水木洋子のドラマと映画 (2)

水木さんのドラマ、映画の作品で音楽性という事も興味を誘う部分である。その中でも『キクとイサム』のなかでの、キクが歌う歌である。『キクとイサム』は日本映画の黄金時代と水木さんの最も輝かしい時代の作品でもある。1960年公開で、1959年には、日本映画は映画観客が年間11臆2700人と史上最高記録となっている。

『キクとイサム』は、母が日本人で父がアメリカ人の姉弟である。キク12歳、イサム9歳で父はアメリカに帰り、母は亡くなり、東北の貧しい農村で祖母に育てられている。町に出かけたりするうち、自分を見る人々の視線に疑問を持つようになる。祖母も回りの人々もこれからの二人の行く末を心配し始め、弟のイサムはアメリカに養子となって行き、キクは自分がどうなるか不安でもある。祖母はキクに対してもイサムに対しても可愛いい気持ちは十分ある。しかし老齢でもあり、どうするか頭を抱え彼女なりの考えで孫の幸せを一生懸命に考えたのである。そしてキクに対しても結論をだす。辛い仕事なのでやらせたくはないが、借りている狭い農地で畑仕事を自分について覚えろとキクに伝えるのである。キクは嬉々揚々として農具の鍬を肩にかけ祖母の後をついていくのである。

監督・今井正/脚本・水木洋子/出演・高橋恵美子(キク) 奥の山ジョージ(イサム) 北林谷栄(祖母) 滝沢修、宮口清二、東野英治郎、朝比奈愛子、清村耕次、荒木道子、三国連太郎

キネマ旬報ベスト・ワンに選ばれている水木さんの作品は五作品ある。『また逢う日まで』『にごりえ』『浮雲』『キクとイサム』『おとうと』である。

水木さんはキネマ旬報に要約すると次のような一文を書かれている。<背後に民族問題ということもあるが、大上段に社会劇としたり、問題劇として叫ぶことは避け作品のスタイルも写実からシンボライズへ半歩前進したいのがこの仕事のねらいである。東北に世界をおきながらも、山ざとのカラリとした夏から秋に設定した。主人公のタイプもわざとフトッチョの美人型でない可憐でない、憎たげなフテブテしい子供を描き、主役タイプの定石を破りたかった。殆どが反対意見で、監督が最後の決断をくだしてくれなかったら、私はこの脚本と心中をしてしまったことであろう。>

今井監督のほうは、子役を探し東北で70人くらいの子に会っていたが、水木さんが東京で探して「あの子に決めた。あの子でないと書かないわよ」と言ったという。それがキク役の高橋恵美子さんである。今井監督は「おばあさん役の北林谷栄さんともども大きな功績ですね。」ともいわれているから、北林さんを選ばれたのも水木さんだったのであろう。水木さんは、柳永二郎、伊志井寛の旗上げ公演に『風光る』の芝居を書かれていてその時、北林さんと会っている。その時「風雪に立ち向かう激しい姿勢が、だれかと話すひと言の中にも、ナマで私は感じられ、遂に恐れをなして一語も言葉をかわさなかった。」そして『キクとイサム』で初めて口をきく。「その一番初の言葉が「ずいぶん水木さんも成長したものだ」と感にたえた声で言った。「これだけ描かれた役柄を自分がはたしてやれるか」とは言わなかったが、脚本をほめておいて、見ごとにやってのけた。」水木さんの役者さんの選び方の修養さの一端である。

深刻なテーマでありながらユーモアにみちているのは、子供の遊びや夢中になるその姿でもある。祖母が神経痛が痛み、野菜を背負い町へ売りに行き、そのお金で医者にかかる。その時、キクは膚の黒さから好奇の目にさらされる。それを感じた祖母はキクを先に帰す。その帰り、キクはアイスキャンディーを買うお金で櫛を買う。女の子の自然の感情として、周囲に関係なく楽しそうに描く。祖母は医療費の値段を聞き注射をやめて逃げ帰る。そのお金でイサムには帽子をキクには下駄を買って帰る。キクはイサムに大事にするように言い、イサムも喜んで約束する。次の場面では、その帽子は採った魚を入れる容器となってアップとなる。かくありなんである。子どもは面白いことがあれば、それに集中する。子ども達の遊びも言葉の暴力も遠慮なく描く。

イサムが養子に行ってしまい寂しいであろうと、祖母は村に芝居が来るとキクを見に行かせる。キクは歌をすぐ覚えるらしく、<ケイセラセラ~><りんごの花びらが~>とか所々で口ずさむ。それが花開くのが、旅役者の人々に披露する歌である。「お富さん」のタップつき。褒められてやるのが、しぐさつきの「江戸の闇太郎」である。このあたりも水木さんの手の内のように思われる。今井監督は『青い山脈』で歌謡曲挿入に反対している。歌舞伎のおかるの台詞導入といい水木さんの発想と思う。山奥で見聞きするもの。それは、集会所にくる、映画か旅芝居であろう。それを入れて当時の庶民の娯楽をもり込んでキクを慰める楽しみごととしている。そのことが、登場人物を生き生きとさせる。ここで問題が起こる。夢中になったキクは、いじめっ子を追いかけ子守りをしていた赤ん坊を停まっていた車の荷台に乗せ、その車が発車して赤ん坊が行方不明となるのである。この事件があり、キクは自殺を試みるが、身体の重みで古い縄が目的を果たせず切れてしまう。祖母は決心する。

「お前を何処にもやンねエ。婆ちゃんと一緒に居てエつウなら、4反借りている畑サ一人で立派にやってのけるようになれ。」

大人のしるしのあったキクは赤飯の弁当を持ち祖母と畑に向かうのである。途中で会ういじめっ子にキクは笑顔で言う。「年頃だから、オラ。かまってやらねえで。もう。」 チンプンカンプンのいじめっ子を後にキクは堂々と胸を張って祖母の後についていくのである。このラストも語り草となる可笑しさで、見るものをほっとさせる場面である。

お蚕を飼っていて、そのために摘んだ桑の葉が雨に濡れてしまう。キクもイサムも祖母のところに駆けつけ、桑の葉の入っている駕籠の上から自分の着ている洋服を脱いでかける。こういうところは、お蚕さんを飼っている農家にとって、お蚕さんがどれだけ大事かわからない人も多い事であろう。町の祭りの帰りに寄ってくれた人を接待する食べ物が畑から抜いてきた大根の輪切りである。その貧しさの中でもキクは憎まれ口をきき負けてはいない。そのふてぶてしさはキクの命そのものである。見ている者がいつの間にか笑いつつ応援してしまう。

バック音楽はピアノで始まる。何かが起こると管弦楽器なども加わるが、基調はピアノである。その流れにキクの歌謡曲がはいるのである。

風に稲穂はあたまをさげる~ 人は小判にあたまをさげる~ えばる大名をおどかして~~~ヘンおいらは黒頭巾 花のお江戸の闇太郎~

見終わると、このメロディーが出てくる。百円ショップで美空ひばりさんの「江戸の闇太郎」の入っているCDを買ってしまった。 ~花のお江戸の闇太郎~

参考  北林谷栄さんとミヤコ蝶々さん