文楽の若手

国立劇場のあぜくら会の企画で「あぜくらの夕べ~吉田一輔を迎えて~」があり、抽選に当たり参加できた。聞き手が葛西聖司さんで、NHKの「芸能花舞台」でこちらはお馴染みなので楽しみであった。

文楽の場合、主になる人形は三人で遣うのである。今回始めにその三人遣いの説明があり知ってはいたが、足と左の遣いかたの感覚が増幅された。

解説は女の人形であったが、右に対する左手の追従のしかた、足の動かしかたによるふっと立ち止まるか、駆け出すか、それらが一人で遣っている様に自然に動くのであるからいかに修行するか明白である。足遣いは主遣いの腰に寄り添っていて腰の動きから主遣いの動きを察知し、左は人形の頭(かしら)の動き、肩の動きから主の動きを察知して動くのである。

たとえば写真などを見ても人形の形がすばらしい。武者など左は人形の肩のあたりを常に意識されているから、人形の右手が右斜め上に伸びて左手は左下に一直線に綺麗な斜め線が描け大きさを現したりできるのである。これがバランスが崩れていればやはり間延びして、ぴしっときまらない。足も左右どちらかをバランスよく曲げる事によって安定したよい形となる。

一輔さんは文楽に入って30年であるが、まだ師匠(吉田簑助)の遣いかたが全然わからないそうで、師匠の人形の頭の中の指はその場に応じて伸びているのではないかといわれていた。E・Tのように伸びるのかもしれない。それほど顔の表情や頭の動きが無限大なのであろう。遣われているかたが、涼しい顔で遣われているのでいつしか技術面などは忘れて見るものは泣いたり笑ったりしている。

主人公となるような人形の左・足遣い手は相当のかたが遣われているのであるから名前がでても良いのではと思う。黒子なのでどなたなのかわからない。今回の左は期待できるなどと思いつつ見るのも楽しさが倍増するかも。今日の足は駄目だったなどとの声も聞こえたりして。

葛西さんは古典芸能の造詣が深いので、話を引き出されるのが上手く、若手の現状を柔らかくよく表に出されていく。評判になった三谷幸喜さん作・演出の『三谷文楽(みたにぶんらく) 其礼成心中(それいなりしんじゅう)』と一輔さんたちとの創造過程の話から、文楽では若手でも世間的にいえば中堅で、青春時代を文楽にかけた重みを伝えてくれた。演劇界のスターに対しても文楽の世界では互角に対する気概はやはり先輩たちの苦節を背負ってたつ意気込みである。

この演目は来年1月1日 WOWOで放送される。NHKさんも放送してください。

『三谷文楽 其礼成心中』

作・演出/三谷幸喜  作曲/鶴澤清介

出演/竹本千歳大夫・豊竹呂勢大夫・鶴澤清介・吉田一輔 ほか

 

 

 

 

 

平家物語の能 『清経』 (きよつね)

平家物語は古典芸能にも多く取り上げられている。国立能楽堂で、能「清経」を観ることができた。始まる前に「『平家物語』から能へ」の解説があり、大変参考になった。ただ清経は重盛の第三子であるのだが、物語の中で何処に出てきたのか記憶にないのである。捜したのだがいまだ判明していない。記述は四行くらいらしいのだが。

「清経」は世阿弥作で、そのほかにも世阿弥作の『平家物語』からの能は「頼政(よりまさ)」「実盛(さねもり)」「景清(かげきよ)」「忠度(ただのり)」「敦盛(あつもり)」などがあ。これらは修羅物(しゅらもの)といわれ、死んで修羅道に堕ちた武士の霊が、救いを求めてこの世に出現するという演目である。その他、義経 がでてくる「屋島(八島)」なども世阿弥作である。

「清経」のあらすじは、平家一門とともに西国に渡った清経が入水し、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が京の屋敷で一人待つ清経の妻に、形見の髪を届けにくる。妻は驚き悲しみ、遺髪を見ていると自分を残して命を絶ったことが恨めしく思われるので宇佐八幡に納めて欲しいと三郎に返してしまう。夜も更けて清経の霊が現れ、自分の形見の髪を手放したことを恨み、妻は妻でまた会えると約束したのにと恨む。清経は神にも見捨てられ絶望の末に決意した心情とそれまでの状況を語る。

最後に月に向かい笛を吹き今様を謡い、最後に念仏を十唱えて入水する。この場面の地謡が哀愁にみちている。

<人にはいはで岩代のまつ事ありや暁の、月にうそむくけしきにて舟の舳板(へいた)に立ちあがり、腰より横笛(ようじょう)抜き出だし、音もすみやか吹きならし今様を唄い朗詠し>

<西に傾く月みればいざや我もつれんと、南無阿弥陀仏弥陀如来、迎へさせ給へと、ただ一声(ひとこえ)を最期にて、舟よりかつぱと落ち汐の、底の水屑(みくず)と沈み行くうき身のはてぞ悲しき。>

この船上の笛を吹いてる清経の姿は、絵師・月岡芳年の『月百姿(つきひゃくし)』の中の「舵楼(だろう)の月」に描かれていると教えられたので調べると波静かで月に笛で語りかけているようである。また、経正の絵もあり「竹生島月」とあり、竹生島で琵琶をかなでている。

解説者によると、「舵楼の月」絵は、『平家物語』からでは無く能から発想したのではないかといわれていた。そう思える絵である。

入水後、修羅道に苦しむが最後に念仏を十唱えた功徳で成仏できるのであった。

数少ない能の鑑賞のなかで一番ゆったりと余裕をもって受け入れられ、一つ一つの動きや謡の内容・声・面の変化など楽しめた。それぞれ戦いによって追い詰められていく内面も修羅道で、それを能は様式美と面で普遍性を広げている。

「清経」は、男女の心情の相互理解の難しさもテーマとしているのだそうだが、動きとしてはその修羅場はないのでその点は深く感じなかった。

『平家物語』に誘われての新たな展開であった。

(国立能楽堂 12月公演)

解説・能楽あんない 『平家物語』から能へ 小林建二

狂言・大蔵流     「狐塚」 茂山千五郎・茂山正邦・茂山茂

能・宝生流       「清経」 當山孝道・水上優・高安勝久