旧東海道の逆鈴鹿峠越え(坂下宿~関宿)

家康や家光も休息したという<金蔵院(こんぞういん)跡>は石垣だけが残り、<法安寺の庫裏(くり)玄関>は、坂下宿本陣の一つであった松屋の遺構を門の一部に再利用したものと書かれていましたが見ていません。

宿のおもかげはほとんどなく、<小竹屋脇本陣跡><梅屋本陣跡><大竹屋本陣跡><松屋本陣跡>と軒並み石碑のみで、本陣が三つもあり大きな宿場であったのがわかりますが、そのおもかげはほとんどなくてつーっと通過してしまいました。

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鈴鹿馬子唄会館>で坂下宿の概略を知ったのです。<坂下宿>は江戸から48番目の宿場で、鈴鹿峠の下にあることからこの名前がつき、旅籠の数は48あり、亀山が21、関が42ですから、それよりも多く、旅籠の割合は箱根に次ぐ高いものだったのです。大竹屋本陣の平面図面がありましたが一目で大きいとわかります。しかし今はかつての旅籠宿は夢の跡という静けさです。

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ここを歩いた人々の数は数えきれないほどだったでしょう。様々な人々の中にオランダ商館医師のシーボルトさんもいました。彼は江戸へ向かう途中でこの坂下で「オオサンショウウオ」を捕獲してオランダへ持ち帰り、今もオランダのライデン博物館に標本として残されているのだそうです。ここに「オオサンショウウオ」が生息していると知っていたのか、たまたま見つけたのでしょうかね。「オオサンショウウオ」も、見慣れない人だなあと姿を現したのか。

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井伏鱒二さんの『山椒魚』を思い出してしまいました。「君は何やってんだい。おいらなんかオランダまできてしまったよ!」「さらし魚になったのか~~」「・・・・」

東海道で芭蕉さんの次に歌を紹介されているのが西行さんですが、ここでの西行さんの歌です。「鈴鹿山 憂世をよそにふりすてて いかになり行く わが身なるらん」

では芭蕉さんも。「ほっしんの 初の越ゆる 鈴鹿山」。この時の自分の気持ちは芭蕉さんに近いです。反対方向からくると、西行さんの気持ちに近いかもしれません。憂世をすてるまではいきませんが、さあこれから上手く峠を越えられるであろうかと。

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町家が残っている沓掛の少ない家並みを通ります。<筆捨山>は絵師があまりの素晴らし山の景観に筆を捨てたといわれる山ですが、どれがその山なのか見える木々の山がそうであろうとしておきました。亀山市民文化部で出している案内図には、筆を捨てた絵師として狩野元信さんの名前がありました。鈴鹿峠を越え、坂下宿も過ぎ、思っていたよりも早く<関宿>の西追分の公園に到着です。

江戸側からこの公園に着いた時、ご夫婦が丁度鈴鹿方面から到着しまして、どうでしたかとご婦人に尋ねたんです。「そんなに大変じゃありません。」水口から土山までタクシーを使い、そこから歩かれたらしいのです。

ご主人のほうは、休憩所の東屋で座っていたのが、お疲れか横になってしまいました。ご主人のほうは、旧東海道歩きの途中から参加され、奥さんのほうは、中山道も歩いたということですから、歩きに関しては、奥さんのほうが上のようです。これから亀山宿まで行くとのことでした。

私たちの足は、ご主人と奥さんの間くらいの力と解釈しました。健脚の友人は、関宿から水口まで歩いています。私たちには無理。ここは途中の交通機関がないので自分たちの体力から、多少調子が悪くても一日かけてこれくらいとゆとりをもたせました。ただここはタクシーは呼べるでしょう。箱根は交通の便はいいですが、一部は車の入れない場所を歩きますから、鈴鹿峠との違いはその辺でしょうか。

私たちは、旧東海道の道を歩くというのが基本でしたが、ほかの友人は、開発されて面白くなさそうな道は電車にして、美味しい飲食店に出くわすと、次の出発には、そのお店を再度訪るという計画にしたりして変化させており、それぞれの楽しみ方をしています。

テレビでも「鉄道でたどる 東海道五十三次」という番組ををやっていまして、そこで、ひつまぶしを食べていて、それを見て友人は食べたくなったわけです。わたしは、<どまんなか袋井>の「たまごふわふわ」が食べたかったです。土鍋にだし汁を入れ、餅を入れて、メレンゲにした卵をふんわりとかけ火にかけるのです。作れますが、旅の途中で出くわすというのが楽しいです。特に寒いときには。江戸時代にこの「たまごふわふわ」があったというのですからおどろきです。

テレビ番組では、宿泊と食事が豪華で、次の日の私たちならゴマノハイにあった状態でしょう。番組とは反対に、三条大橋から八坂神社に向かったのですが、かき氷が食べたくて表示をみると高いのです。庶民の食べ物がなんでこんなに高いの。1000円以上のかき氷なんて食べないよ。八坂神社のそばにありました。抹茶かき氷。白玉とあずきも添えられて。みうらじゅんさんといとうせいこうさんの東京と京都のかき氷談義がふっと頭をかすめましたが、口と喉の触覚優先でした。夏になあ~ると思い出す~

悟りの薄い者は、憂世に即もどります。基本形から解放され番外編の旅のつづきとなりました。