歌舞伎座3月『引窓』『女五右衛門』『助六』

『双蝶々曲輪日記(ふたわちょうちょうくるわにっき)』は全九段あり八段目にあたるのが『引窓』です。場所は八幡の里とあり、現在の京阪本線の「八幡市駅」の近くに<引窓南邸跡>の石碑があるようです。引窓のある家が多かったということらしく、登場人物は架空ですから、芝居名のある建物のほうのモデルとしてとりあげているのです。それくらい、この<引窓>は人の心情と切り離せない重要な役目を担っています。

またここは石清水八幡宮に近い場所で、女房のお早がお供え物を持って出て来て二階の窓に飾ります。ススキがあり十五夜だなとわかりますが、明日は石清水八幡宮の放生会なのです。そういう季節の設定もなされているわけです。『日本橋』で橋からサザエをはなしてやりますが、あれは、3月3日の雛祭りです。年の瀬と思っていました『女殺油地獄』は、5月5日の端午の節句の節季(掛け金の決算期)なのだそうで、寒い時期と思って観ていたのが恥ずかしいです。

『引窓』のお早の出も季節感があり、魁春さんのいそいそとしてお供え物を飾る姿には幸せな様子がでています。今、この家の主人・南与兵衛は留守なのです。そこへ、姑・お幸(右之助)の実子・濡髪長五郎(彌十郎)が訪ねてきます。お幸は南家の後妻で、与兵衛は先妻の子で夫は亡くなっています。

与兵衛、お早、お幸は家族ではありながら義理の形で、そこへ実子の長五郎が人を殺して訪ねてくるのです。波風が立たないわけがありません。二階で長五郎を休ませます。

花道から、急ぎ足で与兵衛の幸四郎さんが帰ってきます。着衣を直したりどこか落ち着きません。帰った与兵衛を見て、お幸とお早は驚き喜びます。町人だった与兵衛が亡き父と同じ郷代官に取り立てられ、父の名前南方十次兵衛を継ぐこととなります。お幸は義理のなかゆえ亡き夫に対しても義理がたつと大喜びです。

客があるからと与兵衛に言われ女ふたりは奥へはいりますが、お里の魁春さんが侍姿の夫をほれぼれとして見つめつつ去るところに、廓勤めをしていた名残の色気があり、夫に対する情があります。

ところが出世した与兵衛は、長五郎を捕える側の人間となってしまいます。右之助さんは与兵衛と長五郎の間で揺れる母の心情を細やかに表現され、幸四郎さんはそんな母を実をもって受け止め、母と長五郎の絆を第一に考える腹を見せます。

長五郎の彌十郎さんは、昔のお里のことも知っていて、ここには自分とは違う幸せな世界があるとふっと寂しくなりますが、与兵衛が自分のために出世さえも投げ捨てようとしているのに感じ入り、与兵衛の手柄にと母に頼み、母もそうであったと自分を戒め長五郎を引窓の紐でしばります。

外で様子を見ていた与兵衛は、家に入り、長五郎の縄を切ります。ぱっと引窓があき、十五夜の月の明かりがこの家の人々を照らします。その明るさから、与兵衛は自分の役目は夜の間で、朝になったから自分の役目は終わったと告げるのです。

それは、既に出世を捨てて町人となった与兵衛の心根で、幸四郎さんは曇りのない月明かりのように言い切ります。寸法があった役者さんのほどよいかみ合わせの芝居となりました。

女五右衛門』は、石川五右衛門を傾城真砂路という女性に書き換えた『けいせい浜真砂』で、『女五右衛門』と呼ばれているわけです。その<南禅寺山門の場>で短いですが、あの大きな派手な山門の上に女方で傾城の藤十郎さんが負けることなく、飛んできた雁の口ばしから手紙をとって読み、下に巡礼姿の仁左衛門さんの久吉が現れ、久吉にぱっとかんざしを投げ、久吉はかんざしを柄杓で受け、傾城は手紙をなびかせお互いに見得を切ります。

役者さんの大きさで短時間にみせる、豪華で色鮮やかな心意気を見せ合う場面でした。

助六』は、曽我五郎が身をやつしている名前、花川戸の助六です。やつしているどころか超目立つ江戸の華そのものとなっているのですが。人気者の曽我五郎を江戸仕立てにかぶかせたらこうなるのではといった趣向たっぷりで、黒紋付で着流し風ながら顔には「むきみ」の荒事の隈取をしてしまっているという、まったくもってへんてこりんな助六さんです。そこがまたやんやと女にもてる。意休さんでなくても文句をつけたい御人は沢山いたことでしょう。

頭には紫の鉢巻。病気なのではありません。右側に結ぶと力強さをあらわすんだそうです。襟、袖、裾からのぞく赤。足袋が黄色。そして下駄です。背面には尺八。蛇の目傘を持っていまして、開いたり閉じたり回したり、格好良く傘も遊ばれます。開いてかざしたときの、中の支えの糸が彩りがまた綺麗なのです。四谷怪談の伊右衛門が作った傘でないことはたしかです。花道で、たっぷりやってくれるのが「出場」といわれる演技で踊りではないのです。

先ず口上がありまして、今回は右團次さんがされました。『助六』と團十郎家の関係、後ろで演奏してくれるのが河東節十寸見会御連中で、助六の「出場」だけをそれも成田屋のときだけ演奏してくれるのだそうです。その河東節が開曲して300年で、これを記念しての上演でもあるのです。右團次さん、ご自分の襲名興行での経験もあってか落ち着いた押さえどころのよい口上でした。

『助六』というとぱーっと華やかにぱーっと終わる感じですが、これが2時間という長さなんです。

吉原の仲ノ町の三浦屋前で、傾城が並び、傾城揚巻の雀右衛門さんが酔って登場し、意休相手に、助六が間夫だと言い切りたちさります。間夫は命ですから。

いよいよ助六の海老蔵さんの花道からの登場となり「出場」をたっぷり演じてから、下駄の音も高らかに本舞台にかかり、これでもかと傘をかざしいい形となります。江戸庶民は、自分が助六になって吉原に乗り込んだ気分で入り込んで観ていたのでしょう。そういう意味では、左團次さんは悪役としての威厳あり。敵役はよりにくらしくなくては、こちらの気分も盛りあがりません。

曽我十郎が甘酒屋にやつして菊五郎さんが登場。菊五郎さんの身についた動きと台詞の和事が、荒事と侠客の助六の海老蔵さんを空気のように自然に受けます。喧嘩の仕方を助六は教えるのですが、喧嘩を吹っかけて「こりゃまた何のこったい」と調子を変えてうそぶくところで、十二代目團十郎さんが浮かびます。真面目な方とお見受けしましたのでその落差にふんわりと笑いを誘われました。

当代の海老蔵さんは、年齢的にやんちゃな五郎だけでは物足りないし、かといって分別くさくなっても面白くないし、台詞、姿、形ともに急上昇途上ということにしておきます。

兄弟の母の秀太郎さんは、ふたりをかしこまらさせる威力があり、揚巻も嫁の気持ちでつとめられ、助六の手助けへと展開していきます。

とにかく、色々なタイプの役のかたが登場しますので書ききれなく、楽しみどころいっぱいの江戸の吉原風景です。男なら助六、女なら傾城に憧れるところでしょうが、いやいや、あの重い衣裳を着ての堂々の傾城には憧れる前にへたりまする。