新橋演舞場十月 『俊寛』

『俊寛』の主人公・俊寛僧都は、鹿ケ谷の自分の山荘で平家打倒を計画したとして鬼界が島に流される。「平家物語」でも最後の死まで何回も出てくる。

「平家物語」では、法勝寺の執行(しゅぎょう)俊寛僧都(しゅんかんそうず)、丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね)、平判官康頼(へいはんがんやすより)の三人が、薩摩潟の鬼界が島にながされたとある。成経と康頼は赦免となるが、俊寛は許されず一人島に残される。絶望する俊寛。俊寛に幼い頃から可愛がられた童(わらべ)の有王(ありおう)が、主人が京にもどされないのではるばる鬼界が島まで渡り、変わり果てた俊寛と巡り合い、俊寛の最後を看取り、遺骨は高野山の奥ノ院に納め、法師となる。一人残された娘も十二歳で奈良で尼となる。

近松門左衛門さんは、全五段の『平家女護島(へいけにょうごがしま)』を書き、その二段目<鬼界が島の段>が『俊寛』として上演されつづけてきた。近松さん本のほうは、ご赦免船から瀬尾太郎が現れ、成経と康頼の名前だけの書いた赦免状を読む。俊寛の名前がない。嘆き悲しむ俊寛。そこへ、丹左衛門尉基康(たんざえもんのじょうもとやす)が、小松の内府・重盛公の憐憫によって、俊寛も備前まで赦免を許すと伝える。近松さんも伝えられる清盛の長男・重盛の人柄をここで使うのである。喜ぶ三人。ところが、成経は島の海女・千鳥と祝言を挙げたばかりで、千鳥も乗船させようとするが、三人と記してあるからと瀬尾が許さない。千鳥は悲しみ自害しようとする。俊寛は、妻が清盛はの言いなりにならず、首をはねられたことも知り、千鳥のこれから倖せを考え、自分に代わって乗船することを勧め、それを拒む瀬尾を殺してしまう。俊寛は再び罪人である。覚悟の上とは言え、三人の乗った船を追いかける俊寛。離れて行く船を高い崖から見送る俊寛。その先に見つめているのは何であろうか。

近松さんの時代の中で生きた俊寛という一人の人間を照らし出した芝居である。それだけに、どう作り上げていくか力量のいる役である。と同時の、芝居は全てそうであるが、役者さんの組み合わせも大事である。

俊寛(市川右近)、千鳥(笑也)、成経(笑三郎)、康頼(弘太郎)、瀬尾(猿弥)、基康(男女蔵)

このブログでは書いていないが、昨年の2013年6月の歌舞伎座『俊寛』の配役が次の通りである。

俊寛(吉右衛門)、千鳥(芝雀)、成経(梅玉)、康頼(歌六)、瀬尾(左團次)、基康(仁左衛門) この配役はもうないであろう。

比較しないで観ようと思っているのであるが、浮かんでしまう。俊寛の座り方から始まって、成経、康頼の歩き方、手の出し方など。千鳥の浄瑠璃に乘った動き方。瀬尾の清盛の権威をバックにした、ふてぶてしさ。基康の静かに見届ける凛とした姿。この方々は、『俊寛』に関しては、練りに練って演じられてきておられるので、比較されても頷いていただけると思う。

三人は都から、鬼の住むとも言われる鬼界が島に流されてきている。植物など育たない島である。成経と康頼はそんな島でも熊野三社の神としてお詣りする場所を見つける。そこに詣でるため、俊寛ともしばらく逢っていなかったのである。三人でいても寂しさが胸を塞ぐ俊寛。二人に逢い喜ぶ俊寛。成経が海女の千鳥と結ばれ、仲間が四人となる。自分を父と思うと言う千鳥の可愛らしさ。塞いだ心も次第に開いていく。そんな時の赦免船。この日の俊寛は、人が長い時間をかけても整理のつかぬ経験をする。大きな力によっ翻弄されているようである。

俊寛の周囲の人間もまた、俊寛の翻弄される姿に手をかせない自分のもどかしさというものをどこかに抱えていなくてはならない。そのことによって俊寛の姿は照らし出されるのである。そのあたりの息が、今回は合っていないように思えた。自分の役に一生懸命で、ぷつぷつと芝居が切れてしまうのである。いつの日か、新しい世代のこれぞ澤瀉屋の『俊寛』を観せもらいたいと願う。