『夢酔独言』(勝小吉著)(1)

新橋演舞場の12月『舟木一夫特別公演』のチラシに、勝海舟の父である勝小吉の自伝『夢酔独言(むすいどくげん)』とあり、視線がとまった。歌舞伎でも、勝小吉をモデルとした、真山青果作の『天保遊侠録(てんぽうゆうきょうろく)』がある。今年の6月に歌舞伎座で上演されている。

勝海舟さんの『氷川清話』が面白かったが、父・小吉さんの『夢酔独言』がこれまた面白い。 勝海舟 『氷川清話』

勝海舟ありて、この親・勝小吉あり。勝小吉ありて、この子・勝海舟あり。と言えるであろう。とにかく好き勝手に自分の思うがままに生きた人で、自分のような生き方はするなと書き残したのが『夢酔独言』である。小吉さんは自分から渦を起こしていて、海舟さんは外からの渦の流れを見つめつつ、思うように生きた人である。人の見分け方は、同じ目を持っているように思える。

一番面白かったのは、やはり東海道中である。14歳で江戸から飛び出す。21歳で再び飛び出し、戻ったときには、座敷の檻の中の人となる。その三年間の間に字を覚えるのである。14歳の時は、何も知らずに世間に飛び出し、21歳の時は旅の経験も人生経験も積んでいるから、その道中の違いが面白い。

14歳の時は先ず江戸からでて藤沢で泊まっている。50キロは歩いていることになる。次が小田原、箱根の関所は旅人から言われお金で手形を手に入れる。その親切な人に浜松の宿で着ぐるみ奪われてしまうのであるから、このごまのはいは最初から手形を用意していたのかもしれない。

宿の亭主が柄杓(ひしゃく)を一本くれて、これに銭を一文ずつもらって伊勢参りをしてこいという。<おかげ参り><抜け参り>というのがあって、ひしゃく一本持って歩くと銭や米を恵んでもらえるのである。使用人が主人に黙って、子供が親に黙って伊勢参りに出かけ、お金がない場合はほどこしを受けつつ行くのである。小吉の場合は、上方へ向かったのであるが、ごまのはいに会い伊勢参りとなる。

伊勢の相の坂で、同じこじきから龍太夫という御師のところへ行けば留めてくれるといわれる。『伊勢音頭恋寝刃』の世界につながる。10月国立劇場の『伊勢音頭恋寝刃』の序幕に<伊勢街道相の山の場>があった。<間(あい)の山>とも書かれ、外宮と内宮の間で、この道にお杉とお玉という二人の女芸人が間の山節を歌って人気を得ていたらしい。お杉を蝶紫さん、お杉が梅乃さんが演じられていた。御師のことなど筋書に詳しく載っていたが、先に進まないのでこれくらいにする。

小吉さんが乞食が教えてもらった江戸品川宿の青物屋大阪屋の名は、御師にとってお得意さんであったのであろう。その名によって良い待遇を受けお札とお金をもらう。しかしまた乞食となり、府中(静岡)の宿へ着く。ここで、馬の乗り方を披露する。初めて小吉さんが旅で自分の技量を見せた場面である。宇津ノ谷峠の地蔵堂で寝たり、毬子の賭場へ連れていかれたりとこちらが歩いたところが次々と出てきて、風景が浮かび、夜の暗さが想像できて可笑しいやら、度胸の良さやら、体を壊し水杯の状態やらといやはや大変である。

今まで、生きてきた体で覚えたことを全部出し切り、そこに新しい体験を加えて、ぎりぎりのところを生きているのに、嘆きや弱音はない。死と隣あわせなのに、生しかない。そして人の意見はよく聞く。それでいながら、絡めとられずに、自分の生き方をつき進んでいく。