『伊賀越道中双六』 国立劇場11月

『伊賀越道中双六』(いがごえどうちゅうすごろく)。日本三大仇討が、この芝居の元となっている荒木又右衛門とその義弟・渡辺静馬の伊賀上野の鍵屋の辻でおこった「伊賀上野の仇討」「曽我兄弟の仇討」「赤穂浪士の仇討」だそうである。

「鍵屋の辻」は映画があったと思い調べたら、『決闘鍵屋の辻』で、監督・森一生、脚本・黒澤明、出演・三船敏郎の作品であった。今度出会うのが楽しみである。お気に入りのDVDのレンタルショップが次々と無くなり残念である。本屋さんと同じで、そこでパッケージに書かれている案内や解説、写真を見て選ぶのが楽しいのであるが、そういう楽しみは贅沢の部類に入る時代なのであろう。この映画を調べるのも、本を捜さなくても基本は分かるわけで使い分けの時代であろうか。

歌舞伎の仇討に戻すが、上杉家の家老・和田行家が沢井股五郎に殺され、行家(ゆきいえ)の息子・志津馬がその仇討を果たすまでの話である。

志津馬の姉・お谷は剣豪・唐崎政右衛門(からさきまさうえもん)と駆け落ちして夫婦になっているが、正式の結婚ではないため政右衛門は舅の仇討に手助け出来ない。そこで、お谷を去らせお谷の妹・お後を嫁に迎える。政右衛門の橋之助さんが花道から出てきたとき、由良之助役者だと思いました。これからの橋之助さんの精進が楽しみである。この唐木政右衛門屋敷の場も面白い。どうして駆け落ちまでしたお谷を離別して新しい嫁を迎えるのか。ここの疑問から納得までを橋之助さん上手く運んでくれました。そこが上手く運ばれるので新しいお嫁さんの綿帽子を取ったときの驚きと謎解きが面白くなるのである。お谷の孝太郎さんも政右衛門の一言一言に動揺したり戸惑ったりと武家の妻を維持しつつ演じられた。

別枠でよく単独で演目として出てくるのが「沼津」である。武士の敵討ちに組み込まれる庶民の悲哀が描かれる。志津馬は、吉原の花魁・瀬川の情夫であった。瀬川は今は父・平作のもとに帰りお米として貧しい中で志津馬の仇討の果たされる日を待ち望んで暮らしていた。そんなところへ、平作は呉服屋十兵衛を連れてくる。この平作と十兵衛の出会いと平作宅までのやり取りも見せ場である。年齢を逆転の十兵衛は藤十郎さんと平作は翫雀さんである。身についた関西弁で流れも良いが翫雀さんの平作は少し早すぎるように思えた。極貧の平作宅で十兵衛はお米を見初める。しかし、お米には夫があり、それが自分のお世話になっている沢井又五郎を敵とする志津馬であり、自分が所持している薬を、お米は傷を負っている志津馬に渡したいと思っていることを知る。さらに、平作は実の父であり、お米は実の妹であった。お米は今は貧しい娘であるが、かつては傾城である。門口に立つ姿などにその雰囲気を扇雀さんは映し出した。

十兵衛は全てが分かった上で、薬とお金を置き夜のうちに平作の家を後にする。十兵衛の去ったあとで平作親子は全てを理解するが、そこからさらに、平作は、敵の又五郎の行先を十兵衛の口から聞き出すため息子の後を追う。追いつくのが沼津の千本松原である。この場面が明るく千本松原の中とは思えなかったのが残念である。あの暗さの中でこそ親子の葛藤が似合うと思うのである。もちろん役者さんは夜であるからそのつもりで演じられているが、その気持ちの表現にこの明るさは損をしている。気持ちが乗らなかった。

武士の事情、庶民の事情を包含しつつ、敵討ちは成就されるのである。

沼津の千本松原へはいったことがある。日中でも暗いところである。沼津御用邸記念公園から、沼津魚市場、水門(びゅうお)の上を通り、千本松原公園へ。若山牧水記念館があり、そこで牧水が千本松を切り倒す話があったとき、先頭に立ち反対運動を起こし、この千本松原を残したことを知る。鬱蒼としていて昼間でも暗いところである。井上靖文学碑があったり、種々の歌碑がある。何でもが明るく現代化するなかで、自然の明暗が残る場所である。折角残っている場所である。舞台にもその雰囲気が欲しかった。その中で藤十郎さんの関西弁と関西歌舞伎の柔らかさを堪能したかった。

 

『張り込み』『ゼロの焦点』の映画

映画『張り込み』の原作は短編であった。推理小説としても異色である。映画を見ると原作は心理小説かと思ってしまうほど、張り込みをする刑事の描き方が丁寧であり、見張られている殺人犯の元恋人役の高峰秀子さんが、淡々と日常をの生活を営み、それが、見張りの刑事を翻弄しているようにも思えてくる。映画のほうが原作を超える面白さである。

原作では張り込みの刑事は一人であるが、映画は二人で、ベテランと若手という設定も定番ながら膨らみを持たせた。若い方の刑事が自分の恋人との関係をこの張り込みで考えるという伏線にもしている。そのことが、張り込む相手の女性の心理にひかれていく過程が面白い。この女性は幸せなのであろうか。そして、殺人犯を捕まえた後、元恋人が飛ぼうとして失墜する危機から救ってやり、もとの日常へと戻してやり、自分の恋人には、窮状から自分のもとに飛び立たせるのである。なかなか現れぬ殺人犯を焦りながら待ちつつの心理劇も加わり、さらに、1960年代の長距離急行列車三等席の旅の様子も描かれていて秀作である。

東京発であるが、新聞社記者の目を逸らせるため横浜から列車に乗り込む。三等席は混んでいて座れない。仕方がないので通路に新聞などを敷いて座る。若い頃の旅でありました。ユースホステルに泊って乗り込んだ列車はデッキまで人が立っている。こちらは遊びだから良いけれど。でもこの原作の出だしが、映像としてさらに効果的なのである。まずはここで引きつけられてしまう。張り込みをする宿屋の人々が、ラジオから流れる実況の歌謡番組で美空ひばりさんの「港町十三番地」を聞くのも庶民と歌謡曲の密接さがわかり1960年代の風を伝える。

『ゼロの焦点』。1961年版。何が印象的かというと、能登に行きたくなったのである。観光地能登は積極的に行きたいと思ったことがない。この映画を見た途端行きたいと思った。白黒の力でもあろう。久我美子さんのきりっとした佇まいもよい。ヤセの断崖での久我さんと高千穂ひづるさんの対決も見ものである。久我さんの夫・南原宏治さんの元妻の有馬稲子さんも久我さんと違う色気である。結婚して一週間、夫は元勤務先の金沢へ引き継ぎを兼ねて出張にでて、約束の日が来ても帰らず連絡も取れない。妻・久我さんの捜索が始まる。その金沢行きの走る列車の風景がいい。雪の能登金剛。特典のシネマ紀行。赤坂漁港、鷹の巣岩、義経四十八隻舟隠し、機具岩、関野鼻、ヤセの断崖・・・・。

能登金剛の巌門には<ゼロの焦点の歌碑>がある。それは、この映画が出来る一年前小説に影響されて若き女性が自殺したのだそうである。そのことを悼み松本清張さんの自筆碑である。「雲たれてひとりたける荒海をかなしと思えり能登の初旅」。

2009年版映画『ゼロの焦点』も見たのであるが、こちらは風景よりも、戦争に翻弄された人間の悲しみとそこから這い上がろうとする生きざまを描いていて、社会派推理小説の原点からいえば正統なのかもしれないが、1961年版が好きである。2009年版は、セットも小道具もその当時を再現すべく努力を惜しまない。見ていてそれは凄くわかるのであるが、なぜか退屈なのである。

1961年版は高千穂さんが恐らく死を選ぶべく車で立ち去るが、その時後ろから追いかける夫の加藤嘉さんが追いつける速さとわかる。シネマ紀行によると地元の人が後ろから押していたのだそうである。そんな完璧でないところも当時の時代の味となって映像から風がくるのである。風に乗って匂いも貧しさも運ばれてくる。

『点と線』の青函連絡船の乗船名簿を探すところとか、常磐線回りの青森行きとか、清張さんの映画作品は古い方がワクワクさせてくれる。

 

神田川舟めぐり

<日本橋から品川宿 (1)>(2012年12月23日)で、神田川コースの舟めぐりをしたいと書いたが、あれから早くも時間がたち11ケ月目にして実行である。少し捜してみたら、「江戸東京再発見コンソーシアム」というところが日本橋から、日本橋川、神田川、隅田川、日本橋川とめぐって日本橋にもどるコースがあったため事前に予約する。舟が小さく10人乗りである。東海道歩きの仲間たちも以前情報を提供したところ、興味を持ち貸し切りにしようと仲間が動いたが日にち調整ができず、まずは私がお先に失礼と一人先行する。後は2班位に分かれ後日に予約したようである。

全部で45の橋の下を通過するのである。古地図と現在の地図を見つつ、ガイドさん付きである。屋根もあるので雨でも大丈夫であるが、潮の満ち引きと関係しているので不定期であるためきちんと調べた方が良い。1時間半ほどであるが、45の橋である。それも、あちらの道とこちらの道を、さらには、あちらの町とこちらの町を結ぶのであるから、川は一筋でも地上は複雑で、さらに橋の形、浮世絵で江戸時代と現在との比較などとなると、結構忙しいのである。但し面白い。最初に講義を受けてから乗り込みたいところである。

一橋家は、一ツ橋の近くに住んでいたので、一橋の名前をもらったのだそうである。聖橋は関東大震災の後、ニコライ聖堂と湯島聖堂を結ぶ橋として聖橋。これは一般によく知られていることである。聖橋に異変が。御茶ノ水橋からの美しい聖橋の前に余計なものが。御茶ノ水駅を建てかえるため、川のほうに工事用資材を置く場所と移動するための橋が設置されてしまったのである。少なくとも5年はかかるとか。御茶ノ水駅も相当古いので安全のためには致し方ないが、あの川に移る姿がしばらく見られないのは残念である。

万世橋のところで、旧万世橋駅が復活し煉瓦造りの駅舎後には手作りのお店や飲食店が入っている。その二階からは両側を走る中央線の快速列車がみえるのだそうで、舟から下りたら寄らねばならない。ゆりかもめ(都鳥)も季節がらか沢山みかける。赤いブーツと赤い口ばしがゆりかもめでカモメより可愛らしい顔をしている。柳橋に近づくと、舟宿が並ぶ。上から見るよりも、やはり川から見る方が風情がある。落語の『船徳』を思い出す。この舟は電気ボートで、船頭さんも若旦那の徳さんではないので安心である。隅田川では、清州橋の真ん中にスカイツリーが見える。書き切れない沢山の楽しい発見がある。

舟を下りて、秋葉原駅から万世橋を渡り旧万世橋駅へ。可愛らしいお店があり、川べりはテラスになっていて歩くことが出来る。さっきまで舟にゆられた川を上から眺めるのもいいものである。二階に上がると、ガラス張りになっていて、お子さんたちも安全に手の届きそうな近さで列車の通るのが見えて声をあげて喜んでいる。列車を見ながらのレストランもあり人気で並んでいる。心惹かれたが、万世橋から御茶ノ水橋に向かって歩くことにする。階段を下りるとその階段は、旧万世橋駅の階段である。そしてここで買った本がまた大当たりであった。

万世橋から昌平橋。。そしてJR総武線のが走る鉄道橋、右手には湯島聖堂が、その奥は神田明神である。聖橋も見えてくるが道は聖橋の下をくぐる形で御茶ノ水橋へと続く。ここで散策は終了である。

大当たりの本であるが、竹内正浩著『江戸・東京の「謎」をあるく』である。<第四話 江戸・東京の怨霊を追う>は神田明神と平将門の集大成と言って良いのでは。私としては、これですっきりである。そして神田明神の氏子さんたちの頑張りには拍手である。万世橋駅についての歴史も書かれている。<第一話 江戸の京都を探訪する>からして引きつけられる。舟めぐりも本めぐりも的を射たようである。

映画『地下鉄に乗って』を見て思い出す。聖橋の前を地下鉄が走る。そうである。舟から地下鉄丸ノ内線の電車が通る鉄橋を見上げたのである。そして上手く丸ノ内線の列車が通ったのである。昌平橋、JRの鉄橋、丸の内線の鉄橋、聖橋である。映画『地下鉄に乗って』の聖橋前の地上に一瞬姿を見せる地下鉄の映像も貴重である。

 

長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』

『十八世 中村勘三郎   一周忌メモリアルイベント』が行なわれ七緒八くんが歌舞伎舞踊に参加されたのをテレビの芸能ニュースでチラリと見たが、足が滑ったのに何事もなかったように踊り続け恐れ入ってしまった。目がいい。身体を動かした方向に遅ればせながら目が動く。能に多少こちらも目がいき、能の『小鍛冶』の録画を見て、勘三郎さんの勘九郎時代の『小鍛冶』も見直したばかりであった。勘三郎さんの『小鍛冶』での三条小鍛冶宗近の形と目が好きである。面白い事があると本当に楽しそうに笑うその顔付ではない。目もきりっとしていて怖いくらいである。あの目でみつめられると、勘九郎さんも七之助さんも、何を言われるかと小さくなったであろうと思われる目である。七緒八くんにもあの目がありそうで嬉しくなった。その世界に入り込んだら入りきる目である。

私が見た歌舞伎の『小鍛冶』は、勘太郎時代の現勘九郎さんも出ていて、17才のときであるから、1999年頃のNHKの「芸能花舞台」の録画である。「芸能花舞台」のほうで『小鍛冶』に関連して、『釣狐』と喜多流の『小鍛冶』を断片的に紹介してくれた。能の『小鍛冶』は後シテに出てくる狐の頭の毛の色によっても演出が違うらしく、赤頭、白頭、黒頭がある。狐の足を表現する狐足なども変わってくるようだ。

能『小鍛冶』は、一条帝の宣旨により、橘道成が勅使で三条小鍛冶宗近(宝生閑)に剣を打つよう伝える。宗近は相槌(あいづち)にふさわしい人が見当たらず途方に暮れ稲荷明神に祈願する。すると一人の童子(観世清和)が現れ、日本武尊の草薙剣(くさなぎのつるぎ)についてなど語り、宗近の討つ剣は草薙剣にも劣らぬと告げ姿を消す。宗近が剣を打つ準備を整えたところへ、稲荷明神の使者の狐(観世清和)が槌を持って現れ、宗近と共に剣を打ち剣はできあがる。表に小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ち、狐は稲荷山へ帰って行く。

長唄の『小鍛冶』は、小鍛冶(勘三郎)と使者の橘道成(翫雀)が並んで舞台中央からせりあがる。そして能の後半部分の稲荷明神の神霊。(勘太郎)が花道すっぽんから現れ、宗近と共に刀を打つ。歌舞伎の場合、この刀打ちの槌の音をリズミカルに出させ躍動的である。神霊の動きも足を狐足にしたり、跳躍したりと、勘太郎さんは緊張しつつも一心に努めている。勘太郎さんの若いころからの性格をみるようである。

澤瀉屋には、義太夫と長唄とを取り入れた『小鍛冶』があるようである。

この三条小鍛冶宗近の三条は、京の三条に刀打ちの小鍛冶が多く住まいしていたところで、粟田神社、鍛冶神社、三条通りを挟んで相槌稲荷神社あたりにその痕跡があるらしい。粟田神社は行きたいと思っていた場所でいつも青蓮院どまりなので、是非行く機会を作りたい。さらに友人が狂言の和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画をダビングしてくれ、そのタイミングの良さに嬉々として臨んだが、映らないのである。機種の相違か未設定であろうが、残念でならないない。クシュン!

 

追記: その後、粟田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社へ行けました。携帯からの写真で写りが不鮮明。

          粟田神社。この境内に鍛冶神社があります。  

          相槌稲荷神社

解説版には次のように書かれていました。

「ここは刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、その邸宅は三条通りの南側粟田口にあったと伝える。宗近は信濃守粟田藤四郎と号し粟田口三条坊に住んだので三条小鍛冶の名がある。稲荷明神の神助で名剣小狐丸をうった伝説は有名で謡曲「小鍛冶」もこれをもとにして作られているが、その時相槌をつとめた明神を祀ったのがここだともいう。なお宗近は平安中期の人で刀剣の鋳も稲荷山の土を使ったといわれてれる。 謡曲史跡保存会」

追記2:  時間を経て 2021年に和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画を観ることができました。