旧東海道の鈴鹿峠越え 番外編の旅(2)

翌日は伊賀上野へ。伊賀鉄道の上野市駅前には、もちろん生誕地である芭蕉さんの銅像もありますが、『銀河鉄道999』のメーテルと鉄郎の像もあります。漫画家の松本零士さんが、「忍者列車」のデザインをしたからだそうで、電車には、メーテルの眼の部分が描かれています。今回友人にいわれて列車の全面の<メーテルの目>に気がつきました。乗り換えに気をとられていて、前回訪れた時は見ていませんでした。

友人は、メーテルのモデルは、松本零士さんの奥さんの漫画家の牧美也子さんであると言っていましたが、どうもシーボルトさんの孫娘の高子さんという説のほうが強いようです。どちらにせよ、切れ長の目の女性がお好きなのでしょう。

旧東海道を離れても、シーボルトさんの名前がでてきたり、そもそも芭蕉さんが関係していますからついてまわります。旧東海道では、芭蕉さんのお弟子のかたも旅の途中で亡くなりその土地のお寺に埋葬されたり、病気になったお弟子が先に進めないからと一人残り、養生してその土地に住み着いて俳句を広めたという方などの案内板もありました。旅の空の出来事です。

家康さんなどは、逃げたとか、かくまわれて助かったという箇所が何か所かあり、運がよいのか、助けたくなるような人物だったのか、その後の大御所である徳川家康さんからは、推し量れないようなところもあります。

今回は伊賀上野城の中を見学できる時間がありました。足が冷え切りましたが。藤堂高虎公の兜には驚きです。秀吉さんから賜った兜で、大きな扇風機の羽根のようなものが左右に伸びていて真っ黒で<唐冠形兜(とうかんなりかぶと)>とありました。安定感が悪そうで、戦いのための兜とは思えません。高虎さんの絵にもこの兜は脇に置かれて描かれていました。その後、この兜は高虎さんが自分の家臣にあたえてしまいます。ところが、この家臣が真面目な忠臣でかぶって戦さに出て、この兜のために命をおとすのです。罪つくりな兜です。それよりも秀吉さんが罪つくりなのか。いや高虎さんか。

<伊賀流忍者博物館>は説明を一度聞いていながら忘れていました。そして説明者が変わると、とらえどころも違ってくるものだとおもいました。忍者は情報を集めるのが仕事ですから、人を殺めるのではなく、見つかれば敵から身を隠し逃げて情報を守るわけです。家のカラクリもそのためにあります。普通カラクリは二箇所程度ですが、博物館の忍者屋敷は、それを一箇所に集めたものです。

回転する壁も、襲ってくるのが武士ですから、左手で回転するようになっています。武士は左手で刀を押さえていますから、右手で壁を押そうとする。その一瞬の時間差を使うわけです。人の習慣などの習性をよくとらえて、逃げる時間をつくり敏速に行動するわけです。上野天神宮で御朱印も頂けて無事伊賀上野の旅もおわりました。

鈴鹿峠越えの前の番外編の旅は、名古屋のひつまぶしです。その後をどうしようかと検討したのですが、欲を出さないように、御朱印も頂けるので<大須観音>にしました。旧東海道を歩きのうちは、御朱印のために時間調整はしませんので、そこからはずれたときは、組み込めれば調整しました。

大須観音の商店街が若返っていました。若い子向きのお店ができていて、若い人たちだらけです。二年前には閉館の話も出ていた「大須演芸場」も健在でした。コロッケさんも来られるようでポスターが貼ってありました。

そういえば、名古屋のさびれた地下街に若い人が飲食店を開き、活気が出始めたという様子をテレビでやっていました。

旧東海道で、シャッター街や、住んでいないため傷んだ家だけが残っていたりする風景も見てきましたので、若い感覚で人が集まってくるのを見れるのは明るい気分にされます。大須は寺町でもあるので、散策のあとのカフェも愉しめます。

浅草演芸ホールも随分ご無沙汰しています。友人が三遊亭白鳥さんの『任侠流山動物園』がもう一度ききたいといい内容を話してくれましたが、落語家さんの特定の噺をきく機会をつかまえるのはなかなか難しいのです。