『岡田美術館』にて芦雪出現

箱根の『岡田美術館』で、喜多川歌麿さんの<深川の雪>が再び公開とある。正直のところ、ここの美術館は入館料が高すぎる。交通費を入れると躊躇する。そのため前の公開のときは止めたのであるが、今回は、一度観ておけばいいのだからと訪れた。高いと思う気持ちは変わらないが、長沢芦雪さんに会えたのである。

歌麿さんと同時代の絵師としては次のような方がいる。江戸の歌川豊春、司馬江漢、谷文晁(たにぶんちょう)。京都の円山応挙とその弟子の長沢芦雪、呉春、伊藤若冲、。大阪の森狙仙。

歌麿さんの『深川の雪』は、『 品川の月』『吉原の花』(米国の美術館所蔵)との三部作の一枚である。深川、品川、吉原の地域がら、着物の色、柄などが、深川が一番地味である。自然は<雪>であるから、お盆にのせたり、手を伸ばしたり、炬燵に潜り込んだりと、様々な様相を体している。中の品物は綿入れの着物であろうか、大きな風呂敷包みを背負う使用人の姿もある。<雪>に反応する料理茶屋の女性たち一人一人が歌麿さんによって配置されている。女性達の下唇が青である。笹色紅(ささいろべに)といって、紅を厚く重ねて玉虫色に光らせる化粧法を表しているとのこと。『品川の月』と『吉原の桜』のレプリカもあるので、比較できたのはよかった。

二階のこの展示室に到達する前に、一階展示の陶磁器などを見なくてはならないので、休憩と食事がしたくなる。入場券さえあれば、一日出入りできる。食事は一旦外にでて、美術館関係の食事どころ利用となり、そこを利用したが、メニューがすくないので、お隣の「ユネッサン」のレストランを利用するのも手である。雨模様だったので、庭園はやめたが、入園料がいる。足湯もあるが、有料である。美術館の中で、ほっとできる場所がない。

小田原で、限定公開の桜の見どころに寄ろうと思っていたが、雨でもあるし、この美術館一つと決める。貴重品のみ、携帯などは持ち込み禁止である。入場するとき、空港のような検知器を通らなければならない。出足の気分としては降下する。展示室には係り員がいないので、全てカメラで監視しているのであろう。食事場所が外なので、再入場となり、再び検知器を通る。こういう雰囲気の美術館が増えることを懸念するが、神社仏閣に油をかけるような犯罪が起こると、自由に見学できたものも規制されることにもなりかねない。自分も自由に見学できている立場を考えてほしいものである。

三階の展示室で、歌麿さんと同時代の絵師に会える。その中の芦雪さん、やはり楽しい。応挙さんの小犬の絵は可愛い。東京国立博物館での杉戸に描かれた「朝顔狗子」が最初の出会いであろうか。岡田美術館にもグッズとなっている「子犬に綿図」がある。その師匠の絵を手本にしたと思われる芦雪さんの「群犬図屏風」がある。この作品の芦雪さんの印が<魚>でないので、師匠を模して描かれた頃のものと判断されている。

応挙さんの犬と同じように愛らしいのであるが、構図が芦雪さんらしい。左に母犬がいてそのそばに子犬が戯れ、真ん中ほどに二匹の犬が優しい眼差しを、さらに右手の一匹の犬に向けている。二匹の犬が声をかける。「どうしたの。こっちへおいでよ。遊ぼうよ。」右手の犬は、他の子犬に比べると黒の斑の部分が大きい。足はしっかり止めていて、「でもさ、僕は自分の道を探しに行くよ。」と言っているようである。そんな会話を観る者が創作できる絵なのである。芦雪さんの絵はそれが魅力である。

もう一つは「牡丹花肖柏図屏風」で、辺りは淡く夕焼けに染まり、牛に乘った人物がゆったりと夕焼けを眺めている。牛はこちらにお尻を向けていて、この人物は牛を後ろ向きに乘っているのである。牛の頭には牡丹の花が載せられ、牛の顔は見えない。この人物は室町時代の連歌師の肖柏で出かける時はいつも牛に乘ってでかけ、号を<ぼたん花>ともいったそうである。のんびりユーモアあふれる夕景である。「良い夕焼けですね。一句出来そうですか。」「いやいや、こういう風景には言葉は無力です。」

呉春さんは、司馬遼太郎さんの短編集『最後の伊賀者』の中に『蘆雪を殺す』と一緒に『天明の絵師』として入っていた。小説では、呉春さんは与謝蕪村さんに弟子入りし、蕪村さん亡きあと、応挙さんのもとにいき「四条派」として繁栄する。蕪村さんの娘のお絹さんは「あの人は、器用だから。」と感想を述べている。呉春さんの作品はそつのない絵ともいえる。蕪村さんは生きているうちは認められなかった方である。小説のなかでは、当時の「千金の画家」として、応挙さん、若冲さんなどをあげている。さらに最終では、次のように記されている。

とまれ、蕪村は現世で貧窮し、呉春は現世で名利を博した。しかし、百数十年後のこんにち、蕪村の評価はほとんど神格化されているほど高く、「勅命」で思想を一変した呉春のそれは、応挙とともにみじめなほどひくい。

 

呉春さんは、京都の金福寺で師の蕪村さんと隣り合って眠っているという。金福寺は、『花の生涯』の村山たかさんのお墓があるのに驚いたのと、お庭の紫と白の桔梗の清楚さしか記憶に無い。蕪村さんは、芭蕉さんを敬愛されていた。近江の義仲寺にある<無名庵>の天井絵は若冲さんである。

サントリー美術館で、『若冲と蕪村』を開催している。同じ年齢とか。面白い企画である。

岡田美術館には四時間ほど居たであろうか。ここの美術館は時間がかかると思ったほうがよい。人もほどほどでゆっくり鑑賞できた。個人的には、色々なつながりの作品が見れて満足ではあった。

もし、いつか再度訪れるとすれば、講演会のある時などを考慮して訪れるかもしれない。お天気がよければ、<曽我兄弟の墓>のバス停から<六地蔵>バス停までぷらぷら歩きたかったのであるが、次の機会である。

串本・無量寺~紀勢本線~阪和線~関西本線~伊賀上野(2)