歌舞伎座十月 立派に追善公演を果たした中村屋兄弟 『寺子屋』

歌舞伎座10月は、<十七世中村勘三郎 二十七回忌、十八世中村勘三郎 三回忌 追善>公演である。先輩達の胸を借り、立派に上質の舞台を作りあげた。十八世勘三郎さん亡きあと、勘九郎さんと七之助さんは、肩すり合わせて頑張るといった感じであったが、今回は、それぞれが一人の役者であるといった気概が見受けられた。それぞれの持ち場が違えば、兄弟でもライバルである。芸のうえでは、親子でも師弟であるのは、未熟なうちでも舞台に立たせてもらえるという特権があるからである。他の演劇関係ではありえない。未熟なものは、自分で勝ち取らねばならない。だからこその修行なのである。

その修行の成果を見せればこそ、観客も、今回は見逃し、次回に譲り、いつの日かを待った時間を納得するのである。『伊勢音頭恋寝刃』『寺子屋』は、芝居を壊すことなく勤めあげたのは立派である。仁左衛門さんと玉三郎さんに押しつぶされることなくつとめあげられた。

『菅原伝授手習鑑』<寺子屋>。玉三郎さんが、これまでにない情を出されたのには驚いた。夫の松王丸(仁左衛門)が首実験で、自分の子が管秀才の身代わりとなったのを確かめたあと、再び源蔵の家に現れる。妻の千代も我が子はどうなったかと源蔵宅へきている。松王丸は妻に、倅はお役に立ったと告げる。その時から覚悟していたはずの千代は取り乱す。夫の松王丸にたしなめられ松王丸の横にかしこまる。松王丸は、兄弟三人の中で、自分だけが菅丞相と敵対する藤原時平に仕え、病気を理由に時平との縁を切ろうと願いでると、管秀才の首を検分したら暇をやるとの最後の勤め。その勤めが自分に一子がいたために秀才の身代わりとし、我が子によってずっと松王はつれないと言われなくてもすむ身となった。この時から、源蔵夫婦(勘九郎、七之助)は、松王丸夫婦の悲嘆を受ける形となる。

そして、千代は自分に言い聞かせるように、夫の言葉を受ける。持つべきは子であるとは小太郎も喜ぶであろう。しかし千代は、最後に小太郎にわかれた我が子の姿が忘れられずその様子を語るのである。千代よりも、こちらのほうが涙である。ここで涙したのは初めてである。いつもなら、そのあとで松王丸が小太郎の最後の様子を源蔵から聞き、逃げ隠れもせずにっこり笑ってで、小太郎の姿が浮かび涙なのである。

千代を叱りつつ松王丸も子を思う気持ちと、小太郎に比べ桜丸が無駄死にをしたことを嘆く。親として、弟を思う兄としての辛さを男泣きする松王丸。

松王丸が源蔵宅に再び現れたときからの芝居の膨らみは素晴らしかった。そこまで運びとおした、源蔵の勘九郎さんと、戸浪の七之助さん。管秀才の身代わりがみつかり、決心する二人。検分役の松王丸と春藤玄蕃(亀蔵)を受けて立ち、千代に対しても受けて立ち、そして、松王丸夫婦に対し、引いて受ける。大きな『寺子屋』になった。

 

映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(2)

『乾いた花』は二度目なので、最初に観たときのドキドキ感はない。自分の観た時の印象で映画を再構築しているから、役者さんの登場や場面など、自分の中での登場と違っている。それと、映像が途中で数か所切れているように感じた。ただ、表情などはじっくり観察できた。冴子が、村木が人を殺し終わったあと微笑むのだが、その微笑みの意味が解らなかったので、それも虚無感の一つとしておいたが、加賀まりこさんがトークで、篠田監督からマリアのような微笑みをしてくれと言われたと話された。あの時の冴子は、村木が殺しのあと冴子を見つめる眼に対して、村木に自分が殺された時の恍惚感の微笑みではないかと思ったのだが、今はその解釈としておく。

加賀さんのトークは、演じた時の状況など、簡潔に話され、観た者としては、映画の場面に即反応でき、裏話も手短に話される。『泥の河』では、小栗庸平監督から、お化粧なしの素顔で、演じて欲しいと言われたが、加賀さんは少年から見た母親は美しいはずだと、周囲のスタッフの意見で決めて欲しいと提案したところ、ほとんどのスタッフが加賀さんの意見のほうに賛成したのだそうである。皆さんが母親の場面は白黒なのにカラーと思ってくれて嬉しいですと言われていた。私は少年がカニに火をつけて友達に美しいだろうというところと母親が呼応して観ていて切なくなり今もその炎には色がついているのである。『麻雀放浪記』では、真田広之さんを叩くシーンで、パイの並べ方が上手く出来ず20数回叩いたそうで、この映画は、良い機会なので観なおすことにする。

加賀さんは高校生の時、住まわれていた神楽坂を歩いているとき、篠田監督と寺山修司さんにスカウトされ初映画が『涙を、獅子のたて髪に』である。

その神楽坂で、父の制作映画を上映できて親孝行ができましたと言われた映画が『鋪道の囁き』である。この映画は当時正式には公開できず、その後行方がわからなかったが、アメリカの大学に保存されていたのである。保存状態がよく、映像も音も綺麗である。ジャズが主人公のような映画であるから、音の良さには驚いた。

1936年の作品で、日本のアステア&ロジャースを目指した映画で、タップダンサーの中川三郎さんのタップが素晴らしい。甘いマスクの美男子で演技は下手、これが若き日の中川さんなのであろうかと観ていたら突然、ジャズシンガーのベティ稲田さんの歌でタップダンスを始めたのには驚いた。この場面と、バンドコンクールで、中川さんとべティ稲田さん二人で歌いタップダンスを踊る場面を観れただけでも、よくフィイルムが残っていてくらたと思う。映画のあらすじはたわいない。アメリカ帰りのジャズシンガーが、興行者に騙されそれを守る男がいて、ジャズシンガーはバンドマンでタップダンサーの男と出会い、結ばれるという和製ミュージカルの卵といった感じである。監督が鈴木傳明さんで、この方も演技は下手である。演技性に中心をもってきていないのであろうが、道化役の俳優さんは上手いし、その動作も計算されているので、軽いタッチで描くということであったのかもしれない。それに比べ、音楽、歌、タップはしっかりしているので、その落差が可笑しい。

和製オペレッタは、その流れを調べていないが、傑作は1939年の『鴛鴦歌合戦』(マキノ正博監督)である。出演は片岡千恵蔵さん、志村喬さん、ディク・ミネさん、市川春代さんなどである。

トークショーの司会者である横堀加寿夫さんが、実は、ディク・ミネの息子でしてと言われたときは、驚いてしまった。加賀四郎さんの映画が成功していたら、ディク・ミネさんは当然参加されていたであろう。映像と音が良いだけに、新しさ古さとが交差する摩訶不思議な映画である。この映画が流布していたら、ジャズも特定の世界だけで楽しむ音楽でなくもっと広く浸透していたかもしれない。

 

映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(1)

今、映画館が呼応して面白い企画で映画を上映している。インドの映画からインド料理に眼がいったが、<第5回 東京ごはん映画祭>には、小津安二郎監督の『お茶漬』が入っているし、トニー・レオンとマギー・チャンの『花様年華』も入っている。美しく悩ましいマギー・チャンがペンキ入れのような入れ物に食事を調達していたのが妙に印象づけられたので、やったり!とほくそ笑んだ。『エル・ブリの秘密 世界一予約の取れないレストラン』は、やはり舞台裏が面白かった。その他、こういう映画があったのかと映画名をみているだけで楽しい。

神保町シアターが<生誕100年記念 宇野重吉と民芸の名優たち>で、宇野重吉さんが出演、監督した映画や民芸の名優といわれる方々の映画の特集である。その中に、池部良さんの青年教師丑松の『破戒』があった。名画座ギンレイホールは<名画座主義で行こう>として、『乾いた花』~加賀まりこさんのトークショー~『鋪道の囁き』の二本立てである。『鋪道の囁き』は、映画プロデューサーであった加賀まりこさんのお父上である加賀四郎さんが制作された映画である。神保町に行く前に神楽坂のギンレイホールで当日券を購入する。

映画 『乾いた花』 で、篠田監督が、池部さんが名監督たちに起用されてることをいわれていたが、その時から、木下恵介監督の『破戒』は観たいと思っていた。池部さんが、戦争から戻り両親の疎開先に居た時、高峰秀子さんと助監督だった市川崑監督が、阿部豊監督で『破戒』を撮るからと迎えに来た。再び映画に出ることに躊躇していた池部さんは、二人の熱心さから戦後映画復帰第一作のはずが、東宝争議のため撮影途中で中止となる。

そして、1947年木下監督のもと『破戒』が撮られる。お志保は、桂木洋子さん。丑松が敬愛する部落解放運動家・猪子に滝沢修さん。丑松の友人の土屋に宇野重吉さんである。宇野重吉さんのほうが、丑松に合いそうであるが宇野さんには、宇野さんの役目があった。木下監督は、部落問題をきちんと捉えつつも自然描写などは、千曲川の流れや、リンゴの樹などを写し、信州の美しさを抒情的に描いている。部落民ということがなければ、丑松もこの美しい風景のなかで子供たちと楽しい長い時間を過ごせたのである。撮影は楠田浩之、音楽が木下忠司である。映画の始まりから、琴の音が流れる。志保は家の事情で、丑松の下宿するお寺の養女となっていて、お寺のお嬢様として琴などたしなみ、その琴の音を効果音としても使っている。そして、お志保の心の動きもこの琴の音であらわされる。

お志保はが部落民の丑松について行く決心は、丑松に対する愛情も当然であるが、猪子の奥さんの生き方に共鳴し、その先達の姿に力を得てのことである。この映画では、友人の土屋と丑松の男のつながりのほうに重点が置かれている。この宇野重吉さんの土屋が、お仕着せがなく、悩む丑松を自分で立ち上がるまで待っていて、いざというときにここぞといい笑顔を見せる。池部さんは、役柄上俯き加減である。猪子先生を失ったあと、丑松は泣くだけ泣く。それに対し、宇野重吉さんは、心配したり、行動する丑松の脇にしっかりついていて、丑松が俺を認めてくれたと感じた時の土屋の笑顔は宇野さんならではの演技であり観ているこちらも勇気づけられる。丑松はきちんと部落民であることを認める、生徒たちにも伝える。池部さんの丑松に苦しみはあるが卑屈さはない。

千曲川を舟で猪子先生の奥さんとお志保と丑松は、東京に向かう。そこへ教え子たちが見送りに土手を駆けてくる。木下監督にとって千曲川は外せなかったようである。

市川崑監督の『破戒』も観直した。市川監督のほうがリアルである。風景も丑松の見る心の晴れない風景描写である。市川雷蔵さんの丑松の生徒たちに語るところはしみじみと語りかけ、部落民だということを隠していたことを土下座して謝る。どちらがどうというよりも、それぞれの映画であるとして観たほうがよいであろう。