新橋演舞場 『壽新春大歌舞伎』 (1)

今回印象に残ったのは、<四世中村雀右衛門一周忌追善狂言>の【傾城反魂香】と【仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場】での中村吉右衛門さんと中村芝雀さんのベストコンビである。

【傾城反魂香】では、お二人は浮世又平(吉右衛門)と女房お徳(芝雀)の夫婦愛を情愛深く演じられた。絵の師・土佐将監光信(中村歌六)に物見をせよと命じられ、又平は花道の七三に正座し見張りをする。この時の又平は、キッと目を見開き瞬きもしない。この辺からも又平の物事に対する真面目さ真摯さがわかるのだが、お徳はその又平をじぃっと背後から見守り又平がミスなどしないようにと見詰めている。その間、雅楽之助(うたのすけ・大谷友右衛門)が土佐家に関係する姫が悪人にさらわれたとその様子を説明をする。お徳はそちらには目もくれない。その夫婦一心同体の様はその後の場面で発揮される。又平が師から拒絶され絶望するとき、自分も一緒に死にますから最後に自画像を描いてくださいとお徳は言う。お徳の言葉を素直に受け入れる又平の気持ちが、それまでのお徳の行動から無理なく伝わるのである。さらに呆然自失の又平をしっかり世話し、手水鉢の絵が抜けた事を知らせるのもお徳である。女房お徳が居なければ又平の出世は在り得なかったのである。

この話はお家騒動も絡んでいるらしいがその辺りは詳しく調べていないので、又平の吃音の苦しさと、その苦しみを理解する女房のお徳との夫婦愛として観た。この又平の吃音の嘆きは映画『英国王のスピーチ』を遅ればせながら観ていたのでその内面性なども思いやりながら、吉右衛門さんの演じる又平の心の内を推し量る。。時代を越えてその表出は共通していると思えた。

【祇園一力茶屋の場】では、お軽(芝雀)と寺岡平右衛門(吉右衛門)との兄妹愛である。平右衛門は由良之助(松本幸四郎)の東下りに同行を願い出るため由良之助が遊ぶ一力茶屋をたずね、妹のお軽と会う。お軽の父は勘平の為にお金を作ろうと娘を祇園に売ったのである。その父は殺され、勘平は自分が鉄砲で間違って舅を殺したと勘違いし切腹している。父の死も勘平の死もお軽は知らない。親と夫を想うけなげなお軽。それを思いやる兄。情が滲み出る。さらにこの兄妹に試練が。お軽は由良之助に身請けされるという。由良之助が読んでいる手紙をお軽が二階から鏡で読んでしまったからである。平右衛門は理解する。由良之助は読まれては成らない手紙を読まれたので、身請けしてから殺すのだと。平右衛門は、由良之助に殺されるなら自分が手にかけ手柄にし、お供をさせてもらおうと考える。全てをお軽に話、命をこの兄にくれと頼む。

お軽は夫の勘平が居ない今、永らえようとは思わない。勘平に武士を捨てさせたのは自分なのだから。主人・塩冶判官(えんやはんがん)が大事の時、勘平を誘い逢引をしていたため自分の里に逼塞させる事になったのである。

お軽に勘平との越し方を思い起こさせるきっかけを作るのが平右衛門であり、そのあたりを吉右衛門さんはふっくらと演じ、お軽の嘆きを芝雀さんは余すところなく兄に訴え兄妹の心の通い合いをきっちり観客に伝えてくれた。

この手柄を立てなくては認めてもらえないというのは、又平も平右衛門も身分の低いゆえである。又平は吃音ゆえに手柄を立てられなかった事が幸いし、絵筆でそれを成し遂げ、平右衛門とお軽は兄妹のの深い絆を由良之助に認められ敵を討ち手柄を立てるのである。

大星由良之助の幸四郎さんは、一力茶屋での遊びを周りに悟られることなく、酔い姿もゆったりしたリズミカルな動きで自然に演じられた。この動きは今まで見た由良之助役の中で一番だと思う。

花道で力弥(大友廣松)の手紙を受け取る為に酔いながら辺りを伺い、虚と実の見せ方も上手い。手紙を受け取り、<祇園を通り過ぎてから急げよ>と最後まで気を配る。廣松さんも見事に大役を果たしホッとした。