日本近代文学館 夏の文学教室 (3)

黒川創さん「漱石と『暗殺者たち』のあいだで」

日露戦争後1905年から10年位。夏目漱石の『坊ちゃん』が1906年。この頃東京は路面電車が走り、その後電燈がつく。日露戦争後、清国からの留学生が多い。科挙が廃止され日本での勉学を目指す。さらに辛亥革命の芽が出ていて逃亡してくる人々もいた。孫文や黄興など。黄興は映画でジャッキー・チェンが演じている。(映画『1911年』)日本では1911年「大逆事件」で、大逆事件の犠牲者として新宮の  大石誠之助などがいる。ただ一人死刑になった女性が管野スガである。伊藤博文の暗殺。伊藤博文は幕末と明治に入ってからの伊藤博文は違っている。

〔 『坊ちゃん』は、四国松山を勝手気ままに評するが、東京を認めているわけでもない。坊ちゃんの気に入る町が日本にあるかどうか。破天荒の坊ちゃんを主人公にした漱石さんのふつふつしている胸の内が分るような気がしてきた。「祝勝会で学校はお休みだ。」とあるが、これは日露戦争のことであろう。うらなりの送別会で、野だが「日清談判破裂して・・・と座敷中練りあるき出した。」とあり、「まるで気違いである。」としている。『坊ちゃん』の違う切り口がありそうである。

大石誠之助さんについては新宮の『佐藤春夫記念館』で知った。黄興の名前は初めて耳にした。孫文に関しての映画は『宗家の三姉妹』しか見ていないので『1911年』など観ておこう。大逆事件は政府の無謀な権力行使であった。〕

堀江敏幸さん「沈黙を迎えることについて」

仮面ライダーの変身ベルトは蓄電地で回って変身すると思っていたら、仮面ライダーの乗っているサイクロン号は原子力で動いていて、サイクロン号の走行する風力エネルギーで仮面ライダーは変身するのであると教えてくれる人がいて驚いた。自分の子供の頃から身近なところに原子力が組み込まれていたのである。1972年に帰国した横井正一さんへの戸惑い。

〔 仮面ライダーの件は、変身に科学的根拠など考えもしないし、特殊な能力ある者が変身すると思っていた。原子力って凄いんだよということしか考えていなかった頃の発想であろうか。<猿島>の展望広場に展望台があり、古いため中には入れないが、仮面ライダーの敵、ショッカーの初代基地として活躍している。建物の外観映像だけ使われ基地の中はセットでの映像であろう。横井さんは、どんな怒りや理不尽さを語られても良い立場の人であるが、大きな波風を立てることはなかった。〕

町田康さん「多甚古村とか」

井伏鱒二の『多甚古村』は日中戦争の頃の四国徳島を舞台にした、巡査が観察した人々の様子。巡査の観察と巡査の行動のづれが面白い。大阪弁なら忙しなくなるところが、徳島弁だと違って、その辺の井伏の方言の使い方によるリズム、さらに、あえて徳島弁でないイントネーションを使う井伏の手法。

〔 『多甚古村』はそんなに面白いのかと思わせてくれたので、これは読まねばと思った。本文から引用して読み上げてくれるのであるが、おそらく引用の文のあるページかメモされているのであろう。そのメモを見て、文庫本からのページを捜す。これがしばし時間がかかり、沈黙となり、次に探すときに「沈黙です。」と言われる。その町田さんの姿を眺めつつ、インデックスでも張って置けば良かったのではと思ったが、この時間の流れも井伏さんの『多甚古村』の時間と合うのかなと余計なことを考えた。そんなわけで、時間が立ってみると、井伏さんの思惑の原文の部分を忘れてしまった。読めば思い出すであろう。『多甚古村』の映画の代わりに『警察日記』の録画を観た。〕

山﨑佳代子さん「旅する言葉、異郷から母語で」

セルビア(旧ユーゴスラビア)の首都ベオグラード在住。旧ユーゴスラビアに留学したが、留学するとは思わなかった時に印象に残っていた映画が1970年に観た『抵抗の詩』である。原題が『血まつりの童話』。ナチスによってセルビアで一日で何千人もの人が殺された事実をもとにした映画である。ドイツ人が一人死ねばその何倍もの人を殺すとして数が増えていった。大人だけではなく子供にまでおよぶ。日本語とセルビア語で詩を書いている。そして、難民の人々の聴き書きをしている。

〔 ユーゴスラビアという国が幾つかの国に分れてセルビアという国が出来たようであるが、セルビアという国がもっと昔から過酷な歴史を担ってきたらしいということである。山崎さんが説明してくれた、映画『抵抗の詩』に描かれたナチスによる子供達の時代は第二次大戦ではあるが、その他の時代や現代のセルビア周辺のことはどう理解すればよいのか正直私には判らない状態である。ただ、山崎さんは多民族の人々の中で、ご自分は日本語とセルビア語を交差させ、日常と詩を通して語り続けておられるということである。争いの中に置かれた人々の普遍的な共通となる問題ということであろう。〕