2月文楽 『近頃河原の達引』(ちかごろかわらのたてひき)

この演目は歌舞伎座で観ているのだが、その時上手く気持ちと合わなかった。猿使いが出てくるのでその猿と芝居がどう繋がるのか興味があったのだが、意外とさっぱりとして猿の効果が解らなかった。今回は文楽ということであるが、どう捉えられるか楽しみであった。さらに住大夫さんの浄瑠璃も聴けるのである。

目の不自由な母を、猿廻しをして養っている与次郎のもとに祇園の遊女となって出ていた妹おしゅんが実家に帰されている。おしゅんと恋仲の井筒屋伝兵衛が刀傷ざたを起こし、思い詰めておしゅんにも危害を加えるのではないかと恐れての事である。母も兄もおしゅんの身を案じ、とにかくおしゅんを伝兵衛には合わさずに手を切らせ、伝兵衛に諦めさせたいと思う。そのためおしゅんに退(の)き状(縁切り状)を書かせ、それを与次郎が渡すことにする。ところが手違いから、尋ねてきた伝兵衛が家に入り、おしゅんが外の戸口に立つこととなる。そのままで与次郎は伝兵衛に退き状を渡す。退き状と思ったものが、母と兄宛の書き置きであった。おしゅんは伝兵衛と心中するつもりであった。おしゅんの本心を知った兄は、猿をお初徳兵衛に見立て祝言の盃をかわさせる。それは同時に、おしゅん伝兵衛と自分たちとの別れの盃でもあった。

観ていて納得した。まず目の不自由な母は琴三味線を教えていてるが、今日教える三味線のその曲が「鳥辺山」で心中ものである。娘おしゅんの先行きを暗示してもいる。<恋といふ字に身を捨て 小船どこへ取り付く島とてもなし 鳥辺の山はそなたぞと 死にゝ往く身の後ろ髪> 母と習う子の違いを、住大夫さんは語りわける。稽古が終わり、猿廻しを生業とする与次郎が帰ってくる。貧しいが与次郎は母思いで、目が不自由なのをこれ幸いとちゃんとゆとりをもって生活しているさまを説明する。このあたりから、与次郎のあまり頭の働きはよくはないが母を思い妹を思う善良な人間であることがわかる。こういう家族の中で育ったおしゅんであるから、二人に心配をかけまいと、退き状を書くことを承諾し安心させて、二人に書き置きを書くのである。その健気で一途さが母と兄を得心させるに十分な語りである。

暗闇とはいえ、伝兵衛とおしゅんの居場所を変えてしまうくらい、与次郎は小心ものである。典型的な庶民なのである。伝兵衛を極悪非道の殺人者と思い、それからおしゅんを必死で守ろうとしながら逆をしてしまう。今度は、おしゅんを中に入れないで、伝兵衛に退き状を渡しなんとかあきらめさせようとする。ところが、伝兵衛がそれを読み始めると「母者人。どうやら風が変はつて来たようなぞや」となる。おしゅんを生かしたいが、おしゅんの本心を知ると自分を押さえ、二人の進むべき道を祝福してやるのである。その方法に自分の生業の猿廻しで猿に祝言の真似事をさせるのである。この場面が文楽ではたっぷりである。機嫌を損ねて寝ころぶお初猿を婿さん猿に起こしてやりなさいと声をかけたり、盃を持たせたり猿も与次郎も大奮闘である。それをじーっと見ている、おしゅんと伝兵衛。二人にとってこんな夫婦としての残された時間はないのである。猿廻しのような時間があってほしいと願う与次郎の思いでもある。<まさるめでたう、いつまでも、命全うしてたも>と母と兄に見送られて聖護院森を目指すのである。

愛される家族がいながら心中の道を選ばざる得ない二人。涙ながらに二人を送る家族。武士の世界とは違う庶民の情愛を描いたものである。そこに猿の可笑しさも加え笑い泣きとする幕切れの話で得心できた。心中と情愛の二本柱であった。

<四条河原の段>の舞台美術の枝垂れ柳のカーブが現代的で素敵であった。京都の六角堂の枝垂れ柳を思い出してしまう。文楽の舞台は冬の川風吹きすさぶ四条河原で、効果的な冬の枝垂れ柳で、出だしの舞台美術の印象も大事なものである。