歌舞伎座十一月 成駒屋襲名披露公演(2)

元禄忠臣蔵~御浜御殿綱豊卿~』は、国立劇場での『仮名手本忠臣蔵 七段目』と呼応して、仁左衛門さんの綱豊卿の台詞ひとつひとつが響きました。一途な染五郎さんの助右衛門も、由良之助への複雑な想いを綱豊卿の前では迷っていないというところを見せたいと意地になったり、嫌味を言ったりと義士となるまでの心の内の複雑さを見せてくれました。

御浜御殿では、赤穂事件などなかったかのように綱豊卿は派手な遊びを展開しています。舞台最初からお女中たちの綱引きが行われています。旅姿の子どもが。綱豊に「抜けまいりに一文のご報謝を~」といって柄杓を差し出します。<道中>の言葉もでてきますので、どうも旅をテーマとしたお遊びが開催されているようです。豊綱もこれが抜けまいるかと庶民の生活を垣間見てご機嫌です。

その一方、師の新井勘解由(左團次)を呼んで、赤穂の浪士に討たせたいとも吐露します。そんなところへ、赤穂浪士の富森助右衛門が現れるのですから、豊綱にとってはその覚悟の程を聞き出す機会です。

豊綱の仁左衛門さんは、あの手この手、緩急自在の台詞回しで助右衛門から聞き出そうとしますが、助右衛門の染五郎さんも持ちこたえます。綱豊は浅野家再興を願い出て、今自分の手から離れたものの行方を見据えながら放蕩の由良之助の気持ちまでかたります。助右衛門は、お家再興のことを言われ動揺するきもちから、お客としてくる吉良を一人で討つことを決心し豊綱卿の寵愛を受けている妹のお喜代(梅枝)に手引きさせます。

吉良と思って切り付けた人物は豊綱卿で、討つまでの動揺を叱責し、生島(時蔵)に後を頼み能舞台へと去るのです。大蔵卿に匹敵する江戸の豊綱卿です。

加賀鳶でもそうでしたが、煙草が小道具として、役者さんのしどころとして重要な役目を担っていました。

口上』では、染五郎さんが、襲名されるかたよりも多い五役にも出させてもらっていますと言われたのと、仁左衛門さんが、前の芝居でしゃべりすぎましたで話すことは控えます。お聴きになりたいかたは、松竹座にお越しくださいと言われたのが実感を伴っていて可笑しかったです。

盛綱陣屋』は、佐々木盛綱と高綱の兄弟が敵となって戦っていて、真田信幸と幸村をモデルとしています。高綱の子・小四郎が、徳川家康モデルの北條時政に捕らえられ盛綱に預けられています。

盛綱(芝翫)は、高綱が自分の子どものことをおもって戦意をなくしてはならぬと母の微妙(秀太郎)に小四郎(左近)に自ら命を絶つよう言い聞かせてくれとたのみます。いわば、佐々木家一族の内輪の話しなのです。密かに内輪で佐々木家を守るために盛綱は策を練っているわけです。

小四郎の母・篝火(時蔵)は息子が心配で陣屋に忍び寄り文矢を放ち、その文をみた盛綱の妻・早瀬(扇雀)も文矢を返します。篝火は藤原定方の歌で息子に会いたい気持ちを、早瀬は蝉丸の歌で、ここでは今はお帰りなさいという意味でしょうか。小四郎も母に一目会いたいと祖母・微妙に懇願します。

内輪での試行錯誤しているところへ、時政(彦三郎)が高綱の首実験のためにあらわれます。盛綱は、心の内を隠し首実検に望みますが、小四郎が父上といって自刃するのです。その首はにせ首です。盛綱と小四郎は顔を見合わせます。小四郎の意志が通じた盛綱は高綱の首に間違いないと言い切り無事首実験をすませます。

母に会いたいと言っていた子どもの小四郎が仕組んだのです。それを理解した大人たちの小四郎に対するいたわりの場面となります。盛綱は高綱に佐々木家をまかせ死ぬ覚悟ですが、そこへ、もうひとり全体像をみすえていた和田兵衛(幸四郎)があらわれます。この人、最初と最後に登場し佐々木家の行く末を指し示す役どころだったのです。

佐々木家をどうもっていくか思案の盛綱を芝翫さんは大きな型できめられ腹もあらわしてくれました。黒の長袴の見得も美しい姿となりました。ただ台詞が切れてしまうのが残念なところです。息の長さの自在さをさらに期待したいところです。

小四郎役の左近さんしっかり間をあわせて演じられました。子役時代にこの役ができるのは良い巡り合わせということでしょうが、それも襲名という大きな舞台でしっかり役目を果たされました。

脇に鴈治郎さん、染五郎さん、秀調さん、彌十郎さんで固められ、芝翫さん初役の盛綱が手堅い舞台となりました。

蝉丸の歌から少し蛇足します。歌は「これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬもあふ坂の関」で、蝉丸は琵琶の名手でもあり、芸能の神様でもあります。大津宿から京都に向かう旧東海道に関蝉丸神社下社、関蝉丸神社上社があり逢坂の関址を過ぎると蝉丸神社分社があります。この三社を合わせて蝉丸神社ともいうそうです。今は無人の社となっていまして坂は削られ国道が走り道はなだらかです。

<大津絵販売の地>の碑もあり、旅人はこのあたりで大津絵も購入しお土産としたわけです。大津絵も歌舞伎の題材となっています。

芝翫奴』は歌之助さんでした。申し訳ありませんが、その前に富十郎さんの『供奴』のDVDで二回も観てまして、このリズムを身体に染み込ませるのは時間を要すると思ってしまいました。足踏みなど面白さのある踊りゆえにかえって難しいかもしれません。今回は三人での交代ですので、三分の一しか踊れなくて無念と思って闘志を沸かせてほしいとおもいます。

そして、先代の芝翫さんの『年増』も二回観まして、こうした落ち着いた雰囲気の踊りも近頃観てないなあと思いつつ、先代の雀右衛門さんの尾上と芝翫さんのお初コンビの鏡山を思い出していました。優雅に悔しさを内に秘めた御主人様の尾上さまを、お初は何としてでもお守りするのだという心意気の若々しかった様子がしっかり記憶に残っています。襲名にあたり、先代芝翫さんのお初の心意気で歌舞伎を守っていただきたいものです。