旧東海道 藤川宿~岡崎宿(~宮の渡し)

二川宿から吉田宿までは途中JR飯田線の小坂井駅までとし、そこから宮宿を通り<七里の渡し>までは名鉄名古屋本線、桑名側の<七里の渡し>から四日市宿までは、近鉄名古屋線の駅とぶつかるところで宿泊場所を探します。無い時はもどったり進んだりして宿泊場所を決め、それからどこまで歩けるかを検討し、何泊にするかを決め、さらに友人の仕事のシフトと合わせ、予定日1週間前に天候を確認して最後の検討。

今思い出しますと、進め進めの前進あるのみで、予定通り進むと達成感で脳は高満足度で、身体の高疲労度は飛んでおりました。この疲労度が結構たまりあとに残りましたが。

さてその中で、歌舞伎『伊賀越道中双六』に登場しました<藤川>と<岡崎>について書いておくことにしました。『伊賀越道中双六』に出てくるのが<三州藤川 新関の場><三州藤川 新関裏手竹藪の場><三州岡崎 山田幸兵衛住家の場>として出てくるのです。重ね合わせるのは無理な風景となってしまっています。

名鉄名古屋線の本宿駅を赤坂宿側に少しもどったところに、<法蔵寺>があります。家康さんの先祖の松平一族の墓のあるお寺で、家康さんも手習いに通いその手習いした紙をかけたといわれる松があります。驚いたことに近藤勇さんの首塚がありました。江戸板橋で処刑され京都にさらされた首を、同志が盗み、めぐりめぐってここに葬られたが、その後また盗まれ今は墓碑と胸像がありました。

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御朱印をもらう時お寺のかたが、かつては新撰組ファンが催しをしていたが、今は年齢的にそれもなくなったと言われていました。

本宿は<赤坂宿>と<藤川宿>の中間にあり、茶店など休憩としてにぎわったところです。一里塚の標柱があり名鉄名古屋線の線路にそって旧東海道は続きます。左手に急な石段があり上には<山中八幡>があります。三河一揆のとき家康さんが洞窟に隠れ見つかりそうになった時、ハトが飛び立ち助かったと伝わっています。

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東棒鼻(ひがしぼうばな)>の標識があり、<棒鼻>は宿場の出入り口のことで、解説案内には、1601年(慶長6年)に整備された<藤川宿>は小さく幕府の要求にこたえるために困窮したようです。補強するため他の村を移住させ加宿させたのですが、それでも小さな宿の部類に入ります。小さいながらも本陣、脇本陣、問屋場、高札場、鼻棒などの施設をつくりに頑張りました。

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脇本陣跡にたつのが無人の<藤川宿資料館>です。その近くに<むらさき麦>栽培地とあって、本当に美しい紫色の麦でした。芭蕉さんがこれを詠んでいます。「ここも三河むらさき麦のかきつばた」1994年(平成6年)に県の農業試験場が栽培に成功させ、その年は芭蕉さんの300年忌の年だったのです。「むらさき麦のかきつばた」。優しい美しさでした。はからずも5月の旅ゆえにまぼろしの<むらさき麦>を見ることができました。

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この資料館には、かつては<からむし細工>も藤川のおみやげ品で、今は福島県の昭和村しか生産されていませんが、からむし製品も展示されていてここでお目にかかるとはおもいませんでした。

西鼻棒><一里塚><吉良道標>を右に進みますと、<藤川の松並木>が続きます。1キロメートルに90本のクロマツが並び、夜には足下を照らす灯りが設置され、夜になるとほのぼのとした明るさが出現するようです。松並木の灯りとは風情があります。<藤川宿>から、<岡崎宿>は6.6キロと近いです。

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進むと<岡崎源氏蛍発生地碑>がありました。ここは、大岡越前守の領地でもあり、<西大平藩陣屋>の解説板があり、大岡忠相は旗本でしたが、吉宗の口添えもあり1万石の譜代大名になり西大平に陣屋がおかれます。

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しかし藩主だったのは3年だけで亡くなってしまいます。大岡家は江戸に常駐する定府大名で参勤交代がありませんでした。そのため、ここの詰めている家臣は多い時で12、3人です。

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さらに<大岡稲荷神社>がありました。大岡越前さん、豊川稲荷の本尊「吒枳尼眞天(だきにしんてん)」を信仰していて、江戸赤坂の藩邸内に豊川稲荷の分霊社として赤坂稲荷を祀り、西大平陣屋内のも大岡稲荷を建立していたのだそうで、2002年(平成14年)に再築されたものです。検索しましたら赤坂稲荷は豊川稲荷東京別院でその由来を引き継いでおられるようです。

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大きなエノキの<大平一里塚>があります。岡崎は、家康さん生誕の地で、浜松城に移るまえに本拠地としていていました。ここには外敵からの防衛のために東海道を<二十七曲り>させたのですが、これは家康さんではなく、岡崎城主の田中吉政さんが造りあげたのです。

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冠木門と<二十七曲りの碑>がありまして、金のわらじの案内柱があります。しかし、地図がほしいです。複合公共施設が目にとまりそこで地図を手に入れました。「岡崎開運の旅シリーズ まち歩きマップ」これが(二十)までありまして<二十七曲り>マップは(四)でした。金のわらじは㋑㋺㋩で続き㋹で愛知環状鉄道の中岡崎駅と名鉄名古屋本線の岡崎公園駅のそばとなります。一応そこで岡崎宿の終わりとします。二十七曲りはまだ続くのですが、なくなっていたりもしますので、そのあとは数えませんでした。

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ここまでで十七の曲りを曲がったことになります。慌ただしかったです。曲りを確認しつつ、三つの本陣跡を確認、<お茶壺道中>の茶壺の石碑があり、宇治茶を将軍家に献上するために始まった道中で、将軍の権威を示すため、100人の人足をだす定めがあり、お茶壺奉行をはじめ100人以上の行列をもてなすときもありこれまた負担が大きかったとのこと。

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大正時代の建物の<岡崎信用金庫史料館>、<田中吉政像>、籠田公園を通って連尺通り、どんどん曲って岡崎城を遠く半周する感じで㋹に到着です。

旧東海道を歩いていると、時間的にお城には行けないのです。お城巡りをするためには、別の計画を立てねばなりません。

岡崎はその他、家康さんの正室、築山御前の首塚がある<八柱神社>、信長の命により自刃した家康さんの嫡男信康さんが祀られている<若宮八幡宮>などもあり、幾つもの厳しい曲り角を歩まれた家康さんの人生が詰まった地でもあったのです。

岡崎城から八丁離れていた八帖町。

江戸時代、東海道で一番長かった木橋。ここを渡って知立(ちりゅう)へ。

追記: 知立宿鳴海宮宿までの写真を載せておきます。「有松鳴海絞会館」見学に時間をかけました。

尾崎一里塚跡の石碑

永安寺の雲流の松

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来迎寺一里塚(左右一対)

池鯉鮒宿の石碑

伊勢物語のマンホール (からころも きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ)

知立古城址

弘法大師御自作知立不動尊

阿野一里塚 (国の史蹟指定)

市雪歌碑 (春風や 坂をのぼりに 馬の鈴)

有松一里塚石碑

笠寺一里塚

熊野三社

熱田神宮と旧東海道

裁断橋址

都都逸発祥の地記念碑

姥堂と裁断橋の解説案内

加藤図書助館跡 (家康が竹千代時代に預かる)

伝馬町(かつての熱田神宮の門前町)

宮の宿赤本陣跡

熱田魚市場跡

熱田荘解説案内

宮の渡し公園七里の渡し場跡