国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』 (1)

『鬼一法眼三略巻』(きいちほうがんさんりゃくのまき)

「義経記」(ぎけいき)などの説話や史実から創作された芝居らしい。

<菊畑>(きくばたけ)<一條大蔵譚>(いちじょうおおくらものがたり)などは単発で見ているが義経の話が基本にあるとは知らずにいた。ただ「平家物語」を読んでいたので平家がまだ奢り高ぶっている時代の、源氏側の水面下の平家攻略の話で面白かった。

史実にもあるものは、そこでは登場しなかったり目立たない人物でも古典芸能・芝居・映画・ドラマなどで表に大きく登場させることが出来るし、脚色しやすい。これが小説などになると、作家の作った登場人物であるから、作家の描いた人物を壊し過ぎると作品自体の崩壊にもなるのでかなりの制約があるように思う。

歌舞伎に出てくる鬼一法眼も、一條大蔵卿もそんな時代の中で登場する人物であろう。今回初めて自分の中で時代に解放して見せられた登場人物である。時代背景が芝居だからと軽くみていたのである。ところが時代が解かると嬉しいことにもっと人物が生き生きとしてきて、役者さんの演技にも深く入っていけるのである。

このところ「平家物語」様様(さまさま)なのである。

芝居は今回【六波羅清盛館】が約40年ぶりの上演で本当は三段目なのを序幕にもってきている。本来は序と二段目で義経と弁慶の生い立ちをやるようで今回はない。さらに五段目で義経と弁慶が出会うそうで、ここまで知ると、全部通しで見たくなる。

清盛(中村歌六)は吉岡鬼一法眼が所持している兵法の書を差し出すように云うがなかなか差し出さない。それは鬼一法眼が今は平家で元は源氏である。これは明かされないが此のくらいは知っていた方が次の幕での鬼一法眼(中村吉右衛門)の演技がわかる。父の代わりに娘の皆鶴姫(中村芝雀)が持参するが、読み上げろといわれて読むとそれは重盛(中村錦之助)の清盛が義朝の妻・常盤御前を愛妾にしている事への意見書である。出ました重盛。ここでも思慮深い。ここだけの出だが錦之助さんは美しい。少々ひ弱わだがこの辺から重盛の悩みが続くとすればそれも良い。鬼一には幼い頃別れた鬼三太・鬼次郎の二人の弟がいてこの二人が源氏がたについているためその詮議のために湛海(中村歌昇)が鬼一の館へ遣わされる。歌昇さん大きさに欠けるが張り切っているのがわかる。

【菊畑】鬼一法眼の館で鬼一が庭の菊見物に出てくる。この館の奴として智恵内(中村又五郎)と虎蔵(中村梅玉)が仕えている。智恵内は実は鬼三太。虎蔵は実は牛若丸。二人は兵法の巻き物を手に入れたいと思っている。いつも思うが梅玉さんの牛若丸が幾つになっても牛若丸である。その歩き方、座っている時の型が若き貴公子なのである。この役が体の一部になっているのであろう。弟としりつつ清盛の探索から救うため二人に暇を出す鬼一。そこにいたるまでの鬼一と智恵内の探りあい。智恵内と虎蔵との主従関係を見抜く鬼一の仕掛け。吉右衛門さん初役だそうだが初役とは思えない。智恵内は演られているから頭に入っているのであろう。

その後皆鶴姫は虎蔵に思いをよせ、それを取り持つ智恵内のひょうきんさも出す場面でもあるがここの智恵内は難しい。鬼一とのやり取りとは違う智恵内を出さなくてはならない。

鬼一の出から引き付けられたのが、女小姓楓。とても良い形である。鬼一にメガネを渡したりするのであるがその姿のよい事。動いても形が崩れない。胸を張って膝は少し折って少し片足を引いたり。女小姓に見とれたのは始めてである。子供の時から型を体に覚えさせるので他の演劇が敵わないところなのである。大谷廣松さんと思うが。

この後に今回は無い【奥庭】があって牛若が鞍馬で天狗から兵法を習ったという伝説とそれが鬼一法眼であったという展開になるらしいが残念である。時間の制約があるので仕方がないが、それだけこの演目は大きい作品ということである。

【一條大蔵譚】は次になってしまう。これは、現代人も好む話と思う。