演劇『大寺学校』から新派『犬神家の一族』

  • 観ていない録画演劇を観なくてはと次は『大寺学校』に挑戦。これも観始めて気分が乗らなくてすぐに止めてしまったのである。新派の大矢市次郎さんが1967年に文学座に客演した舞台である。作者は久保田万太郎さん。大矢市次郎さんの演技お見事。渡辺保さんは大矢市次郎さんのは芸で、一緒に出演している三津田健さんのが演技だと言われいる。そして大矢市次郎さんは歌っていると。

 

  • 明治末の私立学校が舞台で、江戸時代の寺子屋が私立学校として存続したのである。公立にたいする代用学校とも呼ばれた。浅草にある大寺学校の校長が主人公である。窓からは十二階が見えている。女生徒がおしゃれして教室に忘れ物をとりにくる。どこへ行くのかと峰教師にきかれて、観音様の菊市へいくという。菊をささげて別の菊をもらってくるのだそうで、頭痛に効くという。浅草らしい風景がかたられる。

 

  • 峰教師は老校長(大矢市次郎)と意見が合わず学校を辞めてしまう。学校の創立二十周年記念の祝賀会があり、卒業生などが盛り上げる。その様子からすると校長の考え方の古さが垣間見えてくる。峰教師が辞めたのも、平等な扱いとして注意した生徒が校長が長い付き合いをしている「魚吉」の子で校長は穏便にとおもうが、峰教師は自分の意志を通すのである。「魚吉」との関係を、光長教師(三津田健)にお酒を飲みつつ語るところが見事なのである。身体は次第に酔っていくのが演技しているとは思えない自然さである。ところがセリフはきっちりと語るのである。

 

  • 光長教師のほうはも次第に酔っていく。そして三津田健さんは、酔ってしゃべることもはっきりしなくなる様子まで演じている。大矢市次郎さんのほうも相当飲んでいてリアルに語ればろれつが回らなくてもいい状態である。身体はそれを表しているのである。しかしとつとつと語っていく。「魚吉」の先代とは若い頃からの深い友情で結ばれていた。そしてお互い結婚し「魚吉」に娘が生まれる。その娘の婿養子が字が読めなかったので、読み書きを教えたのが校長であった。先代は亡くなるが養子は自分を大切に想ってくれていると自負している。「魚吉」とはそういう関係なのだと語る。

 

  • 時代も変化していて、浅草にも公立学校ができるとのウワサが出ている。その場所が今「魚吉」のある場所で、「魚吉」は土地を売って広小路のほうに店を移すという話しなのである。もし本当なら、大寺学校のそばに公立学校ができるということで大寺学校は当然閉鎖へと追い込まれるであろう。そんな大事なことを魚吉が一番に自分に話さないないわけがないと大寺校長はいう。ウワサでしかないと。大寺校長は浄瑠璃を語る。そして幕である。大寺校長の胸の中にある想いはよくわかる。しかし、今の「魚吉」の学校での娘の扱いに抗議したらしい様子からすると大寺校長の想っているように向うがおもっているかどうかは難しい。

 

  • 大寺校長は、子供たちの家庭環境もよくわかっていて細かく目を配っている。学校経営も昔ながらの地域の情と情のつながりのようであるが、祝賀会の幹事たちの様子からすると周囲も違ってきているらしい。そのことが大寺校長には見えていないし周囲も面と向かっては言えない雰囲気である。お酒は好きなようであるが晩酌も日曜だけのようで、言葉としては出てこないが、教育者として仕事のあるときは何があるかわからないと考えているようである。そういう律義さが見える。最後の語りは、観客が大寺校長のそばでお酒を酌み交わしながら話に耳を傾けている気分に浸らせられた。これが歌うということなのかと思った。

 

  • 新派『犬神家の一族』を観て新派というものをもう一度考えさせられた。『犬神家の一族』は横溝正史さんの良く知られた推理小説である。それゆえ誰かが殺されてなぜということになるのである。前半は自分の息子が殺されたということで犬神家の次女・竹子と三女・梅子が嘆き悲しむのであるが遺産相続の権利がなくなるということもあってかなりヒステリックに叫び、いたしかたのないことであるが食傷気味であった。それが改善されるのは、何者かわからないお琴の師匠・宮川香琴がの水谷八重子さんが語り始めるところから空気が変わった。

 

  • 白いマスクをかぶった長女・松子の息子・左清(すけきよ)と復員兵と青沼静馬の存在がそろそろ金田一耕助のなかで熟し始めていることも予想できる。内容をわかっているのであるがそれをどう展開させるのであろうかと、やっとここから芝居にのっていくことができた。もうひとつ気になったのは松子の殺しの場面を見せたことである。まあそれはいいとして、水谷八重子さんの語りから、波乃久里子さんに流れがいくことによって新派らしいセリフ劇となってきた。そして、喜多村緑郎さんの謎解きとなりそれを助けるのが佐藤B作さんである。謎解きの助けではなく、皆の驚きを静めて金田一が語りにやすいようにしてくれる功績である。

 

  • 展望台を舞台上で上手く使われていた。左清と復員兵との争いの場や最後の警察との撃ち合いも。あのマスクは、セリフが聞きづらかった。傷もありマスクをかぶっているからのリアリティよりも声の質での変化で聞かせた方が二役の面白味があるとおもう。新派としての語りを歌舞伎から移った若き役者さんはこれからも心してさぐっていってほしいと思う。大矢市次郎さんの大寺校長をみてそう思った。水谷八重子さんと波乃久里子さんはもっと強くご自分の芸を主張すべきである。

 

  • 脚色・演出は齋藤雅文さんであるが、近頃すこし理詰めで盛り込み過ぎではと感じるところがある。遺産相続のややこしさ。斧、琴、菊の犬神家の家宝と殺人の関係。戦後の生糸の衰退。戦争で起こった悲劇。そして、なぜ犬神家の当主がこんな遺言をのこしたのであろうかの提示。観ている方も最後は、金田一耕助さんの喜多村緑郎さんが優しく新しい命を授かった小夜子に優しい言葉をかけて去るところが、新派らしいなとの想いであった。

 

  • 新派は、なにをやってもその時代とその場所の雰囲気と佇まい、新派の語りとはなにかを追求していくことが要求されている劇団である。そのことが大切なことに思える。大矢市次郎さんの大寺校長は、新派に対して思う、思う、思う、としきりに思わされる芸であった。小さな場所からその地域性と時代をあらわす世界。大きく見えても人間の欲だけが渦巻いている世界。どちらの世界も新派として進むことは可能である。と思った。

出演/水谷八重子、波乃久里子、瀬戸摩純、河合雪之丞、浜中文一、春本由香(交互出演・河合宥季、喜多村緑郎、田口守、鴫原桂、佐藤B作 etc

『犬神家の一族』新橋演舞場 11月25日まで

 

  • 新橋演舞場の夜の部が終って歌舞伎座の前にくる。もしかして最後の『双面水澤瀉』が観れるのでは。どんぴしゃり。最後の一幕に間に合った。観て10日ばかりしかたっていないが、舞踊が一層しっくりとしてきたようである。一か月公演は若い役者さんにとっては幸せなことだなあと感じる。責任感をも背負って生き生きして観えた。