小さな旅

「東京の中の江戸名所図会」(杉本苑子著)の日本橋の図会は日本橋を渡る人の混雑と日本橋川を行き来する船の多さに驚く。<この橋からは海上を昇る日も富士山も、江戸城の甍や森までよく見えた。>面白いのは幕府の買出し係り御納屋(おなや)役人が朝市、夕市の戦場をすばやく動き回り、一番よい魚貝に目をつけ<「御用ッ」とさけび、手に持つ手拘(てかぎ)を品物に引っかける。これをやられると、もはやおしまいだ。>5両、10両のものも3文か5文で買いとられる。しかし、明治以降、築地に移ってからの税負担より楽だったという話もある。

映画「麒麟の翼」はどのように日本橋を映すのかと興味があったので最初の部分だけ少し見たが、夜の高速道路と日本橋を上手く撮っていた。

佃島と家康との関係もどこかで読んでいるなと思ったが杉本さんのこの本で読んでいたのである。

「戦国時代の天正年間、まだ徳川家康が浜松の城主だったころ、上洛のついでに摂津の住吉神社に詣でたさい、神崎川の渡船をうけ持ったのが、近くに住む佃村の漁民たちであった。その縁から、伏見に在城する家康に魚貝を献上したり、大阪夏冬の陣にも軍事の密使役などつとめて功を立てたため、江戸開府後、三十四人の漁夫が召されて江戸へ下向し、鉄砲州の東の干拓地百間四方を下賜されて住みつくことになった。これが、佃島のはじまりだという。佃の名は、つまり故郷の村名からつけたのである。」

土地の名前は大事にして欲しいものである。変える役目に当たった人は一度歴史を紐解き、かつて此処にはこういうものがあったとだけでも残せないか考えて欲しい。そこからでも小さな旅は続き始まるのであるから。

 

<日本橋> →  2013年1月24日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)