『陰陽師 平成講釈 安倍晴明伝』(夢枕獏著)

夢枕にはまだ立たられてはいないが、夢枕獏さんとは、今、相性が良いみたいである。本屋さんで『陰陽師 平成講釈 安倍晴明伝』を見つけるというか、呼ばれたというか。

帯には <少年・尾花丸は、いかにして安倍晴明となりしかー 名付け親は蘆屋道満だった!?> <陰陽師外伝>とある。安倍晴明の生い立ちと成長記録が書かれているのであろうか。今のこちらの状態としては、熱中症の水分のようなものである。

安倍晴明の先祖から始まって、保名が出てきて、白狐もでてきて、その間に生まれた子は信太丸で、えっ!尾花丸ではないの。信太丸は白狐の母親の後を追いかけて行方知れず。その後に、保名と加茂保憲の娘・葛子姫との間に生まれたのが、尾花丸である。そんな、もし、このまま信太丸が行方不明のままなら作家として許せないと思っていたところ、許してしまう結果となるのである。

この本のネタ本も紹介され、夢枕獏さんは、平成の講釈師・夢枕獏秀斎となって語り、手の内も見せ、実生活の観劇のことや旅の途中であることなども出現し、怪しき手を使われる。そのため、読み終わってからこちらも、えーと、この歌舞伎は観ていたような、いないようなとチラシを捜すやら、DVDを観るやらてんてこ舞いさせられたのである。

夢枕獏さんは玉三郎さんの舞踊『楊貴妃』の作詞をされている。さらに『三国伝来玄象譚(さんごくでんらいげんじょうばなし)』の舞踏劇脚本も書かれているとのこと。ありました。1993年10月昼の部です。羅城門の鬼女・沙羅姫を玉三郎さん、安倍晴明を橋之助さん、源博雅を弥十郎さん、蝉丸を十八代目勘三郎さんが勘九郎の時である。しかし、内容が全然思い出せない。『人情噺文七元結』のお久で松たか子さんが出られていてその姿と『鷺娘』は記憶に残っているのであるが、理解できなかったと思われる。

というわけで、歌舞伎のこともチラチラとでてきて、短いが結構気になることを書かれているのである。コクーン歌舞伎のこと。『お夏狂乱』などの解釈も興味深く、玉三郎さんのDVDを観なおしたが、解かるはずもない。

時には、漫談風で笑わせられたり、歴史的面白を加味されたりして変幻自在である。そしてしっかり、尾花丸(安倍清明)と蘆屋道満の呪詛合戦も堪能させてもらった。

『陰陽師』は歌舞伎と映画でしか観ていないが、それらと比較すると『安倍晴明伝』は雰囲気が違っていて人形アニメのような映像が頭の中で映し出されていた。

そして、様々な地層が断面図となって現れるように、歴史的人物や、伝説的人物、妖怪などがそれぞれの地層としてずーっと横に流れて続き、また新たな地層が現れるといった感じである。

一気に読ませてもらった。益々、京都に違う面白さが加わり、それがまだ残っているというのが有難い。

歌舞伎座 『九月花形歌舞伎』 (2)  歌舞伎座『陰陽師』は2013年の「九月花形歌舞伎」だったのである。自分の書いたのを読みつつ、このメンバーで再演して欲しいと思うが、今となっては無理であろう。しかし、もう少しきちっと歌舞伎の型を作りあげれば、次の若手へ引き継ぐ演目の一つになると思う。

 

 

映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』(2)

『陰陽師』で安倍晴明を演じるのが、野村萬斎さんで、この人の起用がこの映画の成功の鍵であろう。権力争いには興味なく、自分が必要とされぬ世界を望んでいるのかもしれないが、そのあたりもノーコメントと言った感じでいながら、自分の能力には自信がある様子。なんとも、捉えがたき人物であるが、動き出すと古典芸能で鍛えられた身体表現を駆使して、シャープな動きをしてくれる。ぶつぶつ唱える言葉も特別に思え、その通りに力があるのである。

悪玉陰陽師の真田広之さんの道尊との闘いの場面も、晴明は武器を持たず狩衣の袖を大きくひるがえしたりして、鳥の羽のようであり、柔らかい布の起こす動きは優雅でいて剣よりも風を呼ぶ感じである。おそらくワイヤーなども使い飛んだり跳ねたりしているのであろうが、重心の決まった動きは、互いに武器を持つよりも迫力がある。

道尊は、人の権力欲や怨み、憎しみ等の心に火をつけその情念を大きくさせ災いをもたらすのである。そしてそのことにより、人を操り、自分の意の儘にしようとするのであるが、そこに立ちはだかるのが安倍晴明である。道尊はついに、桓武天皇の御代、無実なのに天下転覆の首謀者とされた、早良親王の霊をよみがえらせ、その恨みの心を利用しようとする。

早良親王の恋人だった青音は、桓武天皇から頼まれ、不老長寿の身となり早良親王がよみがえるようなことがあったらそれを、止める役目で生き続けている。この青音が小泉今日子さんで、出て来た時から不思議な存在で、この人は何であろうかと思わせ、途中でその役割が解かり、この展開も面白い。そして、生きつづけることの辛さを伝えつつ、恋人である早良親王の萩原聖人さんの心をなだめ、ともに死の世界に入って行くのである。

常に晴明のそばに蝶の化身の蜜虫の今井絵里子さんがいる。この蜜虫の登場も晴明の友人の源博雅が驚くような登場である。博雅の伊藤英明さんは、悠然としている晴明にとってかけがいのない友であり笛の名手であり、女性に惚れっぽい。しかし、晴明にとってかけがえのない存在であることも明かされる。月のそばで輝く二つの星は一つであってはならないのである。

『陰陽師Ⅱ』は、滅ぼされた出雲の人の復讐である。家族劇を神話と結び付けているが、神話をとってしまうと、父の野望に逆らう姉弟愛でもある。

滅びされた出雲の長・幻角(中井貴一)は息子・須佐(市原準人)を鬼に変身させ都を脅かす。幻角の娘であり、須佐の姉である日美子(深田恭子)は戦の時藤原安麻呂(伊武雅刀)に助けられその娘となって大きくなった。しかしこの娘は夜夢遊病者のように歩き周り安麻呂は晴明に相談する。そのことから、晴明の謎解きが始まる。

玄角は最終的には、須佐に姉のヒミコを食いちぎらせ、アマテラスとして岩戸に隠れさせてしまうのである。須佐はスサノオノミコトを意味するわけで、玄角はこの鬼と化かした須佐を使って朝廷に復讐を考えたのである。そうはさせまいと晴明は巫女となって岩戸の前で舞うのである。これまた、萬斎さんならではの出番である。アマテラスは姿を見せ、弟の須佐を諭す。須佐は、琵琶を愛する優しい若者であるが、父の力には抗えなかったのである。須佐は姉に従い二人天上へと去ってしまう。

家族に見捨てられた玄角は、一人力尽きてしまう。

『陰陽師』では博雅が死に、青音によって生き返り、『陰陽師Ⅱ』では晴明が死に、玄角によって生き返り、晴明と博雅は、やはりそばに寄り添う二つの星なのである。

付け加えると、歌舞伎の『陰陽師』の染五郎さんの晴明が、自分の出生をどこかで憂い、博雅の勘九郎さんの天真爛漫さを羨む心情は捨てがたいものがあった。

映像のスペクタクルな部分と、生で伝わる舞台のそれぞれの表現の形式の違いともいえる。その辺が表現形式の違いの腕の振るいどころであり、観る側の楽しみともいえる。

監督・滝田洋二郎/原作・夢枕獏/脚本・福田靖、夢枕獏、江良至(『陰陽師』)滝田洋二郎、夢枕獏、江良至(『陰陽師Ⅱ』)

映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』(1)

映画『陰陽師』に至る。どうもまだ霞んでいて観るのを伸ばしていたが、伸ばしただけあってどうして平安京の貴族社会の時代の中で陰陽師が重用されたのか納得でき始めた。

映画『恋や恋なすな恋』の中で、京の天地に異変が続く。東では富士山が爆発したとの情報が流れ、京の空にも白い虹が出たり、金環日食のような現象が起きたりする。現代でも地底のことは予想できない部分が多いのであるから、平安時代はもっと不安がいっぱいの時代である。その時代の天文学の権威が加茂保憲で、その弟子に安倍保名と芦屋道満がいて、この二人のうちだれが師の後を継ぐかという話しが出来上がるわけである。

そういう時代を経て、安倍保名から子の安倍晴明の時代となる。そして安倍晴明を主人公とした物語ができる。その一つの形が夢枕獏さんの小説『陰陽師』で、それを原作として、歌舞伎になったり映画となり、現代とは異なった世界へ誘ってくれるわけである。そのブームからかなりずれての参加である。芦屋道満は晴明のライバルともされ、この辺は定かではない。架空の人物ともいわれ、悪しきライバルとしての位置にいる。

歌舞伎などでも、亡くなっている人を蘇らせて、それを操ったり乗り移ったりして悪事を働くという話しが出てくる。今回、大きく一つ解かったのは、京都には封じているものが沢山あるということである。亡くなったからそれでお終いですまないのである。その祟りを恐れて封じ込めているのである。関東は武士の作った地域であるから、神として崇めて終わりとしたり、どこか武士的発想であるが、京都の場合は、祟りをおそれて、封じ込めているが、いつそれがよみがえるか分からないという繋がりがある。それが、平安京の成り立ちから続いた貴族社会の名残とも言えるようである。

そこを、押さえると興味の無かった<よみがえり>も、平安時代の人々の畏怖の気持ちが伝わってくるのである。

それを考える材料となったのが、『京都魔界地図帖』(別冊宝島)である。今までなら目にも止らぬ内容である。本屋の歴史関係のところでスーと手が伸び気に入った。映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』が、俄然面白くなる。

平安京は桓武天皇が遷都される。その前は、長岡京に遷都されるが、遷都の中心的役割をした藤原種継が暗殺される。その首謀者として桓武天皇の弟の早良親王(さわらしんのう)とされ、早良親王は自ら命を絶つのである。そのことがあって、長岡京の遷都を止め、平安京遷都となったのである。

今までの権力争いや、早良親王のあとの異変も大きく影響していたのであろうが、平安京は南は朱雀、北は玄武、東は清龍、西は白虎に守られた都なのである。北東は魔が入りやすい方角の鬼門で、それを封じるために比叡山延暦寺が位置している。

比叡山を創建したのは最澄で、桓武天皇は奈良仏教の勢力が次第に強くなり、そのことも考慮し、唐から新しい仏教を学んできた最澄や空海を認めたのである。

映画『陰陽道』では、それだけ魔界から守られた京にも、早良親王の霊を蘇らせる者が現れ、安倍晴明の出番となるのである。怨霊や物の怪などがでてくればそれを封じる結界が作られるが、安倍晴明の場合は五芒星(ごぼうせい)が結界となる。これも天文学や占星術などが絡まり合って一つの知識とされたのであろうが、これ以上はお手上げで、安倍晴明といえば、五芒星が結界となり、守ってくれたり、悪霊を封じ込めてくれるものと思って、はらはらどきどきしながらやったーと思うことにする。

映画に到達しなかった。結界を張られているのかもしれない。