歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 夜の部(2) 

『乗合船恵方万歳』(のりあいぶねえほうまんざい) 苦手の常磐津の舞踏である。ところが、常磐津林中さんのCDが出てきたのである。いつ買ったのか記憶が定かではないから、かなり前であろう。もしかするとその時も苦手と思い名人ならと思って買ったのかもしれないが、レコードのSP盤のCD化であるから雑音が入っていて聞きずらい。その為もあってしまい込んでしまったのかもしれない。林中さんのレコードのなかでも通人や萬歳と才造の掛け合いなどの軽妙な芸でこれが一番売れ、『将門』は、林中さんのレコードによって愛好者を広げたようである。『将門』は物語性があるので常磐津でもついていけたのである。『乗合船』は江戸の隅田川風物詩で詞は分らないところもあるが、雰囲気はわかる。

船に、女船頭(扇雀)、白酒売(秀太郎)、大工(橋之助)、通人(翫雀)、田舎侍(彌十郎)、芸者(児太郎)が乗り合わせている。それに萬歳(梅玉)、才造(又五郎)が加わり、それぞれの踊りを披露するのである。それぞれの役者さんの役柄にあっていて、林中さんの萬歳と才造のやり取りの調子の良いリズム感は伝わっていたので、梅玉さんと又五郎さんの二人の踊りの軽さには乘ることが出来た。この踊り七福神にもかぶせているお正月らしい出し物である。

『東慶寺花だより』どうなるかと楽しみであった。話の前と後は滑稽本作者の信次郎(染五郎)の売れた滑稽本から始まり、駆け込みの人々を観察して新しい滑稽本が出来上がり目出度し目出度しで終わるのであるそ。おせん(孝太郎)の登場で江戸時代の妻の持参金は夫から離縁申し立てのときはそのまま妻のもので、妻からの離縁申し立ての場合は夫のものとなることや東慶寺に入ってからのしきたり、2年間勤め上げれば女は誰と結婚してもよいなど、駆け込み寺の仕組みが説明される。駆け込み女性や関係者を預かる宿柏屋に、信次郎はその仕事を手伝いつつお世話になっているのである。その宿の主人(彌十郎)も、もめ事をまとめる人であるから穏やかで宿の使用人も心得ているから信次郎も居心地がよい。さらに年頃の娘・お美代(虎之介)が信次郎を好いている。(原作では八つであるが、芝居では年頃の娘とした)おぎん(笑也)の話が加わり信次郎は東慶寺の中へ入り、信次郎が医者の修行中であることがわかる。おぎんは囲われる者でそのご隠居から自由になりたいのである。信次郎はそのご隠居(松之助)に意見をしたりもする。そこに男の惣右衛門(翫雀)が駆け込んでくる。東慶寺は男子禁制でそれはかなわない。惣右衛門の妻(秀太郎)が追いかけてきて、一悶着あるが、惣右衛門は妻に丸め込まれて渋々帰って行く。そのことから信次郎は、男と女、あべこべの世界の滑稽本の題材を思いつくのである。

原作の面白さは薄められたが、説明しなくてはならない部分を考えると上手くまとめたかなと思う。信次郎の世間に対する修行の身と言うことも加わり、完全でないところが人に好かれる原因でもあり、愛嬌でもあり、染五郎さんは楽しんで役にはまっておられた。そして有能なコンビが、キャリーバッグである。机にもなり本当によくできていた。ただ、滑稽本の粗筋の説明のとき、声が高く早口になり聴こえずらのが難点であった。染五郎さんの明るさ、宿に係る人々で駆け込みという題材に温かさが加わり、翫雀さんと秀太郎さん夫婦で笑いをとった。駆け込みの仕組みの説明がそれとなくわかる方法があれば、また違う題材の『東慶寺花だより 〇〇編』も可能である。

信次郎は円覚寺の僧医の代わりに代診したのであるが、お寺には専門の医者が居たようで、龍馬のお龍さんの父も医者であり、京都青蓮院の医者であった。

長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』で、<粟田神社、鍛冶神社、三条通りを挟んで相槌稲荷神社あたりにその痕跡があるらしい。粟田神社は行きたいと思っていた場所でいつも青蓮院どまりなので、是非行く機会を作りたい。>と書いたが、その後行く機会があった。栗田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社を参り、三条通りの 地下鉄東西線の東山駅へ青蓮院側の通りを歩いていると、「阪本龍馬とお龍結婚式場跡」の案内表示版がある。そこは、青蓮院の旧境内で塔頭金蔵寺跡で1864年8月初旬仮祝言とある。さらに、お龍さんの父が青蓮院宮の医師であった関係でそうなったとあった。お龍さんの父がお医者さんとは知っていたが、青蓮院のお医者とは驚いた。反対側を歩いていれば見つけていないのである。相槌稲荷神社は、住宅の路地奥にあり個人のお稲荷様かと思うような雰囲気で残されていた。そっと住人のかたの邪魔にならないように静かにお参りさせてもらった。