映画『山中常盤』

羽田澄子監督の『山中常盤』(2004年)を見る事ができた。取り逃がすところでした。

8月9日~8月28日 『ドキュメンタリー作家 羽田澄子』 東京国立近代美術館フイルムセンター 小ホール

羽田監督の特集だったのですが、7月に大ホールで加藤泰監督の映画を見に行った時は、チラシがまだ出来ていませんでしたし、他の映画館でも置いていませんでしたので、知ったのが23日。25日の『元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯』と最終日28日の『山中常盤』は見る事ができホッと安堵です。いつまた出会えるかわかりませんので。

創造の情念の色     映画 『山中常盤(やまなかときわ)』

近世に活躍した絵師・岩佐又兵衛の絵巻『山中常盤』全12巻、全長150メートルを映しだし、その絵巻に書かれている詞に新たに浄瑠璃の曲をつけ、浄瑠璃を耳で受けつつ絵巻をながめられるという何とも贅沢な時間なのです。

牛若丸と別れた常盤御前は、平泉の牛若丸から手紙を受け取り、会いたさの一心から侍女を一人だけつれ平泉に向かいます。途中、美濃の山中宿で病となり宿で伏せっているところへ、盗賊が押しこみ美しい小袖など身ぐるみはがしてしまいます。常盤は、下着もないこんな辱かしめをうけるなら命も奪えと叫び、盗賊は常盤の胸を切りつけ殺してしまいます。侍女も殺され宿の主人夫婦はあわれにおもい塚をたてます。

牛若丸は母が夢枕にあらわれ心配になり都に出で立ち、この塚を眼にし、母と同じ宿に泊まり母の最後を知ります。牛若丸は宿の夫婦の力を借り盗賊をおびきだし母の仇をとり平泉に帰ります。数年後、牛若丸は平家討伐の大ぜいの軍勢をひきいた立派な若武者となり山中宿に立ち寄り、母のお墓にお参りし、宿の夫婦に領地を与えます。

最終日ということもあってか、羽田監督が見にこられていて映画の始まる前に少しお話して下さいました。この絵巻を撮ろうとおもったのは『風俗画 近世初期』(1967年)を撮ったとき「風俗画」の面白さを知ったためで、次は絵巻物を撮ろうと計画された。ところがそれから30年近くかかってやっと実現したのである。絵巻の『山中常盤』はMOA美術館が所有していてなかなか許可が下りず、安岡章太郎さんと辻惟雄さんの口添えもあり実現にいたったそうでお二人の名前はエンドクレジットにもながれます。MOA美術館では、常盤御前の胸を刺され血のほとばしる部分の絵は展示のさい残酷なのでみせないそうです。

絵巻物ですから、静かに自分が絵巻を開いていく感覚、きらびやかな衣装、ゆっくり見たい部分を見つめさせ、浄瑠璃が絵の心情を浮き彫りにしていく。すべて羽田監督の演出なのであるが、そのリズム感は自然に共有させてくれ、そのタイミングを持続してくれます。

ときに挿入された自然の映像、絵の常盤御前をおもわせる常盤御前に扮した片岡京子さんの古風なお顔、ナレーションの喜多道枝さんの声、高橋アキさんのピアノ。そして、17世紀の絵巻に負けない現代の古浄瑠璃。

作曲・鶴澤清治/三味線・鶴澤清治、鶴澤清次郎/浄瑠璃・豊竹呂勢大夫/胡弓・鶴澤清志郎/笛・福原寛/大鼓・打物・仙波清彦、望月圭、山田貴之

牛若丸が盗賊を切り刻み、その死体をむしろに包み縄でしばり川まで運び投げ捨てさせる場面は、母のうけた辱しめと殺された怒りの大きさを表しているようにもおもえる壮絶さがあり、絵師・岩佐又兵衛の自分の一族が受けた凄惨さの照り返しともおもえてきます。

始めは常盤御前の旅をつうじての庶民の明るい生活もうかがえるなか、次第にクライマックスにもっていく血の色は、又兵衛の想像のなかにあるぬぐい切れない色だったのでしょうか。今回この映画を見て、近松門左衛門が、『傾城反魂香』の絵師・又平を吃音にしたのは、簡単には言葉で言い表せられない岩佐又兵衛の胸の内を想ってのことだったようにおもえてきました。

この映画を見ることができ、次の作品にかかられているお元気な羽田澄子監督のエネルギーに嬉しい拍手をお送りできてよかった、よかった。このほか羽田監督の見たい作品はまだまだ沢山あるのでアンテナの感度調整をおこたりなくしておかなければなりません。

撮影・若林洋光、宗田喜久松/録音・滝澤修/照明・中元文孝/ヘアメイク・高橋功亘/デザイン・朝倉摂/製作・工藤充