2012年締めの観劇 『日本橋』

2012年の最後の観劇が、日生劇場の『日本橋』になった。最後にしてまたもや良い芝居に巡りあえた。 録画で玉三郎さんと孝夫(仁左衛門)さんの『日本橋』も観た。他の方々のも観たが、どうも腑に落ちなかった。泉鏡花の世界はこれだけか。自然主義に挑戦してきた彼の花柳界を描いたものがこんなところに落ち着いていい訳が無い。小説を自ら戯曲にしたのであるから舞台の上で、芝居として表現してこそ自分の世界を現せると考えたのではないか。玉三郎さんにとって25年目の『日本橋』である。それまで演じられてきた足跡は確実に『日本橋』を鏡花の世界にした。

言葉は美しくさらに『日本橋』にも<異界>はあった。それは、葛木の姉の身代わりの人形の世界である。

稲葉家のお孝と葛木の出会う一石橋の場面がいい。もうここで鏡花の言葉と世界に操られる。雛祭りに供えた栄螺(さざえ)と蛤(はまぐり)を汐入りの川へ返してやる放生会、その事自体が粋である。葛木はそのため巡査の不審尋問にあう。お孝は、巡査に向かって、雛にあげて口を利いた生き物を蒸したり焼いたり出来ないと伝法に言い放つ。この辺の言葉からもうお孝の人物像ははっきりしている。

葛木は姉に似ている瀧の家の清葉に7年目にして打ち明けるが清葉は旦那があり葛木を受け入れない。お孝はその事を知っていて葛木に近づいたのである。お孝の中にはその時邪悪なものが在ったのかもしれないが、葛木にも観客にも見えない。見えないだけに五十嵐伝吾との事で後悔するお孝の苦しみが悲痛である。

葛木が清葉との事をお孝に話して聞かせるとき、回り舞台を使い清葉を登場させ、お孝を明かりの外に置く。これは、葛木が清葉との会話を全てお孝に誠実に話したことになり、また重要な姉のことがくっきりと浮かび上がる。葛木の姉は自分に学問をさせるため人の妾となり、絶対に自分と会おうとしない。葛木が学校を卒業すると姉は雛人形と姉に似た人形を残し姿を消してしまう。姉は弟に対し自分の現実の姿を見せようとはしない。姉が弟に残すのは<異界>の姉である。葛木は生身の姉を受け入れようとするが姉はそれを許さない。葛木は一層生身の姉を求める。ところが夫婦とも思ったお孝が伝吾をもてあそんだと知ったとき彼は、姉を捜す旅に出てしまう。

その事を告げられる前に葛木の研究室でお孝はお雛様の飾った横に姉に似た人形を抱かせてもらう。黒の羽織を脱ぎそれに包んで抱きたかったという。お孝はその人形で自分を浄化させたいと願っているようでもある。しかし<異界>の人形はそれを拒否する。

葛木が旅に出てからお孝は気がふれてしまう。伝吾はお孝と間違いお千世を殺してしまう。正気にもどったお孝は、伝吾を殺し硝酸を飲み、戻っていった葛木の腕の中で、清葉に葛木の事を託すのである。この時思ったのは、お孝は葛木が望んでも入る事の出来ない<異界>から清葉に預けることで切り離し、自分が<異界>に入ったなと感じた。人形はそれを許したのである。それが私の『日本橋』の鏡花の世界観である。

出て来る市井の人々も生き生きとしている。もっと人間の交差は入り組んでいる。その中で必要な部分は浮かび上がらせる。とにかくお孝さんも清葉さんも着物の着付け方、左つまの位置、立ち姿、動きかた、美しい。ため息がでる。清葉の帯指した笛の包みの薄いブルーも美しい。彼女は笛の名手なのだがそれを使うこともなくなっている。お孝が最後清葉の笛の音の中で死出に旅立つが、それは、芸に生きてねとも伝えているようである。

一つだけ残念だったのは、路地を舞台装置として作れなかったことである。葛木が日本橋に戻ったとき背景の絵に屋根を描きその雰囲気を出そうとしていたが、金沢の鏡花の住んだ町からしても路地が欲しかった。残念である。

作・泉鏡花/演出・齋藤雅文・坂東玉三郎/ 稲葉家お孝(坂東玉三郎)・滝の家清葉(高橋恵子)・葛木晋三(松田悟志)・五十嵐伝吾(永島敏行)・お千世(齋藤菜月)・巡査(藤堂新二)・植木屋(江原真二郎)

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<日本橋> →  2013年1月3日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)