遠州の三つの庄屋巡り

雑談から旅 で静岡の庄屋の事をかいたが、思いがけず、違う旅行会社で企画があり行くことができた。行きたいと思っていて1年で行けたのであるから早い巡り合わせである。

こちらは三つの庄屋を訪ねる日帰りバスツアーである。ご無沙汰している友人を一年振りで誘う。やっと声が掛かったかと思ったに違いない。前日から明日は雨で、それも激しい雨とテレビでは伝えている。これは天気は諦め、一日友人とのおしゃべりの日としようと、お互い考えることは同じであった。さらに、「彼女雨女だったかしら。」と考えたのも同じであった。ところが、実際には、見学中は強い雨にもあたらず、青空さえ見えたのである。暑すぎず却って好都合であった。

静岡県牧之原市の<大鐘家>  掛川市の<加茂荘>  磐田市の<花咲乃庄(大箸邸)> である。

<大鐘屋(おおがねや)>は、柴田勝家の家臣、越前(福井県)丸岡城家老・大鐘藤八郎貞綱がこちらに移住、大庄屋となり築いた建物である。直接関係ないが、福井の丸岡城は小ぶりだが存在感がある。城好きの三津五郎さんは、「質実剛健で、まるで古武士のような佇まい」と表現されていて、勘三郎さんとの初めての二人旅で訪れている。<大鐘屋>に話を戻すと、300年以上の歴史があり、長屋門と母屋は国の重要文化財に指定されている。長屋門の藁葺屋根の吹き替えに一千万かかるそうで、母屋はその6、7倍かかるとか。長屋門の藁屋根の組形も特徴があるらしい。関東では、庄屋ではなく名主と呼ばれる。<大鐘屋>は農業ではなく、前の駿河湾での漁業である。天井の高い母屋で、室内の天井は刀剣類を振り回せない様に低くなっている。裏にアジサイ遊歩道があるが、まだ時期的に3分くらいであるが、種類が多いので、こんなのもあるのだと色と種類を楽しむ。カシワの葉に似た葉っぱのカシワアジサイは白で、房になって垂れ下がり初めて見た。聞き間違いでなければ、日本古来のアジサイをシーボルトが西洋に持ち帰り品種改良したのが、あのおおきな西洋アジサイだそうである。上からは駿河湾が見えた。御当主が「漁業は日銭が入ります。農業は一年かけなければなりません。」の言葉を思い出す。蔵には書画のお宝があった。

<加茂荘>は、豪農で、江戸後期の建物である。昼食を先にしますと案内された。突然花々がわーっと目に飛び込んできたのには驚いた。花菖蒲で有名なのだが、菖蒲ではなくインパチェンスの花が上から垂れ下がっおり、アジサイなどの鉢植えがある。温室になっていて、鏡も上手く使い花に囲まれての昼食であった。食事は素朴な庄屋弁当である。そのあと、花菖蒲園と<加茂荘>の見学である。庄屋屋敷の前が菖蒲園で、満開であった。屋敷のほうは、庭を真ん中に建物があり、その曲がるところが、三、四段の階段になっていて廊下で繋ぐというよりも、大小の部屋で繋ぐかんじである。別棟に、石彫刻と志戸呂焼きの展示をしていて、志戸呂焼きを初めて知る。小堀遠州の「七つ窯」のひとつなのだそうである。

最後が<花咲乃庄(大箸邸)>である。大箸家は造り酒屋を営み、庄屋となった家柄である。建造物7件が国の有形文化財である。天保の石庭にあるドウダンツツジ2株は磐田市天然記念物である。天保の石庭の石は京都の鞍馬山から運んだもので、鞍馬山の石は敷石にしても、下駄ですり減ることはないのだそうだ。箱根の畑宿から箱根宿に行く道は、整備もしたのであろうが石は平になりすべりやすく、箱根宿から三島方面への道の石はデコボコしており、これは、歩く人の数によるのではないかと想像したのを思い出す。こじんまりとした庄屋屋敷であるが、庭の菖蒲を見ながら手打ちそばやうなぎを食せる。先祖は天竜治水工事にも尽力されたようである。二つの蔵には、勝海舟、水戸斉昭、西郷隆盛、小林一茶らの掛け軸や書があるが、説明文が判りづらく、収集したのか、なぜここにあるのかわからないのは残念である。

友人と、個人が頑張られて後世に残そうというのは大変なことであるとの同じ感慨であった。資料一つにしても保管と維持が大変である。展示品もここにこの品物があるのは、そういうことなのか、と引き付ける工夫も必要である。御当主のかたが説明して下さったが、次の代へつなぐのはなかなか難しいと言われていた。私たちのような旅行者もいるのであるからつながって欲しい。

バスの通る道の両側は茶畑である。新幹線や列車では見られない風景である。友人と、時代劇なら、絣を着た娘さんが並んで茶摘みをして、歌がつくよねと笑う。「八十八夜っていつなの。」「いつなんだろう。」

次の朝、テレビで偶然にも掛川辺りの里山の無農薬の茶畑を写していて、「八十八夜」は、立春から八十八夜数えるとか。なるほど、「夏も近ずく八十八夜、 野に も山にも 若葉が茂る」。