旧東海道・亀山宿~関宿から奈良(4)

<旅籠屋>は、一般の旅人や武士が公用でない時に泊まり、食事がついている。今でいえば、一泊二食つきである。関宿の玉屋さんでは、坪庭と離れ座敷があり、食器も、石川県の輪島から取り寄せた、玉屋のシンボルの宝珠の紋が入っていた。<木賃宿>は、食事がなく、自分で食材を持ち込み自炊し、薪代などとして宿代を払うのである。

旧東海道を歩いていると、<高札場跡>というのを目にするし関宿にもあった。その場所は昔は「札(ふだ)の辻」と呼ばれ、その名前が交差点や町名として残っているところもある。木の板に、ご法度や、掟などを墨で書かれたもので、奈良の「山の辺の道」の旅で、奈良の興福寺の猿沢池方面に下りた三条通りの橋本町で<高札場>を見つけた。修学旅行の生徒さんで賑うお土産屋さんの近くである。現物が見れ、これで今はなくても想像が倍加する。

さて、関西本線の加茂駅からバスで、<岩船寺>に向かう。時間的には15分ほどで着いてしまうが、その短い時間の自然との出会いが楽しい。この辺りは京都府の木津川市で、この地の神社・仏閣を回るのは、車でないと数をこなせないのであるが、その分、行ったと言う満足感も湧く。<岩船寺>の境内は静かで、小雨の中でも赤が美しい色をみせる三重塔が目に入る。ゆっくりと三重塔を目指し、池を巡り歩く。「石室不動明王立像」が、小さいが正面奥の石板に彫られ、石の屋根と左右を石板に囲まれていたのが珍しかった。本尊の阿弥陀如来と四方を守る四天王の力強さとバランスがとれている。白象の上に坐している普賢菩薩がなんとも優美で、象はその優美さを誇って背に乗せ守っているようである。喧騒を離れこの世の平和な静寂を願っておられるような仏様たちであった。

お寺の方に、「浄瑠璃寺まで歩きたいのですがこの雨でも大丈夫でしょうか。」と尋ねると「大丈夫ですよ。階段したの道を左に進んでください。」とのこと、安心して歩みをすすめる。山門を下りた左手に神社があり、上ってみる。<春日神社>と、<白山神社>が並び、円成寺の二つ並んだ檜皮葺の社を思い出した。円成寺は<春日堂>と<白山堂>となっている。春日と白山が並ぶにはなにかいわれがあるのかもしれないがここまでとする。

<岩船寺>から<浄瑠璃寺>へ行くには、<岩船寺>を時計周りと反対周りの道があり、反対周りのほうが、距離的に短いのでそちらを教えてくれたようである。これからの道は<当尾(とうお)の石仏>を眺めつつの道なのである。柳生街道に比べると石仏や磨崖仏も小さくて可愛らしさがある。旅人と共に時々姿を表すといった感じである。表示の通り進んで行けばよい。

岩に彫られた不動明王立像も、別名<一願不動>とあり、一つだけ一心にお願すれば、その願いをかなえてくれるらしい。阿弥陀三尊磨崖像は<わらい仏>。本当に笑っておられる。ここの石仏は、庶民のささやかな日常の気持ちに寄り添って祈りを受けられ守られてきたおもむきがある。疲れも感じない程度で、<浄瑠璃寺>に着く。

しおりの説明によると、このお寺の礼拝のしかたがあり、東の三重塔の薬師如来に現実の苦悩の救済を願い、その前で振り返って中にある池越しに、彼岸の西方の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝とある。西方の阿弥陀堂には、九体の阿弥陀如来像があり、往生には九段階あるということのようである。

この「九体阿弥陀如来像」も「九体阿弥陀堂」も今では<浄瑠璃寺>だけにしか残っていない。藤原時代のもので国宝である。

<浄瑠璃寺>には、四秘仏があり、そのうちの「吉祥天女像」を拝観できた。五穀豊穣、天下泰平を授ける幸福の女神である。衣裳の色も想像がつくほど艶やかに残り、正面からの、そのふくよかなお顔とお姿は頼もしくさえあり、まさしく五穀豊穣、天下泰平の女神である。それでいながら、少し横から見ると気品と凛としたところがある。写真家の土門拳さんは、「仏像のうちでは、恐らく日本一の美人であろう。」とまで言われている。これは好みの問題でもあるが、偶然にも拝観でき幸せであった。

雑誌「太陽」の土門拳さんの特集をながめていたら、画家の堀文子さんが一文を寄せられていて、若い頃、土門拳さんに影響を受けられていたことを知る。土門拳さんのあの激しさと、堀文子さんのあの優しい色とがどこかで繋がっていたとは、意外であったが、嬉しかった。