水木洋子のドラマと映画 (1)

市川市文学ミュージアムで水木洋子展をやっていることはすでに書いたと思うが、水木洋子展の内容に関しては書いていない。と言いつつ今回も書くつもりはない。映画のポスターや、シナリオの原稿は説明しても想像するのは難しいであろう。と言う事で水木さん脚本のドラマについて。

横浜放送ライブラリーで、水木さん脚本作品の聞けるもの見れるものは全て見たのであるが、水木洋子展の関連でテレビドラマ上映会と映画上映会をやっている。その中で、1970年の「東芝日曜劇場 五月の肌着」だけ再度見ることが出来た。面白い手法を使って姉と弟の言葉に表すと壊れてしまうような情愛を描いている。

先ず画面の大きさでバックに流れる音楽の見る者への影響が大きいことを知る。チェンバレンのような楽器の音楽が流れその音楽と列車の踏切の信号の点滅とが重なる。いい流れである。放送ライブラリーでは気にかけなかったがはっきりと印象づけられる。電車の乗り降りの乗客があり、ホームの若い青年が電車のドアガラスを乗車内に向かって割るのを乗車内から写す。その青年のこぶしの先に一人の着物姿の女性が写し出される。彼女の仕種、表情から回りの乗客三人がそれぞれこの男女の関係を想像するのである。その想像が週刊誌の見出しと同じというように、電車の中の週刊誌の釣り広告が映し出される。

この美しい女性は池内淳子さんで、想像に任せて、想像の役をするのである。青年が高橋長英さんである。人の想像とは面白いものである。どれが本当の彼女なのか。若い男を騙し袖にしてその仕返しなのであろうか。水木さんは、よく役者さんを見ていて上手い配置をする。特に女優さんの選び方は素晴らしい。(一応水木さんが選んだと仮定していての話である)池内さんは五役演じている。48分のドラマに五役であるから何が何だかわからないという事になりそうであるが、そこは、脚本の良さと役者さんの力である。この二人の男女の関係は本当はどういう事なのかと頭のどこかで思わせられつつ、本題に引っ張られていく。

問題を起こし家を出てしまった弟。家族のために婚期を逃してしまった姉が今度こそは結婚しようとして、弟に会いに行くのである。弟には年上の恋人がいて、弟は姉を慕っていることがわかる。今度は自分は結婚すると決めそれを告げ電車に乗ったところで弟が姉に向かって電車のドアのガラスを割るのである。それが弟のどんな気持ちなのかは、見る者に託されている。

私は、弟が俺はもう大丈夫だよとの気持ちでこぶしを奮ったと感じたが、見る人によっては、結婚するなの意思表示ととるかもしれない。池内さんはその弟の行動にびっくりするが、時間が経つと微笑むのでる。単なる微笑みではないので事情の知らない人は、ふてぶてしい笑いととり自分の想像通りと満足するのである。

父親が畳職人で中村翫右衛門さんである。(このかたの芝居を見れなかったのは残念であった。映画『いのちぼうにふろう』の安楽亭の主人などは大好きである。この人以外考えられない。あの仲代さんのような個性的な役者さんの親分となれるのは。)母親代わりとなって婚期を逃した池内さんとの親子関係も息が合っている。長男が林隆三さんで飄々としている。次男の高橋さんのほうが、畳職人としての腕は良かったらしい。そういう細かい人物設定も水木さんならではである。

もう一度見たいなと思わせる作品である。電車の音なども入り丁寧に作られている。

参考  水木洋子 『北限の海女』