ゴッホの映画(1)

ゴッホの映画を三本観ました。DVDも今は特典映像が多く一本まるごと解説入りというご丁寧さのものもあります。嬉しいながらも予定外の時間をとられたりしました。

『炎の人ゴッホ』(1955年・アメリカ)監督・ヴィンセント・ミネリ

『ゴッホ』(1990年・アメリカ)監督・ロバート・アルトマン

『ヴァン・ゴッホ』(1991年・フランス)監督・モーリス・ピアラ

1991年の『ヴァン・ゴッホ』から始めます。なぜなら書くことが少ないからです。日本では公開の数の少ないフランスの映画監督です。映画監督になる前は画家を志していた方だそうで、凡人には難し過ぎました。公開された時、ゴダール監督がピアラ監督に賛辞の手紙を送ったそうですから玄人の眼にかなう映画ということでしょう。

ゴッホが人生最後の地、オーヴェール・シュール・オアーズで過ごした2ヶ月間のことが描かれていますが、精神状態の難しい時期を選んでいて、ピアラ監督ならではの設定なのでしょが、あえてこの時期を選ばれたのかもしれません。弟のテオも病的な兆しがあり、テオの奥さんが真剣に心配しています。

この奥さんはゴッホが亡くなり、ご主人のテオも亡くなり、子どもを育て、さらにゴッホの絵と手紙を守り続けたのですから、聡明で凄い精神力の持ち主です。

一つだけ気にいったのは、ゴッホが甥の誕生で送った「花咲くアーモンドの木の枝」の絵が、テオの住まいの暖炉の上に飾ってあったことです。個人的には、この絵がここにある映像を観れたのがよく判らなかった気分の代償となりました。

ゴッホ役はジャック・デュトロンで既成のゴッホにとらわれない雰囲気でした。

炎の人ゴッホ』は、ゴッホ役がカーク・ダグラスで、ゴーギャンがアンソニー・クインですから、まさしくハリウッド映画です。

原作がアメリカでベストセラーになったアーヴィング・ストーンの小説を原作としています。テオの息子は、ハリウッドの制作会社のアイディアを嫌悪して、ゴッホの手紙の言葉の使用を許可しませんでした。この映画に出てくるゴッホの手紙の言葉は全て新たな創作ということです。

脚本はできていたのですがなかなか映画化されずロートレックの伝記映画『赤い風車』のヒットで映画化が始動しました。

ゴッホは絵の創作と同時にテオへ膨大な手紙を送っています。絵に描き表わせられない気持ちを言葉にぶつけるように文字にしています。『ゴッホとゴーギャン展』でも、ゴッホとゴーギャンの言葉を拾っていたようですが、それは飛ばさせてもらいました。この文字の世界に入ると一層囚われて固まってしまう感じがしたからです。まだ自分のこの程度の段階で固まるわけにはいきませんので。

ゴッホが伝道師となった時からはじまります。ベルギーのボリナージュ炭鉱に赴任しますが、炭坑の貧しき人々と伝道師である自分との間に距離を置くことが出来ず伝道師の仕事は免職となります。彼にとって神と神を信じる者との間の聖職者に不信感をいだきます。そして貧しい人々をモデルに絵を描きはじめます。

そこから弟テオの援助がはじまります。ゴッホ27歳の時です。映画では、父母のもとで寡婦の従妹に恋をしてふられたりハリウッド映画的展開があります。とにかく人付き合いの不得手なゴッホで、この映画でもパリでの画家たちとの交流は深くはえがかれてはいません。パリから南フランスのアルルに移ったゴッホは、朝、部屋の窓を開けた途端に映像は明るい風景を映し出し、アルル時代の絵がどんどん描かれていき、郵便配達人ムーランとの交流など人との関係も上手くいっています。この時描いた絵が映像の中でながされます。

しかし、季節が変わり室内で描くようになるとゴッホの気持ちも内に籠っていくようになります。そんな時ゴーギャンがやってきます。孤独なゴッホにとって喜びと同時に激しい絵の論争がはじまります。

ゴッホ「太陽を描くなら光と熱まで伝えたいと思う。畑の農民なら日を浴びた体臭までだ」 ゴーギャン「筆触を強く厚塗りすることでか?よじれた木とばかでかい太陽でか?感情に駆られた君は早く描きすぎる」

ゴッホは発作を起こし自分の耳を切り落としてしまい、ゴーギャンは去ります。ゴッホはサン・レミの脳病院に入り、ここで描いた絵も映像に流れます。

そして最後の地、オーヴェールのガッシュ医師のところへ行き、ここで描かれた絵の映像も映しだされます。

この映画では、ゴッホの伝道師時代から死までが描かれ、また多くのゴッホの絵の映像が映し出されるので、ゴッホのどういう状態の時の絵であるかがわかり、そういう点ではゴッホの行動と絵の流れをとらえるひとつの例となると思います。テオもひたすらゴッホを支えます。

カーク・ダグラスとアンソニー・クインの熱演を観れるのもこの映画の愉しみどころです。映画はシネマスコープでオランダとフランスでロケをしてヨーロッパで当ることを制作会社は期待しましたが興行的には大ヒットとはなりませんでした。

ミネリ監督はミュージカル映画監督として知られていますが、『炎の人ゴッホ』は撮りたかった映画で、テーマはあくまでゴッホの心の闇ということで、古典映画の英雄的伝記映画からの脱出を試みました。