歌舞伎座2月『熊谷陣屋』

  • 熊谷陣屋』。文楽のガイダンス版のDVDを観ていたので、文楽と歌舞伎の違いが興味深かった。文楽ではで相模の出が上手側の部屋からで障子を開けてである。浄瑠璃でもそう語られる。歌舞伎では正面の襖が開いて相模の登場である。竹本では障子からと語られるので、これは役者さんが演じることによって正面になったのであろう。そのほうがインパクトも強いし相模役者を見せるためにも効果がある。ここも文楽とは違う役者を見せる歌舞伎の特色であると思える。幾つかの違いがでてくるが、そこが歌舞伎の先人たちが工夫してきた足跡でもあろう。

 

  • ヒッチコックの映画を観たあとだったので、『熊谷陣屋』をサスペンス感覚で観ていた。熊谷直実は敦盛を討ちとったと妻・相模と敦盛の母・藤の方に明かすことになるが実は、敦盛を生かし実子・小次郎を身代わりにしているのである。そのことを相模と藤の方に発覚させないで敦盛として首実検に臨まなくてはならない。なんとか二人を納得させ首実検へ向かうが、義経が出向いてきていたのである。熊谷ピンチ。首実検のとき、相模と藤の方を騒がせずに収めることができるのか。

 

  • 熊谷は花道の出から深い苦慮の中にある。手に握った数珠を袖奥にしまい気を変える。自分でわが子を殺したことに対する複雑さが現れている。陣屋に帰ってみれば、妻の相模がいる。動揺し怒る熊谷。しかし、ここから悟られぬトリックの語りが始まる。サスペンスの極みである。心理劇でもある。相模に小次郎が戦死したらどうするかと尋ねる。現実を知らない相模は初陣での誉であると答える。熊谷はでかしたと相模の心構えを褒める。敦盛を討ったと聴き敦盛の母の藤の方が熊谷を殺すため障子から現れる。それを押さえ、藤の方の出現に動揺するが、熊谷の語りが始まる。

 

  • 敦盛の潔さを語りつつ藤の方の気持ちを静めていくが、それは相模にも自分の子であったらとの想いを含んで語り、現実を知った時の相模の嘆きを押さえるための語りでもある。そのことが伝わる。それでいながら義経を前に首を見たときの二人の動揺。あたりまえである。それを制札を使って大きくその場を押さえる熊谷。目撃者を共犯者にしなければならないのである。黙らせるのである。制札を使っての形がなければ肉体的に二人を押さえることができないのが納得できる。だれが聞き耳を立て盗み見ているかわからないのである。そして制札の意味を二人に投げかけているのであるがそれは観客へも投げかけている。ここまでの経緯わかりましたかとこの制札の重み。

 

  • 「一枝を切らば一指を切るべし」と制札は弁慶の文字である。見事な桜を眺める人はこの制札をみることになる。弁慶の文字と知って人々は見事な書であると話す。比叡山で修業もしており書も立派なのであろう。最初に観客はこの制札の文字がみえないから見物人から聞くこととなる。桜の一枝を切ったならば、おのれの指を一本切るべしということであるが、熊谷はこれを義経の本心として、敦盛を助け身代わりをと読むのである。敦盛は帝の子なのである。熊谷は大変である。この解釈が間違っているかも知れないのである。実行して陣屋にもどれば、相模が来ており、さらに藤の方の出現である。

 

  • 義経からの制札の身代わりの解釈も間違いではなかった。役目を終えた熊谷。まだサスペンスは続くのである。梶原がこれを知って注進しようとするがどこからか石が飛んで来て殺されてしまう。殺したのは弥陀六となって身を隠す平宗清の出現である。身代わり仕掛け人の義経は宗清と見破る。宗清は幼い頃の義経を助けた人である。思いがけない出会いである。義経たちを助けたことが平を滅ぼすこととなったのであるから。敦盛を助けてまた平氏との争いか。しかし熊谷はもう自分にはそんなことは関係のない世捨て人となっているのである。ただ胸に残るのは無常観。

 

  • サスペンスの謎解きとして観ていたので、登場役者さんの一つ一つの演技が事細かく鑑賞できた。その動きからあらわす表と裏の心。何を隠しどうしようとしているのか。役者さんがそろったので、その鑑賞に細かく応えてもらえて熊谷の無常観に到達した。正面から毅然として現れた相模。くどきがあり自分の気持ちを吐き出すがその辛さがいやされるのはいつであろう。何処から切っても血のにじみが観える舞台であった。仕えて立ち働く者たちまで全て立ち振る舞いが綺麗で心みだされず緊迫感を味わうことができた。

 

  • 熊谷直実(吉右衛門)、相模(魁春)、藤の方(雀右衛門)、義経(菊之助)、弥陀六(歌六)、堤軍次(又五郎)、梶原(吉之丞)、義経家来(歌昇、種之助、菊市郎、菊史郎)