鎌倉『大佛次郎茶亭(野尻亭)』

大佛次郎さんの本名は、<野尻清彦>で<大佛次郎>は、鎌倉の長谷の大仏の裏に住んで居たことから、<大佛(おさらぎ)>とし、鎌倉の大仏が太郎なら自分は<次郎>であるとしてつけた、ペンネームと言われている。

『大佛次郎茶亭』は鎌倉八幡宮に近い雪ノ下にあり、住まいは小路を挟んだところで、この茶亭は、大佛さんの書斎と訪問者の接待の応接間として使われていたようである。係りの人の説明に拠ると、廃材を使って建てた<風>の平屋木造建物で、柱も細く、軒の天井裏の押さえの木もそこらに落ちていたような木を使っている。しかし、規格外なので実際には大工さん泣かせの建物でもある。屋根は茅葺で、茅も囲炉裏の煙が茅の隅々に行きわたり虫食いを防ぐのだそうで、全ての部屋にお茶用の炉が切られているが、それだけでは長持ちはさせられないそうである。囲炉裏の煙にはそういう働きがあるのかと初めて知る。大佛さんのねこ好きがわかる猫の蚊取り線香置きが三匹並んでいた。

この茶亭は鎌倉風致保存会が助成、保存している。大佛さんは、鶴岡八幡宮裏山の御谷(おやつ)山林の開発に反対し、ナショナル・トラスト(英国の環境保全団体)を日本に紹介したかたでもある。その運動から鎌倉風致保存会が生まれたのである。無料公開は年2回だが、土・日・祭日には<大佛茶廊>として開いているようである。その日はお庭で茶亭を眺めつつ抹茶をいただく。

そして、横浜の大佛次郎記念館が発行している、「おさらぎ選書 第22集」を購入。大佛さんが主宰していた雑誌「苦楽」と「天馬」のことが書かれていて、<安鶴さんと「苦楽」 大佛次郎 >と見出しにある。安藤鶴夫さんの『落語鑑賞』はこの雑誌「苦楽」からの出発であった。「苦楽」という雑誌自体を知らなかった。大佛さんは、戦後文学史に「苦楽」の名が出たのを見たことがないと書かれている。雑誌「苦楽」の調子が少し硬くなったので、柔らかくしようと云うので落語をのせることとする。江戸からの口語文、特に下町の言葉をきちんと残したいと思ったようである。大佛さん自身が小説を書くとき、武士や町人の話し方を三遊亭円朝の噺の速記をお手本にしていたのである。

雑誌「苦楽」は、表紙が鏑木清方さんで、執筆者も画家も様々な方が参加している。例えば<オ>で始まる方を並べるなら、小穴隆一、大池唯雄、太田照彦、大坪砂男、岡鹿之助、岡本一平、荻須高徳、荻原井泉水、奥野信太郎、尾崎一雄、尾崎士郎、大佛次郎、織田一麿、折口信夫

「苦楽」は昭和21年11月に創刊し昭和24年7月に廃刊となっている。

川喜多映画記念館に近い「鏑木清方記念美術館」で < 清方描く 季節の情趣 -大佛次郎とのかかわりー>(10月31日~12月4日)がある。ここも絵の数は少ないが喧騒から逃れほっとできる場所である。

横浜の「大佛次郎記念館」では <大佛次郎、雑誌「苦楽」を発刊す>(11月20日~来年3月8日)のテーマ展示がある。

英国のナショナル・トラストの力添えした人として、『ピーターラビット』の作者、ビアトリクス・ポターがあげられる。ポターの半生を描いた映画『ミス・ポター』がなかなか良かった。自立した女性の職業など考えられなかった時代に、それを成し遂げ、さらに資本家から自然環境を守るのである。ポター役のレニー・ゼルウィガーが多少クセのある演技ともおもえるが、絵本の主人公たちも飛び出して動き、婚約者の妹役がエミリー・ワトソンでもあるから許せる。相当考えた役づくりであったろうと想像できる。婚約者のユアン・マクレガーもはまり役となっていた。『ピーターラビット』やその仲間たちは子供たちの良き友となり、さらに自分たちの住む環境をも、自分たちの力で守ったことになる。