新派・松竹新喜劇競演『華の太夫道中』『おばあちゃんの子守歌』

  • 新派130年と松竹新喜劇70年を合わせると200年ということでの記念公演とも言える。それぞれの良いところがつながったり引っ張り合ったりして面白い舞台となった。『華の太夫(こったい)道中』は、北條秀司さんの作品『太夫(こったい)さん』である。どうして芝居名を変えたのかと思ったら太夫の道中を豪華にという思惑からのようであるが変えてほしくなかったです。京都の島原では「太夫」のことを「こったい」と呼ぶのだそうで、新派の『太夫さん』で知ったのである。けったいな呼び方やなあと思ったものであるが、そのいわれについては島原には島原の心意気があるようである。

 

  • 妓楼の女将おえいを花柳章太郎さん、新しい太夫となるきみ子を京塚昌子さんでの古い映像を観た事がある。白黒映像であり妓楼の台所でのそこに住む人々の営みが話の中心で、薄暗く乗り気ではなかったが観ているうちに引きつけられていた。最後はその暗さにほのかな灯りが射すと言った感じで終わった。やはり花柳章太郎さんはいつのまにかおえいの人物像を観客に残し、テレビドラマでしか知らなかった京塚昌子さんの舞台人としての演技力も新鮮であった。

 

  • 映画『太夫(こったい)さんより 女体は哀しく』は、おえいが田中絹代さんで、喜美代が淡路恵子さんである。映画は、おえいに要求書えを提出する太夫役が乙羽信子さんで、この役にも色を濃くしていて、人間関係を広げ映画ならではの外の世界も映し出し、そこからこの仕事に従事した女の哀しさを膨らませている。

 

  • 三越劇場でおえいが水谷八重子さん、やえ子が波乃久里子さんで観た。この時が新派の『太夫さん』の全体像が明らかとなったわけでなるほどと堪能させてもらった。今回は、やえ子役が藤原紀香さんであどけなさは好演であるが、あまりにも現代的美人ということでちょっと夢物語的であった。そこを波乃久里子さんがカバーされ新派の味を壊さなかったのは見事です。それと、三越劇場の舞台の狭さに対し、新橋演舞場は広いので、島原の古い妓楼の広さが出ており、島原の角屋を見学していたのでその辺りも上手な舞台美術と思えた。

 

  • 新派と松竹新喜劇の競演で何が良かったかというと、おえいと善助の二人の場面である。おえいにはかつて恋仲だった善助という島原での古株がいる。今は島原を知る共に歩んできた同士のような存在で、それでいて気の置けないたわごとの言える中である。そして今では二人で時には琵琶湖あたりに小旅行などにも出かけている。おえいはしみじみとその旅行が唯一の楽しみだと語る。善助は曾我廼家文童さんで松竹喜劇の軽いひょうきんな喜劇性が場をなごませ、おえいの聞かせどころを受けていい場面となった。

 

  • おえいは自分で好んでつとめに出たわけでは無く、好まざるとに関わらず次々と旦那を持たされ気がつけば妓楼の女将である。時代と共に自分なりに妓楼の女性達の事を考えてきたと思っていたが、太夫たちは権利を主張し始め、自分はいったい何だったのであろうかとしんみりと善助に語るのである。仲を裂かれた二人だが、今では時間が運んで来てくれたご褒美のような間柄である。おえいは華やかに見える花街の薄暗い大きな台所のような場所で這いずり回ってきたのである。この芝居の全体を分かる観客ならこの二人の会話の部分だけ『太夫さんより』として取り出して上演してもらっても良いくらいであった。

 

  • ここがあるから、きよ子に肩入れして自分の生き方が洗われるような気持になり、そのことが明るい話題へと転換し芝居が生きてくるのである。きよ子は少しやることが人よりおそく自分の想うことが真実でその中で生きているような人である。男にだまされ妓楼を産院と思って連れて来られ、おえいも男にだまされてお金を取られてしまう。そのきみ子が太夫さんとなるのである。おえいに預けられたきよ子は幸せな縁であり、おえいもまたきよ子によって傷つけているのではなく何かを育てているという想いを持つことができ倖せが届くのである。

 

  • 演出・大場正昭/井上惠美子、瀬戸摩純、春本由香、丹羽貞仁 etc

 

  • おばあちゃんの子守歌』は、舘直志(二代目渋谷天外)さんの作『船場の子守歌』を『おばあちゃんの子守歌』としたようである。おばちゃんは水谷八重子さんで、「船場」を意識させてくれた。船場の薬問屋・岩井天神堂では高松から当主のお母さんである節子が出てくるという。節子は隠居して生まれ故郷の高松に引っ込んでいたらしい。ということは、節子は高松から大阪の船場にお嫁に来たのである。どれだけ苦労したことであろうか。

 

  • 岩井天神堂の当主・平太郎と妻・佐代子は大弱りである。節子が会いたいという孫の喜代子は長女であるが、事情があり社員の吉田と駆け落ちのような状態で行方がわからないのである。佐代子は後妻で、喜代子は前妻の子で、次女は自分の子供であるが分け隔てはないようである。もしかすると節子は岩井家の事を考えて高松に引っ込んだのかもしれない。喜劇であるからそういうことは匂わせないがそう勘ぐった方が面白くなり、新派の味も加わるのである。

 

  • 当主・平太郎の渋谷天外さんはあくまでも松竹新喜劇であるが、お母さんが歳だから心配させて具合が悪くなってはというが、次第に自分がしっかり船場でやっていることを母に認めてもらいたいという気持ちもあるように思えてくる。そう思って観てもおかしくないのである。喜代子は名古屋の支店にいっていることにするが、外からの情報は押さえることができない。おばあちゃんが登場してんやわんやである。そんな時、喜代子と吉田の居所が判るのである。

 

  • おばあちゃんはさすが行動が速い。喜代子と吉田の住む駄菓子屋の二階を尋ねる。駄菓子屋の主人が良い人過ぎて笑わせてくれる。喜代子の祖母と知らずに岩井家の人間関係を自分なりに説明し始めるのである。全く自分本位の自由発想の展開である。駄菓子屋の主人である曾我廼家寛太郎さんの一人芝居全開である。そこへ喜代子が帰って来る。おばあちゃんとひ孫との対面でもある。吉田は本家ともめる原因を作り社員を首になったのである。おばあちゃんは喜代子にいう。なんで、本家と実家と吉田の三方の橋渡しをしなかったのかと。これが船場で苦労した節子の言葉であった。

 

  • この台詞を聞いた時、やはり節子は喜代子には自分の生き方を学んでいてくれると思っていたのだあとおもえた。節子が高松へ引っ込んだのも自分が出過ぎることを警戒していたのであろう。当主の父も現れ吉田と喜代子にもどってくれるようにと頼む。おばあちゃんは、駄菓子屋の主人が直しかけの物干し台にひ孫を抱いて隠れていた。自分ではなく息子の平太郎に解決させるのである。泣き笑いの締めであるが、平太郎も当主として大丈夫であるということを母に見せたかったのである。そんなぼんぼんぶりが渋谷天外さんにはあった。それを水谷八重子さんの母は全部わかっていたのである。「おばあちゃん=船場」で笑いの中に船場三代の泣き笑いを見せてくれた。

 

  • 新派の水谷八重子さんが加わることによって松竹新喜劇の笑いの中に違う空気がフワっと加わり船場の香りがした。『華の太夫道中』と同様『おばあちゃんの子守歌』も新派と松竹新喜劇の良い競演となった。

 

  • 補綴・成瀬芳一/演出・米田亘/高田次郎、井上惠美子、曾我廼家八十吉、春本由香、藤山扇治郎 etc