五月文楽 『増補忠臣蔵』『卅三間堂棟由来』

『増補忠臣蔵』  原作にはなく、のちに増補したものである。『仮名手本忠臣蔵』の<山科閑居の段>歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 夜の部(1)で加古川本蔵が、虚無僧姿で現れるがどうしてその姿なのかが判るのである。

本蔵は、師直(もろのう)に賄賂を送りへつらい、武士の風上にも置けないとして、浅草の本蔵の下屋敷に蟄居の身となっている。それは主人と同時に家を守るためであったが、武士として許されない行為である。その下屋敷に、主人の桃井若狭之助がお忍びでやってくる。

この屋敷には、若狭之助の妹で、塩冶判官の弟と許嫁である三千歳姫が預けられている。若狭之助のお供できた、井浪伴左衛門(いなみばんざえもん)が三千歳姫を横恋慕し、若狭之助を暗殺すべく、茶釜に毒を盛る。それを咎める本蔵であったが、若狭之助に呼ばれ成敗の身となる。成敗役は伴左衛門である。本蔵と伴左衛門のやりとりから本蔵の本心を知った若狭之助は伴左衛門を切り捨て、本蔵の縄目を切る。本蔵は茶釜の毒薬を示し、若狭之助は本蔵の忠儀に深く感じ入る。さらに本蔵が由良之助に討たれる覚悟を察し、袈裟と尺八を与え、「一人の娘を思う親の身は焼野(やけの)の雉子(きぎす)夜の鶴、巣籠(すごもり)の一曲。」と付け加え、由良之助への土産として師直屋敷の図面をもたせる。

三千歳姫の琴に合わせ、尺八を吹き、主従最後の別れとなる。

なかなか良く出来ている。塩冶判官と若狭之助は、背中合わせである。しかし、家が助かっても、その助かる道は世間から見れば美しいかたちではない。その責めと責任を果たす本蔵を、芝居の中でもう少し時間を与えたかったのであろう。なるほどと思いつつ楽しませてもらった。

『卅三間堂棟由来』 <平太朗住家より木遣り音頭の段> 三十三間堂建立の際の話として作られている。三十三間堂(蓮華王院)は、白河法皇が院御所造営に際し、その中心に1001体の観音像を安置する仏堂として考えられ、柱間数が33あることから三十三間堂と呼ばれ、長さは120メートルある。

粗筋のほうは、紀州三熊野の里に静かに平安に暮らしていた家族のところに、平忠盛の家臣進ノ蔵人(しんのくらんど)が訪れる。嫁お柳が 後白河法皇が熊野参詣の折、危難を助けたので褒美を持参したのである。進ノ蔵人にはもう一つ仕事があった。法皇には頭痛の病があり、熊野権現の霊夢によると、法皇の前生の髑髏が柳の木の梢に留まっていて、その髑髏を三十三間を建て納めると平癒すると告げる。その柳の木が、次の宿にありその柳を切って堂の棟にすべしとの院宣である。

実は、お柳は柳の精で、平太郎と結ばれ一子・みどり丸を授かり5歳になっている。お柳は、髑髏を手に、これを持参し手柄としてくれと差出し、みどり丸の事を頼む。風に乗って柳の木に斧が入るこだまが響きもうこれまでと姿を消す。平太郎はみどり丸を連れ、お柳の面影を今一度と柳の木のもとへ駆けつける。すでに柳は切り倒され車に乗せられ、木遣り音頭が歌われている。 <和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津島(たまつしま)、三に下がり松、四に塩竈(しおがま)よ、ヨイヨイヨイトナ> ところが、押せども引けども動かない。

ところがみどり丸が綱を引き、平太郎が木遣り音頭を歌うと動いたのである。 <無惨なるかな稚き者は、母の柳を、都へ送る、元は熊野の柳の露に、育て上げたるみどり子が、ヨイヨイヨイトナ> 稚き者が母の慈愛を引きつつ育って欲しいと願う思いで引かれて行く柳の木である。

この演目の間に『恋女房染分手綱』が置かれ、<情>に根差した好い構成であった。

友人と行った四国内子座での住大夫さんの演目がはっきりせず友人に問い合わせた。その頃私は文楽を見始めて日も浅く住大夫さんが何を語られたか思い出せない。『壺坂観音霊験記』の<沢市内より山の段>の切りということである。

『壺坂』や『恋女房』の座頭について住大夫さんは、次のように言われている。 <座頭の声というのは、普通の声やなしに、音(おん)でちょっとイキを浮かして、半音か一本高い声を出すんです。お目の悪い座頭は話を聴くとき耳をそばだてるようにして「エー、エー」と聴きます。そんな感じを、半音高こう声にして演出してるんです。> そのあとも貴重な話をされている。「文楽のこころを語る」(竹本住大夫著)を読むと、いかに細かい所に神経を使われているかがわかる。