対しても物申す人で、身辺の危険が心配され、坐漁荘の中は女中と西園寺さんだけの世界である。そのため、内なる女達のまとめ役が必要であったわけである。女中頭のつるは、今までの経験を駆使して、ご主人の気の休まるような環境をと、七人の女中をまとめていくのである。

『興津坐漁荘』を見て廻ると、女性達の動線が自分の動きと重なる。兎に角、開け放たれた部屋はどこも明るい光が入り、台所も明るく、暗い場所がない。庭からの景色は風光明媚である。かつては。今は埋め立てられグランドになっていて、野球部の学生が練習に励んでいる。それもまた、主の居ない風景としては理に適っているかもしれない。戦争の足音の聞こえる時代の風景が今は、若者が好きな野球に打ち込んでいる。一部の人々のための風光明媚よりも現代に相応しい明るさと美しさである。

『坐漁荘の人びと』を観ていなければ、政治家の別荘の一つとしてしか見なかったであろう。竹が好きなようで、窓の格子も竹であるが、侵入を防ぐため竹の中には鉄棒が入っていた。そういうところも、きちんと復元したようで、中の網代や外の桧皮壁も質実剛健に見えるのが好ましい。

“元老”は西園寺公望さんが最後でよい。

作・小幡欣治/演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子、樫山文枝、水原英子、鈴木智、千葉茂則、伊藤孝雄、河野しずか、大滝秀治

旧東海道にもどると右手に『清見寺』。徳川家康が人質として今川家にいた竹千代時代時々ここで勉学に励んだと言われている。五百羅漢など見どころが多いお寺である。

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延命地蔵尊と常夜灯

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旅の途中で倒れた人々の埋葬碑

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巴川にかかる稚児橋の河童の像の一つ。稚児橋は家康の命によってかけられた。渡り初めに地元の老夫婦が選ばれ渡ろうとしたらおかっぱ頭の稚児があらわれ橋を渡って府中方面に消えたという伝説がある。

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久能山に向かう追分の道標

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清水次郎長が森の石松のかたきを討った場所で討たれた都鳥を哀れに思った里人が建てた都鳥の供養塔

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東海道の解説版

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草薙一里塚  (江戸から43番目の一里塚) 一里塚のそばに大きなタヌキの像があった。笠を首にかけ徳利を持っている。それらには意味があるようなのである。狸八相縁起

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旧東海道記念碑。昭和37年国鉄操車場の建設により旧東海道が分断され旧東海道が一部消えたことから記念碑を残す。

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西郷・山岡会見跡の碑。江戸城無血開城についての会談。

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東海道も弥二さん喜多さんや、浮世絵の世界だけでなく、時代時代の動きを垣間見せてくれる。時には、出会った人から、市町村合併の理不尽を聞かされることもある。その話しを聴いた後で歩くと、その人の怒りがもっともに思える町並みの風景に出会うこともある。集めるだけ集めて回って来ない置き去りにされる地域が生じることもあることを知る。

加藤健一事務所 『滝沢家の内乱』

『滝沢家の内乱』は再演である。2011年に加藤健一さんが劇団で100本目のプロデュース作品として選んだ作品である。『南総里見八犬伝』を書いた滝沢馬琴家の内幕である。

劇作家の吉永仁郎さんが、馬琴さんの残っている日記を探り、文字の演劇の馬琴像を作り上げた。あの『南総里見八犬伝』を書いた戯作者がどんな生活をしていたのか興味があるが、自分で日記を読んで馬琴像を作り上げる努力をする気がないので、吉永仁郎さんとカトケンワールドに任せることとする。

これが、面白かった。よく<面白かった>という言葉を使うと自分で自覚しているが、先ずは何かを食して「美味しかった。ご馳走様でした。」の感覚である。それから、味わいがあれば、何か言葉が生まれて来るであろう。

登場人物は、馬琴と、息子の嫁のお路である。初演も再演も、馬琴は加藤健一さんで、お路は加藤忍さんである。滝沢家の家族構成は、馬琴、妻のお百、息子の宗伯、嫁のお路、その後孫が二人と増える。お百は、高畑淳子さんが、宗伯は風間杜夫さんが声だけでの出演である。基本的に二人芝居であるが、声の出演の応援もあって、『滝沢家の内乱』がよくわかる。お百は神経の病気で宗伯も身体が弱く明るさの微塵もない家庭である。さらに暮らしは慎ましく、観ていると逃げ出したくなる状態である。

お路は二人の子を産み、筆記など出来ないほど目の不自由な馬琴に代わって口述筆記の代筆をして、『南総里見八犬伝』を完結させるのである。それが、7か月半の間で、漢字の書けないお路は漢字を馬琴から習いつつ書き上げるのである。初演のパンフレットに、代筆を始めたころの文字と八犬伝脱稿の文字の写真が載っていたが、信じられないほど美しい文字となっている。

再演のほうが、笑いが多くなった。なぜか。馬琴とお路の生き方のすれ違いである。それが顕著になり可笑しさを誘うのである。お路は、家族皆で話しを楽しむ家庭で育ち、『南総里見八犬伝』の作家の家に嫁にこれて、楽しい話しが沢山あるであろうと思ったのに、想像外のしつけに厳しく、倹約、節約の家である。お路の驚きと落胆、馬琴のお路に対する驚きと教育が、他人ごとなので可笑しい。お路の加藤忍さんが、どうすりゃいいのよこの私、バージョンである。

それに輪をかけて、声の出演だと思って勝手なこと言わないでよの高畑さんと風間さん。馬琴の加藤健一さんは屋根の上でしばし、現実を忘れるしかないのである。

お路さん次第に馬琴さんが、一人で滝沢家を守っていることが分って来る。世間で本が人気でも、その頃の戯作者の手にするお金は、今の流行作家の足元にも及ばない。さらに、滝沢家の内乱は、馬琴さんが戯作を書きたいう願望と息子を自分の思う方向に育てたいとの願望から生じた亀裂なのであるが、それは口にせず、お路さんは自分の役目を自覚する。そして、一度だけ、渡辺崋山が幕府からお咎めを受けた時、自分の気持ちを主張する。魅力的な女性である。馬琴さんが、ちょっと夢をみるのもわかる。

最期のお路さんの活躍は『南総里見八犬伝』の代筆である。お路さんが、滝沢家で我慢出来たのは、お路さんが『南総里見八犬伝』の読者であり、現実から逃避できたのは、『南総里見八犬伝』があったからで、漢字を知らないお路さんが代筆ができたのは、登場人物らがお路さんの中に生きていて、その名前などが漢字となる事に、お路さんは喜びを感じていたのであろう。ふりがなで読んでいたものが、自分で漢字を書くことが出来、登場人物との関係に新たな光がさし、読者として一番に八犬伝の先がわかるのである。これこそ、『南総里見八犬伝』の戯作者の家に嫁に来た時の自分の気持ちになれるのである。

演出の髙瀨久男さんがお亡くなりになられ、加藤健一さんが今回演出をされたようであるが、髙瀨さんの演出されたものに、二人の役者さんのさらなる演技が加味され、滝沢家の内乱は、より明確に個々を確立してくれた。偏屈であったと言われる馬琴さんも<馬琴の事情>として加藤健一さんの馬琴はよく判ったし、加藤忍さんのお路も大戯作者馬琴に負けないだけの生き方を示してくれた。『滝沢家の内乱』も<忠・孝・悌・仁・義・礼・智・信>をもって納まったわけである。

下北沢・本多劇場 8月26日~30日

滝沢馬琴さんは、江戸時代で亡くなられている。今、河竹黙阿弥さんと三遊亭圓朝さんが、江戸から明治を超えて生きたことに興味がある。

そして、やっと山田風太郎さんの『忍法八犬伝』に入れる。『滝沢家の内乱』を観てからと思っていた。山田風太郎さんのことである、滝沢馬琴さんもびっくりの世界であろう。

 

 

新橋演舞場 『もとの黙阿弥』

井上ひさしさん原作の『もとの黙阿弥』である。場所を強調するためか、小さく<浅草七軒町界隈>とある。浅草七軒町にある大和座という芝居小屋を軸に芝居は展開される。男爵の相続人と政商の娘の縁談がきまり、鹿鳴館の舞踏会で踊ることに取り決められていた。その西洋踊りの指導をすることになったのが、大和座の座長である。本人に相談もなく勝手に取り決められ、男爵の相続人・隆次は、書生の久松と入れ替わり相手をじっくり観察することにする。 政商の娘・お琴も同じことを考え、女中のお繁と入れ替わる。

同じ事を考えるわけで、これは相性が良いはずである。入れ替わった書生(愛之助)と女中(貫地谷しほり)は相思相愛となってしまう。このお二人苦労したことがないから、愛一筋である。一方、隆次(早乙女太一)とお琴(真飛聖)に入れ替わった二人にも恋が芽生えるが、お琴から女中のお繁に戻ることができなくなってしまうという、思いもしない結果が生じてしまうのである。

大和座の座長・飛鶴(波乃久里子)が、自分の現実がみじめすぎて、入れ替わった華やかさからもどれなくなったと説明する。では、そのみじめな現実に隆次とお琴は身を置くことができるのであろうか。

時は明治である。浅草七軒町周辺から、オペレッタが生まれ、隆次の姉で男爵未亡人(床嶋佳子)と飛鶴の演劇改良劇と黙阿弥先生の劇とが一騎打ちとなる。条件は、物を食べ、実は何々であった、取込みを入れるのが設定条件である。

庶民の生活から、大きな問題を提起するのが、井上ひさし戯作者の手である。ここがおざなりになっては、何の必要があったの、あの芝居の中の芝居場面となってしまうのである。

後半のこの部分が見ものである。演劇改良劇のリアルさの可笑しさと、歌舞伎を演じたことがない人々が演じる黙阿弥歌舞伎。歌舞伎役者が演じる、歌舞伎を演じたことのない人に成りきっての歌舞伎。それも、その身は男爵を引き継ぐ立場の若者である。このあたりの演じ分けは、愛之助さんの腕である。それを受けての貫地谷さんも恐れをしらぬお嬢様としての度胸がいい。

明治の価値観の混沌を上手く出していた。ただ、もうすこし泥臭さ、バタ臭さがあってもよかったと思う。周囲にもう少し色が欲しい。オペレッタ。座長と姉君との言葉による演劇論の対決など。周囲の人々の個性が薄い。原作者の役づけは用意周到であり台詞も多い。それに乗っているだけでは、原作者に押しつぶされてしまう。国事探偵さん(酒向芳)は儲け役であったが、お繁に匹敵する久松の生い立ちが上滑りで追跡の緊迫感からの可笑しみとまではいかなかった。

大きな劇場で通用する井上さんの戯曲であるが、一人一人の姿が霞み気味なのが残念である。しかし、ラストの照準は外さずしっかり合わせて見せてくれたのは見事である。実は ・・・

浅草七軒町というのは、現在の元浅草だそうで、都立白鴎高校のあたりであろうか。大和座は実際にあった小屋でモデルがあったわけである。新橋演舞場の場内には、花道の上に大和座と書かれた大きな提灯と、<もとの黙阿弥>と書かれたの舞台幕が迎えてくれる。

 

原作・井上ひさし/演出・栗山民也/出演・片岡愛之助、貫地谷しほり、早乙女太一、真飛聖、渡辺哲、床嶋佳子、浜中文一、大沢健、酒向芳、石原舞子、前田一世、浪乃久里子

8月1日~8月25日

 

 

無名塾『バリモア』(再演)

贅沢な時間と空間を貰ってしまった。『授業』も仲代劇堂での公演だったので、仲代達矢さんの演技を間近で観せてもらったが、今回は中央三列、脇二列の座席の設置で50席である。それも、好きな芝居の再演であるから、台詞と動きが、生き生きと蘇ると同時に、役者の演技が等身大で観れてしまう。

しかし、演じられているのだが、生身の役者と役のすき間がない。演じておられるのに、演じているということを意識させないのである。それだけ、仲代さんの一挙手一投足に見惚れていた。だからといって、ぼーっとしていたのではない。セリフ動き全てが観る側の力を抜いてくれて、苦笑、悲哀、懐旧、自愛、後悔、自信等のあらゆるバリモアの感情を網羅してくれて、それを素直に受け入れられるたのである。

バリモアは悲劇の役者と言えるかもしれないが、もっとバリモアに添って観ている位置にある。私たち観客は、バリモアからすれば、アルコール依存症のために見える幻覚のなかの実態のない亡霊なのかもしれない。バリモアはそれに向かって無防備に自分をさらけ出し語っているようである。

『リチャード三世』を演じるべく、プロンプターをつけて練習をしているが、プロンプターに聞かせているのか幻覚の相手に聞かせているのか判然としない。バリモアは、観客であり同時に幻覚の中の相手に語っているのであるから、こちらはバリモアの表情、仕草がよく判るが、プロンプターには判らない。半分以上が、幻覚の中のバリモアである。台詞を思い出すたびに、かつての自分がバリモアの中で出現し、それが、別れた四人の妻のこと、偉大なるバリモア一家のこと、共演した俳優のことなどと幻覚と妄想の中で現れ言葉にしてこちらに語り掛ける。

プロンプターはそれを辛抱強く聴き、時には、バリモアの言葉から芝居の台詞を探し、それは『ロミオとジュリエット』の台詞だと注意をし、『リチャード三世』の台詞を引き出そうとする。バリモアの頭の中は、幻覚への語りと芝居の台詞が混同しているのだが、それがまた、この芝居を面白く引っ張て行く要因にもなっている。そして、面白く引っ張ているのが、仲代さんの演じている力なのであるが、そこには無駄な力が無い。無い様に感じさせる。芝居の中の台本にない登場人物として、観客は座っている。

プロンプターは、邪魔にならないように、それでいて何んとかバリモアに今回の『リチャード三世』で復帰させたいかが分る。劇場と違い、バリモアに対するプロンプターの受け答えが密接感を伝えてくれる。実際に、プロンプターのフランク役の松崎謙二さんの声だけの仲代さんとのやり取りの間が、円滑に一段と面白くなっている。

映画にもなった、人も羨む芸能一家のバリモア一族にあっての、幼い頃からの圧迫感。登りつめていきながら、そのキャリアの土台を上手く使えないバリモア。四度の結婚。お酒に逃げるバリモア。老い。バリモアの一生の回顧でありながら、俳優あるいは役者の普遍的問題が詰まっているのである。仲代さんは、どこかで共感し、どこかで相違点を見つめられながら演じられているのであろうが、その辺の手の内もみせられない。

いつもの劇場とは違う少数の観客でありながら、使うエネルギーは同じである。いやもしかすると、観客が近いがゆえに、押さえるエネルギーも必要で、その均衡のバランスのエネルギーは相当なのかもしれない。

二回のカーテンコールの後、観客は誰も立つ人がいなく、自然に拍手が起こり、バックのジャズ音楽の終わるまで、芝居の余韻を楽しんだ。

松崎さんが出て来られて、何でもなくやっているように見えるかもしれませんが、ご本人は倒れてますので失礼しますと言われた。観客もそれは解っていた。共有出来た時間をゆっくりと味わっていたかったのである。

再演でもあるので、『リチャード三世』を読んでおこうかとも思ったが、中途半端に『リチャード三世』の台詞が引っかかっては、つまらないことになりそうで、止めておいた。正解だったと思う。

バリモアと仲代さんとが繋がっている『リチャード三世』いつかは読まなければ。

2014年11月公演の感想である。→ 無名塾 『バリモア』

作・ウィリアム・ルース/翻訳・演出・丹野郁弓

 

 

 

舞台『おもろい女』

<天才漫才師ミス・ワカナ>半生の舞台化で、藤山直美さんが演じられた。かつてテレビで、森光子さんが、ミス・ワカナを、藤山寛美さんが、相方の玉松一郎をされ、さらに森光子さんが舞台で演じられたそうであるが、観なかったのが不幸中の幸いとも言える。

ミス・ワカナさんについては、どこかで知りたいなあと漠然と思っていたのである。今回、藤山直美さんで出会えたのである。真っ白であるから、直美さんのミス・ワカナをギンギラギンの眼で観させてもらった。おもろかった。

ミス・ワカナがまくし立て、相方の一郎はボーッとしていてそのアンバランスに受けたという話しは知っている。漫才芸人や落語家を主人公にするドラマがあるが、その芸を披露するのは難しく、まあ仕方ないであろうと妥協するが、直美さんのミス・ワカナのしゃべくりは、おもろかった。ミス・ワカナに似ていようといまいとどうでもよいのである。そのしゃべくり自体が楽しませてくれたのである。

大正14年から昭和21年の敗戦直後、西宮球場での演芸会に出演し亡くなるまでのミス・ワカナさんの半生である。西宮球場が漫才などの演芸をみるために人で一杯に成ったと言うのにも驚かされた。それだけ戦争で人々は笑いに飢えていたのである。ワカナさんは激動の時代のなかで、時には薬に頼り、漫才という芸能を抱えて自爆したともいえる。

前進あるのみのワカナさんであるが、時には愛らしく時には凄味、荒み、自暴自棄の中からよみがえり、これから思う存分自由に漫才の時代だという時にこの世を去ってしまう。その起伏を演じる直美さんの身体表現と顔の表情が凄かった。こういう時のこのかたのそばには居たくないと思わせる鬼気迫る場面もあった。

一郎がそばにはいられないというのが納得できた。一郎役の渡辺いっけいさんはワカナとの夫婦のときもリードされっぱなしで、それで上手くいっていたのが一郎は置き去りにされる形となり、その難しいもどかしさをいっけいさんは、なるほどなあと思わせるかたちで表した。ワカナと離婚し、次の仕事の日時を告げ去る時の何事もないかのような、少しありそうな匂わし方も上手い。

九州の女興行師の山本陽子さんの鉄火な貫禄もいい。九州といえば、炭坑である。その男たちの賑わいの中での興行師である。と思わせてくれる締め具合である。

浪花の興行会社の女社長の気の回し方の正司花江さんは、それと対照的に争わず実を取るこまめさを表す。

そして、興味深かったのが、秋田實さんである。こんなにワカナさんのしゃべくり漫才に入れ込んでいたとは知らなかった。田山涼成さんが、常に穏やかにワカナさんの後押しをする。

詩人で作家、文芸評論家でもある富岡多恵子さんが、『漫才作者秋田実』を書いている。読みたいと思いつつ、上方漫才など判らないしと思っていたのであるが、ミス・ワカナさん、直美さんのワカナさんのお蔭で読めそうな気がしてきた。そのため、田山さんの秋田實もじっくり観させてもらった。

ミス・ワカナの生きた時代の渦の中で、何かしらワカナさんと接点を持ちつつ生きた人々がそれぞれの立場で生き方を求めるのが印象的である。そしてよく笑わせ、ときには、しんみりとさせてくれる。

漫才のために何でも吸収しようとするワカナさん。笑いのために、面白いものは天才的感覚で取り入れたワカナさん。次のステップがあるのにそのステップを踏むことなく消えてしまった。

直美さんは、同じように喜劇のために様々の舞台をこなされてきた。時には、これ直美さんがやる必要があるのかなと思うような舞台もあった。今回は、一つ一つ積み重ねられてのこれぞ藤山直美さんだと思わせてくれる舞台である。きちんと、次のステップを踏まれたのである。

作/小野田勇、潤色・演出/田村孝裕、出演/藤山直美、渡辺いっけい、山本陽子、田山涼成、正司花江、黒川芽似、篠田光亮、山口馬木也、井之上隆志、小宮孝泰、石山雄大、臼間香世、武岡淳一、河村洋一郎、菊池均也、戸田都康

日比谷・シアタークリエ  ~30日(火)

新派 『十三夜』『残菊物語』

三越劇場での新派名作劇場『十三夜』『残菊物語』である。

『十三夜』は樋口一葉原作である。せき(波乃久里子)は、身分違いの高級官僚に請われて嫁いだのに、その夫は子供が出来ると出て行けよがしに辛く当る。親にも話さず6年間我慢したが、どうにも耐えられなくなり実家にもどり事情を打ち明け離縁をとってくれと両親に頼む。せきは考えたすえの事であるが、親の当惑することも知っていて、静かにひれ伏して事情の説明をする。母親(伊藤みどり)は同じ女として婿の仕打ち我慢がならない。気持ちよいくらいまくし立てる。しかし父親は、婿によって助かっている家の事情と孫を一人にするのかと諭し、せきは納得して帰る。

外からは何処かに駅があるのか汽車の発車の音がする。納得はしたが、せきの辛さを思うと、この両親同様の気持ちとなり、、せきが汽車に飛び込むのではと思いめぐらしてしまう。

せきは人力車に乗っている。ところが、この車夫が気まぐれでここで降りてくれと告げる。上野公園の中でここで降ろされては困るとせきは告げる。その車夫に見覚えがあった。幼馴染の録之助であった。名前を呼ばれた録之助(松村雄基)は驚く。彼は語り始める。それは、せきが嫁いでから荒れてすさんだ生活を過ごし、家を没落させ車夫になっていたのである。

誰も知らないが、二人はお互いに想い合っていたようである。せきはそれを知り、今の仰々しい姿で逢う自分を恥じている。言いようによっては、嫌味になるところを、素直に録之助が受け取る感じで言い二人を同等にした。そして、もう録之助の車には乗れないから、一緒に公園下まで歩こうといい、録之助も素直に無人の車を引いて歩きだすのである。良い幕切れとなった。二人の出会いは、二人に一瞬十三夜の明るさを取り戻させた。

原作は、二人の関係の差をだし現実味を加えている。脚本は久保田万太郎さんで、新派らしい幕切れとしたのであろう。波乃久里子さんと松村雄基さんは大人の儚い清々しさを出してくれた。父の立松昭二さんと、母の伊藤みどりさんは、男親と女親の違いを上手く出していた。(演出/成瀬芳一、尾上墨雪)

『残菊物語』は、人気歌舞伎役者・菊之助とその弟の乳母・お徳が恋仲となり、親に勘当され、大阪に落ちるが役者として不遇な時を過ごす。少し認められた時、周りの勧めもあり、お徳は菊之助を親元に帰す。親の後ろ盾のお蔭もあって菊之助は成功し、お徳は死ぬ間際、女房として認められるのである。

菊之助(市川春猿)は、人気が自分にとって実体のない掴みどころのないもので、周りの女性達は騒ぐが、自分の人気に付きまとう実のないものと思って居て、弟の乳母・お徳(水谷八重子)にその純粋な実を感じ、想いを打ち明ける。ここの部分が、菊之助を取り巻く女達の争いなどでお徳との比較をするが、お徳の良さを見せるまでには至らず、お徳同様観ているほうも唐突であった。

お徳が怖れていたように、二人の仲は認められず、菊之助は勘当される。勘当の場面はよく纏まっていて、菊之助が養子で、実子が生まれたが、義父の菊五郎(柳田豊)は菊之助を跡目として考えているゆえの意見であるとしている。おそく出来た実子の乳母がお徳なのである。六代目菊五郎の名前など欲しくない。お徳と一緒になりたいと菊之助は主張し勘当される。菊之助を諌める兄(松村雄基)と義理の母(波乃久里子)の位置関係もいい。

菊之助とお徳は大阪に来ているがお徳は病気である。後ろ盾もなく良い役もつかないが、面倒見の良い周りの人達に助けられひっそり生きている。やっと、『伊賀越』の仇役・数馬で褒められたと喜ぶ。お徳は、菊之助の先輩たちが菊五郎の勘当をとく算段をしてくれている手紙を読み、自分は病気を治すため一人転地療養するからと言って、菊之助を菊五郎のもとに帰す。このあたりは、八重子さんがお徳としてリードし、役者しか知らない心もとない雰囲気の春猿さんの菊之助の後押しをする。

菊之助が成功し、船乗り込みで、晴れの姿を部屋の窓から眺める病身のお徳の八重子さんは後姿の形でその想いを表現した。船の提灯の灯りがお徳の顔を照らして横切っていく。その顔に当たる光が、菊之助の成功の光としてお徳にだけ当てられた特別の光である。このあたりは、照明の細やかさも加わり新派らしい美しさである。

なにくれとなくお徳の世話をする元俊(田口守)が、芝居小屋に駆け付けお徳の死が近いことを告げ菊五郎の許しも出て菊之助はお徳の所に駆け付ける。菊五郎も後から姿をみせ、お徳と菊之助は晴れて夫婦として認められるのである。ここで初めて菊之助の春猿さんは、心の底から自分の感情をお徳に激しくぶつけるのである。

芝居に歌舞伎を出すわけにはいかず、め組の火消の衣装でそれらしさを出した。そのあたりの事情もあり、芸道ものというより、恋物語に重心をおいている。

大阪での生活も周りが大阪弁でその雰囲気を出し、実際には見えぬが船乗り込みを使うことで、菊之助の晴れ姿を見せるという展開は上手いと思う。(原作/村松梢風・脚色/巖谷槇一・演出/成瀬芳一)

五月の歌舞伎座でお隣に座られたかたが、かなり年配の男性のかたではあるが、金沢から観劇にこられていたお客様であった。明治座、国立劇場(前進座)、中村座、歌舞伎座と観られてその日帰られるとのこと。北陸新幹線ができ楽になったと言われていた。学生時代から毎月出かけてこられているのである。観劇の時は進んで話しをしないのであるが、二言三言で話しが通じ、中村座は観ていないが、後は70%同じ意見であった。20%はその方の上方歌舞伎の面白さで、あと10%はかなり辛口のご意見だった。そしてその時、新派のある時は新派も観ますということだったので、暫く新派ご無沙汰だったので今回の観劇となった。以前は、京都、大阪にも行かれたそうである。今月は新派もご覧になったことであろう。