奈良の柳生街道 (1)

「奈良の柳生の道を歩きたいのよね。」と旅仲間の友人に話したところ、「いつにしようか?」とトントンと決まる。決まってから、奈良のアンテナショップへ行き、奈良関係のパンフと柳生の地図をゲットして、柳生街道の様子を尋ねる。案内の方は、一日で柳生の里まで奈良からバスで行き、そこから剣豪の里コース、滝坂の道コースを歩いてもどったといわれる。バスの本数が少ないので、バスの時刻表もパソコンで調べ印刷してくれた。

私の足では、円成寺を真ん中として2日に分けることを提案。友人も、ゆっくり見つつ歩くとそのほうが良いと判断して、2日コースとする。円成寺の前が忍辱山(にんにくせん)バス停で、バス停と柳生街道が合流しているのはここだけと言ってよい。どの程度のアップダウンの道かは行ってみなければ分からない。案内の方の様子だと、ほどほどの高低さと思われる。一つだけ注意されたのは、滝坂の道で途中脇道があり地獄谷石窟仏が見れて滝坂の道にもどる道があるが、そこは、アップダウンがあるので雨の時は避けた方が良いとのアドバイスであった。

一日目と二日目の行程をどう取るかである。私が、柳生の里にある、茶店で赤米のお粥を食べさせるところがあるらしいので、そこで昼食にしたいと希望を出す。彼女は検討してくれて、1日目は、奈良からバスで忍辱山(にんにくせん)バス停まで行き、円成寺には寄らず柳生の里を目指し柳生街道を歩き、「柳生茶屋」で昼食をして、柳生の里の見るべきものをみて、バスで奈良にもどる。2日目は、忍辱山バス停まで行き、円成寺を見て滝坂の道を奈良に向かう。後は、見学の時間を調整しつつ、バスの時間に合わせての行動である。

どうなることかと思った台風も過ぎ、一日目の行動開始。近鉄奈良から忍辱山バス停まで30分位である。そこでバスを降り、バス道路から柳生街道の道に入る。地図は柳生の里から忍辱山バス停までへの書き方なので、私たちは逆コースであるから、地図で上りなら実際は下りと反対に考えなければならないのである。友人がしっかり地図を見て進んでくれるので心強い。川の水音がし、木々に囲まれ嬉しくなる。梵字を彫った石碑なども道端に立っている。柳生の地で最も格式高い<夜支布山口神社(やぎゅうやまぐち)>。ここの神の分霊は、大柳生の二十人衆が一年ごと交代で預かる習慣があるらしい。こういうのを「回り明神」というらしい。この本殿の北側には、<立磐神社(たていわ)>もあり、巨岩が御神体である。この辺りは巨石信仰が多い地である。

 

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そこから大柳生の集落に出るための道に入っていくのであるが、途中で道を間違え聞くにも畑には人もいない。戻って道標をもう一度確かめ、木々に覆われた道を進む。台風の後で、道に水たまりがある。しかし、山栗も落ちていて 「いいね。忍者がでてきそう。」 人里に出る。柿の木は、たわわにびっしり実をつけている。誰かいないであろうかと人を探し、一個だけ柿を所望する。するとその方、その柿は渋柿だからと、車に積んだ取ってきたばかりの柿をくださる。ほのかに甘い柿を食べつつ民家の間の道を歩いていたら、大きなバス道路が見える。これはおかしいと引き返す。柿に夢中で道標を見ずに進んでいた。帰りのバスがこの辺りのバス停で、通学の子供達がこちらのバスから違う方向のバスに乗り換えていた。通学の子供用に、学校の開校日のみ運行するバスがあり、路線バスがスクールバスを兼ねているのである。

大柳生を過ぎると、坂原の庄で、その先に<南明寺>があり、本堂は鎌倉時代のものであるが、中は予約制のため見れない。<南明寺>の裏の石垣の下には、<お藤の井戸>がある。柳生但馬守宗矩(むねのり)と側室お藤の方が出会った場所である。洗濯をしていた娘に「桶の中の波の数は」と尋ねたところ「波(七×三)は二十一」と答え、「ここまでお出でになった殿様の馬の足跡の数は?」と問い返した機知が気に入ったようである。ここで、20人ほどの団体の方達と出会う。私たちは道に迷ったりしたが、この団体のかた達の世話役のかたは、事前に歩いて下調べしていた。ここから先は上ったり下りたりして阪原峠(かえりばさとうげ)を越えると巨岩に彫られた<疱瘡地蔵(ほうそうじぞう)>が迎えてくれる。疫病神から守ってくれるのが疱瘡地蔵である。

 

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そこから、<天乃石立神社(あまのいわたち)><一刀石>へのうっそうとした森に入っていくのであるが、<天之石立神社>と<一刀石>を見てきた二人の女性が、「良かったですよ。十兵衛杉は枯れていました。円成寺までどれくらいかかりましたか。」など情報交換である。「円成寺からここまで4時間ちょっとかかっています。途中道に迷いましたので。」このお二人は円成寺のバス停で4時のバスにのられたので、円成寺を見学されたとすると、私たちのように、柿など食さず道に迷うことなくたどり着かれたようである。

 

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<天乃石立神社>は平安前期に記録のある古い神社で、三つの巨岩が御神体である。<一刀石>は、幅八メートルほどの巨岩の真ん中が一太刀入れたように割れているのである。ある夜、柳生宗厳(むねよし・石舟斎)が天狗を切り、次の朝見ると巨岩が裂けていたというのである。見事な裂け方である。ここから剣豪柳生一族の住んでいた場所の見学へと続くのである。

 

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2014年11月2日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)