『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』『北斎とジャポニスム』(1)

一日二つは無理でしょと思いましたが新たな視点を分断させるのは嫌だなとの想いで『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』(東京都美術館)『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館)と二箇所続けて鑑賞しました。混んでいましたが、浮世絵のほうは今まで少し観ていますから人の多い絵は人と人の間から覗き込み時間を多くとらず、観たい絵だけ集中し今回の展示の意図を頭の中で組み立てました。

楽しかったです。芸術品を鑑賞するというよりも、見たことも会ったこともない国の人々が絵を通して交信し合っているのです。これは、遅く生まれてきた人に与えられた特権でしょうか。そういう企画を実行してくれたことに感謝です。

ゴッホさんに関しては、弟・テオさんに多くの手紙を出していますので、そこからの研究も多く生前売れた絵は一枚だけだそうで、テオさんの経済的援助で成り立っている制作です。ゴッホさんの望みは、テオさんの生活を脅かすことなく絵についてテオさんと語り合えることだったと思います。残念ながらその現実に負けてしまいました。押し寄せる状況に疲れてしまったのでしょう。

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』では、多くの日本人がオーヴェールを訪れていて、ゴッホさんと最後まで交友のあったガシェ医師のもとに訪れた人の名前が記載された「芳名録」も残されていて紹介されていました。画家たちも訪れていて、日本画家・橋本関雪さんが訪れときの映像もありました。

佐伯裕三さんはオーヴェールの教会を描き、前田寛治さんは、ゴッホのお墓を描き、横尾忠則さんも訪れています。

ゴッホさんに関する研究者であり精神科医・式場隆三郎さんの資料も多数ありました。斎藤茂吉さんにオーヴェールを訪ねるように薦めたのは式場さんです。 『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』

ゴッホさんがパリに出て来た時、絵を描く人が多いのに刺激を受けたことでしょう。そんなとき浮世絵に会うわけです。独力のゴッホさんにとって、線、構図、描かれている庶民、風景、花々に大いなる違う世界をみられ、親戚に日本に来たかたもいて話しを聞かれたらしいのですがどんな話を聴かれたかは記録には残っていません。

広重の『亀戸梅屋敷』などは模写をし、そこから自分の絵に木を中心に大きく描いたり、英泉の花魁の絵を模写して、その周囲にも他の浮世絵をモチーフに描いたりしています。それがどの浮世絵からとったのかも解説してくれていまして、こういう浮世絵も観ていたのかと注目しました。ただ色はゴッホさんの色です。

ゴッホさんの色というのはゴッホさんのもので、『表現への情熱 カンディンスキー、ルオー と色の冒険者たち』(パナソニック汐留ミュージアム 2017年12月20日まで)でカンディンスキーがゴッホから原色を含む激しい色づかいを学んでいます。

ゴッホさんにも優しい色づかいはあり、ゴッホ=ひまわりから離れて、浮世絵との関係から、夢中になって模索するゴッホさんの絵があります。日本初公開の絵もあり、その後のゴッホさんの苦しみとは違うゴッホさんの絵に触れているんだという感覚が新鮮で、その風が日本からのものであり、巡り巡って、ゴッホさんが日本に向けて風を返してくれ、文化というものはいい風を吹かせるものだと明るい気持ちになりました。

もしこの風域に境界をもうけるようなことがあればそれは無粋というものです。浮世絵を江戸の庶民誰もが楽しんでいたことをゴッホさんは知っていたでしょうか。おそらく知っていたでしょう。

式場隆三郎さんに関しては、山梨県甲府の昇仙峡そばにある『影絵の森美術館』で山下清展も開催されていて、ペン画や美しい色に複製された張り絵などがあり、式場さんのことをふっと思い出して忘れられてしまうのかなと思ったりしましたので、今回その仕事ぶりがきちんと紹介されていて嬉しかったです。さて浮世絵は、まだ風を起こします。

『三代目尾上菊五郎改メ、植木屋松五郎!?』

インパクトの強いチラシを目にしました。『三代目尾上菊五郎改メ、植木屋松五郎!?』 ー千両役者は盆栽狂 

 

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「さて尾上菊五郎いよいよ一世一代のを仕り、これより寺嶋へ引き籠りまして、松の隠居、親どもの名をつぎまして松緑と改名仕り、四季折々の草花もご覧に入れたてまつりたく」(終生のライバル・七代目市川団十郎による、尾上菊五郎一世一代口上)

 

さいたま市大宮盆栽美術館での企画展です。11月29日までですのでさっそく行きました。驚いたり、感心したり、、うなずいたり、そういうことなのかなのかと沢山のインパクトをもらいました。

三代目菊五郎さんは歌舞伎に新しい風をおこしたようですが、気が短く自信家でもあったようで、さらに自分のやりたいことは実行するタイプの方だったようです。天才肌だったのでしょうか。植木屋松五郎(植木屋)、菊屋万平(餅屋)の別名があり、企画展は、植木屋松五郎を浮世絵から探られています。

向島の寺嶋村に住んだので寺嶋名を名乗られたのは知っていましたが、三代目さんは現在の向島百花園の西側の「松の隠居」と呼ばれる植木屋を買い取り「寺嶋の松の隠居」と呼ばれたりもしています。近くには「菊の隠居」もあり、向島百花園は亀戸の「梅屋敷」に対して「新梅屋敷」とも呼ばれています。当時の庶民が草花や木々を楽しんでいたことからそういう名所ができていったわけです。

話しが飛びますが、こうした江戸庶民の遊行を葛飾北斎さんらが浮世絵に表し、それが西洋へそれこそ飛んでいって西洋絵画に影響を与えるわけです。それは今、上野の美術館をにぎわせております。もちろんそちらの見物客の一人にもなりました。

さて、三代目さんの行動から歌川国貞の『きくのさかゑ』から、植木屋「菊屋」の前の浴衣の男性が三代目を現わしているのではないかという謎解きから始めるという心憎い運び方です。もう一人三代目として登場させている人物も探りあてます。二人登場させているのです。その二人を探す手立ては、三代目さんは役者ですから白塗りです。

人気役者と植木との組み合わせ浮世絵をテーマごとに紹介してくれ、鼻高か幸四郎(五代目)さんが、植木などを背負って歩く吊り台を二個並べて品台にして商品を並べて悠々と煙草などを吸っています。吊り台の利用方法が面白いです。たくさんの江戸の物売り、水売り、アサガオ売り、金魚売り、虫売りなどに役者さんが扮されて、これが姿形がいいのです。

極め付きは、ライバル七代目団十郎さんとの<松切り>です。三代目さんは、中村座で『仮名手本忠臣蔵』をされ、川原崎座に移りここで大当たりをして鼻高々です。一緒だった七代目団十郎さんと三代目三津五郎さんが市村座に移り『仮名手本忠臣蔵』の二段目<松切りの場>を上演し大当たりです。松を菊五郎さんに見立てられたわけで観客は大喜びしたのでしょう。昨年の国立劇場で10月から12月にかけて三カ月『仮名手本忠臣蔵』を上演し、初めて<松切の場>を観ました。研修発表会でもやりましたので、参加された役者さんは貴重な体験をされました。

三代目さんは、そのあと中村座にもどり再度『仮名手本忠臣蔵』を上演しますが当らなかったようです。芝居小屋が多く、ライバル役者さんも多かったわけで見物のお客さんにとっては、江戸歌舞伎黄金時代でもあり話題の多いことだったでしょう。

三代目さんは役者をやめて植木屋にはならず、両方兼ねたようです。ただその後役者をやめますが大川橋蔵の名で再度役者に復活します。そして、上方からの途中掛川で病死します。掛川の広楽寺は音羽屋の菩提寺・浅草今戸の広楽寺の分家元ということで、掛川の広楽寺に埋葬され、俗名・植木屋松五郎とも記されました。今も碑があるようですが当時のものではないようです。

浮世絵をさらに細かく見る目をもらいましたし、単なるインパクトだけではない実質的な検証とその展開が面白い企画展となりました。

盆栽美術館ですから盆栽のことも少し興味をひかれました。奥の深い職人芸です。見方のひとつとして、下から覗いてみてくださいとありましたので、下からみますと、大きな木をスマフォなどで拡大して撮ったりしたときの絵でした。剪定してますから、もっと芸術的な枝ぶりでそこから青空がみえます。

近くには盆栽村もありまして、埼玉県大宮と盆栽の関係は、江戸時代、千駄木の団子坂周辺は植木職人が多く、盆栽の専門職人も住んでいたのですが、関東大震災によりもう少し田舎へということで大宮に移り、色々な変遷を経て今にいたっているわけです。

 

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今回は盆栽美術館だけで埼玉の大宮から神奈川の大山へと向かいました。江戸っこの観光は続きます。

 

大山詣り | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

名古屋散策と芦雪(2)

長沢芦雪展』では作品の数の多さにびっくり転です。よくこれだけの数を集められたと思います。

 

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名古屋は、<ドニチエコきっぷ>(一日地下鉄・バス乗車券、600円)がありまして、それを試しに見せましたら100円引きになりました。安くなるのも嬉しいですが、こういう手もあるぜというのが楽しいです。地下鉄・バスの両方一日乗り放題ですから名古屋さんやりますね。地下鉄の中にも広告で紹介していました。平日はまた違いますので要注意。

南紀・無量寺のふすま絵を同じ空間で体験してもらうということで、無量寺の方丈と同じ空間を作られたのがこれまた結構な計らいです。虎や龍には、またお会いできましたねです。  串本・無量寺~紀勢本線~阪和線~関西本線~伊賀上野(2)

 

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なめくじが動いた線が一筆書きになっている「なめくじ図」、象の後方に乗ってあまりの高さにしがみついている「象背戯童図」、白象の背中に黒いカラスがとまっていて寝そべる黒い牛のお腹のそばには小さな白犬が座っている「白象黒牛図」。相変わらず芦雪さんは愉しませてくれます。

その他可愛いらしい童の遊ぶ姿、そこに子犬も加わり遊びに夢中の童や子犬たちの元気な声が聞こえてくるようである。ただ絵の左手の子供と犬は後ろ向きで空に向かっているような様子で色も淡くなっていて、友人がこの子たちは死の世界に向かっているのかもといいます。そうともとれる描き方で、芦雪の子供が相次いで死去してるとのことで、その影響なのかもしれない。

『芦雪を殺す』(司馬遼太郎著)の作品の中に出てくる、印形の中に五百羅漢がびっしりと書き込まれたものもありました。さらに、円山応挙さんの高弟で、芦雪さんと二哲と言われた源琦(げんき)さんが絶賛している「山姥図」(重要文化財)も厳島神社から出品されています。司馬さんの小説では芦雪さんはかなりの変人に書かれていますが大胆で小心なのかもしれません。

東京で開催されていたらこんなにゆったりとした状況では鑑賞できないでしょう。まだ次の部屋があると思うほどの作品数で、出品作品リストには、和歌山の徳泉寺、無量寺、草堂寺、高山寺からの出品作品もあり現地に行っても観れないでしょうし、雨に感謝でしょうか。

神の手・ニッポン展Ⅱ』は、手で作られるアートの細やかさと高度さを紹介する展示です。エッグアーティスト・遠藤一恵さん、水引工芸家・内野敏子さん、レザーアーティスト・本池秀夫さん、立体間取りアーティスト・タカマ ノブオさん、ペーパーアーティスト・中山ゆかりさん、墨絵アーティスト・西元祐貴さんの作品が展示され映像もありました。

 

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第一期の代表作品も展示されていましたが、息を詰めて仕事をされているのではないかと思えるほどの繊細さで溜息がでてしまいます。その発想が実物になる過程の時間の経過と失敗と成功のくりかえしが、美しいと思わせてくれるのでしょう。

東京の三井記念美術館での『驚異の超絶技巧! ー明治工芸から現代アートへー』も、その手は何なのだです。恐ろしくなってしまうほどの技です。

 

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高橋賢悟  <origin as a human>  

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初代宮川香山  <猫二花細工花瓶>

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こちらはただただ愉しませてもらい、あーじゃらこーじゃら言わせてもらうだけです。あーじゃらこーじゃら言わなければと言われそうですが、好きかどうかもありますし、守るものは守って変化しなければ気の抜けた炭酸水のようなものです。

ただし時にはこれこそが水だというものもあります。それは全部ではありません。短い時間だったり、組み合わせて作り上げられたりといつ現れるかわからないのです。今日そうだと思っても明日は違うかもしれません。明日が今日になりました。

 

『池田学展 ー凝縮の宇宙ー』

このところ高島屋と縁があるというか、友人に誘われて日本橋高島屋の『池田学展』に行ってきました。自分では選ばない展覧会とおもいますが、刺激を受けました。

絵の中に沢山の小さな人、動物、虫、電車、線路、飛行機などが描かれているため絵に近づいて見なくてはいけないので、その場に長くいることになり、人も多くちょっと見るのに苦労しました。それと、絵の前の近くには人がおられるので全体像が観れないのがちょっと残念でした。

まったく友人に聞くまでは知らない方で、緻密な絵だからルーペが必要だといわれましたので、ハズキルーペを持参で、メガネ二つをかけて見ましたが正解でした。

大きな岩山の中に大仏が描かれていて、よく見ると植物や様々なものが描かれています。下絵があってそこに細部を描いたのであろうが、それにしてもこのように描けるものであろうかと不思議でした。

池田学さんが描いてる映像をみて驚きました。細いペンで下絵無しで描きはじめて、ドンドン紙が足されて大きな絵になるのです。頭の中にある程度の下絵はあるのでしょうが、頭の中と、職人的腕の技術の一体化が、想像できない創作過程の中で起こっているわけです。

池田学さんは、自分の日常生活の総てを捨てることなく描く対象にしています。子供時代の自然界への興味、学生時代の山岳部での体験、旅をしたときの風景、その後過ごした場所での日常、家族など、さらに好きなアニメの世界も盛り込まれています。好きな飛行機、電車、線路など何処かにつながる流れが絵の中に隠し絵のように描かれています。

それぞれの眼で発見していくので見る時間が違うため友人とは離れ離れで、その後発見を知らせ合いまた眺めました。矢を射る人。飛ぶ矢がきちんと描かれていました。崩れるお城には、花々が季節感を表し、里見八犬伝の芳流閣の場のように屋根で闘うひと。十二単衣を着た人が空中ブランコ。呑気に一人露天風呂。とにかく発見しては笑ってしまいます。電車をたどって行けばとんでもない所からまた出現したりと、大きなテーマの中で、単純な作業の中で楽しんでいる池田学さんに安心したりします。

葛飾北斎さんの神奈川沖の波のような絵がありましたが、友人によると、波を描こうと思ったのではなく白を描こうとおもったら波になったのだそうです。どの絵に何が描かれていたのか忘れてしまいましたが、千手観音の手がにょきっととびだしていたり、電車が釣り下がっていたり、鳥の巣の中に卵がきちんとあったり、そのデッサン力は小さくてペンの点であってもしっかりされていています。北斎さんのように、なんでもデッサンしておられたとおもいます。

制作年代を見ますと、一つの絵から次の絵まで一年たっていたりしますし、この細かさなら時間を要することがわかります。小さな画面の動物などの絵もあり、リアルかと思うと、亀の甲羅が紫色の宝石だったりとユーモアと発想の転換がたのしいです。

子供のころからの絵やデッサンも展示されていましたが、ポスターなどは色がくっきりしていますが、どちらかというと優しい色使いです。法廷画家もされていて新聞にのったりもしています。そんなアルバイトもされて自分の目指す絵を描かれていたのでしょうが、そうしたアルバイトにも悲壮感なく、確実に自分の腕に教え込んでいる印象でした。

(法廷画家では、映画『ぐるりのこと。』のリリー・フランキーさんをおもいだしました。この方、映画が終わるまで、優しいおっさんなのか、突然へらへらと悪人に変身するのか要注意人物ですよね。すいません。関係のないことでした。)

壊れていきながらも再生していくというイメージで元気をもらいました。本会場が混んでいたので、グッツ売り場の絵のまえで、また発見ごっこをしてしまいました。お城が崩れていく<興亡史>の絵が400枚に切られてメモ用紙になっていて、全部糊しろの接着部分を張ると一枚の絵となりますが、広い何もない壁が必要です。

劇団民藝の『33の変奏曲』を観たのですが、「変容」ということがテーマの一つでもあり、パッと池田学さんの絵が浮かびました。ベートーベンさんと池田学さんがつながった一瞬でした。

飛ぶのはわたしの勝手と、勝手な解釈にも、池田学さんから力をもらいました。

 

 

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京都の旅 ・京都の建具、工芸術(4)

地下鉄丸太町までにの間に『護王神社』があり寄りました。<足腰の守護神 いのししの護王神社>とあります。ここは狛犬ではなくイノシシが相対峙しています。

 

 

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祀られているのは和気清麻呂公で、怪僧弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が皇位を奪おうとして対立し南国大隅(おおすみ)(鹿児島県)に追いやられる途中で豊前国の宇佐八幡へお参りの際道に迷ったが、300頭の猪が現れて案内して守ってくれたので、足の病気や怪我、旅の安全や災難などから守ってくれるということです。公を救った霊猪として拝殿前に公の随神として雌雄一対の猪の石像があります。

 

 

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かりんの木が御神木で、ぜんそく封じとしてかりん水飴なども売っていました。参拝のひとが奉納されたのでしょうか、沢山の猪の置物やお人形なども置かれていました。

 

 

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今回は神社仏閣めぐりは少ないのですが、前の夜、<ロームシアター京都>の帰りがけ烏丸通りから姉小路を東に入った所にある『高松神明社』に寄りました。真田幸村さんと縁のある神社ということでした。神社には珍しいお地蔵さんがお祀りしてあり、そのお地蔵さんが真田幸村さんの念持仏で、寛政6年(1794年)紀州九度山の伽羅陀山、真田庵より拝領したとあります。「幸村の知恵の地蔵尊」として信仰されているのだそうです。

 

 

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白い鳥居が二つあって、平安中期に源高明さんが邸宅高松殿の鎮守社として創建したそうで、小路の建物に挟まれた神社で、遅い時間にお勤めの帰りらしい男性がお参りしていましたから、地域の生活の中に密着したお社なのでしょう。夜の灯りの中でそんな感じをうけました。こちらにも知恵を授かっていると良いのだがと期待してしまいました。護王神社での足腰とご利益が叶えば百人力です。

京都文化博物館』での映画『おぼろ駕籠』については、もう一本見たい映画とつながれば書きます。伊藤大輔監督で超豪華俳優陣なのですが、少し流れた感じがしました。

京都文化博物館』の展示室には<祇園祭>の展示があり、映画『祇園祭』を見に来たときには<山鉾巡行の歴史と文化>で今回は<白楽天山の名宝>で、<祇園祭>は奥が深すぎという感があります。さらさらーっと見て、型絵染作家の伊砂利彦作品展でその斬新なデザインに古さと新しさを想い、それから遅い昼食をしつつ、さてこの後どうしようかと考え、そうだ琳派とアニメに行こう。

高島屋は四条河原町ですから近いですし、帰りの京都駅へも地下鉄ですから時間が予測できます。「ぼくらが日本を継いでいくー琳派・若冲・アニメー」。これは、日本の文化を若者たちに継承してほしいという願いが込められていて、『細見美術館』の館長・細見良行さんが監修のもと、アートディレクター・山田晋也さんと友禅絵師・平尾務さんが『細見美術館』の所蔵している作品と人気キャラクターを組み合わせてプロジェクト制作されたのです。それをー琳音ーと名付けられていました。

人気キャラクターは<リラックマ><初音ミク>、手塚治虫さんの<鉄腕アトム><ブラックジャック>などなどです。<リラックマ>の絵と一文は、時々開くとお茶をしたくなります。<リラックマ><コリラックマ><キイロイトリ>の関係も絶妙です。ただ、琳派の絵の中での<コリラックマ>はかなり体を張って無理をしているようで窮屈でした。きっと、やりつけないことをしたあとはお風呂!と言っているとおもいます。

<初音ミク>は、よく知らないのですが、獅童さんと歌舞伎をされている映像を見ましたがあまり好きではなく、あの長い揺れる髪の毛がワカメに見えてしまうのです。キャラや色も強いので個性強い若冲さんの鶏などと組み合わせていましたが、ミクちゃん強すぎです。

その点では、火の鳥などは上手く収まっていました。鉄腕アトム君が僕こんなところに居ていいのかなという恥ずかしそうな姿と表情は個人的にうけました。アトム君のブーツの赤が絵の中でいい具合いです。富士烏とブラックジャックも上手くはまっていました。

好き嫌いの感情を呼びますが、実験的な面白い試みで、『細見美術館』で見た絵を再びよみがえらせてくれ、もう一回原画の全体像を見たいと思わせます。締めは東京の『出光美術館』の「江戸の琳派芸術」 とします。

 

 

 

真田庵 →  2017年7月18日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

映画『おぼろ駕籠』と『大江戸五人男』(1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

京都の旅 ・京都の建具、工芸術(2)

角屋(すみや)』さんは、今、『角屋もてなしの文化美術館』として公開しています。記念館となって公開しているのであろうとずーっと思っていましたが、実際には何代も続く御当主が保存に努力され、唯一の島原の揚屋を残されていて、島原という花街の認識を新たにしました。

花街と遊里の違いは、花街は歌舞音曲の芸を宴会で楽しむところで、歌舞練場があります。今は島原にはその跡しかありませんが、祇園などには残っていて今も活躍しています。東京の新橋演舞場は、大阪や京都の歌舞練場を目指して、新橋の芸妓さんの踊りの発表の場としてできたもので、今も東おどりがあります。島原もかつては、青柳踊があったようです。

金沢生まれの友人が実家に帰って、初めて金沢おどりをみてきてよかったと言っていまして、観光した金沢の花街や泉鏡花さんが浮かびます。

「島原」は最初は秀吉さんの頃、柳馬場二条に「柳町」として始まり、御所に近いため六条柳町に移転させられ、大変なにぎわいで町中すぎると朱雀野(しゅしゃかの)に移転させられ、移転騒動が九州の島原の乱に似ているとして「島原」とよばれるようになったそうで、そう呼ばれるほど注目されていたわけです。

その当時は辺鄙でたんぼばかりのところでしたが、『角屋』は格調高い揚屋であったため文人も訪れていたのですが、次第に便利な非公認の祇園のほうにお客が流れてしまい衰退していくのです。

二階は、緞子(どんす)の間(襖が緞子ばり)、御簾の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間、檜垣の間と趣向を凝らした部屋が並んでいます。釘隠しも部屋によって違い、障子の組子が一枚の板を曲線に細く削ってたてにはめ込んでいたり、腰板に工夫があり、天井ががまむしろだったり、大きな仏壇置きに似た浄瑠璃を語る場所があったり、その建具類が京の専門の職人さんが腕を奮ってこしらえているのがわかります。

壁も種類を替え、九条土のくすんだ青がこれまたいいのです。金沢の料亭でも鮮やかな群青色の壁を使っていましたが、日本海側と内陸の風土の違いの色かもしれません。さらに名家の絵なぞも飾られ、蒔絵の食器なども出されたわけで、そこで太夫さんの博識と芸妓さんの踊りの芸が花を添えていたわけです。

周辺には七つの名所に文芸碑が建立されています。大銀杏、島原住吉神社、末社幸天満宮、島原西門、東鴻臚館(こうろかん)跡、歌舞練場跡記念碑、大門。

 

大銀杏と弁財天社

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島原

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大門

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かつては太夫、芸妓をかかえる置屋でした輪違屋さんは、今はお茶屋さんとして営業していて非公開ですが、意匠をこらしたお部屋があるようです。

 

丹波口駅近くに京都の中央卸売市場がありました。京都の食材はここから運ばれているんですね。

 

細見美術館』は、<麗しき日本の美 -秋草の意匠ー>の展示で、秋草の絵画や工芸がならんでいました。『角屋』さんにも唐紙の引手に『角屋』の紋・蔓三の蔦をあしらったり凝っていましたが、ここにも七宝で楓をかたどった引手がありました。秋草と虫の蒔絵の小箱や団扇、屏風などが人工的空調の中に秋風を感じさせてくれます。

酒井抱一さん関係が中心で、こんなに多くの一門のかたがいたのかなどと思いながらじっくり鑑賞させてもらいました。

面白かったのは、<きりぎりすの絵巻>で、美しい姫が輿入れする様子で顔がきりぎりすで、馬の代わりに蛙だったり、家来がトンボで裃から羽が飛び出していたりします。鳥獣戯画より衣装を着ていますので人に近いです。

秋の葉の一枚一枚を眺めていると、北斎さんが狩野派も土佐派も琳派も、その描き方の違いを学びたいと思った気持ちがわかります。一つの部屋の一枚の絵がその部屋に秋を運ぶためにはどう描けばよいのか。

料亭では絵画や床の間に飾られた工芸がお客さんを秋の気分にさせ、障子を通して届く名月のくすんだ光などを愉しんだのでしょう。美術館ではそんな贅沢な空間を味わえませんが、時々入館者はありますが程よく一人貸し切り状態で、6時の閉館時間ぎりぎりまで優雅な時間をもてました。

ここで手にしたのが、高島屋で開催されている『ぼくらが日本を継いでいく ー琳派・若冲・アニメー』で、この時点では行く予定ではありませんでした。

 

2017年9月26日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

京都の旅 ・京都の建具、工芸術(1)

渋谷オーチャードホールでの玉三郎さんと太鼓芸能集団・鼓童とのコラボ『幽玄』に魅せられて、もう一度と思っていましたらロームシアター京都での公演が決まりました。では観光も兼ねてと実行したのですが、音が違っていました。

色々な条件の重なりもあるのでしょうが、ロームシアター京都の音響が、和楽器の音の微妙さを捉えるには不向きに思えました。最初の締太鼓のときからオーチャードホールと比較すると違和感を感じてしまい、何か違う何か違うと思いつつ聴いていました。玉三郎さんの腰鼓の羯鼓(かっこ)と鼓童のかついだ桶胴太鼓とのセッションも羯鼓(かっこ)の音がとらえられないのです。

お箏はきちんと音をとらえていました。洋楽器のシンバルのような和楽器の手平鉦(てひらがね)なのか妙鉢(みょうはち)なのでしょうか、その音もよく響いていました。後半から太鼓も大きな音はよく響くのですが響き過ぎの感じでした。舞台最終に向かっての盛り上がりかたは素晴らしく何回もカーテンコールとなり、こちらもしっかり拍手しましたが、オーチャードホールでのあの最初からの幽玄さではないとの感はぬぐえませんでした。コンサート会場によって音というものが違うのだということを感じさせられた次第です。

管弦楽用の音響なのでしょうか。笛も神経質な響きにおもえました。和楽器の細やかな音の響きがオーチャードホールのようには伝わってきませんでした。そう思ったのは私だけなのかもしれません。最初にいい出会いをすると、それが誇大妄想になっているのかも。でもやはり最初がよかったです。

しかしそういう意味では和楽器を考えての造りの歌舞伎座などの和楽器の響きにはやはり適しているのでしょう。だからといって、太鼓集団が歌舞伎座でより発揮できるのかどうかはわかりません。歌舞伎もいろいろな劇場で催しますが、役者さんたちもそれなりの違いを感じつつ調整されつつ演じられているのでしょう。旅での公演は音響、舞台の大きさ、楽屋、大道具の置き場所など気苦労も多い事とおもいます。

ロームシアター京都は平安神宮のそばのお洒落な建物でした。休憩時間には、外のテラスでちらっと見える街灯りをながめつつ飲み物を賞味でき、季節がら心地よい空気でした。何より嬉しかったのが、『細見美術館』の目の前ということです。コンサートの前思う存分ゆっくりと鑑賞できました。

 

 

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今回の旅は、京都の建物の建具や工芸の腕前を堪能する旅となりました。お得な宿泊つきフリーがありそちらにお任せで、宿泊が地下鉄の烏丸御池駅近くでしたので、先ずは、ロームシアター京都からは歩いて地下鉄東山駅から一本で三つ目の駅ですからとても楽でした。

地図をながめつつ、今回は後回しにされている島原の『角屋(すみや)』へ行くことにしました。京都駅から山陽線(嵯峨線)で丹波口駅へ。見学後は、山陽線で一つ先の二条駅で地下鉄東西線に乗り換えれば二駅で烏丸御池にいきますからホテルで一息ついて、地下鉄で東山に向かい、『細見美術館』を鑑賞してから『幽玄』へ。

雨が降っても予定を変える必要なしです。上手くはまってくれました。そして、その流れが、京都の建具や工芸品の数々を眼にする旅の始まりとなったのです。そして、琳派・若冲とアニメのコラボにまで行き着いてしまいました。

さて京都の島原は、江戸時代から公認されていた花街(かがい)で、江戸の吉原の遊郭とは違います。(説明されたかたが強調されていました)花街は、歌舞音曲を愉しみながらの宴会の場所なのです。『角屋』はその揚屋(今の料亭)で、二階を建てることを許されたので二階をあげるということから揚屋というようになったとも言われているそうです。

 

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説明を聴く場所が「松の間」で枯山水の庭に臥龍松(がりゅうまつ)の見える部屋なのです。昼間は俳諧師などが句作をして夜は宴会という文芸の街であり、お庭にはお茶室も三つあるとのこと。

 

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「松の間」は、新撰組の芹沢鴨(せりざわかも)さんが最後に宴会をした部屋でもあります。ここで酩酊し(酩酊させ)、お客を泊まらせませんから駕籠で壬生の屯所八木邸に帰り暗殺されるのです。『角屋』から真っ直ぐ北へ進めば(上ル)壬生です。

玄関には、刀置きがあり、さらに帳場のそばに刀入れの箪笥がありました。『角屋』は料亭ですからお料理も作っていまして大きな台所があります。歌舞伎の『伊勢音頭恋寝刃』を思い出しました。料理人の喜助が刀を預かります。油屋も料理を作っていたことになりますが、遊郭の場合は、仕出し屋から料理をとります。その辺は芝居のために料理人という設定にしたのかもしれませんが、伊勢はまたちがうかもです。

 

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「松の間」の柱には新撰組の刀傷があり、『角屋』では騒乱は起きていないので、本来刀を持っては入れないのに持って上りいやがらせのためではないかとのことで、新撰組の悪い評判はこんな行為からもきているのでしょう。この刀傷をみると人斬り刀の威力にゾッとします。

 

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置屋から太夫や芸妓が揚屋に派遣されてくるわけで、その道中が太夫の道中でもあるわけです。江戸吉原では花魁道中といわれています。

二階が別料金となりますが、建具らに手を尽くされた部屋がならんでいて説明つきで見学できます。

 

2017年9月25日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

信州の旅・塩田平(2)

さて『無言館』を目指してと調べていましたら、<塩田平ウォーキング>という散策コースが出てきました。上田電鉄の別所線、塩田町駅から別所温泉駅までの塩田平を散策するコースで、<信州の鎌倉シャトルバス>を使うと『無言館』前で降りて、『無言館』→『信濃デッサン館』→『前山寺』→『龍光院』→『塩野神社』→『中禅寺』までが散策としてよさそうです。ゆっくり一日をかけて。上田駅でこのコースを利用できる一日券がありました。

長野から塩田町駅までは三つの鉄道会社を乗り継ぐことになります。

長野駅(JR東日本・篠ノ井線)⇒篠ノ井駅(しなの鉄道)⇒上田(上田電鉄別所線)⇒塩田町駅

篠ノ井駅からのしなの鉄道は軽井沢まで行く線で、長野から乗り入れていますので、長野から軽井沢まで行けることがわかり、三日目の予定が決まったのです。なかなか面白い計画を立てることができました。

上田電鉄別所線は、かつて別所温泉へ行った時、「上田電鉄を守ろう!」というスローガンがあり運営が大変なのだと思った記憶があります。別所温泉は散策にも楽しい場所で、また歩きたいところです。

無言館』と『傷ついた画布のドーム』の二つの展示館があります。前日には小布施で80歳を過ぎても旅をし勢力的に絵筆を持ち、90歳を目前で亡くなられた葛飾北斎さんと対面していたので、志なかばで戦争で亡くなられた若い方達への想いが押し寄せてきます。

出征前、自宅に帰り、周囲が声をかけられないほどの真剣さで絵を描いていたというお話。最後に大好きなおばあちゃんを絵に描かれたかた。貧しくて一家団欒などなかったが、それを想像してゆったりと過ごす家族を描いた絵。父母には心配はかけられないという気持ちが強いため本音が言えなくても、姉や妹などには本音をつぶやかれていたりします。その想いをしっかり受けとめられ、作品を守り通されてこの美術館に託された方達もたくさんおられます。

ここの美術館はドアを開けるとすぐ展示場で、出口でお金を払うかたちになっているのですが、ドアが開いて「ごめん下さい。」といって入って来られたご婦人が、「御免なさい。もっと早く来たかったのですが、やっとこれました。」と言われ静かに絵を観始められました。戦争を体験された年齢とお見受けしました。中にいた人々はちょっと驚きましたが、またそれぞれ静かに絵を眺めそれぞれの世界へ。

ご婦人は、ここへ来たいと長い間思われていたのでしょう。たくさんの抑えられていた想いを絵のまえで解放されていかれることでしょう。

絵と言葉に涙が出てきますが、背中を優しく押されるような気配を感じつつ『無言館』(戦没画学生慰霊美術館)を後にしました。

信濃デッサン館』の館主である窪島誠一郎さんは、大正から昭和にかけて活躍しながら、結核や貧しさのため早くに世を去った画家の作品をあつめてこの美術館を開かれました。その後、『無言館』の開館となったのです。途中に分館の『槐多庵』がありました。「ヨシダ・ヨシエの眼展」。初めて眼にする名前です。美術評論家であるらしく2016年1月(享年86歳)に亡くなられています。写真の様子からしますと、自分の意思を通されたかなりユニークで豪胆なかたという印象です。

米軍占領下時代に、丸木位里、俊子夫妻の絵『原爆の図』を抱えて全国巡回展示をしておられます。横尾忠則さん、池田満寿夫さん、赤瀬川原平さんらの作品が展示されていて、こうした方々の作品についても書かれたのでしょう。ヨシダさんの「檸檬」についての文がありましたが独特の解釈です。当然、梶井基次郎さんの名前もでてきました。

 

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そして、ここで『日本近代文学館 夏の文学教室』での堀江敏幸さん(作家)の『檸檬の置き方について』という講演を思い出しました。梶井基次郎が檸檬をどんな置き方をしたのかということを考えられて話しをすすめられて結論を出しました。その結論は、ビリヤードの玉を置くときの感覚です。(このユニークな展開は今はもう説明できません。勝負する前のビリヤードの玉。梶井さんのお母さんがビリヤード店をやっていたことがあります。)

信濃デッサン館』には、夭逝された戸張孤雁さん、村山槐さん、関根正二さん、野田英夫さん、靉光さん、松本俊介さんなどの作品やデッサン、資料があります。「立原道造記念展示室」が併設されていて、なぜここにと思い係りの方にお聴きしました。東京にあった「立原道造記念館」が閉館となり、その作品を預かる形で、この美術館におかれたのだと説明してくださいました。

信濃追分の油屋のことを書いたとき、ここでお会いするとは思っていませんでした。油屋が火事になった時、立原道造さんは泊っておられ、危機迫ったところで助けらています。

立原道造さんの詩の原稿は太いブルーのインクで書かれていて読みやすいです。詩も若い頃の心情が多少甘酸っぱさを含んでいます。絵のほうの『魚の絵』などはパステルで童画のようで、色合いが明るさと楽しさで溢れています。北斎さんの写実なカレイとサヨリとメバルの三匹の魚の絵を観た眼は、ころっと立原道造さんのこの絵に眼がいきました。

館主の窪島誠一郎さんは著作品も多く、『詩人たちの絵』は、立原道造さん、宮沢賢治さん、富永太郎さん、小熊秀雄さん、村山槐多さん5人の短くも激しく生きた姿を絵も掲載されて書かれています。立原道造さんは、その短い一生のなかで信濃追分の風景が重要な役割を果たしていたことがわかりました。でも今は、塩田平を見下ろすこの地が気に入られているとおもいます。

村山槐多(むらやまかいた)さんは、父との確執から京都の家を飛び出し東京へ向かう途中信州の大屋の伯父の家に寄っています。このそばに海野宿がありその古い家なみと信州の風景をスケッチします。本格的な絵を始める心づもりと場所がこの地だったのです。海野宿はしなの鉄道の大屋駅と田中駅の中間に位置します。行きたい場所がまた一つ出現しました。

無言館』から『信濃デッサン館』までの歩く道の間にも、時々塩田平が姿を見せてくれます。

 

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美術館とはお別れして、散策コースの続きですが、なんと『信濃デッサン館』のすぐ前が『前山寺』の参道でした。

 

2017年9月11日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

信州の旅・小布施(1)

今回の信州の旅のメインは『無言館』を訪れることですが、予定を立てているうちに他の方面にもおもいが広がり、『無言館』は一日あてるとして先ず小布施となりました。

小布施は、葛飾北斎さんが岩松院(がんしょういん) の本堂天井画「八方睨み鳳凰図」を描かれている場所です。北斎さんの娘である葛飾応為さん(お栄)をモデルにした朝井まかてさんの小説『(くらら)』を読んだとき、お栄さんが一緒に小布施に行ったのかどうかに興味がありました。『眩』では北斎さんが小布施に行った時お栄さんも一緒だったとは書いていないのです。行かなかったのかと残念な気持ちだったのですが、北斎さんが亡くなったあとでお栄さんが回想するかたちで自分も小布施へ行ったとあり、まかてさんこう来ましたかとその手法にまいったと思って嬉しくなったのです。

事実なのかどうかはわかりませんが、お栄さんがあの鳳凰のどこかに筆をあてたと考えるだけでも、もう一回観に行こうと思ってしまいます。それで小布施を加えたのです。岩松院は長野から長野電鉄で小布施の次の都住駅から歩いて20分とのことで、下りたことのない駅で歩ける楽しさでもあります。<実りの秋>とはよく言ったものです。林檎の木に小ぶりのの林檎が赤かったり青かったりたわわに実り、歩く道から手を差し出せばとれてしまいます。果樹園でない場所で、無造作にこんな近くにリンゴの木が続いている道は初めてです。栗も大きな真ん丸の緑が可愛らしいです。

天井画の鳳凰はあいかわらず色鮮やかな姿を展開しています。かつては寝転がって鑑賞したのですが、今は椅子に座ってです。やはり寝転がって味わいたい鳳凰です。お栄さんの描いたところはどこかなと眺めます。あの赤の色を変えているところか、茶の羽根の濃淡の部分かな、いやいや、北斎さんは目を優しく描くので、「おやじさん、目はあたしに書かせて。」とばかりに、あの睨んでいる目かなと想像しつつ眺めていたら首が痛くなりました。

 

北斎大鳳凰図  (絵葉書より)

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説明の放送もありますが、係りに説明を聴いてくださいとありましたので、お栄さんがここに来たかどうかをお尋ねしました。来たとのこと。この絵は、小布施の豪商で文化人の高井鴻山(たかいこうざん)さんが依頼し、150両の絵の具代がかかっているのです。宝石を砕いて使っており、それだけの金額をかけたからこそ驚くべき色が残ったのかもしれません。初めて観た時は、修復して綺麗にしたのだと思ってしまったほどでした。

 

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北斎さんが80過ぎてからの作品で、小布施までよく来たものだとおもいますが、絵だけに集中できる環境だったからでしょう。弟子が何人きたのかどうかは記録にないそうで、お栄さんが一生懸命絵の具を作られ、北斎さんとはどんな言葉をかわししつつ完成させていったのでしょうか。お二人のバトルの姿を、今、鋭い目の鳳凰がお二人に負けじと睨み照らしているような感じがします。

岩松院には、<福島正則霊廟>もあります。

 

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さらに小林一茶さんの「やせ蛙まけるな一茶ここにあり」を詠んだ場所でもあり<蛙(かわず)合戦の池>があります。桜の季節の五日間、大人の手のひらの大きさの蛙がメスの産卵のときオスが手伝うのだそうで、メスが少ないため争奪戦となり、その様子と自分の病弱な初児・千太郎への声援と重ねて詠まれたのだそうです。残念ながらお子さんはなくなります。一茶54歳の時です。

 

 

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シャトルバス<おぶせロマン号>で北斎館前へ移動し、ここで栗の木を小さな正方形にして埋め込んだ<栗の小径>を進むと『高井鴻山記念館』があります。高井家は豪農商家でその子孫である鴻山さんは15歳から16年間、京都や江戸へ遊学していて幕末期ということもあり様々な人々と交流し、屋敷には佐久間象山さんも訪れ畳が擦り切れるまで火鉢を押し合って激論したようです。

もちろん北斎さんにはアトリエを提供し画の師として厚遇し、合作も残しています。晩年は妖怪の絵を多く描き、維新の世は鴻山さんが想像していたのとは違っていたのかなとも思えてきました。妖怪は北斎さんと河鍋暁斎さんの絵から学んばれたようです。「夏季特別展 高井鴻山の妖怪たち」

 

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さらに栗の小径を進むと『北斎館』です。『北斎館』に入る前に栗のアイスクリームを賞味。砕けた栗とアイスが絶妙です。『北斎館』では「企画展 北斎漫画の世界」を開催中で、絵の勉強をする人のための本ともいえるもので、人物、動物、植物などあらゆるものの形が描かれています。北斎さんは見えるものは全て自分の手で描く。北斎さんの手が描かずにはいられないという天才の宿命のようなものを感じます。

肉筆画に鮭の切り身一切れと椿という絵があり、その組み合わせにどうしてこうなったのであろうと可笑しさと不思議さに頭をかかえました。普通では考えられない発想です。たまたま鮭の切り身があり、その身の色に、ぱっと見えた椿の花の色が反応したのでしょうか。笑うしかこちらは反応できず。まいったなあ。

小布施にはかつて祇園祭があって、その屋台の天井絵を二基分描いていてそれも展示しています。一基は<男波>と<女波>、もう一基は<鳳凰>と<龍>です。小布施の人々は、北斎さんという画人をもっと身近なところで、江戸の広さとは違ったかたちで口の端に乗せて語りあっていたように思えます。

驚いたのは、『北斎館』にテレビドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』のポスターがありました。あまりのタイミングに係りのかたに今年の9月の放送ですかと確かめてしまいました。調べてみましたら、NHKテレビで北斎さんの波のようなうねりで北斎関連番組があります。

 

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  • 9月15日 NHK 歴史秘話ヒストリー 『世界が驚いた3つのグレートウエーブ 葛飾北斎』 午後8:00~8:43
  • 9月22日 NHK 歴史秘話ヒストリー 『おんなは赤で輝く 北斎の娘・お栄と名画ヒストリー』 午後8:00~8:43
  • 9月18日 NHK 特集『日本ーイギリス 北斎を探せ!』 午前9:05~9:50
  • 9月18日 NHK ドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』 午後7:30~8:43
  • 10月7日 BSプレミアム 特集番組『北斎インパクト』 午後9:00~10:30
  • 10月9日 NHK 特集番組『北斎 ”宇宙” を描く』 午前9:05~9:55

先のことですので、興味のある方は確認されてください。参考まで。

 

日本橋高島屋8階ホールで『民藝の日本 ー柳宗悦と「手仕事の日本」を旅するー 』を開催しています。改めて日本の人々の手仕事の素晴らしさに豊かな気持ちになりました。展示のし方と民芸の選び方も視点のしっかりさを感じさせてもらいました。(9月11日まで) 劇団民藝『SOETSU 韓(から)くにの白き太陽』

 

信州の旅・塩田平(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

木のまち鹿沼(2)

『鹿沼市立川上澄生美術館』の係りのかたから、すぐ前の建物<文化活動交流館>で屋台を無料で見れますので是非どうぞと薦められました。

中央公園に屋台展示館があるのでそこで見ればよいかなと思っていたのですが、せっかく薦められたのでのぞかせてもらいました。お祭りで引っ張るお囃子の屋台よね、ぐらいの感覚でした。

三台の屋台がありましたが、精巧な彫り物で囲われたものでした。見くびりすぎていました。色彩あざやかなものもあります。係りのひとが説明してくれました。鹿沼には27台の屋台があり、秋祭りにはそれが今宮神社に集まるのだそうです。

説明してくれた方の町内には屋台がないので詳しくはないのだそうですが、この展示している三台の町内のかたが見に来て色々教えてくれるのだそうです。自慢のおらが町の屋台ですから自慢したいところがそれぞれにあるようで、聴いていてもその語った人の様子が伝わってきます。

彩色のあるものとないものは、江戸時代のものであれば、八代将軍吉宗さんの時の倹約令の影響ではとのことでした。昭和に創作されたものは白木のままです。

屋台を方向転換させるのに現在ではネジ式ジャッキや油圧式ジャッキを使いますが、昔からの<テコ廻し>という方法も行われます。ウマというテコ台にテコ棒を乗せ屋台の前方を持ち上げ、ウシという回転台を屋台の下に入れ回転させますが、このテコで屋台が大きく傾いたところも見どころなのだそうです。

屋台の正面の屋根の唐破風が見事です。唐獅子、鳳凰、龍、魔除けの霊獣などがあり、花や鳥、波しぶきなど一つ一つ眺めていたら時間がいくらあっても足りませんので、中央公園の展示館に向かいます。<屋台のまち中央公園>とあり、この公園に<掬翠園(きくすいえん)>という日本庭園がありその入口に芭蕉さんの像がありました。芭蕉さん、『奥の細道』の途上この日光街道の鹿沼宿で一泊していてその時の句が「入あひのかねもきこへすはるのくれ 風羅坊」だそうです。<風羅坊>は芭蕉さんの別号とか、知りませんだした。

屋台展示館>は映像などもあり有料ですが、こちらの三台の屋台も立派で、ここの係りの方の町の屋台もあり、その彫刻の素晴らしさを解説してくださいました。日光東照宮にたずさわっていた彫刻の職人さんが冬の仕事にならない時に、屋台の仕事をしたのではないかということで、そのもととなる<木>が鹿沼にはあったということです。

良い木があったので職人さんも腕を振るえたわけで、休まずに腕を磨く訓練にもなっことでしょう。動かぬ建物の彫刻と近くで見れる動く祭り屋台の彫刻という事に対する職人としての腕の見せどころもあったかもしれません。

今は組み立てて展示していますが、10年くらい前は、毎年秋祭りに組み立てていたのだそうです。鹿沼の屋台を祭り以外の日でも観れるようになったのは10年前くらいからなのです。係りのかたは、この歳になって、こうして皆さんと屋台のことをお話しできるのも、ご先祖さんのお陰ですと言われていました。

10月の第2土曜・日曜の秋祭りには来てくださいといわれ、この彫刻の屋台が動くのを観たくなりました。お祭りでこの彫刻が欠けたり壊れたりすることはないのか聞きましたら、動かしては壊れないが、触る人がいて、つけたくはないが今は世話役の人が四方についてそいうことのないようにしているそうです。

数年まえから見物のお客さんが増えたそうで、一時は、屋台を出さない町内もあったのですが、今は27台が<今宮神社>に集合するそうで、古峰神社へのバス停とそこからすぐの<今宮神社>を通りまで出て教えてくださいました。バスの時間まで10分位ありましたので、急いで今宮神社へ行き、ここに27台が集まるのかと想像しました。これで今宮神社の場所もわかりました。

古峯神社>へのバス停が近くにあり助かりました。本数が少なく一時間ほどかかりますので行けるかどうかが問題でした。もどってくるバスも問題だったのですが、古峯神社のそばにある庭園<古峯園>が閉まっていましたので、帰りの30分後のバスに乘りました。それでなければ1時間半ここにいなければならないのです。お参りして、中を見させてもらいました。赤と黒の大きな天狗が飾られていました。御朱印のことも書かれていて種類が多いです。今日はどの御朱印なのでしょうか。友人が来れなかったのは残念です。私がもらって渡すわけにもいきませんし、帰ってから10月の秋祭りに行くことを告げてはおきましたので、その時にでも再度訪れることにしましょう。

<古峯神社>のまでの途中に<金剛山瑞峰寺>というお寺もありました。帰りなら下りなので次の機会には寄れるかもしれません。信仰の山奥といった趣きです。

さて、JR鹿沼駅までバスで直行ですが、バスの中で<屋台展示館>で手に入れました鹿沼秋祭りのパンフレットを取り出しますと英語版でした。このパンフレットの内容が良いので観光案内でもあれば日本語版をもらおうと思いましたが、それらしきところがありません。駅員のかたが、駅前を掃除されていましたので尋ねましたが観光案内は無いという事で、パンフレットをみてこれはいいですね、駅にも置きたいですといわれます。

屋台会館に電話してみますと中に入られました。ここで、電話されてもどうにもならないしと思っていましたら、出てこられて「住所を書いてください。」「え!」「送ってくれるそうですから。」と思いがけない展開でした。後日早々と届きました。

パンフレットを見つつ、「鹿沼秋まつり」の屋台に会えるのを愉しみにしていますが、頭の中で鹿沼の地図は出来上がっていますので秋祭りまえにもう一度訪れる可能性が大きいです。

「木のまち鹿沼」から「屋台のまち鹿沼」のほうが強いかもしれませんが、もとはといえば<木>があったからという想いが強いので「木のまち鹿沼」としておきます。

     掬翠園

     今宮神社 

     古峯神社