ヒッチコック映画『鳥』と『マーニー』(1)

  • アルフレッド・ヒッチコック監督の『』を見直すことにした。引き延ばしにしていた確かめたかったことがあった。オペラ映画のフライヤーに『マーニー』が載っていて、ヒッチコック監督も映画にしているのを知り『マーニー』を続けて鑑賞する。そして、この二つの映画が、モナコの大公妃となっていたグレース・ケリー大公妃に『マーニー』出演を依頼と関係していたことを知る。

 

  • 』で確認したかったのは、主人公メラニーが魅かれている男性・ミッチの妹を学校へ迎えに行く場面である。教室では子供たちが歌を歌っており、もう少しで終るというのでメラニーは外のベンチで煙草を吸いながら待っている。後ろの遊具にカラスが一羽。メラニーのアップから後ろの遊具を映すと二羽、三羽と増えていく。この時のBGMがどんなであったか確かめたのである。子供たちの歌声が続いていた。これからの展開を何も知らず歌う子供の声。それに反し、彼女はイライラしている。イライラしているのにはそれまでにいたる鳥による体験による。

 

  • 彼女は飛んでくる一羽のカラスに目をやり、視線はその後を追う。カラスが行き着いた遊具はカラスでおおわれていた。彼女は学校に飛び込み教師に窓からその様子を知らせる。ガラスなどは簡単に割られてしまい襲われるので、誘導して子供たちを避難させることにする。逃げる子供たちに襲いかかるカラス。CGのない時代なので、実際の撮影用に訓練したカラスと飛んでいる鳥の映像とを編集して作り上げている。この映画に出てくる多くの鳥の場面は本物と作り物の鳥を混ぜて、観る人の錯覚を利用したらしいが、映像の切り替えなどから、あれはニセモノと思わせる時間を与えなかった。

 

  • メラニーはミッチが探していた<愛の鳥>を届けるためにミッチの住む町に来たのであるが、カモメに襲われたり、ミッチの家では驚くべき数のスズメが暖炉から部屋の中に飛び込んできたりする。ミッチの母が鶏がエサを食べなくなったので同じ状態の知り合いの農家を訪ねていったところ、その農夫は目をえぐられて死んでおりカモメに襲われた思われる。母は家にもどり寝込んでしまい学校に行っている娘のことが心配だということでメラニーが様子を見に行ったのである。

 

  • 』の前が『サイコ』で、『サイコ』に関しては、映画『ヒッチコック』が詳しくその撮影にいたる経過を教えてくれる。ヒッチコック監督は新しい試みの映画を作りたいと考えていて実際の事件を題材にした『サイコ』の映画製作に入るが、どこも企画を受け入れてくれず家を抵当に資金は自分持ちとする。夫婦間の問題、撮影現場、俳優とのやり取り、映画公開の仕掛け方などが盛り込まれている。

 

  • ヒッチコック監督は『サイコ』は失敗だと認めるが最終的に妻が編集に加わりシャワーの殺人場面に音を入れる。ヒッチコック監督は音を入れることに反対するが、これが臨場感を生み出し効果抜群となる。映画館のロビーで監督自身もシャワー場面の観客の悲鳴と音に大満足である。映画の最後に、ヒッチコック監督のいつもながらのしゃべりがあり、ヒッチコック監督の肩にカラスが止まって奥さんの呼ぶほうへ去っていく。次の映画の予告である。『』では音は鳥の鳴き声など最小限にしている。

 

  • 』のメラニー役のティッピ・ヘドレンはモデルでこの映画が初めての映画出演であった。ヒッチコック監督は美人が好きである。ファッションに関しても女性があこがれそうな衣裳を着せ、そこに恋愛も含ませ女性の入りやすいサスペンスとしている。そして男性の気をそそる色香も忘れない。『』の場合はミッチとの最初の出会いの場面と男性の住んで居る場所で事件に巻き込まれるため洋服は二着である。二着目は理由のわからぬ鳥の襲撃など想像もできないさわやかな若草色系である。鳥と緑の調和のイメージが見事に崩壊する。

 

  • サスペンス映画よりもスリラー映画に近い。ただ、ミッチの母がメラニーを見る目が敵視しているようで謎を秘める。母は息子を恋人に取られるのが恐怖であった。ところが、鳥の出現で、母は自分が守られることしか考えていなかったのが、最後にはメラニーを守る強さが生まれていた。そのあたりも恐怖だけではない人間心理の変化も加味されている。そして、この母の心理が『マーニー』ではもっと複雑になるのである。さらに、主人公のマーニー役をヒッチコック監督は、グレース・ケリー大公妃に依頼していたが断られ『』に出演していたティッピ・ヘドレンに決定するのである。