劇団民藝『正造の石』

  • 正造の石』の「正造」とは、栃木県の足尾銅山から流れる鉱毒の被害を訴えった田中正造さんのことである。明治末の頃である。田中正造から渡良瀬川の石をもらったのが26歳の女性・新田サチである。サチの家は谷中村の農家である。鉱毒のために母は死に、父と兄と三人で農業に従事し頑張っているが土地は鉱毒のためひどい状態である。兄は田中正造の考えを信じている人であった。サチは谷中村を離れ東京の福田英子のところに住み込みの家事手伝いとして上京する。

 

  • 福田英子は女性活動家で仲間たちと女性新聞世界婦人を発刊する。ところがサチは文字が読めないのである。福田英子は文字を教えるというが、サチはとんでもないという。サチにとって字が読めないことは今まで生きる上で困ったことではなく、それがあたりまえのことであった。ただ、石川啄木の歌を読んでもらい歌というものが自分の心に何かを伝えてくれるものなのだということを知る。歌だけは文字で読みたいとおもう。

 

  • その啄木にサチは出会うのである。サチはもう一度啄木に会いたいと思い探して訪ねたところは、浅草の十二階下(凌雲閣)の裏の私娼街であった。啄木は自分はダメな奴なんだという。ただサチには、福田英子たちの話しより、貧窮にあえぐダメな啄木の作った歌のほうが感情的にわかり伝わるものがあったのである。

 

  • サチには、福田英子に内緒で警察に福田家の様子を知らせる役目があった。兄のためだからといわれサチは引き受けさせられる。サチは警察がいう社会主義者は恐ろしい人間なんだということが信じられなかった。だからといって、福田英子たちの話しの内容はサチにとって別世界の事に思えよくわからない。しかし、福田家に集まる人々が警察につかまりひどい目にあっていることを知ると、自分は福田英子にひどいことをしている人間だと思い始める。

 

  • サチは、ひとつひとつ自分で感じることで自分の糧としていくのである。兄は苦しむ農民の立場を捨てそれを押さえる側に回ってしまった。サチは分からなくなるばかりで谷中村に帰り田中正造のそばで働きたいというが、正造に自分で考えて自分のやりたいことを見つけろといわれる。その時浮かんだのが、福田英子の母が入院している看護婦さんのことであった。親もなく独力で看護婦さんになった人であった。サチは、初めて真剣に文字を習おうと決心するのである。

 

  • サチは人の裏を見てもへこたれない。自分も汚いことをしてきたからである。ただそのことが負い目となって負けそうになったこともある。正造の石は重く、邪魔でもあった。それでも捨てられなかった。今、その石を投げるつけられる自分がいた。色々なことを知るうちにその石はもらった時よりも重くなっていたのかもしれない。自分を戒めてくれていたのかもしれない。その石をどこに投げつけるべきか、そして自分はどう進むべきかを教えてくれ、手放しても大丈夫な自分がみえたのである。

 

  • 芝居では役者さんたちは、客席の通路を使った。通路を道などとしてそこを役者さんが歩いて観客を喜ばせるという手法もあるが、今回の舞台では必要不可欠という感じで、舞台上の出入りだけでは表現できないその時代の人々のエネルギーを発散していた。明治政府の富国挙兵・殖産興業政策は時には国民を置き去りにし、時には切り捨てて突っ走っていた。その中でも足尾銅山の公害問題は、田中正造さんという人を得て大きく注目された。その運動の中で自分の生活体験を芯にして自分の進むべき道を切り開いた若き女性を主人公にしている。

 

  • 足尾銅山事件については多少詳しく知ったのは、田中正造さんの生家を訪れた時であった。そこの展示資料で、国会議員をやめ足尾銅山の鉱毒問題を明治天皇に直訴したり、死ぬまで公害に苦しむ人々や立ち退き問題と闘った人であることを知ったのである。よくここまで自分の信念を貫けるものだとその不屈の精神にただ驚嘆するばかりであった。

 

  • その前に渡良瀬渓谷を電車で眺めつつ足尾銅山跡を見学していて、ここで働いていた人々の大変さを想ったが公害に関しては触れていなかったような気がする。観光気分でいたが、その後、渡良瀬川が鉱毒を運んで農家を苦しめたのを知る。自然は警告したのであろうが、当時の富国挙兵・殖産興業政策はその警告をも無視したのである。

 

  • 田中正造は、足尾銅山を閉山にしなければ公害はなくならないし農民の暮らしはもとにもどらないと考えている。福田英子たちは、足尾銅山の労働者の待遇改善を主張している。閉山まで考えるとそこで働く人の場所がなくなる。田中正造にしてみれば、閉山をしてそのあとの労働者の働く場所を考えてやり、公害の被害者の補償をも考えるべきであるという考えで、先ず閉山ありきであった。

 

  • 芝居の中で、警官がこんななまぬるいことをしていないで田中正造をしまつしたらどうですかと上司にいうが、殉教者になってもらっては困るからと答えている。調べたところ田中正造さんの遺骨は6か所の墓所に分骨されている。それだけ広い地域の多くの人々の支えとなったのである。

 

  • 正造の石』に石川啄木が出てくる。田中正造の直訴を知って盛岡中学生の啄木は「夕月に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と歌っており、足尾銅山鉱害被害者のために義援金を募っているのである。15歳の時である。この人は社会に対しても非常に早熟であった。その問題点に神経がぴりぴりと反応している。

 

  • サチが訪ねた浅草の十二階下であるが「十二階下の層窟」と言われた場所で北原白秋も啄木にここに連れられてきている。(『白秋望景』川本三郎著) 芝居を観ていて石川啄木と十二階下の設定にはよく調べておられると思った。啄木とサチの結び付け方も効果的であった。読み書きのできなかったサチは、啄木をも越えて生活者としての自立に立ち向かっていくのである。

 

  • 新田サチ役の森田咲子さんは劇団において大抜擢であったようだが、田中正造が伊藤孝雄さん、福田英子が樫山文枝さん、英子の母が仙北谷和子さんとベテランに囲まれてサチを演じきる。時には自分にはよくわからい、時にはそれは自分にもわかる、どうしてそうなってしまうのか、おかしいではないか、自分はどうすればよいかなど、その場その場で考え一歩一歩探しながら歩いて行く。啄木の大中耀洋さんは自分にはわかっているが貧しさゆえにという家族をかかえる若き苦悩がでていた。

 

  • その他、景山楳子さん、石川三四郎さん、堺為子さんなど実在した人物がでてくるが、福田英子さんの活動を把握していないので芝居の中だけでの人物像となった。『民藝の仲間』の中で、女性史研究者の折井美耶子さんが書かれている。「戦後1945年8月、市川(房江)らが政府に婦人参政権の要請を行い、幣原(しではら)内閣の初閣議で決定した。その翌日にGHQから婦選を含む5大改革指令がでたのであって、女性の参政権は決してマッカーサーからのプレゼントではない。」一日違いとは !

 

  • 群馬県館林の『田山花袋記念文学館』と『向井千秋記念こども科学館』に行ったことがあるが、『田中正造記念館』はその頃はまだ開館されてなかった思う。足尾銅山は栃木県で鉱毒は栃木県と群馬県にまたがっていたわけでそれぞれの県の思惑もあり、抗議運動も大変なことであったろう。

 

  • 作・池端俊策、河本瑞貴/演出・丹野郁弓/出演・森田咲子、樫山文枝、神敏将、大野裕生、山梨光國、本廣真吾、近藤一輝、保坂剛大、望月ゆかり、境賢一、吉田正朗、大中輝洋、船坂博子、梶野稔、金井由妃、山本哲也、仙北谷和子、伊藤孝雄