映画 『上意討ち 拝領妻始末』 歌舞伎 『上意討ち』

映画『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)は、原作は『切腹』の滝口康彦さんの『拝領妻始末』、監督・小林正樹、脚本・橋本忍、音楽・武満徹と同じメンバーである。撮影・山田一夫、出演・三船敏郎、司葉子、加藤剛、仲代達矢となり、制作は三船プロである。

これも、簡単なあらすじは知っていたので、気になりつつも後回しであったが、見始めると一気であった。三船敏郎さんが、家付きの養子ということで、20数年間養子として肩身の狭い思いをしている、馬廻り役である。その笹原伊三郎の長男・与五郎(加藤剛)に会津松平藩主(松村達雄)の側室お市の方(司葉子)がお役御免で、嫁として払い下げられる。お市の方は、菊千代という男子まで産まれたかたである。与五郎はこの話を受け、嫁に迎えてみればよくできた嫁で、夫婦中もよく、孫もでき伊三郎は隠居して安堵した。

ところが、先に生まれた若君が急死し、菊千代が世継ぎとなる。お世継ぎの実母が、藩士の妻では困ると、今度は返上を申しつけられる。伊三郎は、仲の良い夫婦であり納得できない。与五郎もお市も、このまま添い遂げたいと希望しているが受け入れられず、お市は略奪の形で城に連れ去られてしまう。伊三郎はお市の返上願いの代わりに、息子の嫁を戻されたいと嘆願書を出すが、上意に逆らう一藩士として、咎人扱いとなる。

伊三郎の友である国廻り役の浅野帯刀(仲代達也)は、お市拝領の時、「押せば下がる、さらに押せば下がる。進退窮まったと思った瞬間、鮮やかに身を開き構えの位置が逆になっておる」と伊三郎の剣に例えて意見をいう。

お市を略奪されすべもないと伊三郎が思ったとき、帯刀は「押されれば引く、さらに押されれば引く。だが、それでも勝負をあきらめないのがおぬし。」と語る。このことが、江戸幕府に知られれば松平家にとっては大失態なのである。

伊三郎は、養子の身から初めて自分が生きていると感じるのである。

与五郎とお市と悲憤の最後をとげ、伊三郎と帯刀は剣を交えることとなる。帯刀は藩の一の木戸を守る国廻り役として、藩から無断で出国するものは、放っておくわけにはいかない役目である。三船さんと仲代さんの立ち合いである。三船さんのほうが、僅かに剣の扱いが早いように思える。帯刀を倒した伊三郎は、孫のとみと江戸に向かおうとするが、藩の追ってに阻まれ、ついに伊三郎も無念の死を遂げるのである。

剣豪でありながら太平の世では役にたたず、養子として家を守るあきらめにも似た穏やかさを見せる三船さん。しかし、追い手を切り倒していく時は棲さまじい迫力である。本当に刀が相手に当たっているように見える。仲代さんは上役に気を遣う武士の生き方を冷やかに見つめ、最後は、与五郎、お市、とみの三人の力が伊三郎に加担しているからと言いつつ伊三郎の剣に敗れる。

三船さんの伊三郎も、お市のような女になり、与五郎のような夫を持てととみに思いを託す。

歌舞伎のほうの『上意討ち』は、録画で脚本・演出が榎本滋民さんである。

笹原伊三郎(二代目尾上松緑)、妻すが(三代目河原崎権十郎)、嫡男・笹原与五郎(初代尾上辰之助)、次男(現坂東三津五郎)、お市(現尾上菊五郎)、浅野帯刀(十七代目市村羽左衛門)、嫡男・浅野篤之進(十二代目市川團十郎)、笹原家娘・たき(大谷友右衛門)、許婚・溝口新助(六代目尾上松助)、側用人・高橋外記(九代目坂東三津五郎)、笹原監物(現市川左團次)

こちらは、舞台で実際に観る事の出来なかった方々や、若き日の演者ぶりが楽しめ、映画とは違う登場人物配置で、映画とはまた違った味わいがあった。

伊三郎の友の帯刀にも息子・篤之進がいて、与五郎と篤之進の関係が加わるのである。舞台ゆえに場面転換しかできないが、芝居の流れはよく出来ている。伊三郎と帯刀の剣を通じてのつながり、与五郎と篤之進の若い者同士の関係とつながりそこが先ず判るようになっていて、このつながりが貫かれるのかなと想像できる。養子である松緑さんと妻の権十郎さんとの関係に笑いを入れ、悲劇が起こるという雰囲気ではないが、お市のことから、養子であっても保たれていた笹原家に大きな動きが生じ始める。

映画と違って、お市がお役御免となった経緯は、菊五郎さんがセリフで語られるので、映像より弱い。その為、生き方の全てを貫き通す意地の強いお市ではなくどこか儚さがある。最後は、他の者に殺させるより自分たちの手でと、帯刀と篤之進が、それぞれ、伊三郎と与五郎と対決する形となる。帯刀は、伊三郎に「会津一の武芸者だ」と言って果てる。それを受けて伊三郎は「会津一の武芸者がなんになる」と槍に身体を支えつつ幕となる。

歌舞伎役者さんの層の厚さをも堪能させてもらった。皆さん役にはまっている。

映画、歌舞伎、それぞれの分野でのさらなる楽しみ方の糸口をもらったような気がする。映画のほうは、和太鼓のリズミカルな音とともに、下から俯瞰したお城が写され、その写し方がいい。どこのお城であろう。古い時の会津若松城なのであろうか。

 

 

 

映画 『切腹』

『切腹』(1962年)は、浪人が武家屋敷にて、武士の志を貫くため切腹をしたいので場所をお借りしたいと頼み、その浪人が差していた竹光で、切腹させたというような内容で、監督は小林正樹さんである。リアルで重いと思い観ていなかったのであるが、今回は観たくなった。原作は滝口康彦さんの『異聞浪人記』よりである。

武田神社で、懐剣を見て、実際のところは判らないが、この懐剣なら死に向かう人の苦しみは少ないかもしれないと思ったが、竹光で切腹させるとは何たることか。

確かに重いが、セリフ劇でもあった。井伊家の江戸上屋敷に一人の浪人が、武士として潔く切腹したいので庭先をお貸し頂きたいと現れる。ここから、仲代達矢さんの浪人・津雲半四郎と家老斎藤勘解由・三國連太郎さんとの演技上の火花が散るのが楽しみになる。徳川家の時代となり、浪人が切腹する気がないのに、施しを受けるためにこうした行動を出る者が多くなる。家老はそれを絶つために、一人の浪人を望み通り切腹させ、その浪人の刀が竹光だったことから、藩士は竹光で切腹させるのである。ここに、閉鎖された中での組織の陰湿さと集団的心理の恐ろしさがある。その残虐さは、理不尽な<武士道>の勝手な解釈のお仕着せである。

この義憤がじわじわと立ち起こってくるのは、半四郎がその話しを聞いても動じず、用意された切腹の場にての語りからである。半四郎は介錯人を指名するが、指名した三人ともが病気届を出している。この辺から、何かあるなと思わせる。半四郎は、一同もいつ自分と同じ境遇になるかもしれないので、後学のためにと浪人に至った経過とその後を話し始める。ここからが、仲代さんのセリフ劇である。

次第に事が明らかになり、竹光で切腹させられた浪人・千々岩求女(石浜朗)が半四郎の娘婿であることが明らかになっていく。さらに、三つの髷が半四郎の懐から投げ出される。半四郎の穏やかに静かに語るゆとり感が次第に勘解由を動揺させていく。それは、浪人と譜代の対決となり、さらに幕府との対決に持って行きたい半四郎の<武士道>にたいする<人間道>である。

求女の死体が戻ってきて、求女が生活のために刀を売っていたことを知った時、自分の刀を投げ出す。何のための刀だったのか。自分の刀を竹光にしていたら、孫を医者に診せることが出来こういう結果にはならなかっったのではないか。その刀で大きな矛盾した体制に挑むのである。しかし、その行為は、勘解由によって偽装され、井伊家は幕府から褒められるのである。

この老い役を演じたとき、仲代さんは29歳である。カンヌでも、その若さから求女役の役者と勘違いされたようである。半四郎のセリフから、「関ヶ原から16年」とあるから、半四郎は実戦の経験があるのである。

半四郎の静な穏やかな、笑みさえ浮かべた何をも恐れない毅然たる態度は、激して語るよりも、半四郎の心の底のマグマのような義憤が伝わるのである。

それにしても、さらなる藩士の犠牲を命じ、家を守る三國さんの家老の狡猾さも見事である。役者による映画の面白かった時代の作品でもある。

音楽は武満徹さんで、琵琶が中心で、介錯人・丹波哲郎さんと仲代さんの対決の場面の風の音が効果的である。

予告篇には、『人間の条件』の監督 小林正樹、撮影 宮島義勇、主演 仲代達矢の組み合わせが強調されている。

監督・小林正樹/脚本・橋本忍/原作・滝口康彦/音楽・武満徹/撮影・宮島義勇

出演・仲代達矢、三國連太郎、石浜朗、丹波哲郎、三島雅夫、中谷一郎、佐藤慶、井川比佐志、松村達雄、岩下志麻

 

 

森鴎外と『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』

森鴎外の小説『青年』は、田舎から出て来た文学青年が主人公である。

小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行きの電車に乗った。

 

この<東京方眼図>は、鴎外が考案したものである。 『永井荷風展』 (1) 『青年』には、夏目漱石や森鴎外自身をモデルとした作家も出てくる。文学青年たちは、拊石(漱石)と鴎村(鴎外)を比較して、拊石が教員をやめただけでも、鴎村のように役人をしているのに比べると、よほど芸術家らしいかもしれないなどと論じている。

純一は拊石の物などは、多少興味を持ってよんだことがあるが、鴎村の物では、アンデルセンの翻訳だけ見て、こんなつまらない作を、よくも暇つぶしに訳したものだと思ったきり、この人に対してなんの興味も持っていない・・・

 

この青年たちは、拊石のイプセンの講演を聞きに来ているのである。拊石はイプセンについて話し、最後は、イプセンは「求める人であり、現代人であり、新しい人である」と締めくくる。純一は、この<新しい人>について考え仲間と論じ合う。当時の青年たちが、イプセンに強く惹きつけられていたということだけにして、これ以上深入りするのは止める。その後、純一は有楽座に『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』を、観に行くのである。

十一月二十七日に有楽座でイプセンのジョン・ガブリエル・ボルクマンが興行せられた。これは時代思潮の上からみれば、重大なる出来事であると、純一は信じているので、自由劇場の発表があるのを待ちかねていたように、さっそく会員になって置いた。

 

ここからは、純一が観劇した様子の描写となるが、この芝居の対する感想なり批評はない。観劇にきた女性達の様子と、青年の眼に映る舞台の様子が書かれているだけである。ただ、イプセンとシェイクスピアやゲーテと比較している部分がある。

しかしシェエクスピイアやギョオテは、たといどんなにうまく演ぜられたところで、結構には相違ないが、今の青年に痛切な感じを与えることはむずかしかろう。

 

このあたりに、『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』の翻訳者としての森鴎外さんの気負いが感じられる。

芝居としては、『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』より、『ソルネス』のほうが面白かった。

 

無名塾『ソルネス』

録画1995年上演の無名塾舞台『ソルネス』のテレビ録画があった。無名塾20周年記念公演でイプセン原作である。どうも気が乗らずかなりの放置である。仲代さんのドキュメント映画を観て、『ソルネス』を観たくなった。面白い。

ソルネス(仲代達矢)は、建築家として社会的地位を築き名声もて得ている。建築家といっても独学のため、棟梁と呼ばれるに相応しい。成功までには、人を踏みつけ踏み倒してもきている。自分の進むべき人生に疑いは持っていないが、若い才能ある人には脅威も感じている。そんな時、十年前にソルネスに会ったという女性が現れる。その女性ヒルデ(若村真由美)は自分が少女時代に見たソルネスは凄く恰好良かったという。

ヒルデ(若村麻由美)は、天使なのか。小悪魔なのか。観客にはどちらとも取れる。しかし、ソルネスの最後の花道へと導く彼女は天使である。ソルネスは十年前の彼女の憧れたソルネスに返り、彼女はソルネス本来の姿に戻したのである。

観終って、ヒルデは隆巴(宮崎恭子)さんだと思った。1995年の『ソルネス』は、隆巴さんの最期の演出作品である。仲代恭子さんは亡くなられてからも、天使として現れておられるように思われる。時には、宮崎恭子さんとして、あるいは、隆巴さんとして、仲代逹也さんの役者道を照らされている。<無名塾>という場所は、役者は死ぬまで修業が続くのだから、そのためにはプロとなった卒業生も、時には塾に帰ってきて芝居の勉強をし直おせる場所としての意味もある<無名>塾である。

『ソルネス』は、仲代さんが俳優座を退団されて<無名塾>で初めて飛ばれた演目でもある。ソルネスは、飛び立つ原点にもどるのである。そこからまた出発するのである。それは、亡くなられた隆巴さんが演出する、<役者・仲代達矢>でもある。隆巴さんの、力はそれほど大きなものである。時々、天使となって現れ、飛ぶ位置までもどされる。舞台『授業』もその一つだったように思われる。80歳になられて、なぜ苦しい<道楽>に挑まれるのか。それは、お二人が演じたいと思ったときの羽ばたきの実現である。そう思わせる『ソルネス』であった。

イプセンは、仲代さんにとって縁のある戯曲作家で、イプセンの『幽霊』オスワル役で俳優座の新人は注目される。『幽霊』は『人形の家』のノラが家に残ったらどうなっていたかということでイプセンが書いたらしい。仲代さんは、その婦人の息子役で、破滅的人生を送る。その青年の屈折感が話題となったようである。

2010年には『ジョン・ガブリエルと呼ばれた男』でガブリエルを演じ、米倉斉加年さん、大空真弓さん、十朱幸代さんと共演されている。ガブリエルは、周囲を不幸に落としつつ自分も勝負に負けても夢を追い続ける男である。

イプセンは通じ合えない人間関係を描く作家なのであろうか。物事を上手く収めようとはしない。どちらかが欲がでればそれはそうなることである。それが、それぞれの夢となればなおさらである。そしてそこで犠牲となった人物との確執が生ずるのである。それに対して、ヒルデは、自分の建てたい塔を建て、そこに花輪をかけてというのである。10年前格好良かったように。花輪をかけれるかどうかはその人の力である。ヒルデは、そこに行くまでの荒涼とした気持ちに、燃え滾る炎を灯すのである。

『ソルネス』(大西多摩恵、内田勝康、赤羽秀之、中山研、秋野悠美)

友人と神楽坂から早稲田まで散歩を付き合わせ、『人形の家』のノラを演じた新劇女優松井須磨子さんのお墓を、多聞院で見つけることができた。本堂前には須磨子さんを悼んで建てられた「芸術比翼塚」もあった。

『ジョン・ガブリエルと呼ばれた男』は、森鴎外さん訳で『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』として、小山内薫さんと二代目市川左團次さん等が押し進めた革新的演劇運動の自由劇場の第1回目の公演で、ガブリエルは左團次さんが演じられている。

録画のまま、奥に潜んでいる新劇の映像を少しづつ観なくては。と言いつつ、仲代さんの映画のDVDを4本観てしまった。

 

 

 

o

映画 『仲代達矢「役者」 を生きる』

役者・仲代達矢さんのドキュメントである。このチラシを見た時、また本を出されたのかなと思い、裏に返して見た。「役者 仲代達矢が渾身の舞台「授業」を演じきるまでを、完全ドキュメント」とある。あの舞台『授業』に臨む仲代さんの姿が見れるのである。嬉しいことに、初日は、仲代達矢さんとこの映画の監督・稲塚秀孝さんとのトークショーありである。

仲代さんのイヨネスコの不条理劇『授業』の舞台は、2013年2月、3月の2か月間、仲代劇堂(東京公演)で公演されたものである。  無名塾 秘演 『授業』

仲代さんは30歳の時、映画「切腹」でカンヌ映画祭に参加された。帰りに仲代夫人である宮崎恭子さんとパリの小さな劇場で『授業』を観られ、何時かは演じたいと思われての50年後の実現である。

台詞は全部手書きで台本から紙に書き写し張りだす。そのほうが、身体に入っていくような気がするのだという。稽古に3か月。稲塚監督は誇張されることなく仲代さんの言葉と記録映像で静に穏やかに映し出し、観る側にその感じ方を任せる。先ず覚える台詞の多さに、役者になりたいと自分が思わなくて良かったと思う。しかし、80歳であれだけの挑戦をされるのであるから、観ているほうも刺激は充分に頂戴する。可笑しいのは、『授業』の舞台に出る前に仲代さんが作られた<授業のうた>を、山本雅子さん、西山知佐さん、仲代さんの三人で歌うのである。セリフを間違えても許してとイヨネスコさんにお願いしたりする。楽しくもあり切実でもある。

<無名塾>の次世代への橋渡しとして、舞台『ロミオとジュリエット』では脇に回られた。次世代への受け渡しかたは、まだ模索の段階であるようだ。トークショーで稲塚監督が、『授業』から『ロミオとジュリエット』の神父役で、次に一人芝居の『バリモア』ということは、まだまだ挑戦は続くようでと言われた。仲代さんも、やりたいことは30くらいあると。

『授業』は、お客様に解ってもらえなくてもよい、自分が演りたいから道楽と思ってやったが、楽ではなかったと言われた。仲代さんの話しは、難しそうな事を話されそうに見受けられるが、簡潔である。映画『椿三十郎』の時の三船敏郎さんとの対決の場面も相手がどう出るか教えられず、まっすぐ刀を上に抜く居合いの練習をさせられ本番で初めて三船さんの動きが解かり、血が噴出して後ろに倒れそうになり、ここで倒れてなるものかと思って踏みとどまってオッケーがでた。踏みとどまることまで黒澤さんは読んでいたんですから凄いですと。思うに、その一瞬で踏みとどまると判断するというのが、仲代さんの役者としての天性であろう。仲代さんは役者は技だという。

<無名塾>の若い役者さんは、仲代さんと話す時緊張するが、舞台では役になりきるので一緒の舞台に立って居る時は楽しいと言われていた。2012年の『Hobsonts・Choice~ホブソンの婿選び~』では、頑固親父の仲代さんが、娘たちの反乱に会い力関係が逆転し、娘たちに従う形となる。三人の娘さん役の役者さんは師匠を舞台で大いにやり込め、仲代さんもやり込められるのを楽しんでいるようであった。それは、やり込めるだけ役者として成長してくれたということでもある。

再演はあまりしないが、『バリモア』は再演されるそうである。そして、2月には、白石加代子さんと益岡徹さんと初めてのリーディング『死の舞踏』、来年3月には無名塾公演『おれたちは天使じゃない』と続いている。

映画の中では、長いセリフを言い続けることにより持病の喘息のため、吸うを息を調整しないとヒューという音がお客さんに聞こえてしまうと言われていた。芝居を解かりやすくしようとして芝居を駄目にしているという演劇事情の危惧もあり、仲代さんならではの試みの『授業』であったようだが、それを<道楽>というところが仲代流ともいえる。

編集も全て稲塚監督に任されたそうである。外部のかたが仲代さんについて語るということは入れず、仲代さんの今を記録された映画で、舞台に向き合う一人の役者と<無名塾>という家族の今を伝えるドキュメントに徹していて『仲代達矢「役者」を生きる』そのものである。