ゴッホの映画(2)

アルトマン監督の『ゴッホ』は、出だしがゴッホのひまわりの絵のオークション場面からはじまります。どんどん値があがっていきます。芸術がお金に換算される何とも不可思議な世界の一端です。ゴッホさんが生きていた時には縁の無かった数字です。

映像では、ゴッホ(ティム・ロス)の姿が映し出され競りあう金額の声が小さくなっていきます。アルトマン監督の音楽の使いかたが好きです。この映画でもサスペンスのような音楽がながれ、ゴッホのこれから始まる時間に何かが起こるような不安な予感をただよわせます。この音楽のよさと用い方の上手さがいいです。

そして、この映画の光と影にもいつもながらの語らぬ造形美があります。

アルトマン監督は、テレビでサスペンス物などでも観ている人が途中で冷蔵庫からビールを取り出しに行ってテレビの前にもどっても、筋がわかるような作品は嫌だといいます。

ここを今離れたらこの筋がわからなくなるように観客を釘づけにしたいということのようです。結構意味もなく登場人物にしゃべりつづけさせたり、お互いの台詞をかぶせたりするのも継続性をねらっているとのことです。意味もなくといいますが、これがそのしゃべる人物の人間性をあらわしているのですから観る方は聞き流すわけにはいきません。

たとえば、ゴッホとゴーギャンの共同生活が始まり、この生活はテオの仕送りでなりたっています。ゴーギャンは絵の具をさわると、ゴッホが、ここにはいい絵の具がないからパリから送ってもらっているとつげます。ゴーギャンはここの絵の具でいい、贅沢はしないでおこうと言います。

外で二人で絵を描いているときゴーギャンの絵をみてゴッホは、黄色は贅沢だよといいます。黄色というのが、暗示的でもあり何かを匂わせてくれ、ゴッホには悪戯っぽいところがありまだゆとりがあります。

ゴッホが大根を切って料理をしていると、ゴーギャンが料理とはこういうものだと、トマトの皮をむいて切りクレソンをそえチーズを切ってそこにオリーブオイルをかけ、色の取り合わせなどの講釈をします。ゴッホは嫌な顔をします。ゴッホとゴーギャンの間の溝がそんな些細なことから始まってきています。ゴッホの神経の起伏が現れ始め、ついには大きな破たんへと至るので、やはり眼も耳も離せないのです。

貧しいモデルの女性シーンとの出会いと別れもゴッホの絵に対する姿勢を伝えてくれ、シーンの生活者としての人間像も客観的にえがかれ、家族で海岸を歩くシーンの風景の映しかたにも変化があり、リアルさと印象的な場面が散りばめられています。

ひまわりに囲まれてゴッホは絵を描いています。ひまわりはゴッホのほうを見ています。ゴッホもひまわりをみています。突然映像はひまわりの後ろから映され、ひまわりを見ながら描くゴッホの姿が映ります。バーッと並ぶひまわりの後ろ姿です。

こういうあたりのぎょっとさせる思いがけない感覚を映像で伝えるのがアルトマン監督なんです。裏と表の関係を匂わせ本質を突き付けますが、さらりとして嫌味がないのがいいのです。しかし確実にああそうねと受け止めさせられています。

そして、正面のひまわりをみせ、また後ろ側に回ってカメラがとらえた時、ゴッホは自分の描いたひまわりのキャンバスをこわしているのです。襲いかかるような画面いっぱいのひまわり。

この映画は、ゴッホとテオの関係が軸となっている映画ですが、二人の手紙の言葉を一切使いません。テオがゴッホからの手紙を読んでいて、テオの妻が内容を聞くと、私信だから教えられないといいます。君宛の手紙も読まないからとつけ加えます。そのことから、妻は、ゴッホとテオの関係から自分が外されていることに次第に苛立ちを覚えはじめます。その亀裂も次第に大きくなっていきます。

兄弟がお互いに反目し合う場面があっても手紙の言葉は出しませんが、ゴッホとテオの関係がいかに悲しいぐらいに親密であるかを映像はつたえてくれます。ゴッホとテオの関係を偶像化することはしません。生きている以上お互いの関係は綺麗ごとではすまされません。その複雑さを映しつつ、それぞれが、精一杯生きた証を指し示しています。そういう点では、アルトマン監督は映像の絵描きともいえます。

あえて、パリでの絵描き仲間からゴーギャンとベルナールを選び出し、多くの人物を登場させるアルトマン監督にしては絵描き仲間を排除しているのも、主題をぼかさないためでしょうか。この映画でのゴッホに「パリってなんだ。パリにいったい何の意味があるんだ。人と話したりあったりそれだけか。」と言わせています。

どうして『ゴッホ』を撮る気になったのかなどは、時には饒舌なアルトマン監督なのにわかりません。もしかすると、映画『炎の人ゴッホ』よりさらなる伝記映画の変化を考えたのかもしれません。

映画のジャンルでわけしたとしても、アルトマン監督の映画はジャンルの手法をかえていますから、アルトマン流の伝記映画をつくろうとしたとしても不思議ではありません。

そうそう、歌舞伎の隈取ではないですが、ゴッホは酒場の女性の顔に絵の具でペインティングをしてお店の人を怒らせていました。テオは兄の自画像を「仏を崇拝する日本の高潔な僧侶みたいだ」と評します。ゴッホのパリの部屋には、広重の東海道五十三次の<庄野・白雨>の版画がかかっていました。

麦畑もひまわりと同様美しくもあり強烈な風景です。ここでカラスが描かれ、そして自分の脇腹からピストルの弾を打ち込み、それが致命傷となります。テオはその半年後に精神病院でなくなります。兄を想いつつ。

ラストに、隣り合うゴッホとテオのお墓が映されます。

オーヴェールの丘に二人のお墓を並べたのは、テオの奥さんです。

日本でゴッホが紹介されたのは文学雑誌『白樺』ですが、やはり、そのあとの式場隆三郎さんの力は大きかったとおもいます。改めて式場隆三郎さんの図録を読み返しその仕事の量に感嘆しました。

ゴーギャンの画集もながめました。ゴーギャンの絵との闘いも壮絶です。もう一度、美術館の絵の前に立っている可能性ありです。

『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』